労働政策の展望
退職給付の官民比較と国際比較─老後貯蓄支援型マッチング拠出方式(日本版TSP)のすすめ

神代 和欣(横浜国立大学名誉教授)

1 人事院退職給付調査の意義

去る4月19日、人事院(一宮なほみ総裁)は、5年ぶりに「退職金及び企業年金の官民比較調査」の結果を公表した。今回の調査は、平成28(2016)年8月1日、国家公務員の退職給付制度を所管している内閣総理大臣及び財務大臣から人事院総裁に対して要請されたものである。結果は、公務が78.1万円(3.08%)上回っていた。そこで、人事院は、総理及び財務大臣に対して、「官民均衡の観点から」公務の退職給付を「見直す」のが「適切である」旨の「見解」を提出した[注1]。これに対する政府の対応はまだ決まっていないが、いずれ何らかの立法措置が講じられるものと予想される。

人事院の退職給付官民比較調査は、昭和40年代からの伝統があるが、今世紀に入ってからは今回が3回目である。第1回目は、平成18(2006)年4月28日、第3次小泉改造内閣からの依頼に基づく調査報告(谷公士人事院総裁、同年11月16日)であり、このときはわずかながら民間の退職給付が公務員を上回っていた。第2回目は、リーマン・ショック後の平成23(2011)年8月25日、民主党政権(菅第2次改造内閣)の片山善博総務大臣及び野田佳彦財務大臣からの依頼に基づくものであり、公務が402.6万円(13.65%)上回っていた(江利川毅人事院総裁、平成24年3月7日)。この報告と意見に基づいて、民主党政権は、同年11月26日、国家公務員の退職手当引き下げ法(後述の平成24年法律第96号)を公布、翌年1月から2014年7月まで3段階に分けて引き下げを実施した。

この間、平成24(2012)年8月10日には「被用者年金の一元化法」(平成24年法律第63号)が成立し、公務員共済年金は民間従業員の厚生年金と一元化することになり、それに合わせて共済年金の3階部分(職域部分)は廃止された(平成27年10月1日施行)。同法附則第2条の規定に基づいて、新たに「国家公務員の退職給付の給付水準の見直し等のための国家公務員退職手当法等の一部を改正する法律」(平成24年法律第96号;平成24年11月16日成立、同26日公布、平成25年1月1日施行)が公布・施行され、退職手当を引き下げ、年金の職域部分を廃止すると同時に、他方でキャッシュ・バランス方式の「退職等年金給付」(通称は「年金払い退職給付」)を創設して官民均衡を図った[注2]。これは、民間の企業年金に相当する部分である。

ところで、退職手当と年金部分を合わせた全体としての「退職給付」の水準は、公務員の退職後の生活を左右する人事政策上の重要問題であり、その官民均衡は民主的政治のために不可欠の視点であるが、同時に、その国際比較も他の強大な先進諸国に伍して広義の「国力」を維持していくうえで枢要な視点である。今回の人事院調査も「参考資料」の巻末に「米英独仏における公務員年金制度の概要」を添付して、わが国国家公務員の退職給付水準と比較している。それによると、わが国の国家公務員の「退職給付の退職前の最終年収に対する割合」(2017年3月現在)は、次官級で26.9%、局長級30.0%、課長級31.1%、課長補佐級40.3%、係長級で40.3%と、国際的に見て著しく低位にある。しかも従前調査に比べても低下している(欧米諸国は概ね退職時給与の6~7割の水準、ドイツはどの職階でも67.5%)[注3]

このように、わが国公務の退職給付水準は、国内的には「民間準拠」で「官民均衡」がはかられているが、他方、国際的には「異常」な低水準に陥っている。この内外のインバランスをどう判断すべきなのか。振り返れば1980年代の第2臨調以来、とくに今世紀に入ってからのマスコミ論調や政治の流れは、単純に「官民均衡」のみを是とし、さらに推進しようとしているかのようである。しかも、筆者は、寡聞にしてこうした流れに対する専門の政治学者や行政学者、経済学者、年金学者などから批判の声をほとんど聞かない[注4]

言うまでもなく、こうした状況の背景には、①わが国の少子・高齢化が先進国の中でも際立った水準にまで達していて、公的年金全体の給付水準の抑制(マクロ経済スライド)を迫られていること、②国・地方の長期債務残高が1071兆円(名目GDP比2倍強)を越し、「財政再建」の前途が危ぶまれていること、さらに③わが国経済のバブル崩壊以降の長期停滞などの諸要因が複雑に絡みあっている。

とくに、1997〜98年金融危機以来、わが国の民間賃金水準は低下傾向を続けており、アベノミクスの下で政府が民間賃上げを慫慂しても、はかばかしい成果は上がっていない。2017年3月期決算では、民間主要企業は最高の利益水準を達成しているにもかかわらず、グローバル経済の変動リスクが高まる中で、企業は内部留保の拡充を優先し、労働者への分配には極めて消極的になっていて、厚生年金基金の解散、確定給付企業年金の廃止・給付削減、退職金の減額などが続いている。今回の人事院の退職給付調査の結果はそうした事情を反映したものと理解される。

