(61)【服務規律・懲戒制度等】経歴詐称
6.人事
1 ポイント
(1)雇用関係は、労使の信頼関係を基礎とする継続的な関係であるから、使用者は、雇用契約において、労働者に、労働力評価に関わる事項だけではなく、企業秩序の維持に関係する事項の申告を求めることができる。
(2)雇用契約の締結に際し、使用者が、必要かつ合理的な範囲において、労働力の評価に関わる事項や企業秩序の維持に関係する事項の申告を求めた場合には、労働者は、信義則上真実を告知しなければならない。
(3)最終学歴は、労働力の評価だけでなく企業秩序の維持にも関わる事項であるから、学歴を高く偽るだけでなく、低く偽ることも経歴詐称に当たり、懲戒処分の対象となる。
(4)履歴書の賞罰欄における「罰」とは、一般には確定した有罪判決を指すため、公判係属中の事実については、特に申告を求められない限り、労働者はこれを告知する必要はない。
2 モデル裁判例
炭研精工事件 最一小判平3.9.19 労判615-16
(1)事件のあらまし
Xは、昭和55年11月にYに雇用された旋盤工である。Xは、大学中退者であったが、Yの採用選考時に提出した履歴書には、学歴を高卒と記載し、面接においても大学中退者であることを秘匿した。また、Xは、採用選考当時、公務執行妨害等の複数の罪で起訴され公判係属中であったが(当時、Xは保釈中)、履歴書の賞罰欄には「賞罰なし」と記載し、面接においても、刑事事件で起訴されていることを秘匿した。
Xは、Yで就労を開始した後も、軽犯罪法違反や公務執行妨害罪で逮捕され、これにより欠勤が続いた。Yは、この欠勤を契機にXの経歴を改めて調査したところ、Xの履歴書に虚偽記載があることを把握した。Yは、Xの採用選考における経歴詐称、7日以上の無断欠勤などを理由に、Xを懲戒解雇した。Xは、これを不服とし、雇用契約上の権利を有する地位の確認を求めて提訴した。
(2)判決の内容
労働者側敗訴
原審の適法に確定した事実関係の下において、本件解雇を有効とした原審の判断は正当として是認できる。(以下、原審の判決(東京高判平3.2.20 労判592-77)を紹介する。)
雇用関係は、労働力の給付を中核としながらも、労働者と使用者との相互の信頼関係に基礎を置く継続的な契約関係であるから、使用者が、雇用契約の締結に先立ち、雇用しようとする労働者に対し、その労働力評価に直接関わる事項ばかりでなく、当該企業あるいは職場への適応性、貢献意欲、企業の信用の保持等企業秩序の維持に関係する事項についても必要かつ合理的な範囲内で申告を求めた場合には、労働者は、信義則上、真実を告知すべき義務を負う。
最終学歴は、単にXの労働力評価に関わるだけではなく、Yの企業秩序の維持にも関係する事項であるから、Xは、これにつき真実を申告すべき義務があった。他方、履歴書の賞罰欄における罰とは、一般的には確定した有罪判決を指すものであり、XがYの採用面接に際し、賞罰がないと答えたことは事実に反するものではなく、Xが、採用面接にあたり、公判継続の事実について具体的に質問を受けたこともないのであるから、Xが自ら公判係属中の事実について積極的に申告すべき義務があったとはいえない。よって、Xが大学中退の学歴を秘匿して、Yに雇用されたことは、就業規則の懲戒事由に当たるというべきであるが、公判係属中であることを告げなかった点は、懲戒事由には該当しない。
Xは、上記事件について有罪の確定判決を受けた後に、Yの総務部長から前歴等の秘匿について尋ねられたが、この際にも、自己の行動に対する反省の態度がみられず、依然として、既成の社会秩序を否定する考えが強く残っていたと言わざるを得ない。これらの事情を考慮すると、Xの職務上の地位や職務内容を斟酌しても、Xには懲戒解雇の事由があり、当該解雇は、社会通念上著しく妥当を欠き裁量権を濫用したものとはいえない。
3 解説
(1)経歴詐称に対する懲戒処分
判例法理によると、使用者は、採用選考において、求職者に対し、労働能力の評価に関わる事項だけでなく、企業秩序の維持に関係することについても、必要かつ合理的な範囲で申告を求めることができるとされ、また、使用者から必要かつ合理的な範囲において経歴等を尋ねられた労働者は、信義則上これに対して真実を告知する義務を負うとされている(思想・信条の申告については、(5)【採用】の裁判例を参照)。
モデル裁判例は、雇入れ時に行われた経歴詐称に対する懲戒解雇の適否が問題となったものであるが、裁判所は、最終学歴は、労働能力の評価だけでなく、企業秩序の維持にも関わる事項であるから、学歴を低く偽ったことは懲戒事由に該当すると判断した。ただし、逮捕・起訴歴の秘匿については、履歴書における賞罰欄は、確定した有罪判決を記載すれば足り、逮捕や起訴の事実についてまでは申告する義務がないとして、公訴係属中の身であることを申告しなかったことは、懲戒事由には該当しないとしている。
