労働政策の展望
国際競争力の低下とグローバルマネジャー

石田 英夫(慶應義塾大学名誉教授)

はじめに

かつて最強を誇ったエレクトロニックス企業などの競争力の衰退の要因を探り、競争力を再興するという課題に取り組んだ成功・失敗事例を吟味してみると、グローバル競争で鍛えられた適材をトップに起用する必要があり、そのためにはトップの育成と選任の方法を大きく変える必要があるという考えに至った。日本企業の競争力低下の要因を探るための仮説はいろいろあるが、過去100年以上にわたり制覇してきた大企業の優位性は不動だとするチャンドラー説は、世紀の変わり目に起きた技術的・経済的変化により説得力が低下していると主張するラングロワの『消えゆく手』仮説によりながら、企業の盛衰の要因を事例分析によって説明し、競争力回復のためのグローバルマネジャーの育成・選抜方式について私見を述べたい。ここでグローバルマネジャー(以下、GM)とは海外拠点や地域統括の責任者をさしている。しかし問題はそれに止まらず、グローバル企業のトップマネジメントの育成・選抜に及ぶことになる。

興隆期と世紀末のグローバルマネジャー

筆者は興隆期の日本企業のグローバルマネジャー(GM)50名の面接調査を東南アジアとアメリカで行った[1]。彼らの成功要件は国内経営者のそれに類似していたが、失敗要因としてあげられた多くは性格・資質要因で、優越・劣等コンプレクスの強さ、自己中心性の強さ、柔軟性の乏しさ、開拓者精神・好奇心・向上心の欠如などであり、そのような人は、たとえ経営管理能力とコミュニケーション能力で優れていても、海外派遣の候補から外した方がよいという示唆が得られた。バブル期1990年のアンケート調査ではGMの満足度とモチベーションの低下が認められた。バブル崩壊後の1997年に海外勤務経験の長いGM(平均通算14年)16名の面接調査を行った。彼らは冷戦終結や新興国の台頭という国際環境の激変に本社の側で適確な対応がなされず、国際的に注目された日本的経営がグローバル競争の転換点で強みを失ったことを知り、本社への失望と焦燥感を表明した。その中でひときわ目立つ人物、北海道拓殖銀行の香港支店長兼アジア代表、山代元圀氏は香港在住20年、同期で最も早く役員に昇進し、北京語・広東語・台湾語を駆使してアジアのオーナー経営者と人脈を築き、彼らによって鍛えられたと述べた。山代氏はバブルで深傷を負った本体の再建に役立ちたいという意欲を持っていたが、本社からお呼びはかからなかった。97年3月、山代氏はユニアジアファイナンス社を設立(拓銀、商社、金融機関も出資)したが、その半年後に拓銀は破綻を迎えた[2]。ユニアジア社は10年後の2007年にシンガポールで上場し、アジアに多数の顧客を持つと伝えられる。グローバル経営の最前線で鍛えられたGMを本社トップに迎えて活躍させた例はごく少ない。武田薬品の武田國男社長、TDKの上釜健宏社長、信越化学の金川千尋社長などは数少ない例外的ケースといえよう。

世紀の変わり目の技術・経済的変化─ラングロワ仮説

R.ラングロワは米国の組織経済学・経済史の専門家であるが、経営史学の世界的権威、A.チャンドラーを真っ向から批判した著書の邦訳題名『消えゆく手』は、チャンドラーの「見える手」、さらにA.スミスの「見えざる手」を想起させる。原著のタイトルは「産業資本主義のダイナミックス─シュンペーター・チャンドラー・ニューエコノミー」である[3]。ラングロワは20世紀の終わりに起きた世界の経済的・技術的変化によって、チャンドラーが不朽の最強組織と見做した垂直統合型大企業の競争力が浸食され、ニューエコノミーでは起業家とベンチャーの復権が見られると主張する。図1はラングロワ説の結論を要約して図示したものである(邦訳154ページ)。

