(11)仕事上の発明と報酬
3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)現行特許法では、仕事上の発明(職務発明)について、会社は労働者に、従来のような「相当の対価」ではなく、「相当の利益」を提供すれば足りるとされ、また、「相当の利益」にかかわるプロセスが重視されている。
(2)労働者が職務発明を行ったときに会社から与えられるべき相当の利益(相当の金銭その他の経済上の利益)について、勤務規則等に定めがないか、与えられた内容が特許法の規定に即して不合理な場合、労働者は会社に対して不足分を請求できる。
(3)与えられた利益の内容が不合理な場合、相当の利益の内容は、会社が受ける利益の額、発明に関する会社の負担や貢献、労働者の処遇などを考慮して判断される。
2 モデル裁判例
オリンパス光学工業事件 最三小判平15.4.22 労判846-5
(1)事件のあらまし
一審被告Yは、写真機器など光学機械の製造販売会社であり、一審原告Xは、Yの元従業員である。XはY社在職中の昭和52年に、ビデオディスク装置のピックアップ装置に関する職務発明をした。Yはその発明考案取扱規定により、この発明の特許を受ける権利をXから受け継ぎ、その規定に基づいて、Xに対して、昭和53年に出願補償3,000円、平成元年に登録補償8,000円、平成4年に工業所有権収入取得時補償20万円の合計21万1,000円を支払った。しかしXは、①この職務発明はCD装置に必要不可欠の装置にかかわるものであり、国内すべてのCD装置に使用されていること、②Yはこの発明を含むライセンス契約により利益を得ていること、③これらを理由に、発明考案取扱規定により支払われた補償金では額が不足していると主張して、(改正前)特許法35条3項に基づき、相当の対価(改正前の文言、以下同じ)の額として2億円の支払いをYに求めた。Xの主張に対して、Yは、職務発明にかかる相当の対価の額は勤務規則等における事前の定めに従って処理することができるとして、同規定による既払い額は相当の対価と認められると反論している。
一審(東京地判平11.4.16 労判812-34)は、発明者である従業員が、使用者の一方的に定めた発明考案取扱規定の相当の対価額に拘束される理由はなく、従業員は、報償額が特許法の定める相当の対価額に満たないときは、会社に対して不足額を請求することができるとしてXの請求を一部認めた。これに対し、XとYの双方が控訴し、二審(東京高判平13.5.22 労判812-21)は一審判決を支持し、双方の控訴を棄却した。そこで、Yが上告したのがこの裁判例である。
(2)判決の内容
労働者側勝訴
(改正前)特許法35条によれば、会社は、職務発明にかかる特許権などの受け継ぎについて、勤務規則などにより定めて、対価を支払うこと、その額や支払時期を定めることができる。しかし、職務発明がなされる前や、特許を受ける権利の内容や価値が具体化する前に、予め確定的な額を定めることはできない。
予め定めた額が(改正前)特許法35条3項4項の相当の対価の一部に当たることはもちろんだが、このことが直ちに相当の対価の全部であると考えることはできず、対価の額が4項の趣旨・内容に当てはまった場合に初めて、(改正前)3項4項にいう相当の対価に当たると言える。したがって、職務発明をした労働者は、予め定められていた対価の額が(改正前)4項の対価の額に満たない時には、(改正前)3項の規定に基づいて不足額に相当する対価の支払を会社に求めることができる。
なお、この判決は、この発明からYが受ける利益額を5,000万円、Yの貢献度を95%とし、Xがこの職務発明から受けるべき相当の対価の額250万円から、すでに支払った額21万1,000円を差し引いた残額、228万9,000円を支払額であると判断している(特許権実施料収入額66億円 ⇒ 会社が受けるべき利益5,000万円 ⇒ うち5%の250万円が相当の対価の額)。
3 解説
職務発明について与えられるべき利益が現行特許法35条4項にいう「相当の利益(相当の金銭その他の経済上の利益)」(改正前の文言は「相当の対価」)に満たない場合、労働者は会社に対して不足分の提供を請求できる。以下では、現行特許法における職務発明の取扱いを概観する。その上で、改正前特許法に基づいて相当の対価の額を算出した事例を紹介し、参考に供する。
(1)「職務発明」の定義
労働者の発明が「職務発明」となるのは、①労働者の職務の性質からみて勤務先の業務の範囲として行われ、②発明に至る行為が労働者の現在または過去の職務に属する場合である(現行特許法35条1項)。
(2)「職務発明」が持つ法的意味