けれども、もしこのまま単純に国内的な「官民均衡」原則のみを貫くならば、公務員の退職給付はさらに削減され続け、その結果、国家の正常な運営に不可欠な有能な公務の持続(統治機能の維持)が損なわれる恐れが大きいのではないか。わが国においても、かつては、公務の退職給付に関しては単純な民間準拠だけではなく、公務の枢要性と特殊性に対する配慮(使用者としての政府の人事政策的配慮)が行われていた。本稿では、このような視点から、わが国公務の退職給付水準の国際的な低下がどのような経緯で生じたのか、それはどの程度まで「止むを得ない合理性」があるのか、あるいは政策転換を図るとすれば、どのような方向が考えられるのかを、あえて吟味したい。

2 退職手当官民比較の経緯

退職手当官民比較の沿革

周知のように、わが国では、第二次大戦後、占領政策の一環として人事院が設置され、月例給与水準に関しては、昭和23年以来、その給与勧告に基づいて法律で決める制度がとられてきた。他方、退職手当に関しては、戦前から省庁別の複雑な制度が継承され、それが戦後インフレや行政整理の中で暫定措置が繰り返されて、昭和34年10月に、はじめて非現業国家公務員に対する統一的な「国家公務員等退職手当法」(「等」とは国鉄、電電、専売の三公社職員を含む意)が恒久法として適用された[注5]

その後、人事院は、退職手当制度の大きな改正のつど、公務員退職手当の主務官庁である総理府の依頼に基づいて民間企業の退職金の実態を調査し、これに基づき総理府が官民の退職手当の給付水準の検討を行った。具体的には、昭和48年改正以来、官民比較調査に基づく均衡が図られるようになったが、当初は民間水準(昭和46年時点)の方が2割程度上回っていた。そこで、昭和48年に暫定的に「退職手当額に百分の百二十を乗ずる調整率を設定」して、公務退職手当を2割引き上げる措置がとられた。

公務退職手当の引き下げ始まる

公務員の退職手当が民間水準を上回ったのは、昭和52年度分調査からであり、昭和56年度から公務退職手当水準の段階的な「調整」が始まった。すなわち、昭和52年度分調査では公務員の退職手当が民間の退職金より1割程度上回っていることが判明したので、120/100の「調整率」を昭和56年度から115/100に、さらに57年度から110/100に引き下げる経過措置が講じられた[注6]。また、一般公務員について定年制を導入することが検討されていたため、昭和60年度までに国家公務員等の退職手当制度全般について総合的な見直しを行うこととなった[注7]

総理府では、この趣旨に沿って学識経験者等による研究会(座長・吉國一郎元内閣法制局長官)を設置し、他方、人事院は昭和57年度における民間企業の退職金実態調査を実施した。その結果に基づいて総務庁において官民比較を行ったところ、官民の退職手当(退職金)水準は「概ね均衡がとれているものと認められた」ので、給付水準の改正は行われなかった。なお、その後、昭和60年4月には専売公社及び電電公社が、次いで昭和62年4月には国鉄が民営化されたため、退職手当法の対象は国家公務員のみとなり、法律の名称も「国家公務員退職手当法」と改正された[注8]

その後、民間企業の退職金水準については、平成元年、総務庁の依頼により昭和63年度水準に関して人事院において実施されたが、総務庁の官民比較の結果「おおむね均衡がとれている」と認められたので、給付水準は据え置かれた。また、平成8年にも総務庁の依頼により人事院が平成7年度分の民間企業の退職金実態調査を実施し、総務庁が官民比較を行ったが、「国の退職手当と民間の退職金とはおおむね均衡がとれていると認められたので」、給付水準の改正は行われなかった[注9]

しかし、平成13(2001)年に、総務省において平成11(1999)年度の民間企業の退職金実態調査を実施し、官民比較を行ったところ、国家公務員の退職手当が民間企業従業員の退職金水準を5.6%上回っていた。そこで、昭和56年改正法(議員修正で経過措置が置かれた)により昭和59年1月1日以来110/100とされた「調整率」を104/100に引き下げる法改正が行われた。ただし、激変緩和措置として、平成15(2003)年10月から107/100、さらに平成16(2004)年10月から104/100とした[注10]。平成11(1999)年3月には中央省庁等改革にともない、公務員制度調査会の答申に基づいて「退職手当制度について、長期勤続者に有利となっている現状を是正すること」が求められた。また、平成17(2005)年には、人事院給与勧告において昇給カーブのフラット化などの改革が勧告された。さらに、平成18(2006)年4月からは、年功を過度に重視した退職手当制度を抜本的に見直し、在職中の貢献度をより的確に反映できる制度への見直しが行われた。ただし、所要の財源は「給与構造の改革に伴う俸給表の引下げにより退職手当について生じる財源の範囲内で措置」された[注11]。平成20(2008)年改正では、公務員の不祥事に対処するため、在職中に懲戒免職等処分を受けるべき行為を行ったと、退職後認められた者の退職手当の全部または一部返納制度が設けられた[注12]

