(36)【福利制度等】企業が労働者にかける生命保険
5.労働条件
1 ポイント
(1)企業の福利厚生制度の一つに、企業が保険契約者及び保険金受取人となり、従業員を被保険者とする保険契約を生命保険会社(保険者)と締結する団体定期保険というものがある(いわゆる「他人の生命の保険契約」に当たるものである)。
(2)使用者が保険金の受取人となっている団体定期保険(Aグループ保険)においては、従業員の死亡等により使用者が多額の保険金を受領しながら、遺族にはその保険金を支払わず、又は、わずかな金額しか支払っていない等の問題が発生している。
(3)複数の団体定期保険契約に基づく死亡時給付金につき、使用者から遺族に対して支払われた金額が、各保険契約に基づく保険金額の一部にとどまっていても、被保険者の同意があることが前提である以上、このことから直ちにこれらの各保険契約の公序良俗違反をいうことは相当ではない。また、団体定期保険の本来の目的に照らし、保険金の全部又は一部を社内規定に基づく給付に充当すべきことを認識し、各生命保険会社に確約していたとしても、このことは社内規定に基づく給付額を超えて死亡時給付金を遺族等に支払うことを約した等と認めるべき根拠とはならない。
2 モデル裁判例
住友軽金属工業(団体定期保険第2)事件 最三小判平18.4.11 労判915-51
(1)事件のあらまし
原告Xらは被告Y会社の従業員であった訴外A、B及びCの妻である。Yは、生命保険会社9社との間でA等の従業員を被保険者とする団体定期保険契約を締結していたが、A等が癌等により死亡したため各保険契約に基づき各保険会社より死亡保険金としてA等それぞれにつき合計6,120万円を受け取った。Xらは、A等の死亡によりYから退職金や葬祭料等の支給を受けたが、その金額は亡きAにつき約1,164万円(亡きB約1,289万円、亡きC約888万円)であった。XらはYに対しこの保険金全額に相当する金額の支払いを求めたが、Yにより拒否されたため、訴訟を提起した。第一審(名古屋地判平13.3.6 労判808-30)は、XらはYに対し給付請求権(社会的に相当な金額3,000万円)を有していると結論付けた。原審判決(名古屋高判平14.4.24 労判829-38)もその判断をほぼ是認した。
(2)判決の内容
遺族側敗訴(原判決中使用者側敗訴部分につき破棄・取消し等)
Yの団体定期保険の運用は、「従業員の福利厚生の拡充を図ることを目的とする団体定期保険の趣旨から逸脱したものであることは明らかである」。しかし、他人の生命の保険については、その適正な運用を図るために被保険者の同意を求めることとし、保険金額に見合う被保険利益の裏付けを要求するような規制も採用されていないことからすると、死亡時給付金としてYから遺族に対して支払われた金額が、各保険契約に基づく保険金額の一部にとどまっていても、被保険者の同意があることが前提である以上、そのことから直ちにこれらの各保険契約の公序良俗違反をいうことは相当ではない。
また、Yが、団体定期保険の本来の目的に照らし、保険金の全部又は一部を社内規定に基づく給付に充当すべきことを認識し、各生命保険会社に確約していたとしても、このことは社内規定に基づく給付額を超えて死亡時給付金を遺族等に支払うことを約した等と認めるべき根拠とはならない。また、他にYと各生命保険会社との間において、Yが受領した保険金の全部又は社会的に相当な金額を遺族補償として支払う旨等の合意の成立を推認すべき事情も見当たらない。むしろ、死亡時給付金につき社内規定に基づく給付額の範囲内で支給するというYの考えや実際の運用状況を踏まえると、Yが、社内規定に基づく給付額を超えて、受領した保険金の全部又は一部を遺族に支払うことを、明示的にはもとより、黙示的にも合意したと認めることはできない。合理的な根拠に基づくことなくこのような合意の成立を認めた原審の認定判断は、経験則に反するものといわざるを得ない。
3 解説
(1)団体定期保険及びその目的
団体定期保険(Aグループ保険)とは、企業が保険契約者となり、従業員を一括して被保険者とし、保険料を全額負担し、従業員の死亡など契約所定の事由が生じた場合には保険金を受け取るというものである。このAグループ保険は、いわゆる他人の生命の保険契約(保険法38条;旧商法674条1項[平成20年改正前商法])であるが、犯罪誘発の危険性や人格権侵害の危険性、使用者による不労の利得の可能性などがあり、実際にも死亡した従業員の遺族には全く保険金が支払われていないなどの事態が生じ、社会的にも大きな問題となってきた。裁判例においては、使用者が保険金を受領した場合には、その保険金を遺族に支払うべき黙示の合意が成立していたか否か等が争点となってくる。なお、平成8年11月以降は総合福祉団体定期保険(主契約及びヒューマンバリュー特約等から成る)なるものが考案され、この新保険への移行がなされた同9年4月1日以降、本来の制度目的に反する利用等は減り、実務上はかなり改善されてきたため、現在はこの種の裁判例も減少してきている。
