(46)業務命令権

6.人事

1 ポイント

(1)就業規則などに基づき行われる教育訓練の時期、内容、方法は、原則として使用者の裁量的判断にゆだねられるが、実施した教育訓練が、労働契約の内容および教育訓練の目的などに照らして不合理な場合、または労働者の人格権を不当に侵害する態様で行われた場合には、かかる訓練は、裁量権の逸脱・濫用として違法となる。

(2)教育訓練に関する裁量の逸脱、濫用の有無は、当該教育訓練に至った経緯、動機、目的の客観的正当性、目的達成のために採った手段の相当性(目的と手段の均衡)などの事情を考慮して判断される。

2 モデル裁判例

JR東日本(本荘保線区)事件 最二小判平8.2.23 労判690-12

(1)事件のあらまし

鉄道事業等を営むY1に勤めるXは、昭和63年5月、バックルに労働組合のマークが入ったベルトを着けて駅構内で作業をしていたところ、上司であるY2(控訴人・上告人)に、ベルトを外すように指示された。翌日、Y2は、Xに対して、「教育訓練」として、就業規則全文の書き写しと、感想文の作成、書き写した就業規則の読み上げを、朝の体操終了後から午後4時30分まで、Y2の前に着席して行うように命じた。当該訓練中、Y2は、Xに対して、ほとんど休憩を与えなかった。

Xは、訓練2日目の朝に体調不良を理由として年休の取得を申し出たが、会社はこれを認めず、朝から前日と同じ内容の訓練をするように命じた。Xは、午前中に2度腹痛を訴え、Y2に病院に行かせてくれるように申し出て、午前11時30分頃に作業から解放された。Xは、その後、病院で胃潰瘍の悪化と診断され、翌日から1週間入院した。

Xは、Y2による教育訓練の実施が、業務命令の裁量を逸脱したものであったとして、Y1とY2に対して不法行為に基づく損害賠償を求める訴訟を提起した。原審は、本件教育訓練の違法性を認め、Yらに連帯して慰謝料20万円等の支払いを命じたが、Yらは、これを不服として上告した。

(2)判決の内容

労働者側勝訴

原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし是認でき、その過程に所論の違法はない。(以下、原審の判決(仙台高判平4.12.25 労判690-13)を紹介する。)

会社は、就業規則に基づき労働者に教育訓練を命じ得るが、教育訓練の実施時期、内容、方法は、労働契約の内容および教育訓練の目的などに照らして不合理なものであってはならず、また、労働者の人格権を不当に侵害する態様で行うことは許されない。

本件において教育訓練として行われた就業規則の全文書き写し等は、合理的な教育的意義を認めがたいものであり、見せしめを兼ねた懲罰的目的でなされたものと推認せざるを得ず、具体的態様も不当なものであって、Xに故なく肉体的精神的苦痛を与えてその人格権を侵害するものであったといえる。本件教育訓練は、会社の裁量を逸脱、濫用した違法なもので、不法行為を構成することは明らかである。Y2は民法709条により、またY1は民法715条により、Xの被った損害を賠償する義務がある。

3 解説

(1)業務命令権の範囲

労働者は、労働契約上、使用者の指揮命令を受けて労働を提供する義務を負っている。使用者の有する業務命令権(指揮命令権)は、労務の提供に直接関係する事項に留まらず、業務の遂行にかかわる事項全体に広く及ぶ(業務命令のうち健康診断受診命令に関わる問題については、(66)【安全衛生・心身の健康】参照)。

業務命令権の根拠は、労働契約(就業規則の合理的な規定や労働協約の定めを含む)にあるため、使用者の発した命令が、労働契約において労働者と使用者が合意した権限の範囲を超えている場合には、労働者はこれに従う義務はない。また、労働契約の範囲内で発せられた業務命令であったとしても、その命令が強行法規に反する場合や権利濫用と解される場合には、当該命令は違法でありその効力を有しない。

(2)業務命令権の濫用が争われた裁判例

(1)でみたように、使用者は、契約上の根拠に基づき、業務遂行に関わる広範な事項について業務命令を発することができる。ただし、業務命令は、業務の遂行に必要かつ相当な範囲で発せられるべきものであるから、その目的が嫌がらせや、みせしめといった不当なものと解される場合、または、労働者の心身に不当な苦痛を与えるものと認められる場合には、業務命令権の濫用となり違法・無効となる。以下、業務命令権の違法性が問題となったものを、類型別に整理して紹介する。