平成24(2012)年の公務退職手当大幅切り下げ

既述のように、すでに平成16(2004)年10月からは、公務員退職手当の「調整率」は104/100にまで引き下げられていたが、平成24(2012)年の法改正により公務員退職手当の支給水準はさらに平均約400万円、14.9%引き下げられた。これによって、まず平成25(2013)年1月1日から9月30日までは「調整率」が98/100へ、同年10月1日から平成26(2014)年6月30日までは92/100へ、さらに平成26(2014)年7月1日以降は87/100へ引き下げられた[注13]

その結果、国家公務員の退職手当の「支給率」は、国家公務員退職手当法5条3項に定める勤続年数段階別の係数の合計に「調整率」(87/100)を乗じたものになった。例えば、勤続35年で定年退職した場合、退職手当の支給率は、勤続年数に基づく係数の合計(57)×調整率(0.87)=49.59となり、これに「退職日の俸給月額」を乗じたものが退職手当の「基本額」となる[注14]。さらに「職員の区分」に応じた「調整額」を加えたものが、退職手当の額となる[注15]。これが現行の国家公務員退職手当制度である。

3 公務員年金給付水準の変遷

沿革

わが国の官吏など政府職員に対する退職年金(恩給)は、陸海軍人をのぞく一般職員に関しては、明治17年の太政官達第1号官吏恩給令に始まり、明治23年官吏恩給法を経て、大正12年4月14日公布の恩給法(大正12年10月1日施行)で教員、警察監獄職員などをも含む統一的な制度が確立された。その給付水準上限は、官吏恩給令では退職時俸給の3分の1、官吏恩給法では35.4%、恩給法で50%であった[注16]

現業の雇傭人に関しては、まず明治40(1907)年に帝国鉄道庁に、その後専売、印刷、通信、林野などの現業員にも相次いで共済制度が設けられ、大正時代から年金などの長期給付も行われた。しかし、非現業の雇傭人には恩給も共済年金も支給されなかった[注17]

第2次大戦後の国家公務員共済組合法(旧法)の成立

第2次大戦後、昭和22(1947)年には国家公務員法が制定され、翌昭和23年には国家公務員共済組合法(旧法)が制定された。昭和24年の同法改正によって非現業の雇傭人にもすべて共済長期給付(共済年金)が支給されることになった。しかし、恩給法上の公務員は引き続き適用除外とされ、官吏に適用される恩給と、雇傭人に適用される共済年金の二本立てとなった。両制度の間には期間通算もなく、雇員15年のあと任官して恩給法適用となり、官吏として15年勤続した場合、合計30年の勤務期間があっても、共済組合からも恩給制度からもそれぞれ一時金しか支給されなかった[注18]

昭和24年に国鉄と専売局が公社化され、ついで昭和27年には電電公社が発足し、これらの公企体の職員は公務員ではなくなったが、公企体発足時に恩給法が適用されていた者にはそのまま恩給法が準用され、国公共済組合法が適用されていた者および公企体発足後に採用された者には共済組合法が適用され、両者の間の格差が問題となった。そこで、昭和31年に公共企業体職員等共済組合法が制定され、従来の恩給公務員にも適用された。その年金給付水準は、国家公務員共済組合よりも2、3割高かった[注19]。その後、昭和33年5月には郵政など5現業の職員と各省の非現業職員とを対象とした国家公務員共済組合法が全面改正され新国家公務員共済組合法(新法)が制定された。さらに、昭和34年10月からは従来の恩給公務員にも新法を適用する改正が施行された[注20]

新国家公務員共済組合法の年金給付水準

この新法による長期給付(退職年金)の額は、在職期間20年の場合、退職前3年間の平均俸給の40%とし、20年を超える1年につき1.5%加算する。したがって勤続40年で70%となった。退職年金の満額支給開始年齢は55歳(55歳以前の減額年金あり)であった。共済年金制度は社会保険方式をとっていたが、給付水準には「公務の能率的な運営に資するため、国家公務員の勤務条件にふさわしい事業を行う職域的制度である」ことが考慮されていた[注21]

昭和48年には、高度経済成長の持続を反映して民間の厚生年金が5万円(平均標準報酬に対する所得代替率62%)に引き上げられ、年金の賃金スライド、物価スライド制が導入された。これにより、公務共済年金の水準が厚生年金より低くなる者が現れることになったため、従来の俸給比例による計算(一般方式)に加え、厚生年金に準ずる俸給比例部分と定額部分による計算(通年方式)が追加され、いずれか高い方の金額が年金額とされた。「一般方式」では、「退職直前1年の平均俸給額」×[40/100+(在職期間20年超の1年ごとに1.5/100)]、ただし俸給年額の70%が年金額の上限とされた。他方、「通年方式」では、「12,000円×[在職年数(最高35年)]+[退職直前1年の平均俸給年額×1/100×在職年数(最高40年)]」とされた[注22]

昭和61年の共済年金大改正

昭和60年4月には、国民年金法が改正され、全国民共通の基礎年金(65歳支給)が導入された。老齢厚生年金も65歳全額支給となったが、60歳から65歳まで、特別支給の老齢厚生年金が支給されることになった。これを受けて、昭和60年12月には国家公務員共済組合法等が改正され、昭和61年4月から施行された。

