JILPTリサーチアイ 第13回
構造調整下の雇用リスクに直面する中国
─第13回北東アジアフォーラム「産業再編と高度化における雇用問題と政策的対応」から

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国際研究部長 天瀬 光二

2016年1月6日(水曜)掲載

労働政策研究・研修機構(JILPT)は2015年11月19日、中国労働保障科学研究院(CALSS)・韓国労働研究院(KLI)との共催による「北東アジア労働フォーラム」を北京で開催した。このフォーラムは、日中韓3カ国が相互に共通する労働政策上の課題をテーマに議論する場として2002年以来毎年開催しており、今回で13回目を数える。その時々の最も重要なイシューがテーマとなる。今回は中国がホスト国として「産業再編と高度化における雇用問題と政策対応」をテーマ[注1]に取り上げた。中国がこの問題をテーマに選んだ背景には、この問題が今後の中国経済の成否を左右する重要な問題との認識があったものと思われる。中国側の報告はこの問題に直面する切迫感が感じられるものであった。本稿[注2]では中国からの報告を基に、現在中国が置かれている状況を探ってみたい。

高度経済成長から新常態(ニューノーマル)へ

中国が急速な産業構造の変化に直面している。過去30年間で謳歌した爆発的な経済成長がもはや望めない中、高度成長を支えてきたモデルから中程度の安定成長に沿ったモデルへの転換が図られようとしている。中国が私有制と市場メカニズムの導入を決定したのは、1978年12月に開催された第11期三中全会。鄧小平の指導の下、いわゆる改革・開放政策が採られ、途中1989年6月の天安門事件による一時的停滞があったものの、1992年1月の「南巡講話」によって改革・開放路線が再確認されて以後、中国経済は最近に至るまで力強い成長を続けた。この間中国経済の成長を支えてきたのは、安価な労働力を武器とした外国資本の導入等による製造業の力強い牽引だったことは言うまでもない。世界の工場へと変貌を遂げた中国の経済成長は、2001年12月のWTO加盟でさらに拍車がかかり、03年から07年まで5年連続の二桁成長を実現する。しかし世界金融危機以後中国をとりまく環境は一変した。すなわち、従来の輸出投資主導型成長モデルから、より安定的な内需主導型モデルへの構造転換が迫られるようになった。現在中国国内では急速な産業再編が進んでいる。習近平率いる現指導部は、中国の経済発展段階が「新常態(ニューノーマル)」[注3]に入ったとしている。

経済成長鈍化で生産能力過剰が顕在化

世界市場が低迷を続け中国国内の経済成長が鈍化する中、中国の一部産業において供給過剰の実態が顕在化してきた。特に鉄鋼、アルミニウム等の原材料製造業における生産能力過剰は深刻で、一部の企業は経営難に陥っている。『生産能力の深刻な過剰を解消するための指導意見』[注4]によると、2012年の鉄鋼業における生産能力利用率は72%、セメント業73.7%、アルミニウム業71.9%、ガラス業73.1%、船舶業75%であり、いずれも国際的な水準を大きく下回っている。また、石炭・石油化学等の伝統的産業および太陽光発電、風力発電等の新興産業も同様の問題を抱えているという。ここで何らかの対策を講じなければ需給ギャップは更に拡大するリスクがある。しかし過剰生産能力を解消する過程においては、ポスト転換、失業、再就職といったいわゆる雇用問題が発生するリスクも大きい。構造調整過程で発生する大規模な失業の潜在的リスクを回避しつつこの問題に対処することは、政策上の至上命題といえる。

生産能力過剰の要因

この報告を行った中国労働保障科学研究院(CALSS)の黄研究員[注5]は、生産能力過剰の要因を次のように分析する。第一に経済変動の影響。経済危機以前に見られた世界市場の旺盛な需要が、原材料製造業を中心に生産能力の急速な拡大を促したが、世界市場の需要減少に伴い生産能力過剰が顕在化した。第二に過度の投資。一部企業がやみくもな投資を行った結果、生産能力が市場の需要を大幅に上回ってしまった。第三に安易な融資の拡大。第四に産業構造の非合理性。産業チェーンの底辺製品分野で多くの企業が乱立し、生産能力の過剰を深刻化させた。