図1 ラングロワ「消えゆく手」仮説

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縦軸は「緩衝の緊急度」とされるが、組織内あるいは市場における調整・取引の緊急性を表す。横軸の「市場の厚み」は人口の大小、所得水準、市場の地理的広がりなどを表す。右上がりの直線は組織と市場の境界線である。米国は1880年頃から1990年頃までの100年間、大企業が出現して支配力を増大維持した時代である。しかし1990年を境にニューエコノミーの時代に入ると市場と起業家が復権を果たすようになる。経済的にはグローバル市場の出現、技術的には情報通信や輸送技術の進歩により、垂直統合型大企業の競争優位は次第に低下する。生産技術のデジタル化、「モジュール化」の影響は製造部門に限らず、研究開発から販売・物流にも及び、さらにサービスや金融部門にも影響が広がる。インターネットの進化はとどまるところを知らず、近年ではIoT、「モノのインターネット(Internet of Things)」が製造業の変革、新産業の創出、産業構造の変容を進め、新たな「産業革命」の到来とも言われる。世紀の変わり目の情報技術の変革とグローバル競争の展開に日本企業は遅れをとり、日米の競争力は逆転し、中国をはじめとする新興国の競争にたじろぎ、国際競争力は著しく低下することになる。競争の技術的・市場的側面だけでなく、グローバルマネジャーの起業家精神という主体的側面でも日本は劣勢に立たされた。

起業家の成功要因─五角形6要因モデル

今世紀に入って筆者は地方に在住して50人の日本人起業家の面接調査を行い、起業家の成功要因を探るとともに、起業家の輩出のための条件は何か、そして国際的体験と起業家精神の関係を知ろうとした。図2は起業家の成功の基本的要因と要因相互の関係を示している。高い志、こだわり(諦めない執拗さ)、機会発見能力、能動的行動性(proactiveness)、良好な人的ネットワーク、強運の6要因が起業家の成功要件である。この6要因は相互に影響し合い、強化する関係にあることが図の線で示される。五角形のカドには個人の能力や資質にかかわる要因がおかれ、強運は他の要因の相互作用から出てくるものとして真ん中に位置している。これらの要因の中で個人の資質に根差し、教育するのは容易でないものとして「こだわり」と能動的行動性があり、育成し、鼓舞することが比較的可能なものとしては高い志、機会発見能力、良い人的ネットワークがあげられる[4]

図2 起業家の成功要因 五角形6要因モデル

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幼少期の国際体験や留学は起業家精神を覚醒させ鼓舞する傾向がある。旅行会社HISの澤田秀雄会長はドイツ留学中に世界数十カ国を旅行した体験から、外国旅行は能動的行動性を養う最良の方法だと述べている。航空券の内外価格差に着目して事業機会を発見し、帰国後まもなく旅行会社を起こした。大手旅行業者・航空会社・監督官庁の厚い壁を崩し、格安海外旅行を社会的に認知させ、短期間で海外旅行会社トップの座を占めた。

最近注目されている国際企業の新モデルとして「ボーン・グローバル・ベンチャー」がある。多国籍企業の伝統的な成長経路を辿ることなく、一挙(創業3年以内)に国際事業を開始する例が目立つ。情報・通信・交通の進歩とコストの低減がそれを可能にしたのである。米国では電気自動車や宇宙旅行計画のベンチャー、テスラモーターズのイーロン・マスク、日本では電動バイクでアジアのメガベンチャーを目指すテラモーターズの徳重徹が知られる。ニューエコノミーでは若手起業家の迅速な国際的起業活動が可能になる。国際競争場裡の体験、能動的行動性、起業家精神の喚起・増進は互いに強化し合う関係にある。