この共済年金制度の大改正によって、それまでの「退職前1年の平均本俸に一定の乗率をかける計算方式」は廃止され、定額の国民年金(基礎年金)と厚生年金と同一算定式(全組合員期間の平均標準報酬月額[本俸+諸手当]×7.5/1000)による報酬比例部分に改められ、その上に3階部分として、「職域加算部分」(その給付水準は、「平均標準報酬月額×給付乗率(1.5/1000)×在職期間月数」)が創設された。報酬比例年金と職域加算部分を合計した給付水準は、在職期間30年で平均標準報酬年額の27%、40年で36%となった(これに基礎年金が加わる)[注23]

この大改正によって、それまでは、国際的に見て欧米諸国とほぼ同程度の所得代替率が維持されていた公務員の年金給付水準は、急速に低下することになった。その直接的原因は、①年金算定の基礎給が、「退職前1年の平均本俸」から「全組合員期間の平均標準報酬月額」に改められたこと、および②厚生年金方式では「標準報酬月額」に上限が設けられているために、次官、局長クラスと課長クラス等との間に年金額の差がほとんど生じないことにある[注24]。なお、既裁定の恩給及び共済年金に関しては、新給付水準が追い付くまで物価スライドを凍結する頭打ちの措置が取られた[注25]

被用者年金の一元化

さらに、今世紀に入ると、公的年金は長期デフレの中で少子高齢化の急速な進展への対応を迫られ、とくに2007〜08年の世界金融危機(リーマン・ショック)の後では、政権交代の影響もうけて、平成24(2012)年8月には「被用者年金の一元化法」が成立した。公務員共済年金は民間企業従業員の厚生年金と統合され、共済年金のいわゆる3階部分(職域部分)は廃止され、代わって「退職等年金給付」が創設された。これは、わずかに労使折半負担で1.5%の保険料を財源とするキャッシュ・バランス方式である。

4 「公務の特殊性」に対する配慮の変遷

このように公務退職給付の変遷を振り返ってみると、占領時代のマイヤース報告書[注26]や、それを受けた昭和28年の人事院の意見[注27]、さらに昭和31年の公共企業体職員等共済年金制度、昭和33、34年の新国家公務員共済年金制度(新法)、および昭和56(1981)年の退職手当法改正などまでは、「公務の特殊性」に対する配慮が相当程度重視されていたといえる。

しかし、昭和52年以降、日経連が数回にわたって「生涯給与の官民比較」問題を提起した[注28]。また、昭和57(1982)年7月には、第2臨調が第三次(基本)答申を出し、国鉄など公社制度の見直し、民営化を推進した。とくに、国鉄共済制度の救済が公務年金制度全体の見直しに拍車をかけ、昭和61年の共済年金法大改正によって公務員年金給付水準は劇的に引き下げられた。しかし、この時点では、まだ報酬比例年金部分の20%相当分の「職域部分」が維持されていた。

他方、退職手当では、昭和59(1984)年以来維持されてきた民間退職金水準との調整率110/100が、平成15(2003)年、16(2004)年にはそれぞれ107/100、104/100にまで引き下げられた。さらに、平成24(2012)年、民主党政権は退職手当を約400万円削減したので、調整率は段階的に平成26(2014)年には87/100にまで引き下げられた。また、「職域部分」(3階部分)は廃止され、さらに「被用者年金」が一元化(共済年金と厚生年金との統合)されたので、「公務の特殊性」に対する「使用者としての政府」の人事政策的配慮は、ほとんど消滅し、わずかに1.5%の「退職等年金給付」(労使折半のキャッシュ・バランス方式)を残すのみとなった。

このように見てくると、公務退職給付水準を劇的に引き下げた最大の要因は、昭和61年の共済年金制度の改革だったことがわかる。なぜこれほど劇的な給付水準の引き下げを行わなければならなかったのか。当時の大蔵省主計局共済課長・坂本導聰氏は、概略次のように説明している。

まず、手続き的には、①この改革は昭和59年2月24日の中曽根内閣の閣議決定に基づいて行われたものである。これによって、「公的年金制度全体の長期的安定と整合性ある発展を図るため、公的年金制度の一元化を展望しつつ」基礎年金制度を導入し、「給付と負担の長期的均衡を確保するために、将来の給付水準の適正化を図る」ことが要請された。②昭和59年3月、有識者及び関係各省担当課長からなる検討委員会が設けられ、翌年10月12日「共済年金制度改革の方向」が示された。すなわち、改革の留意点として、1)公的年金の一元化を展望しつつ進めること、2)しかし、共済年金制度は、職務の能率的運営に資するという公務員制度の一環ともなっていること、3)制度間格差等の議論にも応える必要があること、などが指摘された。③国家公務員共済組合審議会の答申(昭和60年4月8日)において、公益側及び使用者側委員は、諮問案を評価したうえで「年金改革の基本的方向からすれば、やむを得ない選択である」との意見であった。ただし、上記③に関しては、労働側委員が、「給付引き下げ、負担増大などを指摘し、基本的に反対の立場を表明したうえで、基礎年金について『その財源については、国庫負担等の措置をもって対応すべきである』、共済年金については『職域年金部分といわれるものの位置づけ等について、依然として不明確のままで、納得のできる内容とはなっていない』などと」反対意見を述べた[注29]

