(19)【労働者の人権・人格権】思想・信条差別

3.労働者の人権・雇用平等

1 ポイント

(1)思想・信条による差別が問題となる事案において次の実態が存在すれば、使用者の差別行為があったことが推定される。

  • ①会社に一定の思想を排除する状況が存在していること。
  • ②年功序列的賃金制度がとられていること。
  • ③一定の思想をもつ者の賃金が一般の従業員と比べ著しく低い、思想の転向者への優遇措置がとられている、一定の思想をもつ従業員で標準者の人事査定を受けている者が存在しない等の差別的取扱いの存在状況があること。

(2)これに対し、会社側が、差別を受けたと主張する労働者の入社以来の勤務成績が劣悪であったことや、能力向上の意思がないために人事考課・査定が低位になされたこと等を証明すれば、(1)の差別の推定は覆される。

2 モデル裁判例

東京電力(群馬)事件 前橋地判平5.8.24 労判635-22

(1)事件のあらまし

原告側労働者Xらは、関東を中心に支店営業等を有する発電・送電等を業とする被告側使用者Yの従業員である。

Xらは、Yから共産党員またはその支持者であることを理由に、職給・資格・職位・賃金などの賃金関係の処遇において差別され、共産党を辞めるよう強要され、交友制限等の人権侵害を受けてきたと主張し、賃金などの処遇に関する差別に対する財産的損害として、会社従業員中の、Xらと同年入社・同学歴の者の平均的賃金との差額相当額、及び、人権侵害と差別による精神的苦痛に対する慰謝料300万円の支払い、これらの行為による名誉毀損の回復措置として謝罪広告ならびに弁護士費用の支払いを求めて訴えを提起した。

(2)判決の内容

労働者側勝訴

Xらに対する慰謝料240万円及び弁護士費用24万円の支払いをYに命じた。

労基法3条は、従業員の思想・信条(宗教的信仰のみならず、人生や政治に関する考え方)の自由を侵してはならず、これを理由に差別待遇をしてはならないことを規定している。仮に、使用者の経営秩序の維持、生産性の観点から従業員の思想・信条が問題とされる場合であっても、会社の経営秩序、生産性を阻害するような現実かつ具体的危険が認められない限り、思想・信条の自由を制約する等の行為は許されない。

YがXらに対し思想・信条を主たる理由とする差別意思の下に不利益な賃金査定を行ったことおよび思想信条の自由を侵す人権侵害行為を行ったことは、公の秩序善良の風俗に違反し、不法行為(故意・過失によって他人の権利を侵害し損害を与える行為)にあたる。Xらの請求のうち、差別賃金相当分の請求に関する部分については認められないが、Yの思想信条差別のためXらの賃金は、本来受け取るべき賃金額よりも低額であったことが認められ、違法な査定に基づき重大な精神的苦痛を被ったことは明らかである。したがって、慰謝料・弁護士費用を認めるのが相当である。謝罪文の掲示はその必要がない。

3 解説

(1)思想・信条を理由になされた差別に関する一連の東京電力の事件

労働者の思想・信条を理由になされた査定差別に関する立証は困難である。そこで、実際の裁判では、ポイントに示したような差別の推定がなされることが多い。

東京電力の思想・信条差別に関する訴えの提起は、平成5年モデル裁判例をはじめとして6つの地域に分散してなされ、東京を除く5つの事件について一審判決が下された。モデル裁判例、東京電力(山梨)事件(甲府地判平5.12.22 労判651-33)、東京電力(長野)事件(長野地判平6.3.31 労判660-73)、東京電力(千葉)事件(千葉地判平6.5.23 労判661-22)、東京電力(神奈川)事件(横浜地判平6.11.15 労判667-25)である。

