(69)【労災補償】損害賠償
~使用者の安全配慮義務違反~

7.安全衛生・労災

1 ポイント

(1)労働者が労働災害により被った損害をカバーする制度としては、労基法および労災保険法に基づく労災補償制度とともに、被災労働者又はその遺族が使用者に対して行う損害賠償制度(労災民事訴訟制度)が併存している。

(2)労災民事訴訟制度では、被災労働者又はその遺族は、精神的損害(慰謝料)や逸失利益などを含む全損害の賠償を求めることができる。労災民事訴訟の方法として、かつては使用者等の不法行為責任を問う形のものが主流であったが、現在は使用者等の債務不履行責任(安全配慮義務違反)を問う形のものが中心となっている。

(3)使用者は、労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っている。そして、使用者の安全配慮義務の具体的内容は、労働者の職種、労務内容、労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものである。

2 モデル裁判例

川義事件 最三小判昭59.4.10 民集38-6-557、労判429-12

(1)事件のあらまし

Aは、昭和53年3月高校卒業後にY社に入社し、営業活動の見習いのほか、研修を受けたり雑用をしたりしていた。同年8月13日午後9時頃、Aが宿直勤務中に元Y社従業員Bが窃盗目的で侵入し、ビニール紐でAの首を絞め、引き倒したうえ木製野球バットで顔面を殴打したりしてAを死亡させ、反物類を盗んで逃走した。本件社屋には夜間の出入口としてくぐり戸が設けられていたが、この戸又はその近くにはのぞき窓やインターホンはなく、呼出用のブザーボタンのみが設置され、また、防犯ベル等の設備もなかった。なお、Y社では同52年10月頃より商品の紛失事故が2~3度生じており、Bも退職後に7~8回Y社から反物を窃取するという犯行を繰り返していた(Y社上層部にまでは報告されていなかった)。

Aの両親であるXらは、Y社の安全配慮義務違反を主張して損害賠償を求めて提訴した。第一審(名古屋地判昭56.9.28 民集38-6-582)、原審(名古屋高判昭57.10.27 民集38-6-603)ともXらの請求を認容(原審は総額1,637万円余りの損害を認定[Aの過失割合は4分の1])。Y社が上告。

(2)判決の内容

遺族側勝訴(上告棄却)

「通常の場合、労働者は、使用者の指定した場所に配置され、使用者の供給する設備、器具等を用いて労務の提供を行うものであるから」、使用者は「労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負っているものと解するのが相当である。もとより、使用者の[この]安全配慮義務の具体的内容は、労働者の職種、労務内容、労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものであることはいうまでもない」。

Y社は、本件社屋内に「宿直勤務中に盗賊等が容易に侵入できないような物的設備を施し、かつ、万一盗賊が侵入した場合は盗賊から加えられるかも知れない危害を免れることができるような物的施設を設けるとともに、これら物的施設等を十分に整備することが困難であるときは、宿直員を増員するとか宿直員に対する安全教育を十分に行うなどし」、労働者たるAの生命、身体等に危険が及ばないように配慮する義務があったものと解すべきであるが、Y社はこのような安全配慮義務に違反していたものといわざるを得ない。

3 解説

(1)労災民事訴訟

労働災害が発生した場合、被災労働者又はその遺族は労災補償を受けることができるが、同時に使用者に対して損害賠償請求を行うことも可能である。労災補償制度による補償には、精神的損害(慰謝料)や逸失利益などが含まれておらず、これらも含め実損害の全ての回復を図るためには、被災労働者等は労災民事訴訟を提起しなければならない。従来は、不法行為に基づく損害賠償請求(民法709条、715条[使用者責任]等)が中心であったが、被災労働者等が使用者等の故意・過失を立証しなければならず、それは非常に困難を極めるものであった。昭和40年代後半に入り、労働安全衛生法の制定(昭和47年)などを背景として、下級審裁判例において労働契約等に基づく使用者の安全保護義務等の概念が認められるに至り、債務不履行責任(民法415条)に基づく損害賠償請求が可能となり始めた。この方法によれば、裁判における立証責任が使用者側に転換される点で、また、時効期間が不法行為に比べて長く10年である点でも(同167条1項)、被災労働者等にとってはより有利であった。ただし、「安全配慮義務の内容を特定し、かつ、同義務違反に該当する事実を主張・立証する責任は」被災労働者等にあると論じた、航空自衛隊航空救難郡芦屋分遣隊事件(最二小判昭56.2.16 民集35-1-56)に留意する必要がある。

