論文題名 雇用における年齢差別禁止法
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I は じ め に

 時代は変わった。経済学者が法律を作れと言い,法律学者がちょっと待てと言う。

 近年,特に経済学者の間で年齢差別禁止法の導入を訴える声が高まっている(注1)。その意図は,一言で言えば採用時の年齢制限と定年制とがもたらす様々な弊害の除去である(詳細は本誌掲載の清家論文を参照)。社会的影響力を持った著名な経済学者が年齢差別概念の必要性を説いている以上,労働法学者の側もそれに対する批判なり賛意なりを表明すべきであろう。年齢差別という概念を日本に導入すべきなのか,その前提条件は何か,法的な観点からの検討が早急に必要である。
 ただ周知のとおり,筆者は学問的にも人脈的にもおよそ労働法学者の「主流」「代表」ではない。したがって本稿では,米国法の現状紹介を中心に行い,年齢差別禁止法導入の是非を議論するための材料を提供することに主眼を置きたい。



II 引退年齢に関する立法政策

 最初に,ごく簡単にではあるが比較法的考察を試みたい。引退過程にある高齢者の雇用について,どのような法的ルールを設定するか。以下のように分類してみた。

 1 雇用・年金連携型

 (1)フランス
 雇用(法制)の終着点と年金(法制)の出発点を一致させるパターンである。典型例はフランス法であろう(注2)。フランスでは公的老齢年金を60歳から受給することができるが,満額(taux plein)の年金を受け取るためには40年以上の保険加入期間,もしくは65歳への到達が必要である。これ以外の場合には保険加入期間または年齢の不足分に応じて年金が減額される。
 この満額の年金受給資格の有無が,フランスの高齢者の労働法上の地位に大きく影響を与えている。フランスの使用者が労働者を解雇しようとする場合,解雇予告期間の遵守,解雇手当の支払い,そして真実かつ重大な事由(cause reelle et serieuse)の立証などを労働法上の義務として要求される。しかし当該労働者が満額の年金受給資格を有する高齢者(すなわち,65歳以上であるか,あるいは60歳以上65歳未満で40年以上の保険加入期間を有する者)である場合には,使用者は上記の解雇に関する一連の手続によらずにその労働者を強制的に退職させることができる。労働法上これは「解雇(licenciement)」ではなく「引退(retraite)」と呼ばれる。
 つまりフランスにおいては,日本の定年制のように一定年齢到達によって自動的に退職させるという仕組みは,その年齢を65歳以上に設定しないかぎりは採用しえないということになる。ただし,65歳未満でも満額の年金受給資格を持った高齢者であれば(解雇によらずに)強制的に退職させることも可能である。
 (2)ドイツ
 フランスとは異なる規制ではあるが,年金の受給資格の有無が「定年」年齢の定めを左右するという点で,ドイツ法もここに分類することができよう(注3)。ドイツは,1992年の年金改革法により,老齢年金の標準的な支給開始年齢を段階的に65歳に引き上げるとともに,いわばその代替措置として繰り上げ減額年金制度と部分年金(Teilrente)制度を導入した。同時に,1992年法は高齢者の雇用終了についても重要な規定を新設した。その内容は,<1>労働者が老齢年金の受給資格を有することは解雇保護法(Kundigungsschutzgesetz)上の正当事由とはならない,<2>労働者が老齢年金の受給資格を有するある時点において労働関係を終了させる旨の約定は,その約定がその時点直前の3年以内に結ばれているか,または労働者により追認されている場合にのみ有効である,というものであった。
 ドイツでは多くの労働協約が65歳の「定年(Altersgrenze)」を規定しており,また従来の判例・学説も基本的にはこのような定年制を(特に,十分な老後保障が確保されていると言える場合には)法的に有効と解していた。しかしこの法改正後の連邦労働裁判所の判決は,年金改革法の規定に文言どおりの法的効果を認め,労働協約による65歳一律定年制を無効と判断した。
 ただし,その後この判決を受けて再び法改正がなされ,老齢年金の受給資格を得た時点で雇用を終了させる旨の合意は,それが65歳到達以前になされた場合であっても65歳到達時点についてなされたものとみなす,という規定が付加された。したがって,現行法の下でも65歳定年であれば実施可能ということになる。

 2 雇用・年金非連携型

 日本はここに分類できるだろう。現行の高年齢者雇用安定法は,定年年齢を定める場合には60歳以上とすることを義務づけている(同法4条)。学説の中には,定年制の違法・無効を主張するものも少なくない(注4)。しかしこれまでの裁判例の多くは,長期雇用制と年功的処遇の下での定年制には合理性があり,公序良俗違反などには該当しないとしている(注5)。定年制が有する(とされる)一定の雇用保障機能が前提となっているのは言うまでもない。
 1994年,1999年の年金改正による厚生年金の支給開始年齢引き上げとそれに伴う高年齢者雇用安定法や雇用保険法の改正は,一言で言えば「60歳までは雇用で,60歳から64歳までは雇用と年金で,65歳以降は年金で」という引退過程のモデルを前提としていた(注6)。言い換えれば,賃金,年金,雇用保険を総動員してなんとか60歳から65歳までの間を橋渡しするという仕組みである。その背景にもやはり,定年制,定年後の大幅な賃金低下,再雇用・勤務延長制度(あるいはその慣行)の存在など,いわゆる日本的な雇用慣行を尊重しようという思想がある。
 一定年齢到達時点での強制退職制が実施可能であるという点では日本もフランス,ドイツと同様である。しかし日本ではその年齢が60歳以上でありさえすればよい。フランスやドイツのように,老齢年金受給資格の有無が解雇や定年に関する規制の中身に直接影響を与える枠組みにはなっていない(注7)。現在はまだ厚生年金を60歳から受給することができるが,これは「たまたま」60歳定年と一致していると言うべきであろう。

 3 年齢差別禁止型

 定年制を年齢に基づく差別として原則禁止する。いうまでもなく米国法がこのパターンである。米国では公的老齢年金を62歳から受給できる(標準的な支給開始年齢は65歳とされている)が,この年齢は少なくとも労働法上は大きな意味を有しないことになる。詳細はIII以下で論じる。