(2)査定差別による賃金格差

これら5判決に共通する点は、いずれの判決も思想・信条を理由とする査定差別が均等待遇を規定する労基法3条等に違反することを前提としていることである。また、5判決とも、賃金格差の全部もしくは一部が使用者の違法な差別的査定によるものであることが認められ、賃金差別が不法行為(故意・過失によって他人の権利を侵害し損害を与える行為)にあたるとして、慰謝料の支払いが認容されている。

(3)救済内容

5判決の相違点は救済内容にある。大まかに次の3つのパターンに区分することができる。

①損害額算定不能によって生ずる不都合を慰謝料において考慮すべきであるとするもの(前掲東京電力(群馬)事件では、一人当たり300万円の請求に対して240万円の慰謝料の支払いが認められ、前掲東京電力(長野)事件では、原告の請求どおり1人あたり300万円の慰謝料の支払いが認められている)。

②標準者に支払われるべき「あるべき」賃金の合理性・正確性が認められ、かつ労働者らが標準者と同等の業務遂行能力・業務実績を有していたことが立証されたとして、あるべき賃金との差額のすべてを財産的損害として認め、これに加え一人当たり150万円の慰謝料の支払いを認めたもの(前掲東京電力(山梨)事件)。

③標準者との格差が少なくとも3割認定できるとして3割の賃金差額の財産的損害を認め、これに加え一人あたり150万円の慰謝料の支払いを認容したもの(前掲東京電力(千葉)事件)と、同様の方法で、一般労働者については賃金額の5割、下級管理職では3割の財産的損害を認め、これに加え一人当たり150万円の慰謝料の支払いを認めたもの(前掲東京電力(神奈川)事件)。

(4)その他の事例

これらの事件以前における同様の事案に関して、富士電機製造事件(横浜地横須賀支決昭49.11.26 労判225-47)では、標準者との給与額の差額についての損害賠償の支払請求が認められ、福井鉄道事件(福井地武生支判平5.5.25 労判634-35)では、勤務成績中位の最低点の考課給を基準として損害賠償の支払請求が認められている。また、同様の事例として、中部電力事件(名古屋地判平8.3.13 判時1579-3)では、同期・同学歴入社者のうち平均基本給を得ている者および中位職級の地位にある者をもって格差算定の標準者と想定して、これらの者が得ていた賃金額と被差別労働者の得ていた賃金額との差額をもって被差別労働者の被った損害と認めるのが相当であるとし、これに加えて、被差別労働者の事情によって各自100万円及び200万円の慰謝料を認めている。

さらに、倉敷紡績(思想差別)事件(大阪地判平15.5.14 労判859-69)では、会社が、共産党員を敵対するものとして差別的取扱いをしていたこと、他の従業員が同党員あるいはその同調者となることを抑制することを労務政策の一つとしていたことが認められ、人事制度の実際の運用がいわゆる年功序列的になされており、人事考課上、労働者らが特段否定的に評価されるような事情が見受けられないにもかかわらず処遇上不利益を与えてきたことは、労働者らが共産党員であることを理由とするものと推認でき、労基法3条の均等待遇に違反するとされた。そして、労働者らそれぞれに150万、80万円の慰謝料支払いが認められている。

なお、公立高等学校の校長が教諭や教職員に対し、卒業式等の式典における国歌斉唱の際に、国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命じた職務命令につき、憲法19条に違反するとはいえないと判断した一連の最高裁判決が存する(再雇用拒否処分取消等請求事件 最二小判平23.5.30 民集65-4-1780、損害賠償請求事件 最三小判平23.6.6 民集65-4-1855、及び、懲戒処分取消等請求事件 最一小判平24.1.16 判時2147-127、等)。また、大阪市ほか(労使関係アンケート調査)事件(大阪地判平27.1.21 労判1116-29)では、市長が第三者委員会に委託して行った職員を対象とする組合活動等に関するアンケート調査について、思想・良心の自由やプライバシー権等を侵害するものであるか否か等が争点とされている(思想・良心の自由の侵害については否定;同事件の控訴審(大阪高判平27.12.16 判例集未登載)も参照)。