団体定期保険は、本来、従業員の死亡や高度障害の事態に備えた福利厚生ないし遺族の生活保障の措置として、障害給付金、退職金及び弔慰金等の支払いを目的とした制度であり、それゆえに支払保険料についても損金処理が許されるなど税務上の特典も認められており、保険料も個別の保険契約よりも割安になるなどの特質を有しているのであって、企業の損失の補塡や従業員に対する求償権の賠償を目的として流用すべき制度ではない(住友レーザー事件 大阪地判平12.12.22 労判803-85(要旨))。
(2)遺族に対する保険金の支払い
団体定期保険(Aグループ保険)に関しては、平成7年頃から遺族が企業に対し保険金の支払い等を求めて裁判を起こすケースが目立ちだした。裁判例においては、遺族の請求が認められるか否か、及び、遺族に支払われるべき保険金の金額に関しては、被保険者(従業員)の同意を前提に(保険法38条;旧商法674条1項)、各保険契約における付保規定の趣旨目的、保険契約締結の経緯、被保険者の勤続年数・給与額・企業への貢献度、保険料の負担関係、受領した保険金の総額及び税制上の取扱い、その企業における退職金・弔慰金規程の有無・内容など、諸般の事情を総合的に考慮し、社会通念や公平の観点から判断するという枠組みが定着してきていた。なお、被保険者の同意が存しないことにより団体定期保険契約自体が無効とされた文化シャッター事件(静岡地浜松支判平9.3.24 労判713-39)がある。
遺族の保険金に関する請求が認められた裁判例では、団体定期保険契約を締結する際の労働者の同意、及び、その保険契約の趣旨目的等により、使用者が保険金を受領した場合、遺族に対しその全部又は相当部分を退職金・弔慰金等として支払う旨の合意又は黙示の合意があったものと推定ないしは判断されている。例えば、東映視覚事件(青森地弘前支判平8.4.26 労判703-65)及び個人保険に関するパリス観光事件(広島高判平10.12.14 労判758-50)等がある。他方、保険金支払いの合意等が認められないとして遺族側の請求が棄却された裁判例に、祥風会事件(浦和地判平10.2.20 労判787-76)等がある。
なお、過労死あるいは過労自殺した労働者の遺族らの逸失利益分の損害との関連で、総合福祉団体定期保険契約に基づき従業員の遺族らに支給される保険金(弔慰金)につき、損益相殺の対象とすることはできないと判断した裁判例にO社事件(神戸地判平25.3.13 労判1076-72)および肥後銀行事件(熊本地判平26.10.17 労判1108-5)等がある。
(3)モデル裁判例の意義
モデル裁判例の第一審は、保険契約者が団体定期保険契約をその本来の目的とは異なる方法等で利用することは、社会的相当性を逸脱し公序良俗に違反すると解したうえで、保険会社と保険契約者との保険契約の趣旨(付保目的)についての合意(被保険者の遺族に対し、死亡保険金の全部又は一部を福利厚生制度に基づく給付として充当することを内容とするもの)は、「第三者(被保険者)のためにする契約」に当たるものと判断し、Xらの請求を一部認容し、原審もその判断をほぼ是認していた。ところが、最高裁は、原審の判断を覆し、契約論にかかる法形式的な論理を貫徹するなどし、保険金の相当部分を遺族らに支払うことを認めなかった。
Yは各団体定期保険契約締結に際して、A等も加入していた訴外D労働組合の同意を一応得てはいたが、個々の労働者から同意を得ていたわけではない。一方で、最高裁判決では公序良俗違反に関する論旨において被保険者の同意を前提に展開している点があるなど幾つか疑問に感ずるところもある。もっとも、モデル裁判例は事例判断ながらこの種の事案の初の最高裁判決として重要な意義を有していることに変わりはない。同趣旨の結論を出した裁判例として、建設労災補償共済制度における共済契約に基づく共済金請求のケースであるが、O技術(建設労災補償共済制度共済金)事件(福岡高那覇支判平19.5.17 労判945-40)がある。また、モデル裁判例と被告を同じくする住友軽金属工業(団体定期保険第1)事件(最三小判平18.4.11 労判915-26)も参考となる。