また、給付水準の大幅な引き下げの理由としては、①現役組合員の平均月収に対する退職年金水準の割合が「現行」の69%から、加入年数の伸長(40年加入の一般化)によって約81%にまで上昇すると予想されること(妻が国民年金に40年任意加入していれば111%にも達する)。②それに伴って、現行のまま行けば現役の掛金負担は2015年頃に現在の4倍に達するが、改正によってそれを約3倍程度に抑えることができる。③国鉄共済年金の財政は成熟度の上昇(合理化による退職者の増大と現役組合員の減少による)によりすでに昭和60年度から単独では成り立たなくなり、国家公務員共済、電電共済、専売共済から毎年度平均450億円の支援を受けている。そのためにこれら3共済の組合員は毎月5.3/1000の特別掛金を負担している。さらに今後5カ年で国鉄職員数は昭和65年度首21.5万人にまで削減される計画なので、国鉄年金財政は毎年700億~800億円の赤字となり、国鉄共済年金の積立金は昭和63年度にも枯渇が予想される。

けれども、このようなドラスチックな給付と負担の見直しにもかかわらず、「共済年金制度は、公的年金制度としての性格を持つと同時に、公務員制度等の一環としての年金制度という性格をも有している」ので、その性格を明確にするために職域年金部分を創設した。この職域年金部分の水準は、厚生年金相当部分の20%、配偶者の基礎年金部分まで含めた年金額計合計の約8%である[注30]

以上が昭和61年の公務員共済年金制度改正の概要であるが、これに比べると、平成24(2012)年の改正では、退職金を約400万円削減した上に、昭和61年に苦心して創設された職域年金部分までをも廃止した。わずかに「退職等年金給付」が新設されたが、これはそれまでのわが国の公務員退職給付政策とは思想と次元を異にするものであったといわなければならない。

5 公務退職給付水準改善の方策

1950年12月のGHQマイヤース勧告は、日本政府に対して「進歩的な雇主として(as a progressive employer)政府は民間企業に対して一般の社会保険制度を補足する方法を指示しなければならないから、政府職員は一般水準よりも高い給付を受けなければならない。いやしくも可能ならば、これらの給付は社会保険の給付からまったく分離するよりも、むしろその給付を補足するようにすべきである。」と勧告していた[注31]

このような理念は、今日のわが国ではほとんど全く忘れ去られている。昭和34年の国家公務員共済年金法(旧法)制定当時、大蔵省主計局給与課長であった船後正道氏は、その回想録の中で、「公務員制度の主務官庁として」の「給与課の立場は微妙なのだ」。なぜなら、一方では「長期的視野に立って制度の安定性と財政健全性の問題に取り組まねばならない。そのためには追加費用の予算計上のルール化が必要だった。」しかし、他方では、「主計局という枠の中で業務を行う立場もある。これは国の予算編成の立場。予算は単年度主義で何が何でも毎年度の予算を編成しなければならない。」とのべ、恩給から共済年金への変更に伴う「移行コストの処理問題」に悩んだ苦衷を説明している。船後氏は、この問題が、当時アメリカで問題になっていた旧連邦公務員年金制度(CSRS)の積立不足と共通する問題だったと指摘している。この問題は、アイゼンハワー大統領の2期目の任期の終わりころに生じたものだが、上院歳出委員会は「連邦職員の退職年金制度は、合衆国の信用に基礎を置くものであるから、私的年金制度と同様のベースの責任準備金を積み立てる必要はない」という基本的立場で妥協的な処理をしたという[注32]

この昭和34年当時の恩給から共済年金への移行に伴う移行費用の処理の仕方に比べると、昭和60年12月の国家公務員共済年金制度大改正の際の政策当局の態度は、より純粋に「保険原理」に徹していたように思われる。恩給・共済年金から厚生年金への切替えや、前者への物価スライド停止・据置などは、いわば「移行費用」を大鉈で切り捨てたものといえよう。それでも、まだ「職域部分」を残す程度には「公務の特殊性」に関する認識は残されていた。この点は、上記坂本・長谷川論文のみならず、当時の国会審議における担当大臣の答弁からもうかがうことができる[注33]

その後、今世紀に入ってから行われた公務員退職手当の減額や、職域加算の廃止は、既述のように少子高齢化の急速な進行、および国の経済力の低下、長期デフレ、財政事情の悪化などの複合作用によるもので、「止むを得ない」面がある。しかし、他面で新自由主義的思想に犯され「公務」の本質をないがしろにする風潮の影響をも無視できない。