III 米国の「雇用における年齢差別禁止法」の概要

 1 年齢差別と随意的雇用原則

 米国の「雇用における年齢差別禁止法(Age Discrimination in Employment Act, ADEA)」は,1967年に制定された。20名以上の被用者を雇用する使用者が適用対象となる。定年制が違法となる点が有名だが,実のところそれは内容の一部に過ぎない。同法は,年齢に基づく「雇用のあらゆる局面におけるあらゆる形態の差別」を禁止する包括的な内容を持った法律である。ただし保護の対象とされるのは40歳以上の者のみである。立法当初はこの「保護対象年齢」に上限があり,65歳であった。しかしこの上限は,まず1978年の改正で70歳に引き上げられ,そしてさらに1986年の改正で完全に撤廃された。
 したがって現在では,原則として40歳以上の退職年齢を一般的に定めることは違法となる。しかし,高齢者を辞めさせることが全くできないというわけではない。アメリカの雇用法制は,一方で雇用のあらゆる局面(採用,配置・昇進,賃金,解雇――)におけるあらゆる差別(性差別,人種差別,出身国に基づく差別,障害者差別――そして年齢差別)を広範かつ厳しく禁止するが,他方で「随意的雇用(employment at will)」の原則を承認する(注8)。すなわち,わかりやすく言い換えれば,ステレオタイプな差別はいけないが,あくまでも能力主義が前提であるため,職務遂行能力の欠如という理由で解雇することは理論上禁止されないということである。
 もっともこれは文字どおり「理論上」の話である。高齢労働者が自らの年齢を立証するのは簡単なことだが,企業側が実際に訴訟においてその労働者の能力の欠如を立証するのは非常に困難である。仮に解雇の真の理由が能力欠如であったとしても絶対に勝訴できるかどうかはわからない。したがって,アメリカの企業も高齢労働者の解雇という直接的な措置に訴えることはまれなようである。その意味ではADEAも,アプローチは全く違うとはいえ結果としては日本の解雇権濫用法理同様,高齢者について一定の雇用保障機能を有していると言えそうである。
 なお,全米ほとんどの州には,ADEAと同様の,あるいはより厳しい年齢差別禁止立法が存在している。

 2 抗弁:年齢差別とならない場合

 能力欠如という理由なら解雇してよい,という随意的雇用の原則は,法文上は年齢差別の主張に対する正当な抗弁(defense)という類型で示されている(注9)。
 (1)真正な職業上の資格
 年齢がその事業の正常な運営に欠かせない「真正な職業上の資格(BFOQ=bona fide occupational qualification)」に該当する場合である。これまでにも,航空会社のパイロット,バスの運転手,警察官,消防士,ボクシングのレフェリーなどの定年年齢の定めがBFOQに該当するかが裁判で争われている。一般的に言えば,この例外は極めて限定的に解釈される。
 (2)年齢以外の合理的理由
 差別的とされた取扱いに「年齢以外の合理的理由(RFOTA=reasonable factor other than age)」がある場合。厳密に言えば,これはそもそも年齢を理由とする差別ではないことになろう。
 (3)真正な先任権制度
 真正な先任権制度(bona fide seniority system)の定めに基づく行為である場合。ただし,たとえ真正な先任権制度の下であっても一定年齢到達を理由とする強制退職(つまり定年制)は許容されない。通常先任権制度は高齢者にとって有利に働くので,この抗弁が訴訟で問題になることはあまりない。
 (4)真正な被用者給付制度
 真正な被用者給付制度(bona fide employee benefit plan)の定めに基づく行為である場合。これは典型的には次のような取扱いを許容する趣旨である。たとえば生命保険の保険料額は被保険者の年齢が高いほど高くなる。使用者は同じ1000ドルの出費で,30歳の被用者については10万ドルの保障の保険を購入することができるが,60歳の被用者については7万5000ドルの保険しか購入できない。この場合は,それぞれの被用者に対して1000ドルを負担する限りにおいては,たとえば高齢被用者の保障額が低くなっても違法な年齢差別とはしない。つまり,各種の給付制度において高齢被用者についても若年者と同等のコストをかける限りは問題がないということである。
 ただし,たとえ真正な被用者給付制度の定めであっても,年齢を理由に採用を拒否したり,一定年齢到達を理由に強制的に退職させることが許容されるわけではない。
 (5)正当な理由に基づく解雇・懲戒
 第5に,正当な理由に基づいて解雇・懲戒する場合。これも(2)同様厳密に言えばそもそも年齢を理由とする差別ではない。

