労働政策の展望
ドイツの労働市場の規制緩和―解雇を金銭賠償で解決することがどこまでできるか―

手塚 和彰(千葉大学名誉教授)

1 はじめに

長期の不況が続いた日本と対照的に空前の好況が続くドイツ。この両国の経済の差がどこから来るのか。労働市場の規制緩和策が決定的な要因であるとの主張が、一部の論者によりなされている。とりわけ、労働市場の規制緩和のためには、被用者の解雇規制を緩和するとともに、その補償を金銭賠償で解決することが有力な策であり、これを、ドイツがシュレーダー改革(2004年)で行ってきたのが、今日の好況につながったというのである。

東西ドイツ統一(1991年)後、一時的な統一景気の去った後、2005年に最悪となったドイツの労働市場。486万1000人の失業者(失業率13.0%)と、15万1000人の操短労働者をかかえる状況にあった。

他方、この失業者の中に、若く、今後のドイツを担うべき30~40代の働き盛りの世代が、失業給付、さらには、失業扶助、その後も生活保護の支給を二年以上もの期間受けて働かずに、真昼から公園などにたむろしている姿が、当時私にも目に余ったのである。

その結果、生活保護を負担する市町村(Gemeinde)の財政赤字は膨大なものとなり、政府の改革が求められた。その中で、失業給付の要件につき労働局から斡旋された仕事が、意にそまなくてもこれにつくことを義務付けられ、失業扶助を廃止して、生活保護も連邦雇用庁、つまり労働局の管轄に置く改革がなされた[注1]。ハルツⅣと称されたこの改革は、相変わらず不評であるが、少なくても、稼働能力のある失業者を働く現場に戻してきたことと、失業率の低下に役立ったことは否めない。

事実、今日のドイツの好況の一因が、こうしたシュレーダー改革にあることは、広く認められている。当時の社会民主党(SPD)・緑の党連立政権によるシュレーダー改革に反対したのが労働組合(DGB)であり、これが、2005年の連邦議会選挙で与党の敗北を招き、アンゲラ・メルケル政権(キリスト教民主・社会同盟:CDU/CSUと自由民主党FDPの連立政権)を生んだ原因だとされている。この労働組合(DGB)の批判も、最近のトップの交代に際し、右の批判が誤りであったとゾンマー会長は、退任を前にして、公式に認めている[注2]

ところで、ドイツの労働市場改革と日本の労働市場改革と明確な比較がなされないまま、労働市場のさらなる規制緩和をという論者がかなり見られることは、問題だといえよう。筆者も、労働市場の改革は必要だと考えているが、一方で、アメリカ流の労働市場論を日本で取り入れることはできないし、また、ドイツの労働市場の規制緩和も一部分だけ取り入れることもできないと考える。

本稿では、ドイツの労働市場での規制緩和、とりわけ、日本の政府、経済界などから受け入れが検討されている「解雇の金銭賠償による解決」について、解明することとしたい。

2 ドイツの労働市場の規制緩和のながれ

第二次大戦後、ドイツ(統一前の西ドイツも含む)においてはほとんどの被用者を、協約適用下にある期間の定めのない正規従業員として雇用してきた。しかしながら、産業構造が製造業、第二次産業を基軸とするものから、第三次産業、とりわけサービス産業への移行が生じ、サービス産業において、短時間就労者や期間の定めのある労働者を必要とする就業の多様化が進んだ。また、日本より規制が厳しく、さらには、EUの条約による規制があるとはいえ、派遣労働も多用されるようになってきた。

この点は、働く側の労働者からみると、女性の就業の増加、結婚、出産などを契機とする短時間就労が法認され、その保護と出産や育児に対応して、労働時間を短縮し、その後にフルタイムに戻ることを保証することになり、歓迎すべき改革でもあった。育児休業や教育休暇などとならんで、とりわけ、女性の短時間就労が増大してきた。2000年には短時間就労者の比率が、男性11.0%、女性44.9%となり、その後も増加の一途となっている(2007年男性16.7%、女性51.1%)。その結果、ドイツでは、就業構造の多様化を労働法制上も、容認し、積極的に推進する立場をとってきたといえる。

以上の、改革とならんで重要なものが、解雇(以下「解約告知」とする)の制限を緩和して、①企業が技術革新やリストラを容易にすることを、その被用者の職種転換あるいは配置転換により、また、新たな技術、技能を持つ労働者への切り替えを容易にするように改変し、②小規模企業の解雇を容易にし、新規起業の負担を減らすことで、起業を容易にしたことが本稿のテーマである。

この流れは、シュレーダー政権以前のコール政権時代から始まっていたと言える。

コール政権のもとで、1985年当時、西ドイツは失業率9.1%、失業者226万8000人、成長率も1%未満にとどまっていた。これを、新規設備投資により職場を創出することと、さらなる成長を引き出すために時限立法(1985年5月1日から1991年1月1日)としての就業促進法(Beschäftigungsförderungsgesetz)が制定され、期限付き労働者の雇用期間の3カ月から6カ月への延長、とりわけ、新規起業の場合に20人未満の小企業については期限付き労働契約を2年間まで延長できるとしたこと、婦人の育児期間後の再就業の助成、パートタイマーのフルタイマーへの転換の助成、ジョブシェアリングの導入などがなされた[注3]

その後、1996年には、就業促進法を改正、これにより小企業(10人未満)の解約告知制限をなくすことで、新規起業を容易にすることが行われた(1996年10月1日から1998年12月31日までの時限)。