冒頭で指摘したように、公務の倫理と勤労意欲を維持し、それによって国の統治能力を維持するためには、民間退職金水準との機械的な平均思想を改め、わずかに残された「退職等年金給付」を足掛かりに漸進的な給付の改善を行うべきではないか。筆者は、この点に関して、すでに別稿でアメリカ連邦公務員の新退職年金制度(FERS)、とくにそのなかの老後貯蓄奨励制度(Federal Thrift Savings Plan, TSP)をモデルに、現行方式の予算制約(1.5%)を段階的に5~15%程度にまで引き上げることを提案した[注34]。それには、使用者たる政府のマッチング拠出をかなり増やす必要があるが、そのための追加的財源は、「使用者としての政府」が人事政策として負担すべきである。もしこの案が政治的に困難ならば、次善の策として、厚生年金(共済年金報酬比例部分)の算定基礎給である標準報酬月額の上限(平成28年度62万円)を、できるだけ健康保険の標準報酬月額の上限(同139万円)近くまで引き上げるべきである。

公務員退職給付制度にこのような老後貯蓄奨励的マッチング拠出制度(日本版TSP)を導入することは、かつてマイヤース報告が勧告したように、民間企業における同様の制度を推進する引き金になるであろう。いまは首相が先頭に立って民間企業の賃上げを要請する時代である。退職給付についても同様な政策スタンスをとることは、デフレ脱却、働き方改革を促すことにも役立つであろう。わが国の家計金融資産の総額は1800兆円、その過半(52%)を「現金・預貯金」が占めている[注35]。この巨大な「貯蓄」の相当部分がゼロ金利下でも老後の不安に備える資金と推定される。これを共済組合や企業年金の日本版TSPに転換すれば、老後不安の軽減・解消を通じて経済の活性化にも役立つであろう。

もとより、このような政策を採るには、長期的な財源を確保しなければならない。財政再建が尋常な手段では困難視されている現在、このような提案は絵空事と思われるかもしれない。しかし、健全な公務を維持する費用は国防費と同様に不可欠の支出なのだ(ついでながら、自衛隊員も国家公務員である。また、本稿では言及しなかったが、公務員年金の枢要な部分は、遺族年金、障害年金である。公務のために殉職、あるいは傷病を負った自衛隊員や警察官とその遺族に対する年金は国の統治のために欠かすことができない)。日本版TSPのための追加財源については、筆者なりの私案もあるが、マクロ経済政策の根幹にかかわることではあり、本稿の主題の域を超えるので、詳論は別の機会に譲りたい。