なお、モデル裁判例より以前に出された下級審の判断には、経歴詐称に対する懲戒解雇は、能力評価や組織づけを著しく誤らしめる事実を申告した労働者を、使用者が企業組織に対する危険を排除するために行うものとして認められるものであり、労働契約締結上の信義則違反を理由としてなし得るものではないとするものがみられた(富士通信機事件 横浜地決昭38.6.12 労民集14-3-843)。これに対し、モデル裁判例では、労働者の真実告知義務は、採用選考における信義則上の義務として理解されている。真実告知義務違反を雇用関係の信義則違反と解すると、信頼関係の破壊を理由として、実際に企業秩序が損なわれた事実がなくとも、経歴詐称を懲戒処分の対象とできることになり、経歴詐称に関する使用者の懲戒権限は広くなる。以下では、経歴詐称の事案でよく問題となる学歴、職歴、犯罪歴に着目して、裁判例を紹介する。
(2)学歴
判例法理においては、学歴は、労働能力の評価基準となるだけでなく、企業秩序の維持にも関係する事項であるから、最終学歴を高く偽る場合はもちろん、それを低く偽る場合にも、懲戒処分の対象とできると解されている(高校中退を高校卒業と高く偽ったこと等を理由とする懲戒解雇を有効とした例に、正興産業事件 浦和地川越支決平6.11.10 労判666-28、東大中退であることを秘匿し履歴書に中卒の学歴を記載した者に対する諭旨解雇を有効とした例として、日本鋼管鶴見造船所事件 東京高判昭56.11.25 労民集32-6-828)。
一方で、近藤化学工業事件(大阪地決平6.9.16 労経速1548-33)では、採用選考において学歴が重要な指標とされていなかったため、採用における学歴詐称(中卒を高卒と詐称)は懲戒事由の「重要な経歴詐称」には該当しないと判断された。また、学歴詐称によって経営秩序が乱れたとはいえない場合や、学歴を詐称して雇用されたが、雇用後の業務遂行には重大な支障が生じなかった場合では、学歴詐称を理由とする解雇が無効と判断されている(前者の例に、西日本アルミニウム工業事件 福岡高判昭55.1.17 労判334-12(大卒を高卒と詐称した例)、後者の例に、中部共石油送事件 名古屋地決平5.5.20 労経速1514-3(採用選考において、中央大卒ではないのに中央大卒であると告げた例))。
(3)職歴
職歴の詐称は、即戦力を求める中途採用において多く問題となる。これまでの例をみると、職歴については、雇用の採否や雇用後の労働条件の具体的内容の決定に際して重要な判断要素となるため、これを詐称することは、解雇の客観的合理的理由となると判断するものが多い。たとえば、グラバス事件(東京地判平16.12.17 労判889-52)では、JAVA言語のプログラミング能力の有無を詐称して雇用された労働者に対する懲戒解雇が有効と判断された。また、メッセ事件(東京地判平22.11.10 労判1019-13)では、アメリカで経営コンサルタント業務をしていたと虚偽の申告をして採用された労働者に対する懲戒解雇の有効性が問題となったが、裁判所は、使用者が、経歴について真実が告知されていたならば当該労働者を雇用しなかったであろうと認められる場合は、具体的な財産的損害の発生やその蓋然性がなくとも、「重要な経歴を偽り採用された場合」に該当するというべきであるとして、懲戒解雇を有効と判断した。
(4)逮捕・起訴・犯罪歴など
採用選考の過程において、労働者が、私生活上の非違行為を申告する義務があるかどうかについては、モデル裁判例のように、履歴書の賞罰欄には、有罪が確定した罪については申告する義務があるが、それまでに至らなかったもの(たとえば、逮捕歴、起訴の経験、公判係属中の身であること)については、これを直接問われない限り、労働者の側から積極的に告知する必要はないと判断される例が多い。たとえば、履歴書の賞罰欄に少年時代の非行歴まで記載する義務はないとして解雇を無効としたものとして、西日本警備保障事件(福岡地判昭49.8.15 判時758-34)がある。また、マルヤタクシー事件(仙台地判昭60.9.19 労判459-40)では、履歴書の賞罰欄には、起訴猶予の事実を記載する義務はなく、また、刑の消滅した前科については、それが労働力の評価に重大な影響を及ぼさざるをえないといった特段の事情のない限りこれを告知する義務はないとして、解雇が無効と判断された。