論文題名 職業性ストレスと労働者の健康
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I 健康の背景としての伝統的な日本型システムとその変貌

 わが国の労働者は,従来から,終身雇用制度,年功序列賃金体系,人材育成などによって特徴づけられる一連の日本型雇用システムのもとで働いてきた。終身雇用制は,卒業後,ある企業に就職した勤労者が定年になるまでその企業に勤めつづける就労形態のことであり,法律で定められたものではなく,一つの慣行として日本企業の大部分が採用してきた制度である。年功序列賃金体系は,勤続年数が長くなるにつれて地位も賃金も上がっていく体系のことで,入社後10〜15年後までは昇進に差をつけない企業も少なくない。こうした制度のもと,日本企業は,卒業したばかりの人材を長期的に教育し,能力を開発することに熱心に取り組み,特に先輩社員が現場で教育するon-the job-training(OJT)や従業員の配置転換によるゼネラリストの育成などの人材育成策を採用してきた。こうした雇用システムのもとでは,会社での経験年数が評価されるため,長い期間同じ会社にいたほうが有利になり,逆に,転職による途中入社は,それ以前の経歴がほとんど考慮されないため,勤労者にとって著しく不利益になる仕組みになっている。このため,勤労者は一つの企業への就職を一生の仕事と考え,若いときの低賃金を将来への投資として甘受しつつ,年齢とともに相応の昇進と賃金の上昇を期待して働いてきた。また,自分の生活と会社の発展を同一線上にあるものととらえ,様々の犠牲を払ってでも会社への忠誠を尽くし,家族を巻き込んだ形での会社中心のライフスタイルを形成してきた。すなわち,妻が家庭で家事・育児・親の介護,近隣との社会生活をもっぱら担当することを前提として,夫が勤労にのみ専念するという生活パターンである。こうした日本型雇用システムは,第2次大戦後の経済復興の中で,きわめて有効に機能し,景気変動による解雇や失業を低く抑制しつつ,短期日のうちに西欧先進国に追いつくめざましい経済発展の原動力となってきた。
 こうしたわが国固有の労働のあり方は,労働者の健康面でどのような影響を及ぼしてきたのであろうか。現在,日本人の平均余命(注1)(1998年)は,男性で77.16歳,女性で84.01歳で,男女とも世界一の平均余命を享受している。そしてたとえば,欧米諸国における主要な死因である虚血性心疾患の死亡率(注1)についてみると,1998年の男性の死亡率は10万対57.4で,米国の184.9に比べて著しく低いレベルにある。また,虚血性心疾患の罹患率については不明であるが,おそらく同様に相当低いレベルであると予想される。このほか,欧米諸国に比べて高いレベルを示していた脳血管疾患の死亡率は昭和40年代以降低下しつづけている。さらに,乳児死亡率や,犯罪率,違法な薬物使用等,健康にかかわる行動面での統計指標も他の先進諸国に比して良好なことが指摘されている。
 こうした,良好な健康状態を示す統計的事実が,何によってもたらされたものかは,必ずしも明らかではない。他の先進国と同様,生活水準の向上が疾病構造の変化をもたらし,結核をはじめとする急性感染症が激減して若年者の死亡が減少したこと,蛋白質や脂質に乏しく食塩に富む伝統的な日本の食事内容が,西洋化されていく過程で,ほどよく蛋白質・脂質に富み,低い塩分濃度の食事内容に変化して普及してきたことなどが考えられる。もちろん,こうした改善に地域や職域でのきめ細かい対人的保健予防活動や健康教育が大きく寄与してきたことも指摘できよう。また,わが国での優れた教育システムや,富の分配の公平さにその原因を求める考え方もある。
 いずれにせよ,日本型雇用システムによってもたらされた経済的繁栄と生活の向上が,国際的にみて最も良好なわが国の健康水準の背景要因であることは疑いのないところである。