グローバルマネジャーのモチベーションと報酬政策

1970~80年代に日本企業の国際化を先導したソニー、ホンダ、松下、YKK、ミネベアといった起業家的企業の成長の軌跡を筆者は見てきた。80年代までは創業者がなお健在で、グローバル戦略を決定し、自社の精鋭を世界各地に派遣してその実行に当たらせた。GMたちは創業者が示す戦略的指揮に動機づけられて市場を開拓し、工場を建設し現地生産を軌道にのせた[5]。しかしバブル経済が崩壊する90年代に入ると、創業者たちは次々に退出し、後継者に仕事をゆだねるが、先に見たように、GM経験者から本社トップの後任として選抜される例はごく限られていた。日本企業が長期停滞に陥る間に、中国やアジアの企業は急速な成長を遂げるが、それがグローバル企業の報酬政策に新たな課題を突き付ける。図3は日本企業と米国企業を念頭において組織の資源(職責・権限・報酬)と人的資源(能力・意欲・組織コミットメント)の階層間の配分構造を対比した図である[6]

図3 組織資源・人材資源の組織内階層配分の比較

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日本企業は組織資源も人的資源も上中下の配分格差が比較的小さいが、米国企業は配分格差が大きい。トップを比べると米国の方がすべてにおいて日本より優位にあるが、ボトムを比べると日本の方が優位にある。台頭するアジア企業の組織的・人的資源の配分構造は日本よりも米国企業の方に近い。そのため日本とアジアの経済レベルが接近してくると、トップとミドルの報酬水準で日本とアジアが接近、あるいは逆転するという事態が起こる。それだけでなく、かつては日本企業の海外勤務者の報酬は国内よりかなり高かったが、近年では内外の報酬格差は縮小し、海外勤務者の優遇度は低下している。現在の海外勤務者の報酬制度は「生計費補償」方式が一般化していると言われる。しかしそれに安住していてはこれからの問題を解決できない[7]。GMの満足度とモチベーションは低下しており、海外勤務の忌避傾向も見られる。特に日本と政治的緊張関係にある近隣国のGMたちはストレスにさらされ、事態は深刻になる。グローバル化のフロンティアが今後インド、アラブ、アフリカに移行するならば、彼らのモチベーション対策と報酬政策は抜本的な見直しが必要になる。「ハードシップ手当」の加算だけで収まる問題ではない。

グローバル経営戦略の試金石─国際的企業買収の成否

バブルの最盛期に日本企業は米国を舞台に大型買収をくり広げたが、その多くは戦略的目的を達成できず、失敗に終わった[8]。ファイアストン社を買収したブリヂストンは、世界のタイヤメーカー3強の一角を占めるという当初の目的を達成したが、その間に失われた財務的・人的・社会的資本の損失を考えると成功事例とは言い難い[9]。同じ頃ソニー、松下などが実行した娯楽会社の大型買収も成功したとは言えない。事前評価の甘さによる巨額の追加投資負担、日本側の統治の意思の欠如や過度の融和策も失敗の傷を深めた。近年大型買収熱が再燃しているが、バブル期の失敗の教訓から学んでいるか疑わしい例が多い。リーマン・ショックの直後、野村証券はリーマン・アジアを果断に買収し、リーマン証券の顧客の取り込みと野村自体のグローバル・プレイヤー化を狙ったが、失敗した。雇用を保障した超高給社員の大半は流出し、野村は多額の損失を計上した。オリンパスは欧州子会社のトップを本社トップに抜擢したが、彼は本社幹部の積年の損失隠しを明るみに出して解任された。最近のM&Aによる経営グローバル化の代表的な事例は武田薬品である。米欧2社の2兆円を超す大型買収と外国人社長の招聘、そしてグローバル化と研究開発を強化するための最高執行機関の大多数を外国人幹部で固めた。武田國男氏から長谷川閑史氏が社長・CEOを引き継いで以降、武田の業績は低下を続け、今期は初の連結赤字決算となった。新CEOのC.ウェーバー氏は「今後5年でタケダをトップクラスの研究開発主導型グローバル企業に育てる」と決意を表明している[10]

