(5)【採用】採用の自由

2.雇用関係の開始

1 ポイント

(1)憲法は、思想信条の自由(19条)と法の下の平等(14条)を保障するが、これらの規定は、国・公共団体と個人との関係を規律するものであり、企業と労働者のような私人相互の関係を直接規律することを予定したものではない。

(2)企業には、経済活動の自由が憲法の保障する基本的人権の一内容として保障されており、それゆえ、企業には、経済活動の一環として契約締結の自由があり、どのような者をどのような条件で雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができる。

(3)労基法3条では、国籍、信条又は社会的身分を理由とする労働条件に関する差別的取扱が禁止されているが、これは、雇用後の労働条件の設定に対する制限であって、採用時の差別を禁止するものではない。また、思想信条を理由とする採用拒否は、民法上も、直ちに不法行為や公序良俗違反に該当するとはいえない。

(4)企業が、採否決定に先立って労働者の性向、思想等の調査を行うことは、雇傭関係が継続的な人間関係として相互信頼を要請するものであり、わが国のように終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることを鑑みると、合理性を欠くものとはいえない。

2 モデル裁判例

三菱樹脂事件 最大判昭48.12.12 民集27-11-1536

(1)事件のあらまし

Xは、Yに、管理職要員として、大学を卒業すると同時に採用されたが、3か月の試用期間が終わる直前に本採用はできないと告げられた。本採用拒否の理由は、Xが、採用前に提出した身上書において、大学在学中に違法な学生運動に従事していた事実を記載せず、面接の際にも学生運動に参加した事実を秘匿しており、これらの行為が、管理職要員としての適格性を否定するものであるからというものだった。Xは、Yによる本採用拒否は、憲法が保障する思想・信条の自由への侵害であり、かつ、信条による差別の禁止に抵触するものである等とし、雇用契約上の権利の確認等を求めて提訴した。

(2)判決の内容

労働者側敗訴

憲法19条、14条の規定は、「国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。」「憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、他方、22条、29条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障している。それゆえ、企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできない」

「労働基準法3条は、労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、思想、信条を理由とする雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであり、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出せない。

「企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由はない。」企業が、採否決定に先立って労働者の性向、思想等の調査を行うことは、雇傭関係が継続的な人間関係として相互信頼を要請するものであり、わが国のように終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることを鑑みると、合理性を欠くものということはできない。

3 解説

(1)採用の自由に対する制約

モデル裁判例では、採用選考における虚偽申告(大学在学中の学生運動への参加事実の秘匿)を理由に、本採用を拒否することが法的に許されるかどうかが問題となった。この事件の本採用拒否は、労働者の不誠実な態度を理由としたものであり、労働者の思想信条が直接の許否理由として示されたものではないが、本件で秘匿した事実(学生運動への参加)は、労働者の思想・信条を推認させるものであったため、このような思想・信条に関する事実を踏まえて採用を拒否することが、憲法の諸規定や労基法3条に照らして許されるかどうかが問題となった。

この点につきモデル裁判例最判は、企業には契約の自由があり、法律その他によって特別の制限がない限り、自由に雇用の採否を決することができるとし、労働者の思想信条を理由とする雇入れの許否も当然に違法ではないとしている。その後に、慶応義塾(慶大医学部附属厚生女子学院)事件(東京高判昭50.12.22 労民集26-6-1116)において、看護婦(看護師)養成学校の卒業生を、在学時代の政治的活動への参加等を理由として大学付属病院への採用拒否することが思想信条による採用差別に当たるかが問題となったが、裁判所は、労働者の採否判断の広範な諸要素の一つとして、もしくは、思想信条を直接問題にするのではなく、ある思想信条に基づく諸活動を問題にする場合(間接理由)には、そのような採用決定も違法ではないと判断した。

(2)採用に関する法規制

雇用主の採用の自由は、上記最高裁判決により、「法律その他による特別の制限」がない限り、広く認められるとされている。もっとも、現在は、複数の法令によって、以下のように、採用時の差別が禁止されている。

まず、性別による採用差別については、均等法5条がこれを禁止する。また、年齢を採否基準に用いることは、雇対法10条により禁止されている(例外については、雇対法施行規則1条の3第1項-『労働関係法規集2016年版』(JILPT、2016年)418頁)。また、労組法7条1号は、労働組合非加入を雇用の条件にすることを禁止している(黄犬契約の禁止)。さらに、障害者雇用促進法34条において、募集・採用における障害者に対する均等な機会の付与が定められている。また、事業主は、障害者が求めた場合には、過重な負担にならない限り、募集・採用における均等な機会の保障に必要な措置(合理的配慮)を提供しなければならない。(合理的配慮の提供義務。障害者雇用促進法36条の2)

(3)調査の自由と個人情報の保護

モデル裁判例では、採用選考において、思想信条に関わる情報の申告を求めることができるかも問題となった。近年、労働者のプライバシー保護に関する意識が社会的に高まっており、採用選考において収集することのできる個人情報の範囲について、しばしば裁判が起きている。

モデル裁判例最高裁判決は、思想信条による採用拒否が違法ではない以上、これに関連する事項の申告を求めることも違法ではないと判断した。ただし、現在では、職業安定法5条の4において、求人者等は、本人の同意がある場合その他正当な理由がある場合以外については、業務の目的の達成に必要な範囲で求職者の個人情報を収集しなければならず、その情報は、収集の目的の範囲内で保管・使用しなければならないと定められている。同法に基づき策定された行政指針では、「人種、民族、社会的身分、門地、本籍、出生地その他社会的差別の原因となるおそれのある事項」、「思想及び信条」、「労働組合への加入状況」については、原則として収集してはならないとされている(ただし、特別な職業上の必要性が存在することその他業務上の目的の達成に必要不可欠であって、収集目的を示して本人から収集する場合を除く。)(平11.11.7労働省告示第141号『労働関係法規集2016年版』(同上)483頁)

裁判例では、健康情報を本人の同意なく収集することが、プライバシー侵害に当たるとして、慰謝料の支払いを命じられたものが複数ある。HIV抗体検査(警視庁警察学校)事件(東京地判平15.5.28 判タ1136-114)では、血液検査において、HIVウイルスの抗体の有無を本人の同意なく調べ、検査結果を本人に伝えて警察学校への入校辞退を誘導したことの違法性が争われた。判決では、同意なく行われた抗体検査の違法性が肯定されている。また、B金融公庫事件(東京地判平15.6.20 労判854-5)では、採用選考の最終段階でB型肝炎ウイルス検査が、本人の同意なく行われ、その後に不採用が決定された。裁判所は、特段の事情がない限りB型肝炎ウイルスの検査は行ってはならず、調査の必要性がある場合でも、検査の目的や必要性について告知し本人の同意を得る必要があるとして、当該検査はプライバシー侵害に当たるとした。