 しかし一方で,わが国の労働者を取りまく環境は,長期的および短期的に大きく変貌を遂げつつある。長期的な変化としては,この数十年間に,脱工業国に共通的にみられる労働態様やそれにもとづく労働負担構造の時代的な変化(注2)が挙げられよう。1950年代から60年代にかけては,重筋労働など,全身の筋肉を使う身体的負荷の強い作業が中心であり,また,有害な因子への曝露が生じやすい環境のもとでの作業とそれによる職業病の発生も少なくなかった。これらの作業環境が次第に改善され,機械化されるなどの一方,1970年代以降は,身体の一部のみを反復使用したり,静的な筋緊張を強いたり,局所的な疲労を来すような作業が多くなり,さらにVDT作業や交代制勤務の普及,第3次産業への労働力人口のシフトにともなうサービス・情報産業の急速な進展などと相まって,慢性的な疲労の蓄積や精神的負担が大きい作業が多くなってきたものといえる。
 こうした比較的長期間にわたる時代的な変化を背景としつつ,さらに近年における短期的な変化として,労働人口の急速な高齢化,女性の職場への進出,日本型システムの大幅な変更などが挙げられる。わが国人口中に占める15〜64歳の生産年齢人口の割合(注1)は,2000年には68.1%であるが,2010年には63.6%,2020年には59.5%と推計されている。こうした人口の高齢化は,労働者中での高年齢者層の急速な増加とともに,高齢者自身の労働への参加をも必要とする。こうした状況のもとでは,体力等に個人差の大きい高齢者に適した作業のあり方の配慮や職場環境の整備が適切にすすまないと,特定の個人への負担が増大するおそれがある。また,従来の年功序列賃金体系の維持が困難となり,その変更等が促されることとなる。
 日本の女性の労働力率(注3)は,25〜35歳付近で低下し,その後また上昇するという特徴あるM字型のカーブを描いている。これは,結婚・出産・育児の時期に職を離れる女性が増えることを示している。近年では,このようなM字型を維持しつつも,40〜54歳の年齢層の労働力率の増加がみられ,女性の職場への進出傾向を表している。また,フルタイムで働く夫婦の生活時間(注4)を比較すると,家事・育児・介護・看護時間や自由時間に大きな差がみられ,家庭では妻により大きな負担がかかっていることがわかる。男女雇用機会均等法や育児休業法など,女性の就労にとって一定の前進がみられるものの,夫婦がフルタイムで働くためには,なお多くの課題が残されており,特に従来から女性が多く担ってきた子の養育や老親の介護と仕事との多重役割負担が大きな問題である。
 わが国の伝統的な職場のあり方や雇用システム,勤務パターン等は,上述の高齢者や女性の増加という,いわば生物学的な要因ばかりではなく,企業の国際化・グローバル化,コンピューターをはじめとしたハイテク化・情報化などにより急激に変更されつつある。従来からの終身雇用の慣行は,より流動的な雇用関係へと変化し,年功序列制賃金は,年俸制や成果主義賃金へ変更され,年齢や企業での経験年数よりも,個人の持つ能力や資格がより重視されることとなった。また,勤務時間についても,一定の勤務時間を定めたものから,与えられた業務をどこでどの時間に遂行するかは従業員の自由という考え方にもとづく裁量労働制が導入される部門も増えてきた。企業の管理形態も従来のピラミッド型から,よりフラットな型へと転換されるものも多い。そして,企業は,事業の展開に必要な人材を必要な期間だけ雇用し,一定の成果を得た後すみやかにプロジェクトを解散するような,より柔軟な経営手法を展開するようになりつつある。こうした雇用環境の変化に呼応して,労働者の勤労意識も会社に一体化した会社人間(company people)から,個人の生活を重視したものへと転換されつつある。