1)本来業務以外の作業を命じるもの

国鉄鹿児島自動車営業所事件(最三小判平5.6.11 労判632-10)は、組合バッジの取り外し命令に従わなかった労働者に対して、業務命令として営業所内の火山灰の除去作業を命じることの違法性が問題となったものである。最高裁は、降灰除去作業は、職場環境の整備や労務の円滑化・効率化を図るために必要な作業であり、また、命じられた作業の内容は社会通念上相当な程度を超える過酷なものともいえないとし、さらに、当該作業命令の目的についても、労働者に殊更不利益を課するものとは認められないとして、当該業務命令を適法と判断した。

JR西日本(森ノ宮電車区・日勤教育等)事件(大阪高判平21.5.28 労判987-5)は、日常業務において幾つかミスをした労働者に対して日勤教育が命じられたが、日勤教育を行うに際して予め達成目標等が提示されず、結果として73日間という長期にわたって指導が行われ、その間乗務手当(月額約10万円)が支給されなかったという事件である。裁判所は、日勤教育自体は違法ではないが、本件で行われた教育は、天井清掃や除草作業といった教育とは関係の薄い作業も含まれており、いたずらに長期間労働者を賃金上不利益でかつ不安定な地位におくものであって、必要かつ相当なものとはいえないとし、当該命令を違法と判断した。

2)生命・身体に危険が及ぶ可能性があるもの

日本電信電話公社事件(千代田丸事件)(最三小判昭43.12.24 民集22-13-3050)では、危険な地域への出航命令を労働者が拒否できるかが問題となった事件である。この事件では、朝鮮海峡にある海底線の修理のために布設船(千代田丸)が出航することとなったが、当時この海域は軍事的緊張下にあったため、通常予想される以上の危険が想定された。乗組員は、危険地域における労働条件について使用者と組合との間で話がまとまるまでは乗船できないとして、当該出航命令を拒否した。最高裁は、本件では当時、労使双方が万全の配慮をしたとしてもなお避け難い軍事上の危険があったことが認められ、かつその危険は、乗組員の本来予想すべき海上作業に伴う危険の類いではなかったといえるから、乗組員は、その危険の度合いが必ずしも大きいとはいえなくとも、その意に反して労務提供を強制されるものではないと判断した。

3)労働者の身だしなみに関するもの

接客機会の多い職場では、労働者の服装、髪型、ひげ等に関する社内規定があり、その遵守の徹底が求められるが、一方で、労働者の外観のありように対する指導がいき過ぎると、個人の自己決定権などを侵害するおそれがある。この点、裁判所は、髪型やひげの形状に関する業務命令は、労務提供義務の履行にとって必要かつ合理的な範囲に留められるべきとの解釈を採り、労働者の服装等に対する制約に慎重な立場をとっている。たとえば、イースタン・エアポートモータース事件(東京地判昭55.12.15 労判354-46)では、鼻下にヒゲをたくわえたハイヤー運転手に対して、内規に基づきヒゲを剃るようにとの業務命令が発せられたが、裁判所は、内規の「ヒゲを剃ること」という規定の趣旨は、「無精ひげ」や「異様、奇異なひげ」を剃ることを意味すると解されるべきで、当該労働者のヒゲはそのようなものではないとし、労働者に、本件業務命令に従うべき契約上の義務はないと判断した。また、東谷山家事件(福岡地小倉支判平9.12.25 労判732-53)では、髪を茶色にしたトラック運転手が、上司から髪の色を元に戻すように命令されたがこれを拒否し解雇された。裁判所は、労働者が当初は金に近い茶色であった色を、白髪染めで染め直して茶色にしたにもかかわらず、会社はこれを自然な黒色に戻すように執拗に指示して、これに従わない抵抗した労働者を解雇したものであって、それまでの事実経過に照らしても、就業規則所定の解雇事由に該当するまでの非違行為があったとは言えないとし、解雇無効と判断している。

S社(性同一性障害者解雇)事件(東京地決平14.6.20 労判830-13)では、性同一性障害の診断を受けていた労働者が、女装して勤務するようになったため、会社が女性の容姿をして就労することを禁止する服務命令を発した。しかし、労働者がこれに従わなかったため自宅待機を命じ、最終的に懲戒解雇した。裁判所は、本件命令は、社内外への影響や当面の混乱を憂慮してなされたもので一応理由が認められるが、一方で、労働者が女装に配慮を求めたことにも相応の理由があり、また、女装での勤務によって企業秩序や業務遂行に著しい支障が生じたとも認められないとして、懲戒解雇を無効と判断している。