(54)就労請求権

6.人事

1 ポイント

(1)労働者が使用者に対し、自己を実際に就労させることを請求する権利を就労請求権という。

(2)労働(就労)は労働契約上の義務であって権利ではないという考え方から、就労請求権は否定されるのが一般的である。ただし、労働契約等に就労請求権を肯定する特別の定めがある場合や、業務の性質上労務提供について労働者が特別の合理的利益を有する場合には、例外的に就労請求権が認められる。

(3)特殊な技能を有する労働者が少しでも職場を離れると技能が著しく低下する場合には、業務の性質上労務提供につき特別の合理的理由が認められ、就労請求権が肯定されることがある。

2 モデル裁判例

読売新聞社事件 東京高決昭33.8.2 労民集9-5-831

(1)事件のあらまし

Xは、入社試験に合格し、昭和30年4月にY新聞社に雇用され、見習い社員として勤務していた。しかし、見習期間満了日である同年9月30日、就業規則上の「やむを得ない会社の都合によるとき」という理由により解雇された(本件解雇)。Xは、本件解雇は無効として解雇の意思表示の効力停止、賃金支払いおよび就労妨害排除の仮処分を求めた。

第一審決定(東京地決昭31.9.14 労民集7-5-851)は、就労妨害排除の仮処分のみ申請を却下したが、それを不服とするXが抗告を行った。

(2)判決の内容

労働者側敗訴

「労働契約においては、労働者は使用者の指揮命令に従って一定の労務を提供する義務を負担し、使用者はこれに対して一定の賃金を支払う義務を負担するのが、その最も基本的な法律関係であるから、労働者の就労請求権について労働契約等に特別の定めがある場合又は業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有する場合を除いて、一般的には労働者は就労請求権を有するものでないと解するのを相当とする。本件においては、Xに就労請求権があるものと認めなければならないような特段の事情は…ない。のみならず、裁判所が労働者の就労に対する使用者側の妨害を禁止する仮処分命令を発しうるためには、その被保全権利の存在のほかに、かかる仮処分の必要性が肯定されなければならないわけであるが、本件仮処分においては、…YのなしたXに対する解雇の意思表示の効力の停止と賃金の支払を求める限度においてXの申請は認容されたものであるから、Xは特段の事情のない限り、それ以上進んで就労の妨害禁止まで求め労働者としての全面的な仮の地位までも保全する必要はない」。

3 解説

(1)就労請求権の意義

労働者が使用者に対し、自己を実際に就労させることを請求する権利を就労請求権という。労働者の就労請求権は、使用者からみれば労働受領義務である。解雇が無効となれば、被解雇者には労働契約上の地位確認と未払賃金請求(民法536条2項)が認められるのが通例であるが、労働者に就労請求権がないとすれば、使用者は賃金を支払い続ける限り、当該労働者を実際に働かせる必要はないことになる。そのため、職場復帰を望む被解雇者は、従業員としての地位確認や賃金請求に加えて、使用者に当該労働者を就労させる義務があることの確認を求めることがある。このような確認請求の根拠とされるのが、労働者の就労請求権である。

(2)就労請求権の存否

労働者の就労請求権については、昭和20年代にはこれを肯定する裁判例もみられた。たとえば、木南車輌製造事件(大阪地決昭23.12.14 労民集2-55)では、雇用主は「労働契約関係が正当な状態においてある限り、労働者が適法に労務の提供したとき、これを受領する権利のみでなく、受領する義務あるものであり、正当な理由なくして恣意に受領を拒絶し、反対給付である賃金支払をなすことによって責を免れるものではない」とされた。

しかし、その後は消極的立場をとる裁判例が多い。例えば、松下電器産業事件(大阪地決昭46.9.20 判時652-85)では、「雇傭契約は労働者の提供する労務と使用者の支払う報酬とを対価関係にかからせる双務契約であり、労働者の労務の提供は義務であって権利ではないから、雇傭契約あるいは労働協約等に特別の定めがある場合を除いて労働者に就労請求権はないと解すべきである」とされている。モデル裁判例も、労働契約等に就労請求権について特別の定めがある場合や、労務提供について労働者が特別の合理的利益を有する場合を除き、就労請求権を否定する立場であり、裁判例の大勢に沿ったものである。近時の裁判例でも、「特段の事情がない限り、労働者が使用者に対して雇用契約上有する債権ないし請求権は、賃金請求権のみであって、いわゆる就労請求権を雇用契約上から発生する債権ないし請求権として観念することはできない」と述べるものがある(日本自動車振興会事件 東京地判平9.2.4 労判712-12)。

なお、就労請求権について特別の定めがあると認められた例として、大学の就業規則で大学教員が学問研究を行うことが明確に予定されていることから大学での学問研究を雇用契約上の権利とする旨の黙示の合意があるとされたものがある(栴檀学園(東北福祉大学)事件 仙台地判平9.7.15 労判724-34)。

(3)就労請求権を認める特別の合理的利益

以上のような裁判例の一般的枠組みに基づき、労働者の就労請求権を肯定することに特別の合理的利益ありとされた唯一の裁判例として、株式会社スイスの事件(名古屋地判昭45.9.7 労経速731-7)がある。本件は、飲食業を営む株式会社に調理人として雇用された者が出向拒否を理由に解雇されたことにつき、同解雇が無効であるとして、①労働契約上の地位保全、②賃金仮払いおよび③就労妨害禁止の仮処分を求めた事案である。③について裁判所は、「調理人はその仕事の性質上単に労務を提供するというだけでなく、調理長等の指導を受け、調理技術の練磨習得を要するものであることは明らかであり」、「調理人としての技量はたとえ少時でも職場を離れると著しく低下する」として上記特別の合理的利益を認め、就労妨害禁止の仮処分を認容した。

もっとも、裁判例ではこの特別の合理的利益は容易には肯定されない。例えば、生命保険会社の内勤の事務職(富国生命保険事件 東京地八王子支判平6.5.25 労民集46-4-1218)、診療所の医療事務や受付の職員(医療法人南労会(第2)事件 大阪地決平5.9.27 労判643-43)、出版社の事務職(第一学習社事件 広島高判昭60.1.25 労判448-46)について、就労についての合理的利益が否定されている。また、日本海員掖済会事件(仙台地決昭60.2.5 労民集36-1-32)では、病院が勤務医に自宅待機を命じ、同人からの就労要求を拒否していることにつき、長期間の不就労によって診断、治療に要請される高度な判断力、決断力が急速に失われ、医療技術が低下する等の不利益が仮に肯定されるとしても、就労を保全する必要性を認めるだけの特別な事情はなく、かかる不利益自体、他病院等での臨時就労または自己研鑚および職場復帰後の研修等でかなりの程度まで回復することができると述べ、上記勤務医からの、病院で現実に就労させることを求め得る地位の保全申請が却下された。

なお、上記日本自動車振興会事件では、配転命令の無効を主張する労働者が、同人に命じうる業務内容の範囲を確認する会社との訴訟上の和解に基づき、同人を配転前の業務に直ちに就労させるべき義務があることの確認を求めたが、本件和解条項は確認条項であって、同条項によって具体的な就労請求権が形成されるものではないとの理由で、同請求が棄却された。