事業再生:「ヒト」の観点からとらえてみると

JILPT研究員 藤本 真

進む事業再生の枠組み整備

バブルが残した負の遺産の象徴的存在として、長年にわたってくすぶりつづけてきた大手スーパー・ダイエーの経営問題は、産業再生機構が再建に着手するということで一応の決着をみた。ダイエーに限らず 1990 年代の長期不況の中で、業績不振や資金繰りの悪化により経営を続けることが難しくなった企業は数多く現われたが、その一方で苦境におちいった企業を再生させるための制度的枠組みもこの数年間に目ざましい勢いで整備された。産業再生機構も、事業再生のための制度的枠組みの一環として、 2003 年に成立した法律に基づいて設立された組織である。

新たに整備された制度的枠組みのうち、事業再生に向けた社会的気運を盛り上げるのに最も寄与したと考えられるのは、 1999 年に制定された民事再生法であろう。この法律はいわゆる「倒産法」のうち、事業再生型の法的手続きである和議法を改正したもので、申請要件の緩和や手続きの簡素化が実現された結果、従来よりも事業再生の手続きを進めることが格段に容易になった。

制度的枠組みが整備され、これまでよりも事業再生手続きが簡単になったことで、事業の拡大を図ろうとする企業や、事業再生を手がけて収益をあげようとするファンド、再生を目指す企業とスポンサーを仲介する専門業者などが、ビジネスチャンスを求めて次々と事業再生の分野に参入してきた。また様々なアクターが参入することで、事業再生の枠組みやノウハウをめぐる議論も活発となった。いまや街の書店に行くと、数多くの事業再生をテーマとした書籍を目にすることができるし、事業再生を取り上げた雑誌記事・新聞記事は、日々枚挙にいとまがないほどである。

企業は「ヒト」の集合体

ただ、現在目にすることのできる議論のほとんどは、事業再生を「カネ」の面から捉えたものである。事業再生は、経済的価値の評価に基づく事業の再編成や資金繰りの改善といった「カネ」の問題の解決を最重要の課題としているのだから、当然といえば当然なのだが、企業が「ヒト」の集合体でもあるというあたりまえの事実も、事業再生の成否や社会的意義を考える上で、忘れてはならない視点だろう。事業再生にあたっての、「カネ」の問題の解決には多くの場合「ヒト」の処遇をともなうし、「ヒト」を再生に向けて効果的に動かさなければ、再生に向けた取り組みを持続させることもままならないと思われる。

「ヒト」の問題は事業再生にあたってどのように取り扱われているのか、また「ヒト」の問題への取り組み方が事業再生にどのような影響を与えているのか。これまでの議論の空白を埋めるべく、現在、筆者は、当機構の研究プロジェクトにおいて、事業再生に取り組む企業の雇用・人事管理・労使関係に関する調査を進めている。

労使コミュニケーションの重要性

今のところ、まだ数社を調べたに過ぎないが、事業再生に取り組む企業において、「ヒト」の扱いは様々である。事業再生、特に法的手続きをともなう事業再生には、人員整理がつきものばかりとは言えない。法的手続きをとりながら雇用者数には大きな変動がないというケースもままみられる。もちろん一方では雇用者数が半減するといった企業もある。こうした相違には、企業の営む事業分野や、スポンサーのスタンス、再生手続きに至るまでに実施してきた経営上・人事労務管理上の取り組みなどが、複雑に影響しているものと見られる。

いまひとつ、調査の途上で感じるのは、事業再生の対象である企業における労使コミュニケーションの重要性である。今のところ、調査したのは組合のある企業のみであるが、組合が経営側の意向を受け止めて従業員にきちんと説明しているところでは、雇用者の扱いはどうあれ、少なくとも再生に悪影響をもたらす混乱などが生じてはいないように思われる。昨今の事業再生の議論ではほとんど取り上げられないが、労働組合や従業員組織といった事業再生において大きな役割を果たしうる「ヒト」の組織に、改めて注目する必要性は高い。

また、従業員側から事業再生を有効に支えていくには、従業員をサポートするプロフェッショナルが不可欠であるように思われる。事業再生において経営側で主導的役割を果たすのは、弁護士やターンアラウンドマネージャーのような専門家だが、たいていの従業員は自らの企業が再生手続きの対象となるのは初めてで、事態にどう対処すべきかわからずに動揺することが多い。現在は一部の産別組合の専従者が従業員をサポートするプロフェッショナルとして活躍しているが、こうした役割を果たす人材の育成を社会的に進めていくことなどは検討に値しよう。

もっとも、事業再生を「ヒト」の面から捉える試みは、われわれの取り組みも、また社会的に見ても、緒についたばかりである。ちょっとした仮説や提言めいたことを主張するにも、今しばらく地道な実態把握と、把握した実態の吟味が必要だろう。