II 職場におけるストレス問題の増大

 こうした変化の中で,労働省が5年ごとに行う労働者の健康状況調査において,「仕事や職業生活での強い不安,悩み,ストレスがある」労働者の割合は,昭和57年の50.6%から次第に増加し,15年後の平成9年では62.8%に上っている。不安,悩み,ストレスの内訳では,仕事の質(33.5%)や仕事の量(33.3%),職場の人間関係の問題(46.2%)などが高い割合を示す一方,最近では,雇用の安定性の問題(13.1%)なども挙げられるようになってきた。また,一企業の1973年度から94年度までの22年間の各年度における病気休養数に占める精神障害の比率についての中村の報告(注5)によれば,休養日数は1970年代の10%前後から,年とともに比率が高まり,90年代では30%に達し,また休養件数も5%前後から12%程度にまで増加しているという。
 さらに,最近の人口動態統計(注1)では,50歳代の男性を中心とした自殺者が激増しており,動機別には生活経済問題の占める割合が大きく,男性の平均余命の短縮の一因となっているともされる。こうした動向は,いずれも,わが国の労働者におけるストレスの増大を示唆している。
 また,ヨーロッパにおいても,1996年にEuropean Foundation for the Improvement of Living and Working Conditionsにより実施された,第2回調査(注6)によると,EU内の1億4700万人の労働者においても,すばやい作業を要求されるものが1991年の35%から1996年の43%に,納期に追われる仕事が1991年の38%から1996年の45%に増加するなどしており,30%が腰背部痛を,28%がストレスを,20%が疲労を,17%が筋肉痛を,13%が頭痛を訴えており,全体としてストレスと筋骨格系疾患が主要な職場の健康リスクであることが指摘されている。
 米国については,重障度,曝露人数,効果の見込み,研究の進展度などから21の優先的課題を設定して集中的に研究を進めることを企図したNORA(National Occupational Research Agenda)(注7)の策定において,作業組織のあり方(Organization of work)が主要課題の一つとして取り上げられ,職場のストレス対策として位置づけられている。
 このように,仕事上のストレス要因が労働者の健康上きわめて大きなインパクトを与えることが内外において認識されつつあり,それへの対策がきわめて重要な今日的課題となっている。



III 主要な職業性ストレス要因とその影響

 1 長時間労働

 労働省の推計によると,1998年のわが国の製造業生産労働者の年間総実労働時間は1949時間で,アメリカの1991時間,イギリスの1925時間とほぼ同じ水準となったものの,フランス1672時間,ドイツの1517時間とはまだかなりの差がある現状である。また,総務庁による労働力調査によって得られた個人側からの調査による労働時間と,労働省の毎月勤労統計調査年報による企業側からの調査にもとづくものとの間には差があり,この差にはサービス残業と呼ばれる超過勤務手当が支給されない労働,ふろしき残業と呼ばれる自宅へ持ち帰って行う超過勤務手当が支給されない労働,および中間管理職の残業などが含まれているものと考えられている。わが国の企業は,2度にわたる石油危機と急速な円高による不況には減量経営のもとでの少ない人員による長時間労働で対処し,その後の好景気においては残業を増加させて対応し,今また,リストラ等による人員削減にあたっても残留者の長時間労働によって対応しようとしているようである。したがって,長時間労働は依然としてわが国の労働者の働き方を特徴づける要素と考えられる。ただし,欧米諸国にあっても,一定の割合の人々はわが国の状況と大差なく,長時間労働は国際的にみて,労働環境上の共通の重要課題(注8)の一つと位置づけられる。
 長時間労働がストレス要因となるのは,1)長時間におよぶ労働では,疲労し低下した機能を奮いたたせて職務上求められる一定のパフォーマンスを維持する必要があり,これが直接的なストレス要因となる,2)他のストレス要因に曝露される時間が長くなる,3)休息やレクリエーションの時間が制限されることなどによる。また,わが国の労働者は,転職等の行動をとりにくく,通勤時間の長いことなども付随的な要因として挙げられる。
 長時間労働による影響としては,抑うつや,燃えつき,睡眠障害などの精神・心理的問題,喫煙,アルコールや薬物飲用,事故などの行動上の問題,虚血性心疾患,高血圧,血圧上昇などの心血管系への影響(注9)をはじめとする身体的影響が指摘されている。過労死(注10)についての相談事例203例中64.5%にあたる131例で週60時間以上の労働時間,月50時間以上の残業,半数以上の休日出勤がみとめられたという。また,労働時間が1日11時間以上の男性労働者では,7〜9時間の労働者に比べて急性心筋梗塞のリスクが2.44倍であること(注11)が示されている。そのほか,長時間労働が交感神経機能の亢進や副交感神経機能の抑制などの自律神経機能(注12)(注13)への影響をもたらすこと,またそうした影響が血圧の高い群など,やや脆弱性のある群により強く現れる傾向,喫煙者では喫煙による影響が時刻依存的(夜間に強く)に付加される可能性などが指摘されている。
 さらに,長時間労働は肥満や身体不活発,コレステロール高値などと関連して生活習慣病のリスクを高める可能性がある。また,全般的な傾向として,長時間労働の影響は男性よりも女性のほうに強いとする報告が多く,女性における家事・育児などの家庭での役割負担との加重が指摘されており,今後わが国においても重要な課題となろう。
 長時間労働については,多くの場合,交代制勤務や夜勤のシステムと密接に結びついており,単独で論ずることは必ずしも現実的でない点もあるが,これまでの知見を総合すると,週あたりの労働時間が50時間を超えるような状況下では,種々の影響が顕在化する可能性が高いと考えるべきであろう。