一方、同研究員は市場要因のほかに、政府の関与の失敗も生産能力過剰を誘発した重要な要因だと指摘する。地方政府が実績をあげたいという狭隘な動機で大規模な投資を繰り返したこと、投資の審査・承認メカニズムがほとんど機能していないこと、市場の監督管理が適切に行われていないため市場の公平な競争環境が損なわれていること、さらに関連の法規及び標準・規則が整っていないことなどが状況の悪化に拍車をかけているという見方だ。

生産能力過剰が及ぼす深刻な雇用リスク

生産能力の過剰が深刻な業界は広い範囲で赤字に見舞われている。業界の平均利益水準は低いレベルに止まり、鉄鋼業など原材料製造業の企業を中心に損失が生じ始めていているという。

現時点では、生産能力過剰問題を抱える企業も、リストラのためのコストや社会的責任等を考慮し大規模なリストラを手控えていることから、今のところ深刻な雇用問題には到っていない。現在都市部の失業率は5%前後に保たれ、数字で見る限り雇用情勢は安定している。雇用が著しく悪化している兆候はまだ見えない。しかし一旦経済が下降を開始し、市場が低迷、企業の資金調達が困難になれば、短期間のうちに大量の失業が生じる可能性は十分にあるとしている。

政府の支援策

こうした状況にもちろん中央政府は手をこまねいているわけではない。政府は生産過剰能力を解消する方策として、「消化一批(内需拡大による吸収)、移転一批(海外進出の促進)、整合一批(企業の合併・再編)、淘汰一批(時代に適合しない企業の淘汰)」という四つの理念を掲げ、調整のプロセスにおいて余剰人員となる従業員のポストを確保するための支援策を発表している[注6]。さらに、生産能力過剰が深刻な省では、①失業保険による企業安定のための支援を行い、失業予防、就業促進の機能を強化、②公的就業支援サービスを強化し、公的雇用を拡大、③企業の部署間異動を奨励し、従業員の自主的起業、自主的就業を支援、④研修等を通じ労働者の再就職のための能力を向上、⑤労働者の法的権利を擁護──といった具体的措置を講じるとしている。

政策の問題点

しかし、このような対策では足りないというのが黄研究員の指摘だ。まず、この対策では、支援対象が企業から解雇され失業登録を行った労働者に限られているため、最も支援を必要とする労働者グループがカバーされない可能性がある。また、企業内での雇用安定のための助成を申請できる企業の条件が厳しすぎるという問題もある。失業保険に加入し、保険料の未払いが一切なく、リストラの実績がない企業でなければ安定補助金を申請することができないため、支援を受けられる企業の数は非常に限られたものとなる。さらに支援補助額の水準の低さだ。つまり、この程度の対策ではリスクを回避することは困難と見る。

政府と市場の役割の明確化が必要

以上の通り、現在中国が置かれている状況は大変厳しい。高まるリスク圧力を回避しつつこの難局を乗り切っていくには相当の困難が予想される。ここで黄研究員が最も疑問視するのが、政府と市場の役割の曖昧さの問題だ。先を競って安易な投資を誘導した地方政府の責任は重い。政府が関与して失敗した場合のダメージの深さと影響力は格段に大きいのである。これらのことから、基本的には市場への政府の関与は抑制的であるべきとする。労働力を含めた資源の配分における決定的な機能を市場に十分発揮させる必要があり、政府は「為すべきこと」と「為さざるべきこと」を明確に区分しなければならない。その上で政府は社会的弱者を守る「底支え」の機能に特化し、社会の安定及び公正を実現すべきであると主張する。

今後の中国の経済運営の舵取りは確かに難しいだろう。しかしこのように問題を客観的にとらえ、課題を抽出し、その処方箋を提示する研究者が存在することもまた、現代中国の大きな変化ではなかろうか。このような変化こそが、中国を安定的成長へと導く一筋の光明となるように思われる。