コラム:現代日本のキャリア教育・キャリアガイダンスの原点

本コラムは、当機構の研究員等が普段の調査研究業務の中で考えていることを自由に書いたものです。
コラムの内容は執筆者個人の意見を表すものであり、当機構の見解を示すものではありません。

主任研究員 下村 英雄

労働の意義は「生計の維持」のみならず、「個性や能力の発揮」「社会への貢献」にもある。斯界の大家の著作をひもとかずとも、中学3年の公民の参考書にも書かれてあることだ。当然というべきか、中学校の「公民」には重要な事柄がたくさん取り上げられている。そこで、ここでは試みに、公民の参考書だけを引用して、キャリア教育・キャリアガイダンスの原点を考えたいと思う。

まず、「個性や能力の発揮」であるが、本来は、この参考書(真渕勝監修「くわしい公民」文英堂刊)にあるとおり「自分の個性や能力にあった職業につくことで、その個性や能力をいっそう伸ばすことができる」ぐらいの意味であろう。これをあえて難しく考えて、「やりたいこと」志向から心理主義、自己責任論、新自由主義とどんどん話を大きくして、その全体を丸ごと否定するような定形の論じ方がある。いろいろと込み入った議論があるのだろうが、子を持てば、これが親の自然な心持ちにあるものだと理解できる。絵が好きな子は、絵ならばずっと勉強を続けていけるだろう。少しは得意にもなるだろう。そうすれば、働きに出てからも嫌なことは幾分か少なくなるだろう。こういう素朴な親心が、良かれ悪しかれ「個性や能力の発揮」を良しとする考え方のベースにはある注1)。このこと自体は必ずしも批判されるべきことではない。

ただ、できれば公民の参考書が言う「社会への貢献」についても、子供には伝えるべきだろう。参考書には「どの職業も、社会の共同生活になくてはならないものである。したがって、職業につくということは、社会生活に必要な仕事を分担して受け持ち、社会へ貢献していることになる」と書かれてある。本当は、各々が、個性や能力を発揮した方が良いというのも、このポイントに関わっている。計算が好きな子は計算を活かして社会に貢献し、屈強な身体を持ち体力に自信がある子はその身体能力を活かす仕事に就けば良い。仲間内で自分なりに得意なことを分担しあって、全体としてより良く協力しあうような社会を作っていこうということだろう。

もっとも、この「社会への貢献」については、昔、あらぬ批判を受けたことがある。この考え方を、社会全体への奉仕を求めるアナクロニズムであると言われたことがあるのだ。確かに、日本の職業指導の歴史上、個性発揮が盛んに言われた時代は、日本が戦争に突き進んだ時代とも重なっている。過度な適材適所論が、社会の歯車となって社会に奉仕しろという全体主義的な思想に結びつきやすいことは確かかもしれない。

だからこそ、誰かに貢献しろとか、奉仕しろと言われることなく、好きなように「やりたいこと」を決め込んで、それに突き進んで良いと言う必要があるのだと思う。戦争直後の職業指導に関する雑誌は、物資不足のためか、ボロボロの紙で極端に薄く仕上がっている。しかし、その中身は、今度こそ、子供たちには本当の意味で「やりたいこと」をやらせてあげたいという得も言われぬ強い意志に満ちている。それを見れば、ほとんどの人が、「およそ人は、人生において、やりたいことをやれば良いのだ」という現代日本のキャリア教育・キャリアガイダンスの原点を、改めて確認するはずだ。

そして、この原点は、現在のキャリア教育・キャリアガイダンスに関する世界的な議論の動向とも響きあう。来年2015年9月には、日本で、この領域の専門家が一堂に会する「国際キャリア教育学会」注2)の開催が予定されている。こうした国際的な議論の場では、キャリア教育・キャリアガイダンスを、公民の参考書に書いてある文字どおりの「基本的人権の尊重」や「職業選択の自由」と結びつけて論じることが多くなっているのだ注3)。そのため、例えば、キャリア教育は、一国の民主主義の基盤であるという議論さえ、普通に見られるようになっている。

むろん、現行のキャリア教育・キャリアガイダンスには足りない面も多々ある。その1つが労働教育ということになるだろう。今どきの「公民」の参考書には労働三権、労働三法は当然として、簡単な労働基準法の解説や、非正規労働の問題、長労働時間の問題なども書いてある。まずは義務教育段階で学ぶことをきちんと伝えれば、基礎としては十分だろう。是非、近くの本屋の参考書のコーナーで手にとって見ていただきたい。

  1. 労働政策研究報告書No.92 『子どもの将来とキャリア教育・キャリアガイダンスに対する保護者の意識』2007年
  2. 2015年9月18日(金)~21日(月)にかけて、日本キャリア教育学会の主催、労働政策研究・研修機構の共催、厚生労働省他の後援を得て、茨城県つくば市で開催される。以下のHPを参照のこと。(2015年、IAEVG国際キャリア教育学会を日本で開催新しいウィンドウ
  3. 資料シリーズNo.131 『欧州におけるキャリアガイダンス政策とその実践①欧州における生涯ガイダンスに向けたシステム全体の変化―政策から実践へ―』2014年

(2014年10月24日掲載)