 3 例外:定年制が許容される場合

 以上は年齢差別に対する一般的な抗弁だが,雇用の終了局面,すなわち定年制に関しては,年齢差別禁止法自身による,あるいは他の法令による多数の例外が認められている。
 (1)上級管理職等に関する定年制
 退職直前の2年間に「真正な上級管理職,または高度な意思決定権限をともなう地位(bona fide executive or high policymaking position)」にあった労働者については,年間4万4000ドル以上の没収不可能な退職給付の受給資格を有することを条件に,65歳を過ぎれば年齢を理由に強制的に退職させてよいとされている(注10)。つまり一定以上の高い地位にあった労働者については65歳定年制を実施することが可能であるということである。「真正な上級管理職」に該当するかどうかは主としてその職務の権限や責任の範囲から判断される。あえて一般化すれば,少なくとも「部長」以上というところだろうか。また「高度な意思決定権限をともなう地位」とは,いわゆる「ライン」上の権限は有しないが,企業の重要な意思決定に関与しうる者,たとえばチーフ・エコノミストなどを指す。また「退職給付」とは年金制度,利益分配制度,401(k)プランなどあらゆる制度を包含するが,その金額の計算にあたっては労働者自らが拠出した金額に相当する分は除かれる。
 この適用除外は1978年の改正で導入された。その立法趣旨として,若年労働者の昇進を妨げず,またその意欲を削がないようにする――興味深いことにこれはわが国で定年制の必要性を肯定する場合に必ず主張される事柄と同じである――ことが必要であるためと説明されている。雇用機会均等委員会(EEOC)のガイドラインでは,この地位に該当するのは「ごくわずかのトップレベルの被用者」であり,かつ条文も非常に狭く限定的に解釈するとしている。実際にもこの条文の解釈が争われることはあまりないようだ。これは,地位が高い者ほど早く引退することを望む傾向が強く,またそのようなカテゴリーの労働者については退職後の所得保障も手厚いためであるとされる。また明確な金額が定められているなど他の抗弁に比べ明確であり,訴訟に訴えずとも結果の予測がつけやすいと言える。さらに,労働者側としても,長いキャリアを築いた後で「(実は)自分は上級管理職ではなかった(つまりレベルの低い仕事をしてきた)」と裁判で主張したいとは思わないだろう,という指摘もある(注11)。
 なお,1986年の年齢上限撤廃時には,年齢差別禁止法上にこのほかにも強制退職制についていくつかの例外が定められた。すなわちそれは,労働協約に定めがある場合,終身保障権を有する(tenured)大学のファカルティ・メンバー,そして州の警察官,消防士等であった。これらは5年間もしくは7年間の経過措置として定められたものであり,いったんはすべて廃止された。しかし1996年に州の警察官,消防士等については再びこの例外が復活している(後述(3)参照)。
 (2)連邦公務員
 連邦公務員も一応は年齢差別禁止法の適用範囲であるが,様々な点で民間の一般被用者とは異なる扱いがなされている。雇用終了の局面でも多くの特別法が存在し,航空管制官,消防士,警察官,外交官,CIAの職員など,かなり広い範囲で定年制が許容されている。ただし,単純に一定年齢到達による強制退職制を定めるのではなく,一定以上の勤続年数や退職年金の受給資格があることが条件になっている場合が多い。たとえば航空管制官については,退職年金の受給資格(勤続25年以上,もしくは50歳以上かつ勤続20年以上)を有する場合は56歳,有しない場合は勤続20年の時点が定年とされている(注12)。
 (3)州の警察官,消防士など
 条文上年齢差別禁止法の保護は州の公務員にも適用されることになっている(注13)。しかし1996年の改正により,警察官,消防士等については一定の要件が満たされれば55歳定年を実施することが可能となった(注14)。
 (4)パイロット
民間企業では,航空機のパイロットについて60歳定年制が認められている。これはFAA(Federal Aviation Administration,連邦航空局)の規則の定めによる(注15)。60 歳を超えると心臓発作の可能性が高まることなどから,航空機運航の安全性を確保するために必要な規制であると説明されている。この規制はこれまでに何度か裁判で争われているが,これまでのところFAA側がすべて勝訴している(注16)。パイロットの労働組合もこの規制に賛成の立場をとっている。その背景には,<1>多くのパイロットが,やはり60歳を超えると運行の安全性確保に問題が出る可能性が高まると考えている,<2>パイロットの組合で採用されている厳格な先任権制度の下では,高齢のパイロットが引退しなければ若いパイロットがいいポジションにつけない,という事情があるようである。

 4 立法趣旨,立法・改正過程における議論

 (1)ADEAの立法趣旨は?
 ADEAが保護しようとする利益は何なのか(注17)。「年齢差別」といっても,40歳未満の者は年齢を理由に差別しても違法ではない(ただし州法に反する場合はある)。雇用における性差別や人種差別を禁止する公民権法(Civil Rights Act)第7編と比較しても,年齢差別とならない例外が多く認められている,差別的インパクト(disparate impact)の法理が利用できない(注18),集団訴訟(クラス・アクション)や懲罰的損害賠償ができないなどの点で効力が弱くなっている。このようことからすれば,高齢者雇用の促進が第1の目的であって,およそ年齢に基づく差別が人種や性に基づく差別同様人権の侵害に該当するとは考えられていないのではないかという仮説も成立しそうである。
 しかし,現地調査でのEEOCの担当者はADEAが人権保護という観点からの法律であることを強調していた。40歳以上しか対象にしていないのは,40歳未満は現実には差別されることがないからだという説明であった。「中高年齢者の」人権保護のための方策が年齢差別の禁止だということであろう。また,立法時よりも年齢差別の規制が強化されてきていることは事実である。高齢者雇用促進を目指す法律から,高齢者の人権保護のための法律へ,徐々にシフトしてきているのかもしれない。
 (2)立法時・改正時の議論(注19)
 年齢差別という概念が法律案として最初に登場したのは1962年の雇用機会均等法案(不成立)の中においてであった。1964年の公民権法の立法過程においても,性差別・人種差別等とともに年齢差別も禁止の対象とすべきであるという議論はあったが,結局まだ法律にするほど成熟した概念ではないということではずされたようである。
 1965年になり,労働長官(Secretary of Labor)の指揮した調査の報告書として「米国の高齢労働者:雇用における年齢差別(The Older American Worker: Age Discrimination in Employment)」が出された。同報告書は,年齢差別は人種差別と異なり,反感や嫌悪からではなく,不正確なステレオタイプな物の見方から発生しているものであるとした。ここで注目すべき点は,この報告書が採用時における年齢制限(age-limit)による年齢差別を批判の対象としていたということであろう。その後大した反対を受けることもなく1967年に法案が議会を通過している。しかし当時はさほど注目されておらず,新聞等の扱いも大きくはなかったという。
 立法当初における議会の意図も前述した報告書と同じであった。すなわち,高齢者の失業率自体は決して若年層と比べて高いとは言えないが,失業の期間でみるとその長期化傾向が明らかである。そしてその原因は,採用において年齢に基づく差別がなされているからである(実際,当時は多くの使用者が応募者に年齢制限をつけていたようである)。これを是正しなければならない――つまり,失業の長期化の解消と,採用時における年齢差別の廃絶,これこそがADEAのそもそもの立法趣旨であった。換言すれば,年齢差別による雇用の終了に対する保護というのは少なくともこの時点では考えられていなかったということである。
 1978年に保護対象年齢の上限を70歳に引き上げる旨の法案が提出された際にはより幅広く議論がなされたようである。同年にはこの改正のほかにも,真正な被用者給付制度の抗弁の限定,ADEA訴訟への陪審制の導入などの修正も行われている。いずれの改正も,ADEAをかなり強力な――労働者側にとって有利な――内容に変えたものと言えよう。
 1986年には上限の年齢が撤廃された。しかし法案通過が選挙の年であり,またほかにも租税改革法,移民関係の法など重要案件が目白押しであったため,さほど大きな議論もなされずに成立したようである。政府の公式な報告書も特に出されなかった。
 ところで,以上のような1980年代の法改正に大きく関与したとされるのが,全米退職者協会(AARP, American Association of Retired Persons)を始めとする高齢者の団体,いわゆる「グレイ・ロビー」であった。これらの圧力団体はADEAの法改正運動以外の分野にも幅広く携わり,アメリカの高齢者の地位向上に大きな役割を果たした。しかしそのしわよせで貧困家庭や児童に対する国の保護が薄くなっているのではないか――老人層から若年層へ貧困の再分配をしただけではないか――という批判もある。