コーポレートガバナンスのかなめ─CEOによる後任の指名

企業の統治機構の改革が叫ばれ、法制もその強化を定めている。戦後日本の花形企業、ソニーは米国型統治機構を他社に先がけて導入した。1995年、社長に抜擢された出井伸之氏は97年に執行役員制を日本で初めて導入した。2003年同社は「委員会(等)設置会社」となり、監査委員会・指名委員会・報酬委員会を設置した。取締役会議長には国際派財界人が起用され10年間その職にあった。社外取締役の顔ぶれは経済人・学識者・著名外国人からなる豪華メンバーであった。出井社長・CEOのもとで金融サービス業に進出して軌道に乗せたが、「本業」のエレクトロニックスの業績は長期的低迷を続け、リストラクチャリングを繰り返した。2003年に同社は多額の営業損失を出したため、社外役員の日産自動車C.ゴーン氏らがトップの業績責任を問いGEO留任の退路を断ったといわれる。後任社長には大ヒット商品の開発責任者を務めた副社長が本命と見られたが、出井氏は彼を指名せず、米国ソニーのH.ストリンガー会長をソニーのCEOに選んだ。ストリンガー氏は2005年から12年までソニーのトップを務めたが、業績は低下し続け、本業のリストラを繰り返した。ストリンガー氏は後任に若い平井一夫氏を指名したが、同社の業績低下は現在まで引き続き、遂に無配に転じた。2014年の同社の株主総会では、一般株主が社長の経営手腕に疑問を呈し、業績目標を明確にして未達なら責任を取るべきだと述べ、更に在任期間の長い社外取締役を名指しで批判し、その人は直後に退任したという[11]

結びと提言

日本企業の競争力低下の背景にある構造的要因として技術と市場の急激な変化があることをラングロワ説に依拠して説明し、主体的な要因として日本企業の国際的躍進を先導した起業家的企業に見られる創業者の退出と起業家精神の減退、世界的競争場裡で鍛えられたGMの本社トップへの抜擢もごく限られていることを示した。今後日本企業の競争力を回復させて行くための人事・組織面の方策を3点に絞って提言したい。(1)日本企業の人材投資はかつての積極性を取り戻すべきだ。収益性も回復している今、積極的人材投資に転ずる機会である。グローバルマネジャーの積極的育成には理論よりも現場体験を重視すべきであろう[12]。トップ候補の教育にはこれまで以上に正式な教育訓練に力を入れるべきだ。(2)グローバル人材の育成とモチベーション向上を目指す出向政策と報酬政策を実行する。採用は日本人・外国人を問わず潜在的な起業家精神の持ち主を選ぶようにする。彼らは組織の権威に“楯突く”傾向があるから、保守的な人事スタッフによる選考で彼らを門前払いしてはならない。彼らを早いうちから国内外の子会社や取引先などに出向させて本社の「民族中心主義的」(エスノセントリック)風土から「隔離」し、GM候補として「圧縮成長」させる[13]。30歳前後にはグローバルな「ハイ・ポテンシャル」グループに編入し幹部候補として公認するが、1割程度はコンピテンシーと業績により入れ替え可能にする。グローバルマネジャーの任命は40歳をめどとし、50代前半には本社の上級幹部に起用して、55歳を社長・GEOの標準的任命年齢とする[14]。GMの報酬を国際的労働市場で「魅力ある水準」に上方修正してGMのモチベーションの向上を図る。(3)企業統治は形だけではなく中身の改革を行う。戦後の先進的企業の企業統治改革は、現CEOによる次のCEOの選任という慣行には切り込まぬ形式的改革であった。最も肝要な「指名」人事の対象はCEOであるはずだが、トップの指名は現CEOの「専権事項」という暗黙のルールがまかり通った。CEO候補者の教育にはニューエコノミー時代のトップに必須の訓練項目を含めた正式の教育プログラムを強化し、アセスメントも厳しく行う。トップを選ぶ主要な基準は業績評価であるが、加えて、トップ候補の人格的要素として「私心の無いこと」の重要性を強調したい[15]。前任者の私心で選ばれた後任社長が組織の衰運や崩壊をもたらす例は少なくない。教育投資を惜しまず、トップ経営陣こそ厳しく訓練して評価を下すべきだ。