 2 職場の心理・社会的要因とストレスの影響

 職業性ストレスについての考え方を整理するため,図1に米国のNIOSH職業性ストレスモデル(注14)を一部改変したものを示した。仕事には,それを遂行することによって生体に一定の変化を生じるストレス要因(ストレッサー)が存在する。ストレッサーには,暑熱・寒冷,騒音,気圧,時差,有害な化学物質等の作業環境要因に加えて,心理・社会的な要因として,仕事の量的な作業負荷(長時間労働等を含む)やその変化,仕事のコントロール,役割葛藤,役割不明確,仕事の将来不明確,対人責任,技術の低活用,交代制勤務など様々な要因が存在する。

図1 米国労働安全保健研究所(NIOSH)職業性ストレスモデル

 こうした仕事のストレッサーによって引き起こされる反応を一般にストレス反応という。急性のストレス反応は多様であり,抑うつ,職務不満足感などの心理的反応,血圧上昇や心拍数の増加,不眠,疲労感などの生理的な反応,過食やアルコール飲用,喫煙や薬物使用,疾病休業や事故などの行動面での反応などがある。通常,こうしたストレス反応は一時的なもので,休憩・休息,睡眠,その他の適切な対処により,元に復しうる。しかし,場合によっては,ストレス反応は増強して過大となり,また持続的となり,一部は病因論的メカニズムによって疾病の発生に至る。
 ただし,ストレス要因に対する反応の仕方は,個人の年齢や性別,性格傾向や行動パターンや対処の方法,仕事の熟練度,基礎疾患の有無や治療の状態など個人の特性によって大きく異なる。また,職場の上司・同僚との人間関係,家族関係や家庭での役割負担などの仕事外の日常生活のあり方もまた,ストレス反応を緩和する要因となる。近年,こうしたモデルにもとづいて,職場の心理・社会的ストレス要因の健康影響に関する検討が進展してきた。以下,このモデルに沿って職業性ストレスの健康影響について述べる。