 5 年齢差別禁止法下の引退実態

 このような年齢差別禁止法の下で,アメリカの高齢者はどのように引退しているのか。詳細は他稿(注20)に譲るが,現地調査の結果も踏まえると以下のような点を指摘できる。
 (1)引退年齢
 米国の労働者の引退年齢が一貫して低下しているのは統計からも明らかである(注21)。つまり,年齢差別禁止法の制定・強化が労働者の引退行動に大きな影響を与えることはなかった。現地調査においても,年齢差別禁止法があるために高齢者がなかなか辞めなくて困っているという話はほとんど聞かなかった(ただし一部の有名大学では,高齢の教授が全く辞めないので人事が滞り,問題となっているようである)。ある程度の年齢になればほとんどの労働者が自主的に辞めていくようである。
 (2)自主的に引退する理由
 ではなぜ米国の労働者は法律上はいつまででも働けるのに自主的に退職するのか。現地調査からいくつかの文化的・制度的な背景が浮かび上がってきた。
 (a) 「ハッピー・リタイアメント」神話  米国社会では,早々に引退して悠々自適の生活を送れるのは人生の成功者であるという考え方が一般的である。科学的な根拠とは言えないが,現地調査で実はこの点が一番大きいのではないかという印象を持ったのも事実である。
 (b) 仕事の厳しさ  決して仕事がつまらないというわけではないが,ホワイトカラーであっても毎年厳しい業績評価にさらされることのストレスは相当なものであるようだ。逆に,大学教授があまり早期引退しないのは,いわゆる終身身分保障権(tenure)を得たあとはあまり業績評価を受けないからであろう。
 (c) 企業年金制度  アメリカの公的年金は62歳から受給が可能であるが,低所得者層に手厚い設計になっていることもあり,労働者の老後における企業年金の役割は大きい。特に最近は株式市場が好調なため,401(k)プランの個人勘定に老後を支えるのに十分な資産を有する労働者が少なくない。これもまた「ハッピー・リタイアメント」を可能にしている要因であろう。また企業側も,早期退職優遇制度を実施して高齢労働者の「自発的な」引退を促すことができる。
 法的にも,ある年齢で辞めるのが一番有利になるような企業年金の制度設計をすることが一定の範囲内で可能である。一定の年齢に達したらそれ以降は給付が累積(accrue)しないという制度設計は,年齢に基づく差別となりうるし,企業年金に関する基本法である従業員退職所得保障法(Employee Retirement Income Security Act, ERISA)も明文で禁止している(注22)。しかし他方で,年齢ではなく一定の「勤続年数」もしくは「制度加入期間」を超えたらもはやそれ以降は給付が累積しないという定めは,ERISA法上もまたADEA上も合法とされている(注23)。またERISAは過度に長期勤続を優遇するような確定給付型の給付設計(いわゆる,バック・ローディング(backloading))を一定の範囲に制限する規制を行っているが,この規制は早期引退制度には適用されない。したがって企業はこのような早期退職制度を使えば合法的にある特定年齢での退職を促すことができる。
 (3)訴権放棄契約
 なおこのような早期退職制度を実施する場合,アメリカの企業は必ず応募者から「一筆取る」ことになっている。年齢差別禁止法に基づく訴えなどを提起しない,と約束させる,いわゆる訴権放棄契約(release/waiver agreement)である。現地調査を行ったすべての企業がこの訴権放棄契約書への署名を早期退職制度応募の条件としていた。つまり,この契約書にサインしなければ早期退職制度を利用して引退することはできないということになる。
 このような契約に関しては,従業員の側がその内容をきちんと理解してからサインすることができるようにするために,年齢差別禁止法が一定の規制を行っている(注24)。この規制は1990年の改正によって導入された。訴権放棄契約が法的に有効とされるためには,わかりやすい文言で書かれていること,サインする前に弁護士に相談する機会が与えられていたこと,サインする前に一定の考慮期間がもうけられていたこと,サイン後も1週間は合意を撤回する権利を与えられていたことなどの要件を満たしている必要がある(注25)。



IV 雇用における年齢差別禁止法の紛争処理(注26)

 1 雇用機会均等委員会(EEOC)