上層の統治組織と人事のあり方は、今後日本型から米国型へ多かれ少なかれ収斂してゆくだろう。日本は過去四半世紀、勝ち組から脱落した敗者であったから、グローバル経済の現実が要求するならそれもやむを得ない。しかし、日本型の長所や美風を徹底的な破壊にまかせて追随するのではなく、日本の国際的影響力が復活した暁に備えて、温存すべきは温存し、除去すべき点はしっかり除去して、新しい日本型人事・報酬・企業統治システムをつくり直す見識と覚悟が必要であろう。


脚注

  1. ^ 石田英夫(1985)『日本企業の国際人事管理』日本労働研究機構 第4章、第5章。
  2. ^ 1997年1月、香港における筆者の面接調査による。
  3. ^ Langlois, R. N.(2007)The Dynamics of Industrial Capitalism: Schmpeter, Chandler, and the New Economy ラングロワ(2011)『消えゆく手』慶應義塾大学出版会、レズリー・ハンナ・和田一夫(2001)『見えざる手の反逆・チャンドラー学派批判』有斐閣。
  4. ^ 石田英夫(編著)(2014)『ケースブックⅤ 地域と社会を変えた起業家たち』慶應義塾大学出版会、終章。
  5. ^ 石田英夫(1990)『新版 ケースブック 国際経営の人間問題』慶應通信。
  6. ^ 石田前掲書(1985)第1章17ページ。
  7. ^ 「2014年海外赴任者の処遇」『労政時報』第3879号 2014-12-12。
  8. ^ 松本茂(2014)『海外企業買収 失敗の本質─戦略論的アプローチ』東洋経済新報社。
  9. ^ 石田英夫(2008)「ブリヂストン─ファイアストン社の買収』『日本型HRM』慶應義塾大学出版会所収。
  10. ^ 有森隆(2015)『海外大型M&A 大失敗の内幕』さくら舎、「鎖国230年 開国1年 グローバルタケダの苦悩」『日経ビジネス』2015-3-2など。
  11. ^ 立石康則(2011)『さよなら!僕らのソニー』文春新書、「ソニーが変われぬ10の理由」『日経ビジネス』2015-4-20など多数の雑誌記事や著書による。
  12. ^ 日本のエレクトロニクス産業を今世紀初頭に追い越した韓国サムスンは、李会長が提案し実施を傘下企業に迫った「地域専門家制度」によって、現在5000人に上る地域専門家上がりの人材を擁し、半数は世界の各地に、半数は本社の要衝に配置されている。地域専門家は1年間自ら選んだ地域に赴き、前半は現地語習得と人脈作りに専念し、後半は自前の現地学習課題を研究し、会社は費用を負担するが一切支援しない。サムスンの世界市場での躍進を人材面で支えたのがこの制度である。石田英夫(2008)前掲書 ケース10「三星グループ」、および日本サムスンの取材による。
  13. ^ GMとその候補者の社外への出向を教育目的の戦略的出向に切り替える。日立製作所の構造改革を担い、V字型業績向上を達成した立役者、CEOの川村隆氏は子会社会長から、次のCEO中西宏明氏は業績不振の米買収会社を立て直した実績から本社に呼び戻された。結果から見れば、両氏は「戦略的出向」の後に本社の改革と再生を担うために、内外の出向先で自らを鍛えたことになる。小板橋太郎(2014)『異端児たちの決断 日立製作所川村改革の2000日』日経BP。
  14. ^ パナソニック、三井物産、味の素などグローバル企業の現社長就任時の年齢は55歳である。しかし、中央官庁式に他の幹部社員を同時に子会社などに転籍させる必要はないし、してはならない。
  15. ^ 筆者が教員として駆け出しのころ、「経営の実際を知るために」派遣された経営団体の経営講座に登場した一流企業の現役社長は「皆さんは、社長が次の社長を選ぶときに一番重視する判断基準は何だかわかりますか」と問いかけ、「それは退任する社長がもっとも快適にその後の会社生活を送れることを保障してくれる人です」と述べたのを今も記憶している。その人の発言の意図やその後彼の後任をどう選んだかは記憶にないが、半世紀後の一流企業においても当然視されている、根強い伝統的慣行であることがわかる。

2015年7月号(No.660) 印刷用(PDF:836KB)

2015年6月25日 掲載

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