職務発明について、①会社は労働者の職務発明にかかる特許権を実施する権利を取得する(現行特許法35条1項)。この場合、会社は無償で特許を実施することができる。労働者への利益の提供は不要である。②会社は勤務規則等においてあらかじめ定めておくことにより、特許を受ける権利を取得できる(現行特許法35条2項の反対解釈)。③勤務規則等に基づいて労働者が特許を受ける権利をあらかじめ会社に取得させるなどした場合(現行特許法35条3項4項)、発明者である労働者は、会社に対して相当の利益(相当の金銭その他の経済上の利益)の提供を受ける権利を得る(現行特許法35条4項)。④勤務規則等において相当の利益について定める場合、a) 利益の内容を決定するための基準の策定に際して会社等と労働者等との間で行われる協議の状況、b) 策定された当該基準の開示の状況、c) 利益の内容の決定について行われる労働者等からの意見聴取の状況等を考慮して、当該定めにより利益を与えることが不合理と認められるものであってはならない(現行特許法35条5項)。⑤利益について定めがないか、上記④の判断要素に照らして合理性がない場合、利益の内容は、発明によって会社が受ける利益額、発明に係る会社の負担・貢献度、労働者の処遇などが考慮され、判断される(現行特許法35条7項)。終局的には裁判所の判断による。
このように、現行特許法では、従来は「相当の対価」とされていたものが、「相当の利益」で足りるとされていること(上記③)、また、「相当の利益」にかかわるプロセスが重視されていること(上記④)が、改正前の同法と大きく異なる点である。
なお、労働者が職務発明について外国で特許を受ける権利を会社に譲渡した場合の利益(対価額)の請求についての判断方法も同様である(改正前特許法35条3項5項の類推適用。日立製作所(職務発明補償金請求)事件 最三小判平18.10.17 労判925-5)。また、相当の利益(対価)の請求は、10年間の消滅時効(権利を行使しない状態が一定期間継続することで権利が消滅する制度)にかかるが、その起算点は、補償金の支払時期(支払日)である(モデル裁判例、東芝(報償金請求)事件 東京地判平16.9.30 労判880-163)。
(3)発明者である労働者による利益(対価)請求
(改正前)特許法35条3項によれば、職務発明に対する相当の対価の額が予め定められていても、同条項が想定する額に満たない額しか支払われなかった場合、発明者である労働者は会社に不足分を請求でき(モデル裁判例)、このため、訴訟が頻発していた。こうした状況を受けるなどして数次の法改正がなされ、現在では、相当の利益の内容の決定基準や、その策定等のプロセスが不合理でないことなどを担保に、勤務規則等における相当の利益の内容についての定めが尊重される規制となり(現行特許法35条5項)、不足分の事後的請求は難しくなっている。一方で、会社としては、現行法に則した事前の備えが重要である。しかし、改正後の現行法によっても、相当の利益に不足する分しか利益の提供を受けていない(と考える)場合、労働者は会社に対して不足分の提供を請求することができる。
では、相当の利益の内容(対価の額)は訴訟においてどのように算定されるのか。現行特許法によれば、職務発明から会社が受ける利益、使用者の負担・貢献度、労働者の処遇などを考慮して判断される(現行特許法35条5項)。参考として、これまでの事例を掲げる。前掲日立製作所(職務発明補償金請求)事件:1億6,516万円余、日亜化学工業(終局判決)事件 東京地判平16.1.30 労判870-10:604億3,000万円余(高等裁判所で8億4,000万円余で和解)、味の素(特許権)事件 東京地判平16.2.24 労判871-35:1億9,935万円、日立金属(発明対価請求)事件 東京高判平16.4.27 労判876-24:約1,378万7,000円。
(4)職務発明に関する法改正の動向
職務発明制度における「相当の対価」をめぐっては、平成16年の法改正で上記(2)④に示したプロセスを重視、尊重する定めが置かれ、平成27年の法改正で、従前の「相当の対価」の支払いから、上記(2)③に示した「相当の利益(相当の金銭その他の経済上の利益)」の提供という趣旨の定めが置かれた。さらに、現行特許法35条6項では、「相当の利益」をめぐる法的予見可能性を高めるため、指針策定について定められている。
指針(平28.4.22経産省告示131号)によれば、上記(2)④に示した相当の利益にかかるプロセスに関し、協議、基準の開示、意見聴取の具体的意義や方法が示されているほか、相当の利益の具体例として、金銭のほか、経済的価値を有すると評価されるものとして、使用者負担の留学機会の付与、ストックオプションの付与、金銭的処遇の向上を伴う昇進または昇格、所定の日数・期間を超える有給休暇の付与、が挙げられている。