 (1)EEOCの組織
 ADEAの執行機関は,連邦の独立行政委員会である雇用機会均等委員会(U. S. Equal Employment Opportunity Commission, EEOC)である。差別の申立ては多くの場合州法と連邦法双方にかかわるため,EEOCの地方事務所は事件処理について各州のFEPA(Fair Employment Practices Agencies,公正雇用慣行機関)と連携を図っている。
 (2)申立ての方法・期間など
 EEOCによる救済手続は原則として差別の「被害者」からの申立てによって開始する。いわゆる「審査請求前置主義」が採用されており,労働者は自ら訴訟を提起する前に必ずEEOCに申立てを行わなければならない。
 EEOCへの申立てには期間制限がある。労働者は,違法な差別とされる行為があった日から180日以内に申立てを行わなければならない。ただし,州や自治体にFEPAが存在する場合には,まず最初にFEPAに申立てを行う必要がある。現在ではほとんどの州にFEPAが置かれているので,年齢差別に関する申立ての処理は実際上FEPAから始まると考えて差し支えないだろう。この場合には,違法な差別とされる行為があった日から300日以内,もしくはFEPAでの審理終結後30日以内のどちらか早いほうがEEOCへの申立て期限となる。
 (3)調査・調整・和解・調停
 申立ては,これ以上調査(investigation)をしても違法行為は立証できないと判断されれば却下される。申立てに理由があるとされた場合には,使用者および申立人にその旨が通知される。EEOCは使用者と協議・説得を伴う調整(conciliation)を行い,差別是正に向けての解決案についての合意を得る努力をする。調整が成立すれば,申立人,使用者,EEOCの三者で拘束力のある書面による協定が締結される。バック・ペイ(back pay),原職復帰,フロント・ペイ(空職が出るまでの間賃金相当額を支払う)など,差別がなかった状態に戻すためのあらゆる手段がこの時点での救済措置となりうる。調整が成功した場合,あるいは調停・和解が成立した場合には,その調整・調停などが尊重されなかった場合を除き,EEOCも申立人も訴訟を提起することはできない。なお,調査のどの段階においても,当事者がその意思を表明すればEEOCは和解の可能性を探ることになる。
 調停(mediation)は,調査・調整,そして訴訟という従来の事件処理方法に代わるものとしてEEOCが提供する紛争処理の枠組みである。すべての申立てについて調停の利用可能性があるわけではなく,EEOCが調停での解決がふさわしいと判断したケースのみである。調停を経て両当事者が合意に至った解決案は,通常の和解同様,両当事者を拘束する。

 2 裁判による紛争処理

 EEOCは,調整が不調に終わった場合には訴訟を提起することができる。またEEOCが訴訟を提起しない場合は労働者本人が訴訟を提起することも可能である。
 ADEAの下での主な救済手段は,原職復帰(reinstatement),差し止め(injunction),バック・ペイ,付加賠償金(liquidated damages, double damages)などが通常の救済手段である。このうち付加賠償金は日本で言えば労働基準法114条が定める付加金に相当するものであり,ADEA違反が「故意(willful)」である場合(注27)に支払いが命じられる。慰謝料や懲罰的損害賠償(punitive damages)(注28)は認められない。またADEA違反に対して科される刑罰もない。

 3 年齢差別に関する紛争の特徴

 (1)EEOCにおける申立ての特徴
 表1はここ8年間にEEOCに申立てられたケースの内訳である。年齢差別の申立て数は全体では上から4番目であるが,かつては年間2万件近く,最近でも年間1万5000件前後はなされている。ここ8年でみる限りでは年齢差別に関する事件の全体に占める割合は低下している。この理由についてEEOCで質問してみたところ,経済状況がよいこと,年齢差別はいけないという教育が徹底されてきたことなどが理由ではないかという回答であった。

表1 EEOCへの申立て件数(年度別)

 EEOCで入手した別の資料によれば,1999年度の年齢差別関連の申立て係属数は8974件。最も多いのが解雇に関する申立てで,3869件(43.1%,複数項目にまたがる申立てがあるため合計は100%を超える。以下同)。次いで雇用条件(termsof employment)1588件(17.7%),いやがらせ(ハラスメント)1116件(12.4%),昇進1080件(12.0%),退職給付1018件(11.3%),採用917件(10.2%)という順番である。また,年齢差別に関する新規申立て数でもほぼ同じ項目が上位を占めており,総申立て数1万4193件のうち,最も多いのが解雇の6733件(47.4%),次いで雇用条件2354件(16.6%),いやがらせ1757件(12.4%),採用1641件(11.6%),昇進1589件(11.2%),レイオフ1151件(8.1%)となっている。
 ところで先に述べたように,ADEA制定の当初の意図は,失業の長期化防止と採用における年齢差別の廃絶であった。しかし上記のデータからも明らかなように,実際にEEOCに持ち込まれるのは解雇など雇用終了に関するものが多い。これは立法当初からの一貫した傾向である(注29)。
 もちろん,採用差別特有の事情も存する。仮に明白な採用差別がなされても,差別の申立てをする者は少ない。そんな暇があるならまず別の仕事を探さなければ,ということであろう。また通常は自分の代わりに誰が雇われたのかを知る術もないので,果たして年齢差別があったのかどうか外から判断できない――あるいは,年齢差別のことを思いつくことさえないかもしれない。この点はEEOCのインタビューでも強調されていた点である。これと対比してみれば,解雇など雇用終了のケースの申立てが多くなるのもわかる。これまで自分がいた会社のことは把握しやすい。またこれまでつながりのあった会社から解雇されるというのは,何もつながりのない会社に入れなかったというのよりも労働者にとってはるかに重大でかつ打撃の大きい出来事であろう(注30)。
 (2)年齢差別に関する訴訟の特徴
 表2,表3からは,EEOCへの申立て数の推移と同様,ADEAに関する訴訟の数が減少傾向にあることがわかる。これについても経済状況がよいことや,年齢差別に関する教育の徹底という理由をあげることができよう。ただしそれと対照的に,年齢差別の紛争の中身は昔に比べより微妙で複雑なものになっているように思われる。最近IBMなど米国の大企業で相次いで起こった,確定給付型年金からハイブリッド型キャッシュ・バランス・プランへの改編をめぐっての争いがそのよい例だろう。

表2 雇用差別訴訟数(年度別)

表3 雇用差別訴訟解決数(年度別)

 年齢差別訴訟の原告は,白人の,専門的・管理的職務に従事する男性が多いというデータがある。これは,女性や人種的マイノリティであれば人種差別や性差別を援用できるが,年齢差別はそれができない人たちのための手段となっているということかもしれない。また,1978年のADEA改正で陪審制を利用できるようになったが,陪審員の多くが高齢者であるため,同じ立場にあるADEAの原告に同情的な評決が出されやすいという説もある。



