ステレオタイプと全体最適化

本コラムは、当機構の研究員等が普段の調査研究業務の中で考えていることを自由に書いたものです。
コラムの内容は執筆者個人の意見を表すものであり、当機構の見解を示すものではありません。

主任調査員 山崎 憲

人事管理や労使関係を中心にアメリカにかかわってきた。

最初は、1990年代だったと思う。日本企業がアメリカに拠点を移すときに、どうすればうまくやっていくことができるのか、という経験を日本に伝える事業を受け持った。そのために、現地企業で責任ある立場にある日本人を何人か日本に呼んだのだが、そうした人たちには共通した特徴があった。プライベートな時間も含めて現地の従業員や社会と密接な関係をつくっていたということだった。これは、僕がアメリカに対して抱いていたイメージと異なるものだった。

アメリカについて知っていることは多くはなかったけれど、漠然としたものはあった。チームよりも個人の利益を大事にするとか、仕事とプライベートははっきりとわけるといったこと、年齢にかかわらず能力で評価されるとか、成功すれば大きな成果を手にできる一方で失敗すればすべてを自分が背負わなければいけない、といったようなことだった。いわばアメリカに対するステレオタイプそのものだった。学生のころに漠然と抱いていた日本社会に対する想いからでたものだったかもしれない。

満員電車に揺られる長時間の通勤、ある程度の年齢や地位にならなければ高まらない権限、自分だけの判断で仕事を切り上げることができずに長引く労働時間、仕事が終わった後でも切り離すことができない人間関係。こうしたことは、たとえば高校時代の友人から、銀行に勤める父親が夜な夜な仕事の悩みで眠ることができない、といった話を聞いたり、仕事であれつきあいであれ、深夜にならなければ帰宅することがなかった自分の父親の姿から強められていった。アメリカに対するステレオタイプは、日本社会に対する合わせ鏡だったのだ。

人事管理や労使関係を調査対象とするようになると、新しいステレオタイプを意識するようになった。日本社会のマイナスのイメージとしてとらえていた部分が、むしろ、日本企業の国際競争力に寄与しているということだ。この観点からみれば、アメリカに対するステレオタイプは、すべてアメリカ企業の国際競争力にとってマイナスに作用するものとなる。日本的なチームワークの仕組みを取り入れることができないアメリカの自動車企業は、何年たっても日本企業には追いつくことができない、として理解される。個人主義を重視する社会だからこそチームワークが苦手だ、というわけだ。

ほんとうにそうなのか。

オリンピックやサッカーのワールドカップのようなスポーツの国際的なイベントで、アメリカがとりわけチームスポーツが苦手だ、と感じた人はどれだけいるだろう。バスケットや野球、アメリカンフットボールのような人気を集めるスポーツでも同じことがいえる。チームワークなくして成り立たないものばかりだ。

それでは、なぜ自動車企業の工場ではチームワークが苦手なのか。この疑問は、アメリカを調査対象とするときに、常にぬぐうことができなかった。

あるとき、GMの人事担当副社長と労働組合の職業訓練担当トップと知り合いになったことが疑問を解くきっかけになった。GMといえばアメリカで最大の自動車企業だ。なんども訪ねて話を聞いたり、食事をしたりしているなかで仲良くなっていった。そのうちにわかったことがあった。企業の競争力を考えた場合、末端に位置する個別の工場の状況をみているだけではわからないことが多い。抱いてきたステレオタイプ的なアメリカの理解のとおりであれば、たしかにチームワークを取り入れることに工場の労働者は不得意だ(その理由にはいくつかあるが長くなるので触れない)。それでも、国際競争を勝ち抜くためにはなんとかして取り組まなければいけない。ただし、工場の労働者だけがチームワークを担わなければいけないわけではないのだ。どのような方法であれ、企業組織全体として連携をはかることができればよい。部分的には日本と比較して適合していないようにみえても、全体をみれば最適化をはかるように努力している。そうした事例を、本社で全体をみわたす立場にいた二人から教えてもらったのだ。

競争力は工場という部分的な場所だけで比較できるものではない。だが、どうしても目につきやすいところに着目してしまいがちだ。調査や研究といった場面では、事実を積み重ねていくことが求められるゆえに、なおさらに部分的なところにこだわらざるをえない。そのときには、ことさらにステレオタイプとして抱いているイメージが強調されることになってはいまいか。企業は、工場以外にもさまざまな部門が存在し、提携する企業や顧客との関係もある。それらが包括的に機能するような全体最適化を目指す。そのようにとらえたとき、抱いていたステレオタイプは一面だけの姿であると気づいたのだ。

冒頭に書いたように、アメリカに拠点をうつした日本企業がうまくやることができたのは、プライベートを含めて濃密な関係をローカルスタッフと築くことができたからだった。そうした関係の作り方は日本とは同じではない。歴史や文化、社会制度の違いということが背景として影響しているからだ。社会全体の調和ということを考えた場合、部分的には違うようにみえることであっても、全体としては最適化されているという点で、アメリカにも日本にも違いがないと言えるのではあるまいか。さまざまな場面で全体最適化の必要性をわかりながらも、実践することは言うほどに簡単ではない。たえず頭の片隅においておきたい。

(2015年6月29日掲載)