JILPTリサーチアイ 第1回
エビデンスに基づいた解雇規制論議

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労使関係部門 統括研究員 濱口 桂一郎

2014年6月9日(月曜)掲載

労働政策研究・研修機構の労使関係部門は、2009年度から2011年度にかけてのプロジェクト研究として「個別労働関係紛争の処理事案の内容分析」を行った。具体的には都道府県労働局で行われている解雇やいじめなどの個別労働紛争に対するあっせん事案をその内容の詳細にわたって分析し、報告書にまとめたものである。この研究の発端は、一つには公開されていないあっせんの中身が知りたいという知的好奇心であったが、もう一つの重要な動因は、2009年3月に閣議決定された「規制改革推進のための3カ年計画(再改定)」において、「解雇規制についても我が国労働市場を取り巻く規制の一つとして、実証研究や経済理論等も参照としつつ、学術的な検証に耐えうる手法により可能な限り分析し、その結果を国民に十分開示するとともに、解雇規制の在り方の検討に反映していく」と書かれたことであった。これを受けて厚生労働省労働基準局より労働政策研究・研修機構に対して、「経済理論に偏重することなく、現実の実態に根ざして」解雇規制が現実の世界で果たす役割について実証的研究を行うことが要請され、研究を始めたのである。

研究の対象としたのは2008年度に4労働局で受理されたあっせん事案1,144件であり、統計分析と内容分析により今日の日本の職場で現実に発生している解雇等の個別労働紛争の実態をリアルに描き出した。その成果は既に、『個別労働関係紛争処理事案の内容分析─雇用終了、いじめ・嫌がらせ、労働条件引き下げ及び三者間労務提供関係』(2010年6月)、『個別労働関係紛争処理事案の内容分析Ⅱ─非解雇型雇用終了、メンタルヘルス、配置転換・在籍出向、試用期間及び労働者に対する損害賠償請求』(2011年3月)、『日本の雇用終了』(2012年3月)として公表している。

今日の日本で解雇や退職勧奨、雇止めといった雇用終了については、裁判所に訴えが提起されている。極めて少数の事案(最近は年間1,600件程度)については、判決に至れば別であるが、そこまで行かない事案の内容は不明のままであった。全国の労働局に寄せられた雇用終了関係の相談件数は年間10万件に上るが、事案の詳細が記述されたあっせん書類を分析することで、その実態にある程度迫ることができると考えられる。なお、両者の中間的な制度として裁判所で行われる労働審判があり、東京大学社会科学研究所の調査結果が2011年にまとめられているので、以下それとの比較も含めて概観しておこう。

まず、この1,144件の事案を労働者の雇用上の地位で見ると、正社員が約半分強で51%、直用非正規が約3割、派遣が約1割強等という状況である。これに対して東大社研の労働審判調査では正規が6~7割、非正規が2割台、派遣が1%である。また企業規模で見ると、30人未満で3分の1を超え、100人未満で半分を超える。さらに規模不明が約2割あるので、恐らく100人未満で3分の2を超えると想像される。このように雇用上の地位で見ても、また企業規模で見ても、小規模企業の労働者や非正規の労働者が多く使う制度になっている。

労働審判では労働者の8割以上が弁護士に依頼しているが、あっせんでは弁護士ばかりか社労士を頼む例もほとんどない。圧倒的大部分は本人のみで、あっせん申請書も手書きで読めないような字で書かれているようなものも多いが、逆に言うと大変敷居が低い制度ということである。一般的には、あっせん申請から1カ月ぐらいで解決ないし未解決で終わっている。

事案の内容としては、解雇、退職勧奨、雇止め等の雇用終了に係るものの総計が66.1%、約3分の2であり、いじめ・嫌がらせ関係が22.7%で約2割強である。

あっせんは基本的に任意の制度なので、被申請人が不参加を表明すればそれで打ち切りになる。結果的には約4割強があっせんの中身に入らない形で終了している。残りの6割弱は何がしかの形であっせんの中身に入るが、そのうち最終的に合意の成立に至っているのは30.2%と全体の3割ほどである。拒否すればそのまま裁判に移行する労働審判との大きな違いである。

何とか解決に至ってもあっせんの解決金額はかなり低い。一番多いのが10万円~20万円未満で、これが24.3%、約4分の1である。次に、ほぼ同じぐらいで並んでいるのが5万~10万未満、20万円台、30万円台で13%前後であり、全体の平均は約17万円となっている。

あっせんの解決金額一覧表

これを労働審判と比較すると、平均値が約140万円、中央値が100万円となっていて、あっせんよりはかなり高い水準であることがわかる。もっとも2012年の日本労働法学会で労働審判調査が報告されたときには、弁護士から解決金額が低すぎるとの意見が出されているので、相対的なものである。この背景にあるのは、雇用上の地位の弱さや企業規模もあろうが、労働審判は裁判所でこれを断るとそのまま裁判訴訟につながっていくのに対して、あっせんのほうは合意でもなければ終了してしまうので、低い額に不満であっても解決しておいたほうがいいという意識が働いているのではないかと想像される。

なお、個々の事案の内容は大変興味深いものがあるのだが、紙幅の関係でここでは触れられない。是非上記報告書に目を通していただきたいと思う。判例集から想像される姿とはまったく異なる日本の職場の実相が、エビデンスと共に伝わってくるはずである。