 (1)職場の心理的ストレッサーとその影響
 職場の心理・社会的要因についてのモデルとして,Karasek(注15)(注16)は仕事要求度−コントロールモデルを提案した(図2)。このモデルでは,職場の心理・社会的ストレッサーの強さは,仕事のペース,量,時間,仕事の際に要求される精神的集中度や緊張の度合いなどの仕事の要求度と,仕事上の意思決定の度合い,自分の能力や技術を発揮・向上できる可能性などの仕事のコントロールという二つの要素とその組み合わせによって決まるとし,仕事の要求度が高く,コントロールが低い状態で,最も精神的緊張が高く,疾病のリスクが高いとした。このモデルに従えば,仕事の特徴は大きく四つに類型化される。第1は,高デマンド・低コントロールの高ストレイン群で,最も心理的緊張度(ストレイン)が高く疾病のリスクが高いとされる。第2は,高デマンド・高コントロールのactive群で,仕事はきついがやりがいを感じており,困難な課題をも克服しようとする意欲が強く,レジャータイムなどの活動内容もアクティブである。第3は,低デマンド・高コントロールの低ストレイン群で最もストレインが少ない。第4は,低デマンド・低コントロールのpassive群で,刺激に乏しく,能力が次第に萎縮していくかのような特徴を持つ。

図2 仕事要求度−コントロールモデルの構成概念

 この仕事要求度−コントロールモデルは,現在,世界で最も優勢な職業性ストレスモデルのひとつとなっており,虚血性心疾患との関連を支持する結果を中心に多くの報告がある。わが国でのこのモデルを用いた,職業性ストレスと疾病休業に関する縦断的研究の結果(注17)(労働省研究班)では,仕事のコントロールが低い群で疾病休業のリスクが2.05倍,また,上司からの支援が低い群で1.71倍のリスクがあることが明らかとなった。
 このほか,罹患疾病ごとに職場のストレス要因が異なることも示されている。
 仕事要求度−コントロールモデルのほかに,最近,疾病の発生を予測するモデルとして努力−報酬不均衡モデル(注18)(注19)が提案されている。このモデルでは,仕事の時間的プレッシャーや責任などの外的要因および仕事へののめり込みや競争心などの内的要因からなる個人の努力と,金銭的報酬や昇進,他人からの評価などの報酬とのバランスが仕事のストレスとなり,健康障害と関連するというものである。
 これらを含め,職業性ストレスの健康影響に関する内外の報告を収集分析し,職業性ストレスに関連する健康障害として整理し,リストアップしたものが表1(注17)である。重症度が高く,職業性ストレスとの関連性が強いと考えられるものと,頻度が高く,仕事および生活の質への影響が大きく,職業性ストレスとの関連性があるものに大別して示した。職場ストレスの健康への影響は,精神的不調など以外に,ここに示すような多様なストレス関連疾患として広くとらえる必要がある。