V 年齢差別禁止法導入の是非をめぐる議論のポイント

 徒然なるままに,ではあるが,米国法の考察を基礎に,今後の議論の参考となりうるポイントを指摘して結びに代えたい。

 1 年齢差別と他の差別

 人種や(生物学上の)性別は一生変わらない。しかし年齢はそれらとは異なる。人間は誰でも平等に年を取る。普通に生きていれば,誰もが高齢者になるのである(注31)。仮に年齢差別禁止法が高齢者に何か利益を配分しているとしても,実はその高齢者は自分が若い世代であったころにそのコストを負担していたとも言える(注32)。また米国で,歴史的に高齢者が黒人のように差別されてきたというわけでもない。
 すでに言及したように,米国法上年齢差別は他の差別と異なる扱いを受けている。40歳未満の者は適用範囲外であり,定年制に関しては特別法により多数の例外が存在する。差別的インパクトの法理は適用されず,集団訴訟や懲罰的損害賠償もできない。さらに最近の最高裁判決は,州の被用者が年齢差別禁止法によって州を訴えることはできないと判断した(注33)。これらの差異は年齢差別が他の差別とは異なることを前提としているのではないだろうか。
 日本では,ようやく男女雇用機会均等法が強行規定となったばかりである。労働基準法3条は人種や信条による差別を禁止してはいるが,通説的見解ではこの規定は採用差別には適用されない。障害者の雇用促進に関しては雇用率設定という手法が一定の成果を上げていると言われるが,障害を理由とする差別を禁止する明文規定はない。もちろん,差別を禁止する順番が決まっているわけではない。しかし,現段階で他の差別よりも深刻な問題が起きているというわけでもないのに,なぜ年齢差別だけが先に禁止されなければならないのか。説明は必要であろう。

 2 解雇制限との関係

 法律学者の中にも,解釈論としてあるいは立法論として年齢差別概念の導入を主張する声がこれまでになかったわけではない。特に解釈論としては,当時の55歳定年制を「不合理なものとはいえない」とした秋北バス事件最高裁判決に反対し,定年制の違法・無効,反公序性を主張するために年齢差別という概念を持ち出したものが多かった(注34)。
 しかし現在経済学者が主張する年齢差別禁止法の導入は,これらの主張とは一線を画する。最も大きな差異は,それが解雇権濫用法理に代表される現在の厳格な解雇規制を緩和することを(暗黙の)前提としている点である。たしかに米国でも,年齢差別禁止法と随意的雇用原則はいわばセットになっている。日本の解雇規制を厳格なままにして年齢差別禁止法が導入されれば,アメリカの一部の大学で起きているのと同じことが起きるかもしれない。大学教員の例は,雇用保障の度合いが高いところで定年を廃止するとどうなるか,というよいサンプルである。
 また実質的に考えてみても,定年制が禁止されれば,企業は必然的にこれまでより頻繁に解雇という手段に訴えざるをえなくなるであろう。それは社会を混乱させるかもしれないし,あるいは結果として労働市場の流動化を促進し経済の活性化につながるかもしれない。いずれにせよ,年齢差別概念導入の是非は,そこまで広い視野で検討すべき問題なのである。

 3 ADEAに対するマイナス評価

 すべての米国人が年齢差別禁止法を称賛しているわけではない。法学者,特に「法と経済学(law and economics)」の識者の間では,年齢差別禁止法の人気は意外なほど低い(注35)。彼らの主張は大きく二つ。第1に,ADEAは高齢者の雇用をかえって狭めている。使用者は,高齢者を雇うと解雇しづらいのでそれなら最初から雇わないことにしようと考えてしまう。むしろ40歳以上の高齢者を雇ったら政府が使用者に補助金を出すという仕組みのほうがよほど効果的だという意見もあった。政府が年齢差別という政策を選択しているのは,それが一番効果的であるからではなく,それが一番行政としてコストがかからないからであるという(注36)。
 第2に,雇用における年齢差別は実はそれほど深刻ではない。人種差別や性差別の場合であれば,白人が黒人を,あるいは男性が女性を評価するという図式であるからこそ問題であった。しかし,企業で人事に関する決定や評価を行うのは通常40歳以上の者である。40歳以上の者が40歳以上の者の評価を誤るということはありえない。
 これらの見解の是非を即断することはできないが,経済学のバックグラウンドを持った専門家が主張しているという点は無視できないであろう。

 4 法制定の目的は何か

 前述のように,年齢差別禁止法はたしかに「差別」禁止法ではあるが,人種差別・性差別を禁止する公民権法第7編とは立法趣旨を異にしている。立法時の趣旨は,市民の人権保護よりも,高齢者の長期失業を防ぎ,その雇用を促進することであったようである。このことはその制定過程での議論(注37)や,またあらゆる年齢差別を禁止する規制ではないこと(たとえば,40歳未満なら年齢を理由に差別してもよい,1986年改正までは年齢上限があった,上級管理職等についての例外があるなど)から推測しうる。年齢差別禁止法が成立した1967年の時点ですでに包括的な差別禁止法(公民権法第7編)を有していたアメリカにおいて,高齢者雇用促進という目的を達成する手段として最適だと考えられたのが,年齢差別禁止であったということだろう。
 もちろん,年齢差別禁止が普遍的な人権保障の理念と全く関係がないというわけではない。EEOCの担当者も「年齢差別禁止法は人権保障のための立法だ」と断言していた。現行の規制内容も立法時と比較すればより厳しい内容になっている。また前述のように年齢の上限も完全に撤廃され,企業年金に関する規制も強化されてきた。高齢者雇用促進のための法律から,高齢者の人権保障のための法律へ,徐々に比重が移ってきているとも言えよう。
 では日本ではなぜ年齢差別禁止法の導入が必要なのか。人権保障という観点から年齢差別を禁止すべきだという理念に基づくのであれば,話は非常に簡単である。従来の企業行動や日本の雇用システムが与える影響など他の観点はさておき,とにかく労働者の人権保障のためにすぐにでもこの法律を導入する必要がある。しかしそうではなく,定年制などこれまでの日本の雇用慣行が高齢者にもたらす悪い影響を除去し,意欲と能力のある高齢者の就労を促進するということが第1の目的であるならば,果たしてその目的のために年齢差別禁止という手法がベストなのかどうか,どのような条件がそろえばそれがベストになるのか,さらに検討する必要がある。