脚注

  • [注1] この報告と見解の概要は、「人事院月報」2017年8月号所収(ただし、退職給付水準の欧米諸国との比較など「参考資料」は省略されている)。なお、「概ね5年ごとに」退職給付の「官民均衡を確保する」目的で比較調査を行うことは、平成26(2014)年7月25日第2次安倍内閣の閣議決定「国家公務員の総人件費に関する基本方針」に記述されている。調査は、企業規模50人以上の民間企業と国家公務員行(一)適用で平成27年度中に勤続20年以上で退職した事務・技術関係職種の常勤従業員の退職給付額(企業年金は使用者拠出分のみ)に関するものであり、官民の退職給付の水準較差は、退職事由別、勤続年数別のラスパイレス比較に基づいている。公的年金相当分および従業員拠出に係る企業年金部分は含まない。
  • [注2] この間の経緯について、詳しくは森園幸男・吉田耕三・尾西雅博編『逐条国家公務員法〈全訂版〉』(学陽書房、2015年)1073-1074頁;退職手当制度研究会編『公務員の退職手当法詳解』(第6次改訂版、学陽書房、2015年3月)23-24頁参照。なお、土屋晃浩・加塩雄斗「国家公務員の『年金払い退職給付』の創設について」(財務省『ファイナンス』2013年1月号、36-41頁)をも参照。
  • [注3] この対最終年収代替率は、前2回の調査に比べて低下している。すなわち、第1回調査(2005年現在、勤続38年、年金満額支給)では日本の次官級で30.5%、局長級33.5%、課長級32.8%、課長補佐級52.2%、係長級56.0%であった。因みにドイツではいずれの職階でも69%台であった。第2回調査(2011年現在、勤続38年、年金満額支給)では、日本はそれぞれ、32.9%、36.3%、35.7%、45.7%、49.1%であり、ドイツはいずれの職階でも67.8%であった。
  • [注4] ほとんど唯一の例外は村松岐夫『公務員制度改革─米・英・独・仏の動向を踏まえて』(学陽書房、2008年)である。同書は、わが国の公務員制度では、「天下り」で老後所得の保障をしてきた代わりに、年金制度は民間の厚生年金制度に近づけてきたと指摘し、「しかし、近代国家権力について、『給料は高くないが年金はよい』という公務員制度が『権力行使の抑制』と『勤労意欲』を支えるという権力の抑止の思想はどうなったのか。西欧の先人たちは年金が安心できる程度であれば、権力を行使する集団の適切な行動を引き出すことができると考えてきた。日本では、公務員の年金制度は危ういが、他の国ではどうなっているのか。日本が進む方向はこれでよいのか。」(22頁)と指摘している。
  • [注5] 明治以降の公務退職手当制度の変遷については、退職手当制度研究会『公務員の退職手当法詳解』(第5次改訂版、学陽書房、2011年)、13-18頁参照。
  • [注6] 前掲[注5]、18-22頁参照。この本文記載の調整率は政府案であり、実際には議員修正によって昭和57年1月以降117/100、58年1月以降113/10、59年1月以降110/100に改正された。
  • [注7] 「職員が退職した場合に支給する退職手当の基準については、今後の民間事業における退職金の支給の実情、公務員に関する制度及びその運用の状況その他の事情を勘案して総合的に再検討を行い、その結果必要があると認められる場合には、昭和60年度までに所要の措置を講ずるものとする。」(前掲[注5])、21頁)。
  • [注8] 前掲[注5]、22-23頁。
  • [注9] 前掲[注5]、24-25頁。
  • [注10] 前掲[注5]、25-26頁。
  • [注11] 前掲[注5]、28頁。
  • [注12] 前掲[注5]、30-31頁。
  • [注13] 退職手当制度研究会編『公務員の退職手当法詳解』(第6次改定版、学陽書房、2017年)23-24頁。
  • [注14] 国家公務員退職手当法5条3項に定める退職理由別・勤続年数別の支給係数は、たとえば勤続35年、定年退職の場合は以下のとおりである:
    勤続1年以上10年以下1年につき150/100→1.5×10=15
    勤続11年以上25年以下1年につき165/100→1.65×15=24.75
    勤続26年以上34年以下1年につき180/100→1.8×9=16.2
    勤続35年以上1年につき105/100→1.05×1=1.05
    合計57.0
    合計係数(57)×調整率(87/100)=49.59(退職理由別・勤続年数別支給率)
    なお、前掲[注2]、森園・吉田・尾西(2015年)1074-1077頁参照。
  • [注15] 退職手当の「調整額」は、「在職期間中の貢献度をより的確に反映し、人材流動化等にもより対応できる制度となるようにとの観点から、平成17年の退職手当法の改正により創設されたもので、職員の在職期間のうち、職務の級等が高い方から60月分(5年分)を勘案した一定額を従来からの算定方法による退職手当の基本額に加算するものであり、民間企業の退職金におけるポイント制度の考え方を、国家公務員の人事管理、人事運用等に合わせた形で取り入れた、いわば『職責ポイント』に相当する制度である。」(前掲[注13]、退職手当制度研究会[第6次改訂版]、126頁)。なお、前掲[注2]・森園他編(平成27年)1075頁参照。
  • [注16] 総理府恩給局『恩給百年』(昭和50年10月)による。「官吏恩給令」では「官吏15年以上在職して年齢60歳に至って退官を許された者」等に対して、退官時俸給年額に「在職15年及び15年未満は60/240、爾後1年ごとに1/240を加え、俸給年額の1/3、すなわち在職35年に至れば止める」ものであった(59頁)。「官吏恩給法」では、判任官以上の官吏が在官15年以上、60歳を超えて退官した場合、退職時俸給年額に「在職15年及び15年未満の場合は60/240、以後1年ごとに1/240を加え、在職40年以上の場合には40年の場合の割合を乗じて得た額」、すなわち最高35.4%が支給された(69頁)。大正12(1923)年の「恩給法」では、一般公務員は最低15年在職で退職時俸給年額の50/150、15年を超える1年ごとに同1/150を加算、最高限度在職40年、したがって在職40年またはそれ以上退職時俸給年額の50%が支給された。ただし、45歳からはその50%、50歳からは70%、55歳から100%支給された。なお、外国勤務、教員、警察監獄職員には、別途「勤続加給」が支給された(144頁;吉原健二『わが国の公的年金制度─その生い立ちと歩み』中央法規出版、2004年、59頁)。