表1 職業性ストレスと関連の深い健康障害

 (2)職業性ストレスの緩衝要因としての家族,職場の上司・同僚からのサポート
 職業性ストレスの影響を緩和する要因として,家族や職場の上司・同僚からのサポートが挙げられる。これらのサポートには,構造的なサポートとして,個人が属するネットワークの大きさやネットワーク内での役割や活動,ネットワーク内での接触の頻度や人数,婚姻状況などがあり,また,機能的な側面として,情報や資金,助言,その他の有形の直接的な助力,あるいは無形の情緒的な支援としての愛情や親近感の表現,行動,意見への肯定や是認などがある。たとえば,配偶者からのサポートの影響について婚姻状況を指標にみてみると,単身者,離別・死別者では結婚しているものに比べて死亡率が高く,特に男性にその傾向が強いことを示す報告が多い。妻に先立たれた男性4486人を9年間追跡し,死別後6カ月以内の死亡率が40%増加すること,同年代の妻のいる男性に比べて循環器疾患による死亡が約1.6倍であるとする報告(注20)もある。
 配偶者からのサポートの欠如ということでいえば,わが国では,配偶者を持つ転勤者の約5人に1人が単身赴任という形で家族を離れて単身生活をしており,健康への影響が憂慮される。これまでのところ系統的な検討は多くはないが,われわれが行った単身赴任者と家族同居者の調査結果(注21)では,健診結果からみた単身赴任による身体的な影響は特にみられなかったものの,食事の時間や睡眠時間が有意に短い傾向がみられている。
 また,職場での上司・同僚からの支援が職場ストレスによる影響を緩和していることを示す報告もある。この中では,高デマンド・低コントロールという職場ストレスの高い環境に加え,上司・同僚からのサポートの低い群の特に現場労働者で,心血管疾患による死亡率,罹患率が高く(注22),また,年齢的には約7年間早く心疾患の兆候が出現することになるとの計算結果が示されている。
 そのほか,ソーシャルサポートの低い群では喫煙率が高く,習慣的な身体運動を行うものの率が低いなど,ライフスタイルと密接な関連を持つ(注23)(注24)こと,今日広く職場で行われている健康づくり(Total Health Promotion: THP)活動などの成否に,上司・同僚からのソーシャルサポート,つまり職場の人間関係が影響していること(注25),職場のサポートが低いものでは,心拍数が覚醒時,睡眠時ともに高めであるとの報告(注26)がある。職業性ストレスにさらされた場合に,サポートが十分存在する場合には,健康への影響が緩和される一方で,逆にサポートが欠如して周囲から孤立した状態にあるような場合には,そのこと自身が,強いストレス要因として健康への害作用をもたらすと考えられる。
 終身雇用制度,年功序列賃金体系などによって特徴づけられる一連の日本型雇用システムのもとでのわが国の職場では,人材を長期的に教育し,能力を開発することに熱心に取り組み,特に先輩社員が現場で教育する慣行を取り入れてきたこともあり,公私にわたって上司・同僚のサポートは相当にきめ細かく機能してきたものと思われる。しかし,近年の賃金体系や勤務形態の根本的な変更と組織改革,またマイカー通勤の普及などは公的にも私的(赤ちょうちん等)にも職場のソーシャルサポート機能を低下させつつあることは疑いない。したがって,家族はもちろん,職場での協力的な人間関係をどのように築くかが重要な課題となる。

 (3)個人の要因や心理的プログラムについて
 職場でのストレス要因に対する反応は,個人の側の要因によっても大きく異なる。このうち,個人が形成している心理的なプログラムや対処の仕方が大きな役割を果たすことがある。従来からストレスフルな職場状況においては,競争的で敵意性が高く,非寛容,性急で,仕事へののめり込みが強いとされるタイプA行動パターンと分類される一群の人々が,そうでないものより有害な影響を強く受ける可能性が高いとされてきた。冠動脈疾患を引き起こしやすい,日本人固有の行動パターン(注27)も同定されつつある。これらのタイプの人々は,心血管系の反応性が過大であるとか,副交感神経系の反応が抑制されているなどの生物学的な背景を有することなども推定され,健康リスクの回避という点からは,その修正が必要となろう。
 また一方,視点を変えてみると,タイプAのような性向を有する者は,自分自身が職場ストレスの影響をより強く受ける立場であるのにとどまらず,逆に,自らが職場の一つの重要なストレッサーとなっている可能性がある。管理職にタイプAの割合が高いことが一貫して指摘されているが,タイプA傾向の極端に強い上司,たとえば,部下に対して支配的で,攻撃的あるいは皮肉っぽく,部下の話をじっくり聞く耳を持たず,必ずしも具体的でない複数の高い業績目標を掲げて激越に叱咤激励する上司のもとでの職場の心理的環境はどのようなものであろうか。上司から期待される仕事上の要求は高く,強圧的管理のもとで部下の自己決定権は低く,上司からの温かい心身のサポートは多くを期待しえないというきわめてストレスフルなものではないか。タイプAの上司にみられるような,ストレッサーの影響を受ける側であると同時に,逆にそれ自身がひとつのストレッサーとなりうるような点についても留意するべきである。



IV 職場での健康づくりとしてのストレス対策

 職場でのストレスマネジメントは,図1に示されたような,職場のストレス要因,ストレス反応,その他の要因などにそれぞれ対応する形で実施されるのが望ましい。この点について,Kompier(注28)によるストレス予防対策の概念を図3に示した。図では,職場のストレス予防対策活動の特徴が,対策の対象と予防活動の特徴の二つの要素の組み合わせで大きく四つに分類されることを示している。