 5 見せかけの「引退の自由」は必要か

 年齢差別禁止法を日本に導入しても問題はない,なぜならアメリカでもほとんど問題になっていない。結局多くの高齢者はある程度の年齢になれば自発的に退職していくであろう。また,企業側も早期引退優遇制度や退職金・企業年金の上乗せなどによって高齢労働者を辞めさせることはいくらでも可能なのである――このような主張がなされることがある。しかしこれは明らかに自己矛盾である。「引退の自由」を確保するために年齢差別禁止法を導入するはずなのに,それが導入可能なのは実質的には「引退の自由」など確保されないからである,と言っているのに等しい。
 一定年齢到達だけを理由に強制的に辞めさせられるのと,その年齢で辞めるように企業から「誘導」されるのとではやはり違いがあるという考え方もあるだろう。これを単なる見せかけの引退の自由ととらえるか,それとも見せかけだろうがなんだろうが,全くそれがないというのとでは意味が大きく異なると考えるか。そこが分かれ目となろう。

 6 「引退過程」のモデルと年齢差別

 ADEAにもかつては65歳,70歳という上限年齢があった。当初の上限が65歳であったのは,それが公的年金(social security)の標準的な支給開始年齢であったからである。またIIでみたように,ドイツやフランスでも,年金の受給資格の有無が解雇や定年の規制において大きな意味を持っている。年齢差別禁止という,そもそも引退過程に枠をはめること自体を放棄するという政策だけでなく,標準的な引退過程のモデルを示すというやり方も検討すべきであろう。
 かつて筆者は,60歳代前半層高齢者の採用,という限定的な局面についてのみ年齢差別概念による保護を及ぼしてはどうかという主張をしたことがある(注38)。時代の先を行き過ぎたのか全くと言っていいほど学界の支持は得られなかったが,平成6年の年金改正で示された,「60歳までは雇用で,60歳から65歳までは雇用と年金で,65歳からは年金で」という引退過程のモデルに足りないものは何か,雇用と年金の接続を断っているものは何かと自分なりに考えた結果としての試案であった。スジは悪かったかもしれないが,その発想の出所は間違っていなかったと思っている。
 筆者の稚拙な試みはともかくとしても,厚生年金の支給開始年齢引き上げを控えた現在,年齢差別に一気にひとっ飛びするのか,それとも新たな引退過程のモデルを提示するのか,検討すべき時期に来ていると言えよう。

 最後に――全く合理的理由のない年齢制限による採用差別は是正されるべきだと考えるし,年齢差別禁止という概念の潔さに魅力を感じつつも,法学者として経済学者の主張にどこか違和感を持ってしまうのはなぜだろう。おそらく,将来的に年功制が崩れ,人事管理がより能力主義的になり,解雇が増え,高齢者をもっと活用すべき社会になるとしても,それは市場が自然にそうなればいいのであって,果たして法律でその動きを人工的に後押しする必要があるのかというところで引っかかってしまうからであろう。しかもその手段が「年齢差別禁止」という,他への波及効果が非常に大きいものであればなおさらである。
 もしそれでも年齢差別を禁止すべきだとしたら,それは結局,年齢差別は人権侵害,という意識が社会的に十分高まったときだけではないだろうか。

*本稿は,2000年に行った2回の現地調査の成果を基礎として執筆した。年金総合研究センターの補助を受けて実施した2000年5月の米国企業・官庁での調査は,雇用における年齢差別禁止法研究会(清家篤・森戸英幸)「アメリカ年齢差別禁止法下での退職管理に関する実態調査報告」(2000年)にまとめられている。また,雇用差別を専門とする弁護士・学者,および全米退職者協会(AARP)への2000年9月の調査は東京財団の補助を受けて行った。


