ペルソナのキャリア相談
少し前から、カウンセリングやコンサルティングという言葉をよく耳にするようになった。先日は、婦人服販売店で商品を眺めていたら “カウンセリングしましょうか”とお店の人から声をかけられた。部分的な調整が可能なので、客の希望を聞きながらサイズを測り、袖丈詰めなどをするとのことだった。ドラッグストアの化粧品の表示や美容室でのサービス・メニューにもそれらの言葉をしばしば見かける。客の要望や質問に対して、店側の担当者が持っている知識や情報を提供するある種の接遇方法を意味するらしい。今の日本語(?)では、“カウンセリング”や“コンサルティング”とは、科学的な専門技法ではなく、身近で日常的な意思疎通の手段といった意味をもつようになっている感じがする。
他方、カウンセリングとコンサルティングの間にも日本的な意味づけが生まれているようだ。たとえば、キャリア・コンサルタントの技能検定制度は法律に基づくが、その制度におけるこれらの言葉の使い方が、その一例である。キャリア・コンサルティングの講座・講習やセミナーが民間団体等によって開設されているが、その講座等の内容にはカウンセリングの知識・技術の習得が盛り込まれている。キャリア・コンサルタントには、キャリア形成支援を進める過程で、適宜にカウンセリング技法を駆使する能力が求められているからである。
ところで、カウンセリング関係の用語には、コンサルテーションという言葉もある。コンサルテーションは専門家同士の行為を指すものであって、クライエントに対するカウンセリングとは異なる(Zins et al.,1993)注)という説がよく聞かれる。しかし、カウンセリングの技法として、カウンセラーがクライエントに問題解決のための情報提供やアドバイスをすることを、コンサルテーションとする考え方(国分,1996)注)もあるし、ヘルピング(Carkhuff,1987)注)にも共通するところがある。となると、“コンサルティング”の基盤にカウンセリング技法があるという位置づけには、言葉の整理からはすっきりしない面がある。
学説は学者に任せておくとして、なんであれ、キャリアについての親身の相談は、昔から、親子、師弟、職場の先輩後輩など、さまざまな場面の人間関係の中で行われている。もとより、職業紹介機関や職業能力開発施設でも行われてきた。それが、最近は、そのほかに、相談理論や労働情報等の学習をした人材が養成されて、キャリア相談のための新たな社会資源が作り出されたのである。しかも、同じ時期に、カウンセリング等の言葉は大衆化して多くの人に身近で親しみやすいものになった。
その中で、キャリア形成支援をするカウンセラーやキャリア・コンサルタントになることを目指して資格取得や検定合格を果たしたという方々が毎年誕生している。中には、自らの転職を有利にするために、あるいは、定年退職後の生き甲斐として若い人を「指導・援助」するために、受講料を払って講座等で学び、試験に合格したのに、資格等を生かせる仕事に就けないのは“オカシイ”、との不満を表明される方も出ているようである。そうしたご不満に対しては、まずは、ご自身への投資については、労働市場の状況とご自分の適性から事前に費用対効果を検討したかったですねとの慰めの言葉が思い浮かぶ。同時に、カウンセリングにおけるカウンセラーの基本姿勢に関する疑問が湧いてくる。その場では、敬意を払って、それを口にせずにいようと思うものの、“自分は指導し、援助する者だ”という上から目線の役割意識やぺルソナをカウンセラーが脱ぎ捨てる必要と大切さをお忘れなのであろうかと訝しむ。
クライエントに悩みや解決したい問題は、クライエントが自分のために相談するのであって、カウンセラーの職業的成功や生き甲斐のために、相談するわけではない。カウンセリングやコンサルティングの言葉が如何に大衆化しようとも、クライエント自身の目的を尊重してもらいたいとキャリア形成に悩める者は思う。
脚注
(2013年5月10日掲載)