図3 ストレス予防対策の枠組み

 第1の区分では,作業環境や作業組織,作業方法など,主として作業環境を対象とした,第1次予防的な活動で,作業時間の改善や,作業内容の単調さを改善する工夫,労働者の意思決定への参加や自主性を増加させることなどの職場対策がこれに含まれる。労働省は1992年に快適職場形成のための指針を発表し,すべての勤労者にとって疲労やストレスを感じることが少ない働きやすい職場を環境面から整えていくことを推奨している。作業上での物理・化学的環境や作業姿勢が有害でないだけでなく,より快適なものであるようにすること,休憩室の設置等疲労の回復をはかり,ストレスの蓄積を防ぐべきことなどがうたわれている。これらは図の第1区分に含まれる活動といってよいだろう。
 第2の区分は,第1のそれとほぼ同様な対策であるが,高齢者や,虚血性心疾患などの疾病に罹患して復帰した人への作業環境の調整などが含まれる。第3の区分には,人事面からの採用前の医学的検査やその後のトレーニング,適正な配置など,また,身体運動やリラクゼーションプログラムなどの健康づくり対策などが含まれる。日本の企業は労働安全衛生法にもとづき,毎年定期健康診断を実施し,疾病の早期診断,早期治療をはかってきた。こうした活動に加え,労働省は,1988年に改正された労働安全衛生法の中で,事業主が勤労者の健康の保持増進のために計画的で継続的な努力をすべきことを定め,THPと呼ばれる健康増進プログラムを職場で展開すべきことを提唱した。循環器疾患をはじめ多くの慢性疾患が,個人の生活習慣やライフスタイルに根ざしていることを考慮して,THPでは,食生活や運動習慣等,勤労者個人のライフスタイルの改善を通じて疾病を予防し,健康の保持増進をはかろうとするものである。THPでは,勤労者の健康状況や体力などの健康度を測定し,その結果にもとづいて,保健スタッフによる保健指導,運動指導,栄養指導,心理相談を個人ごとに行うこととなっている。これらの活動は図の第3の区分に含まれよう。
 第4の区分には,ストレスに関連した障害や疾病を抱えた特定の個人に対する対策,たとえば長期疾病休業者のリハビリテーション,ストレス反応や症状などを対象としたリラクゼーションプログラムや心理療法などが含まれる。従来から欧米をはじめ,わが国で行われているストレス対策を概観すると,個人を対象とした,第2次あるいは3次予防的な活動,すなわち第2,第3,第4区分に入るような活動が圧倒的に多く,逆に第1の区分に入るようなストレスマネジメントがきわめて少ないのが現状である。しかし,個人の生活習慣の変容のみを目標とした従来からのアプローチには一定の限界があり,職場の心理・社会的環境のストレス要因への対策を併せて行ってゆくことの必要性が認識されつつある。
 労働者の健康水準とその改善は,職場ストレス(職場の人間関係を含む心理・社会的環境)によって大きな影響を受けていることを図4にモデル化して示した。すなわち,職場ストレスの存在下では勤労者の健康水準は低く,THP等による改善の働きかけに対しても,その改善のスピードは遅く,改善度も低い,また,いったん改善した健康水準は早期に悪化しやすく,それ以後,加齢にともなって必然的に生ずる健康水準の低下の速度も速いと考えられる。したがって,わが国の職場での今後の健康増進活動には,病態を持つ個人に対し,プライバシーにまで踏み込んで行う介入的行為としての医療,健康者をふくむ広範な対象に対する個別の予防的対応を主とする活動としてのTHP,環境面での快適化をはかろうとする快適職場形成に加えて,職場ストレスへの対策が重要である。

