特集趣旨「この概念の意味するところ」

労働研究は学際的な研究である。それだけに一つの概念を取ってみても専攻によってその意味するところは多様である。たとえば、「能力」という概念は様々な研究で使われるが、その理解の仕方は法学と経済学、社会学でそれぞれ異なる。もちろんそのうちのどれが正しいということではない。異なる観点から深められた議論が横断的に交差し、専攻の違いを越えた議論が活発になることで、労働の世界を立体的に理解できるようになる。そのような趣旨で、一つの概念を専攻の異なる複数の執筆者がそれぞれ解説する特集を企画した。「労働市場」「賃金」「能力」「学力」「差別」「キャリア」といった概念を取り上げているが、そもそも「労働」という概念からして理解の仕方に違いがある。

特集の最初に「労働」を取り上げているが、和田論文が述べているように「労働法」というときの「労働」は「他人に雇われて働くこと」を意味する。その観点から「有償労働」「従属労働」として労働を特徴づける。法学だけでなく、一般に「労働研究」という場合にも、雇われて働く雇用労働が念頭に置かれる。久本論文によれば、社会政策でいう「労働」は、雇用だけでなく自営業を含む稼得労働、それにボランティアや家事・育児といった非稼得労働も包摂した広い概念である。一方、労使関係論で「労働」という場合は組織された雇用労働、つまり労働組合を指すと整理している。玄田論文は「何らかの目的実現の手段として耐え忍び、我慢して行う行為が、経済学における労働」であるという。加えて「労働」は、土地、技術、資本とともに利潤を獲得するための生産要素でもある。生産や利益は労働者の勤勉さや熱心さに影響されることから、企業は支払いや処遇といった制度面の工夫を通じて望ましい労働サービスの提供を誘導しようとするという。労働法や労使関係論、経済学は対価として賃金を得る行為としての労働に関心を向けるが、上林論文によれば、社会学は人びとのつながり、つまり社会的紐帯の契機として「労働」をとらえる。その観点から企業や職場は単なる利益追求のための組織ではなく、中間集団(コミュニティ)としても機能しているという。

だが、読み比べてみると、いずれの観点においても「労働」の中に人間を見出し、弱い立場の労働者に関心を向けている点は共通している。和田論文によれば、労働法の生成と発展は、労働者自身やその人格と労働を切り離すことはできないため、使用者から労働者を保護する必要がある、という認識にもとづいている。久本論文によれば、最近話題の「同一(価値)労働同一賃金」は労働運動の普遍的スローガンであり、経済的弱者が社会的公正を求める論理であるという。玄田論文は、不遇のなかにある労働者に対して経済学的観点から「仕事が単純」「能力や意欲が低い」等々と軽々しく決めつけることを戒める。上林論文も単純労働や汚れ仕事を誰が担うのかという労働の階層性や、「マクドナルド化」「感情労働」といった概念で語られる労働の非人間的側面に対する問題意識が社会学にはあるという。

このように同じ概念に関する複数の解説を読み比べることで読者の知的好奇心が刺激され、労働研究への関心を深める機会になれば幸いである。

2017年4月号(No.681)

2017年3月27日 掲載