    その後、関東大震災や昭和恐慌期に恩給法の改正が試みられたが成立せず、昭和8年法律第50号によってようやく改正された。所要最短年限が17年にのばされたため、支給率は最高73/150、すなわち48.667%に改正された。基礎給も「退職前1年間の本俸の額」に改められた。なお、恩給外所得年5000円以上の高額所得者で恩給額1000円以上の者については、6000円を超える金額の2割が削減された。また、恩給納金が従来なかった者に俸給の1%、従来から1%あった者については2%に引き上げられた(171-177頁)。
  • [注17] 吉原、前掲[注6]、59-60頁。
  • [注18] 吉原、前掲[注6]、60-61頁。
  • [注19] 吉原、前掲[注6]、62-63頁。
  • [注20] 吉原、前掲[注6]、64頁。
  • [注21] 吉原、前掲[注6]、66-67頁。
  • [注22] 神田真人「公僕の俸禄たてよこ─国際的・歴史的視座からみた国家公務員給与・年金」(下)財務省『ファイナンス』2010年8月号、57頁)
  • [注23] 吉原、前掲[注6]、112-114頁;神田、前掲[注22]論文、57頁。
  • [注24] 吉原、前掲[注6]、113頁; 神田、前掲[注22]、57-58頁。
  • [注25] 昭和32年から十年余り大蔵省主計局に勤務した船後正道氏は、昭和61年の共済年金制度改革について次のように述べている。「共済年金の61年改革での経過措置は格段に厳しいものであった。34年のときの恩給部分の経過措置をも一切ご破算にしたくらいだからね。この時期は、国鉄共済年金の財政破綻の後始末のつけ方で大いに苦労したばかりだったし、国民年金も、船員保険も財政的な行き詰まりで他制度からの支援を求めていた。とてものんびりした経過措置を置くような余裕はなかったのだろう。─退職時に局長、次官等の幹部公務員になっていた者は、その後長年にわたり年金額を据え置かれたはずだから、かなりの痛手だったのではないか。」「僕は先ほどの引用文で一般論としては『出血とまではいかないが』と述べたが、この程度の皮下出血は確実にあったのだね。僕の場合は、今後の余命とインフレのいかんにもよるが、多分、生涯,この時の従前額のままだろうと心得ているよ。共済年金側の61年改革とはそのような厳しいものであったが、当時の国や公的年金制度の財政状況を考えると、やはりやむを得ない措置だったのではないか。」(船後正道『年金にかかわって40年』一般社団法人共済組合連盟、2013年、183-184頁。なお、本書は、もともと共済組合連盟『共済新報』平成17年2月号~平成20年5月号まで全27回連載されたもので、上記引用文は、その第16回平成18年6月号所載の分。)
  • [注26] Myers Report, Japanese Government Retirement System, December 9, 1950.この報告書は、国立国会図書館デジタルコレクションからダウンロードできる。その全文は、ロバート・J・マイヤース「日本政府に対する恩給制度に関する勧告と保険数理的分析」(『人事院月報』通巻第11号、1951年3月)に邦訳されている。同報告書は、国、地方を通ずる全公務員(臨時職員をのぞく)を対象とし、費用は全額国が負担し最終本給の最高80%を支給する恩給制度の創設を勧告した。残念ながら、この勧告は生かされなかった。
  • [注27] 人事院(浅井清総裁)は、昭和28年11月17日、国家公務員法第23条及び同法第108条に基づく意見「国家公務員退職年金制度について」を、衆参両院議長及び吉田茂総理大臣に提出、公務員の特殊性に着目し、一般の社会保障とは異なる拠出制の新退職年金制度の創設を勧告した。一般公務員については、在職20年で(俸給年額の40%)+(20年を超える1年につき俸給年額の1.5%)、最高は俸給年額の70%とする。費用負担は1/4は公務員の負担、3/4は国庫負担とする(『人事院月報』通巻第43号、1953年12月号)。
  • [注28] 日経連が公務員の退職金や年金水準の高さを問題にした背景には、武蔵野市など一部自治体の退職金水準が4000万円を越し、マスコミの話題になったことが影響していた(武蔵野市では昭和58年5月に市職員の高額退職金問題で土屋新市長が当選し、その直後に自治労支部との団体交渉で大幅引き下げを実施した。詳しくは『武蔵野市百年史続編』平成23年1月、95-104頁参照)。昭和60年6月、人事院給与局は「生涯給与問題研究会」を設け、昭和62年4月22日、報告書を提出した。報告書は、日経連の主張するモデル計算による給与・退職金・年金を合わせた「生涯給与」の比較はデータ的に「適切でない」とし、それぞれ別個に比較すべきだとした。
  • [注29] 坂本導聰・長谷川正栄「共済年金制度の改正」(大蔵省『ファイナンス』1986年2月号、40-52頁。
  • [注30] 同上[注29]、43-45頁。
  • [注31] 前掲[注26]のマイヤース報告(『人事院月報』通巻第11号)、本文1頁(原文、p.2)。
  • [注32] 船後正道、前掲[注25]書、33-38頁。
  • [注33] 昭和60(1985)年6月18日、衆議院本会議議事録(官報号外)中曽根内閣の竹下国務大臣の答弁参照。なお、『逐条国家公務員法』(学陽書房、1988年)968頁をも参照。
  • [注34] 神代和欣「「公務退職給付の日米比較─公務人材確保・育成の視点から」(『年金と経済』32巻3号、2013年10月、49-60頁)、同「わが国の老後所得保障政策の問題点─大学教授の退職給付の国際比較を中心として」(『日本労働研究雑誌』672号、2016年7月号、64-75頁)。なお、アメリカ連邦公務のFERS、TSP制度の現状については、Katelin P. Isaacs, “Federal Employees’ Retirement System: The Role of the Thrift Savings Plan”, Congressional Research Service RL30387, March 10, 2015; Do., “Federal Employees’Retirement Systems: Benefits and Financing”, CRS 98-810, July 15, 2015 参照。
  • [注35] 日本銀行、「資金循環表」2016年第4四半期分(速報)。なお、「日本経済新聞」2017年6月11日朝刊(奥田宏二「預金ついに1000兆円」)は2017年3月末時点で1053兆円に達したと報じている。また、「日本経済新聞」7月2日朝刊1面トップ記事は、世界の上場企業の現預金が12兆ドル(1350兆円)にまで膨張したと報じている。

2017年12月号(No.689) 印刷用(PDF:777KB)

2017年11月27日 掲載

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