(33)【退職金】退職金の法的性格と競業避止
5.労働条件
1 ポイント
(1)退職金は、支払条件が明確であれば、労基法11条の「労働の対償」としての賃金に該当する。その法的性格は、賃金後払い的性格、功労報償的性格、生活保障的性格を併せ持ち、個々の退職金に実態に即して判断しなければならない。
(2)退職金債権は、退職時およびその後の一定期間の支給制限違反の有無を含めて再評価して確定するものであり、就業規則等の規定がある場合、退職後の競業避止義務違反を理由として、退職金を減額・不支給としても、賃金全額払い原則に違反しない。
(3)退職金の支給基準において、一定の事由がある場合に退職金の減額や不支給を定めることも認められるが、労働者の過去の功労を失わせるほどの重大な背信行為がある場合などに限られる。
2 モデル裁判例
三晃社事件 最二小判昭52.8.9 労経速958-25
(1)事件のあらまし
X会社(原告・控訴人・被上告人)は広告代理店であり、Y(被告・被控訴人・上告人)はX会社に入社し、約10年勤務した後、X会社を退職した。X会社の就業規則によれば、勤続3年以上の社員が退職したときは退職金を支給することとされ、退職後同業他社へ転職のときは自己都合退職の2分の1の乗率で退職金が計算されることとなっていた。退職にあたって、Yは就業規則の自己都合退職乗率に基づき計算された退職金64万8,000円を受領したが、その際、今後同業他社に就職した場合には、就業規則に従い受領した退職金の半額32万4,000円を返還する旨を約束した。しかし、Yは退職して20日ほどが経過した後、同業他社へ入社し、X会社在職中に担当していた少なくとも4社を顧客とした。これを知ったX会社は、支払済み退職金の半額にあたる32万4,000円の返還を求めて提訴した。
(2)判決の内容
労働者側敗訴
X会社が営業担当社員に対して退職後の同業他社への就職をある程度の期間制限することをもって直ちに社員の職業の自由等を不当に拘束するものとは認められない。したがって、X会社がその就業規則において、同業他社への転職制限に反して同業他社に就職した退職社員に支給すべき退職金について、支給額を一般の自己都合退職による場合の半額と定めることも、本来退職金が功労報償的な性格を併せ持つことからすると、合理性のない措置とはいえない。すなわち、この場合の退職金の定めは、制限違反の就職をしたことにより勤務中の功労に対する評価が減殺されて、退職金の権利そのものが一般の自己都合による退職の場合の半額の限度においてしか発生しないこととする趣旨であると理解すべきである。このような就業規則の定めは、その退職金が労働基準法上の賃金にあたるとしても、同法16条(損害賠償予定の禁止)、24条1項(全額払い原則)、民法90条(公序良俗)等の規定に違反するものではない。
3 解説
(1)退職金の法的性格
退職金は、支払条件が明確であれば、労基法11条の「労働の対償」としての賃金に該当し、退職金請求権は法的な保護を受ける。その法的性格は、賃金後払い的性格、功労報償的性格、生活保障的性格を併せ持つものと理解されている。また、支給に関する明確な定めがない場合でも、恩恵的な給付としての退職金が支払われることがある(ただし、この場合、退職金請求権としては認められないことがある)。
退職金には多様な性格が認められ、長期に勤続すればするほど有利に算定される方式がとられたり、自己都合退職と会社都合退職との間で退職金の金額に一定の差異があったりすることが多い。また、退職後同業他社に就職した場合や懲戒解雇に処せられた場合に、退職金の減額や不支給とする取扱いをすることが一般的であり、その内容が合理的である限り有効とされる。こうした取扱いは、退職金が功労報償的な性格を有することを意味しており、退職時に使用者が勤務の再評価を行う趣旨と理解されている。退職金は、絶対的必要記載事項である通常の「賃金」(労基法89条2号)とは異なり、任意的性格を有することから(当事者の合意がない限り、法律で支払いが義務付けられていない)、不支給・減額条項も含めて、その支給要件をどう定めるかは、当事者の自由であり、支給要件を満たさない場合に、既発生の賃金請求権を前提とする全額払い原則(労基法24条1項)は問題とならない。ただし、退職金制度を設ける場合には、相対的必要記載事項として、就業規則に規定しなければならない(労基法89条3号の2)。
(2)退職後の同業他社への転職
こうした退職金の後払い賃金としての性格と関連して、退職金の減額・不支給条項の有効性が問題となる。モデル裁判例のように、一定の事情の発生により、勤務中の功労に対する評価の減殺に応じて、退職金の権利そのものが減額・消滅するものであり、合理性は否定されない。例えば、モデル裁判例と同様に、退職後の同業他社への転職について減額を認めるもの(ソフトウェア興業事件 東京地判平23.5.12 労判1032-5)や退職後の競業行為と大量引き抜きについて不支給を認めたものがある(福井新聞社事件 福井地判昭62.6.19 労判503-83)。
これに対して、退職金の不支給は顕著な背信性がある場合に限ると解するのが相当であり、その判断にあたって、不支給条項の必要性、退職に至る経緯、退職の目的、会社の損害などの諸般事情を総合的に考慮すべきとして、不支給条項の適用を否定し、退職金の支払いを命じたものがある(中部日本広告社事件 名古屋高判平2.8.31 労判569-37)。同様に、減額措置等について、「背信性が極めて強い場合」に限るとしたものも少なくなく(ヤマガタ事件 東京地判平22.3.9 労経速2073-15、キャンシステム事件 東京地判平21.10.28 労判997-55、東京コムウェル事件 東京地判平20.3.28 労経速2015-31)、それらの裁判例では、減額等の理由として、単に制限違反(同業他社)の就職の事実や抽象的な競業の可能性では不十分であり、競業等による具体的な損害や背信的事情の発生を求めていると解される。また、競業避止条項自体の効力を否定し、退職金請求権を認めるものもある(モリクロ(懲戒解雇等)事件 大阪地判平23.3.4 労判1030-47、三田エンジニアリング事件 東京地判平21.11.9 労判1005-25)。
このように、退職後の競業行為に対する退職金の減額・不支給について、「顕著な背信性」を要件とする判例の傾向は、在職中の背信行為(懲戒解雇)がある場合との整合性をもつと考えられる((34)【退職金】参照)。したがって、退職後に競業行為を行った場合に、退職金の減額・不支給が認められる場合もあるが、それは、具体的な損害の発生などの諸事情を踏まえて、顕著な背信性がある場合に、法的に許容されると考えられる(したがって、退職後の競業行為を理由に直ちに退職金の返還請求が認められるわけではない)。また、背信性の程度を考慮して、退職金の一部の支払いを認めることもある(本来の退職金の55%の額の支払いを命じたものとして、東京貨物社事件 東京地判平15.5.6 労判857-64)。
ただし、競業避止を理由とする減額・不支給が当然に認められるのではなく、かかる条項が明記され、その内容が合理的である場合に限られる。例えば、退職金の適用除外事由として「懲戒解雇された場合」しか定められていなかった場合に、退職後同業他社に就職した労働者に対する退職金の支払いを拒否できないとするものがある(東京コムウェル事件 東京地判平15.9.19 労判864-53)。
(3)退職金支給に関する近年の動向
近年では、退職金の一部を退職年金の形式で支給したり、資格等級や勤続年数などの要素をポイント化して累積算定したりする方式(ポイント式退職金)や、在職時に前倒しして賃金に上乗せする方式(退職金前払制)を導入するなどの動きがみられる。こうした方式は、賃金後払い的性格がより強くなることから、功労抹消の度合いによって減額・不支給とすることは認めにくくなると解される。