図4 THPにおける職業ストレスの影響

 わが国の従来からの職場ストレス対策は,保健スタッフによるカウンセリングや心身医学的対応など,主として個人の側からのアプローチに重点がおかれていたが,今後は作業方法の改善や職務負担の見直しなど,全体的かつ環境調整的な職場対策を通じて対応する必要がある。職場での健康増進は,個人の側,環境の側,いずれからのアプローチにせよ,一方のみでは不十分であり,両者をほどよくとりいれた対策が必要かつ有効である。こうした点で先に公表された「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」はきわめて有用な指針となりうる。また国は,すべての国民が健康で明るく元気に生活できる社会の実現をはかるため,壮年死亡の減少,健康寿命の延伸を目標とした新しい国民健康づくり運動として健康日本21を策定した。国が2000年から2010年(平成12年から平成22年)までの期間を決めて九つの分野で目標を設定し,地方では独自の計画を策定,周知し,情報や活動によって生活習慣の改善を支援する形となっている。しかしながら,現在わが国の労働力人口は平成11年で6779万人と,全人口の53.5%にあたっており,その成否は,職域での有効な展開ができるか否かによって大きく左右されるものといえる。健康日本21の目標である,「壮年死亡の減少」「健康寿命の延伸」は産業保健の目標としては,「在職中死亡の防止」「退職後のいきいきした生活のための健康的な労働生活の維持」ということになる。「在職中死亡の防止」は,がんなどをはじめとする生活習慣病の予防や適正な健康管理,災害,自殺,過労死などの防止対策として,また「健康的な労働生活」は,職場における心身の健康づくり,ストレス対策や快適な職場づくりなどとして展開されるべきものである。いずれも,事業者が負う安全配慮義務や労働安全衛生法などに裏付けられた従来からの産業保健活動の充実にほかならない。さらに,健康日本21の理念である,「個人の努力を後押しするような環境の整備」や,「自主性を尊重した健康づくり活動」などは,これまでに述べてきた産業保健活動のめざす方法論と非常によく対応している。ただ,地域における健康日本21と産業保健活動がよくかみ合ったものとなるためには,互いにやや懐深く連携する必要があるのではないか。
 産業保健は,そこで働く人だけを対象とし,その働く場所だけでの健康を扱って足るのではなく,その人の子どもを含む家族全体の健康状態への波及や,その人が生活している地域での健康にかかわるいろいろな背景などを理解し配慮することによって,さらに豊かなものになると思われる。また,地域の側からは,産業保健の領域とはいえ,特に50人未満のような小規模な事業所の労働者の健康にかかわる問題について,地域産業保健センター等との協力など,活動の幅を広くとる必要がある。健康日本21において,地域,職域,学校などが共通の目標を持って連携することは,これまでに独特の発展を遂げてきたわが国の産業保健が,この厳しい時代にさらに新しい意義を見いだすきっかけになるものと思われる。



参考文献
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(注17)労働省(2000)『労働省平成11年度「作業関連疾患の予防に関する研究」労働の場におけるストレス及びその健康影響に関する研究報告書』。
(注18)Siegrist J., Peter R., Junge A., Cremer P., Seidel D., (1990) Low status control, high effort at work and ischemic heart disease: prospective evidence from blue-collar men. Social Science and the Medicine, 31: 1127-1134.
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(注26)Belle D., (1982) The stress of caring: women as providers of social support. In: Goldberger L., Breznitz S., eds. Handbook of Stress: Theoretical and Clinical Aspects. New York: The Free Press, 1982.
(注27)Hori R., Hayano J., Kimura T., Hosaka N., et al.: (2000) Coronary disease-prone behavior among Japanese: Validity of Japanese Coronary-prone behavior scale (JCBSD) Scale C. International Journal of Behavioral Medicine 7 (suppl.1) 41.
(注28)Kompier M., Cooper C., (1999) Preventing Stress, Improving Productivity: European Case Studies in the Workplace, Routledge, London and New York.


 こばやし・ふみお 愛知医科大学医学部衛生学講座教授。主な論文にJapanese perspective of future worklife. Scandinavian Journal of Work and Environmental Health 1997; 23 supp l4: 66-72など。衛生学専攻。