(注1)代表的論者の手によるものとして,清家篤『定年破壊』(2000年)210頁以下。そのほかにも八代尚宏「『内なる社会主義』克服へ」日本経済新聞朝刊1999年11月29日25面など。
(注2)詳細は,拙稿「雇用法制と年金法制(2)(3)」法学協会雑誌109巻12号(1992年)1926頁および110巻1号(1993年)54頁を参照。
(注3)詳細は,拙稿「ドイツ1992年年金改革における『生涯労働時間の延長と弾力化』――支給開始年齢引き上げ,減額年金及び部分年金」成蹊法学37号(1993年)337頁,同「ドイツにおける年金の早期支給に関する研究」成蹊法学39号(1994年)288頁,土田道夫「労働協約上の定年制の適法性と効力」労働法律旬報1345号(1994年)48頁以下,蛯原典子「高齢者雇用と定年制――定年制法理の再検討」,大河純夫ほか編『高齢者の生活と法』立命館大学人文科学研究所研究叢書11(1999年)191頁以下(注47)を参照。
(注4)従来の学説については,拙稿「文献研究・労働契約の終了(2・完)」季刊労働法173号(1995年)107頁以下を参照。最近のものとしては,蛯原・前掲(注3)論文183頁以下など。
(注5)著名な秋北バス事件・最大判昭43.12.25民集22巻13号3459頁は,当時主流であった55歳定年制を「不合理な制度ということはできない」とした。最近の下級審裁判例も,合理性のない年齢差別は憲法14条1項違反ともなりうるとしつつ,結論的には,現在の雇用システムにおける定年制には合理性があるとしている。高年齢者雇用安定法が60歳定年を努力義務としていた時代の55歳定年につきアール・エフ・ラジオ日本事件・東京高判平8.8.26労判701号12頁,公務員の60歳定年につき東京大学(助手定年制)事件・東京地判平9.4.14労判717号31頁を参照。
(注6)詳しくは拙稿「高齢者の引退過程に関する立法政策」ジュリスト1066号(1995年)103頁以下を参照。なおこの論文は1999年改正前に執筆されたものではあるが,同改正によっても「60歳までは雇用で,60歳から64歳までは……」という基本的な政策枠組みは,少なくとも報酬比例部分(いわゆる「別個の給付」「部分年金」)の支給開始年齢引き上げが開始される2010年までは変更がないといってよいだろう。
(注7)もっとも,前掲(注5)の裁判例も定年制の実施やその中身がすべて労使自治にまかされるとしているわけではなく,当該定年制が「合理的な」制度であることを要求している。この合理性判断に際して,定年年齢が公的年金の支給開始年齢に達しているかどうか,十分な老後の所得保障が確保されているかという点を考慮することは可能であろう。なお,定年制が合法とされるためには少なくともその年齢が老齢厚生年金の支給開始年齢以上である必要があると主張するものとして,荒木誠之「定年制をめぐる法的問題」法政研究38巻2・4合併号(1972年)377頁以下。
(注8)随意的雇用原則については,中窪裕也「アメリカにおける解雇法理の展開」千葉大学法学論集6巻2号(1991年)81頁を参照。
(注9)29 U. S. C.§623 (f).
(注10)29 U. S. C.§631 (c).
(注11)ここでの記述は,Daniel P. O'Meara, PROTECTING THE GLOWING NUMBER OF OLDER WORKERS: THE AGE DISCRIMINATION IN EMPLOYMENT ACT 351-358 (1989).を参考にした。
(注12)特に技術の高い者については61歳まで定年延長が可能である。5 U. S. C.§8425(a).また軍人についても独自の定年制度が存在する。
(注13)29 U. S. C.§630(b).ただし最近の連邦最高裁判決は,5対4の多数意見により,合衆国憲法修正11条の州の免責規定が存在するため,州の被用者はその使用者たる州を連邦法である年齢差別禁止法によって訴えることはできないと判示した。Kimel v. Florida Board of Regents, 528 U. S. 62
(2000).もっとも,ほとんどの州が州独自の年齢差別禁止立法を有しているので,州の被用者はこの州法に基づく救済を求めることはできる。
(注14)29 U. S. C.§623(j).
(注15)14 C. F. R.§61. 3(j).など。
(注16)最近のものとして,Professional Pilots Federation v. Federal Aviation Administration, 118 F. 3d 758(D. C. Cir. 1997), cert. denied, 523 U. S. 1117 (1998).
(注17)この点に関しては,すでに中村涼子「雇用における年齢差別の禁止――米国における法規制の基本趣旨――」(東京大学法学政治学研究科修士論文,1999年12月,未公刊)が詳細な検討を行っている。
(注18)この点については控訴審レベルで判決が分かれている。しかし以下の二つの事実を指摘しておきたい。第1に,最高裁はHazen Paper Co. v. Biggins, 113 S. Ct. 1701 (1993).において,年齢差別事件における差別的インパクトの法理の可否についてあえて判断を留保した。第2に,その後1991年改正で公民権法第7編については差別的インパクトの法理が適用されることが法律上明確に規定されたのに対し,ADEAについては何の改正もなされなかった。
(注19)やはり中村・前掲(注17)論文が詳細に検討を行っている。
(注20)雇用における年齢差別禁止法研究会(清家篤・森戸英幸)「アメリカ年齢差別禁止法下での退職管理に関する実態調査報告」(2000年)。
(注21)Murray Gendell, Trends in Retirement Age in Four Countries, 1965-95, Monthly Labor Review, August 1998, p. 20.
(注22)ERISA§204 (b)(1)(H).
(注23)ERISA§204 (b)(1)(H)(ii), 29 U. S. C.§623 (I)(2).
(注24)29 U. S. C.§626 (f).
(注25)詳細は,井村真己「高齢者の退職に伴う放棄契約の締結と雇用差別禁止法」季刊労働法182号(1997年)127頁。
(注26)ここでの記述に際しては,EEOCのウェッブサイト(http://www.eeoc.gov)を参考にした。
(注27)「故意」とは,TWA v. Thurston, 469 U. S. 111 (1985).その他の最高裁判決によれば,ADEAによって禁止されている行為であることを実際に知っていたか,あるいはそのことに関して無謀にも無関心であった(showed reckless disregard)場合である。
(注28)1991年の改正によって公民権法第7編違反の雇用差別については懲罰的損害賠償の可能性が広がったが,このときにもADEAの改正はなされなかった。
(注29)1983年の調査でも,EEOCが扱った事件の76%は雇用終了に関するものであり,採用に関するものは9%であった。O'Meara, supra note 11, at 26-27.
(注30)O'Meara, supra note 11, at 27.
(注31)Massachusetts Board of Retirement v. Murgia, 427 U. S. 307 (1976).
(注32)Christine Jolls, The Changing Workplace: Hands-Tying and the Age Discrimination in Employment Act, 74 Tex. L. Rev. 1813, 1813 (1996).
(注33)前掲(注13)判決(Kimel)参照。
(注34)たとえば,島田信義「定年制『合理化』論の法的批判」季刊労働法86号(1972年)59頁など。
(注35)Richard A. Epstein, FORBIDDEN GROUNDS: THE CASE AGAINST EMPLOYMENT DISCRIMINATION LAWS 441-71 (1992); Richard A. Posner, AGING AND OLD AGE 319-51 (1995).など。なお,法と経済学の観点からでもADEAは肯定的に評価できるとするものとして,Jolls, supra note 32.
(注36)2000年9月,ニューヨーク大学ロースクールSamuel Estreicher教授へのヒアリングによる。
(注37)詳しくは,中村・前掲(注17)論文参照。
(注38)「労働市場の変化と高齢者雇用に関する法政策――『年齢差別』概念は必要か?――」JIL資料シリーズNo.57「労働市場の変化と労働法の課題」(1996年)〔第4章〕81頁以下,および「高齢者の引退過程に関する立法政策」ジュリスト1066号(1995年)108頁。


 もりと・ひでゆき 成蹊大学法学部助教授。主な論文として,「わが家が一番?――情報化に伴うテレワーク・在宅勤務の諸問題」『日本労働研究雑誌』467号(1999年)など。労働法・社会保障法専攻。