(2)安全配慮義務

陸上自衛隊八戸車両整備工場事件(最三小判昭50.2.25 民集29-2-143、労判222-13)は、国と公務員との間の法律関係についてではあるが、使用者(国)が安全配慮義務を負うことを明言した初めての最高裁判決として重要な意義を有する。この判決では、「安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、その法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきもの」であると論じられた。モデル裁判例は、民間企業における労働契約関係についてもこの安全配慮義務が認められることを確認した初の最高裁判決としての意義を有している。また、同義務は元請企業と下請企業の従業員間においても認められている(鹿島建設・大石塗装事件 最一小判昭55.12.18 民集34-7-888)。なお、平成20年3月施行の労契法5条には同義務が明文化されている。

(3)損害賠償の認定

労災民事訴訟において被災労働者等の損害賠償請求権が認められるためには、その労働者に生じた負傷・疾病等とその労働者が従事していた業務との間に相当因果関係[注:業務と負傷等との間に認められる相当な程度の原因と結果の関係をいい、業務がなければ負傷等もなかったという条件関係とは異なるものである]が存することが必要であり、さらに、使用者による安全配慮義務違反または過失の存在など、債務不履行責任ないしは不法行為責任を問うためのその他の要件を充足している必要がある。この相当因果関係は、労災保険給付が支給されるために必要とされる「業務起因性」という概念と類似している。

その他、使用者の安全配慮義務違反等に基づく損害賠償請求が認められた裁判例に、システムコンサルタント事件(最二小決平12.10.13 労判791-6)、過重な長時間労働に加えて、不良品が市場に流出するのを防ぐため発注先から品質管理基準への対応を求められている中、塗装班リーダー昇格後約1ヵ月半後に自殺した山田製作所(うつ病自殺)事件(福岡高判平19.10.25 労判955-59)、長時間労働及び上司(エリアマネージャー)のいじめ・暴行等のパワハラにより飲食店店長が自殺したサン・チャレンジほか事件(東京地判平26.11.4 労判1109-34;なお、この事案では会社法429条1項に基づく代表取締役の損害賠償責任も肯定されている)等がある。

他方、安全配慮義務違反の主張が認められなかった裁判例として、架空出来高の計上等の不正経理を行っていた営業所長が、不正経理の解消等につき上司らにより指導や叱責を受けた後、うつ病自殺に及んだ前田道路事件(高松高判平21.4.23 労判990-134)、労働者のうつ病と業務との間の相当因果関係が否定されたためその前提を欠くが、念のため同義務違反につき検討がなされた日本政策金融公庫(うつ病・自殺)事件(大阪高判平26.7.17 労判1108-13)等がある。

なお、過重な業務に起因してうつ病に罹患し、休職期間満了に伴い解雇された労働者による安全配慮義務違反等に基づく損害賠償額の算定に際して、いわゆるメンタルヘルスに関する情報(神経科の医院への通院、その診断に係る病名、神経症に適応のある薬剤の処方等の内容)の労働者による不申告を理由に、民法418条又は722条2項の規定による過失相殺をしてはならない場合があることを示した初の最高裁判決として東芝(うつ病・解雇)事件(最二小判平26.3.24 労判1094-22)がある。使用者は、メンタルヘルスに関する情報につき、労働者から申告がなくても、その健康に関わる労働環境等に十分な注意を払うべき安全配慮義務を負っているものと考えられることにより導きだされた判断である。