3 解約告知制限法の変化と労働市場の規制緩和

シュレーダー政権は、2003年の労働市場改革法(施行2004年1月1日)により、前期の就業促進法を時限でなく、恒常化したことや解約告知の制限を緩和し、金銭的な補償による解決を導入したことが戦後ドイツの雇用政策法の根幹からの改変につながったのである[注4]

とりわけ、企業のやむを得ない必要がある場合、使用者が解約告知をなしえ、その場合には被用者から経済的な補償を請求できることにした(解約告知制限法1a条)。

その場合の、補償額も法定され、労働関係の存続期間1年につき、報酬の0.5カ月分が支払われることとされた(同条2項1文)。つまり、40年の勤続の被用者については、20カ月分の報酬が支給されることになる。なお、右の期間の計算に際しては、6カ月以上が切り上げられる(同条2項2文)。

この規定の新設が、与えた影響に関しては、2004年以降の産業構造の転換の時代に、リストラが、可能になったことが、今日のドイツ経済の発展の原動力になったことは、一般に認められている。その中で、リストラされた被用者をどのように、処遇するかに関しては、公的な職業再訓練と、再就職の斡旋に委ねられている。注目すべきは、そのための再就職の斡旋のシステムが、2004年以降、労働局(職安)のみならず、第三セクターや、民間などの相互の連携の中で、充実してきたことである。しかしながら、構造不況業種を抱える地域でリストラされた労働者が、その地で再就職することは、難しく、例えば、鉄鋼、炭鉱などに依拠してきた旧来の工業地帯(例えば、デュイスブルク、ドルトムントなど)が、いまもって高失業率の問題を抱えることになっている。しかし、鉄や炭鉱に依拠してきた、ザールランドなどは、積極的な産業構造転換がなされ、IT関係やハイテク関係の企業が立地して、好調な経済に導かれている。こうした構造調整、変革を遂げるために、あえて、本法のような立法をなしえたことはドイツの政治的な画期をなしたものと言える。

他方、この補償条項(とりわけ補償額について)は絶対的なものではなく、労働組合と使用者、事業所(被用者代表)委員会と使用者との間で、交渉の余地があり、少しずつ上乗せされて、合意に至っていることが少なくない。

戦後西ドイツの労働市場は、日本と相通ずるところがある。両国とも、正規従業員を基幹とし、その保護を厚くしてきたと言える。つまり、被用者は雇用情勢が悪ければ新職場を見出すことができないことから、職場を失いたくないとの労働組合運動の要請もあって、解約告知制限を強める方向が進んだ。

しかし、使用者側では、操業の自由、つまり、一部もしくは全ての事業の廃止も自由だとの論が一貫しており、この場合の大量解雇をどのように規制するのかが、論議の的となってきた。

解約告知制限法は、基本的に、契約6カ月後には、正当な事由のない解約告知を違法なものとしてきた(同法1条)。

解約告知には、労働(契約)関係の通常解約告知(Ordentliche Kündigung)と被用者の行為等を理由とする非常解約告知(Außerordentliche Kündigung)とがあるが、前者に対する解約告知制限が本法の規制緩和により一変したのである。

次に、通常解約告知による法的な変化について論ずることとする。ドイツでは通常解約告知については、個別に、あるいは労働協約の制限がある場合にはそれによりなされる。

通常解約告知は、期間の定めのある労働契約に関しては、その期間中は成し得ないことは、我が国と同様である。従って、契約開始後6カ月以上経った期間の定めのない労働契約に関してこれを解約できるか、その場合の制限を定めるのが解約告知制限法である。

解約告知を、被用者側からなすことについては、何らの制限がないことは、言うまでもなく、人身の自由などの人権上、契約で被用者を拘束することができない。ただ、告知期間を守るなどの債権法上の義務があるだけである。

使用者側からの解約告知に関しては、契約上、協約上の告知期間を守ってなされるが、その場合に、告知に社会的相当性を要することが、解約告知制限法1条で定められており、この社会的相当性のない解約告知は法的に無効である。しかしながら、ほとんどのケースが被用者の行為が告知理由にあたるか、企業のやむを得ぬ必要性がある場合にあたる。

結局、告知された被用者側から、労働裁判所に解約告知が違法だとの訴えがなされることになる。この場合、同法1条の社会的相当性がないとの主張、立証責任は被用者側にある。我が国の労働裁判(解雇事件)同様、ほとんどの場合、被用者側に、何らかの通常告知理由があるのが、普通であるから、裁判所は、労使両者の利益衡量(Interessenabwägung)を行うことになる。

こうした中で、解約告知の制限緩和がなされてきた。しかし、被用者側からだけでなく、使用者側として、相当な理由(個別労働者側の事由ないし経営上の理由)があって、これ以上雇用関係を存続することに期待可能性がない場合(Unzumutbarkeit der Fortsetzung des Arbeitherhältnisses)には、裁判所は雇用の存続を認めない(労働関係の解消を判決によりなしうる)ことを、金銭的な補償をつけて認めたのが、解約告知制限法9条1項の趣旨である。

このあたりの、様々な判例により論議されてきた社会的相当性の具体的存否に関しては、ここでは詳細には触れないが、労働裁判所では判決言渡日には、午前中に10件前後の事件について判断して言い渡す。そのうち、判決理由を付けるような事案(これについては控訴が可能である)は、一日の開廷日に1件あるかないかで、ほとんど決定手続きでなされている。全ての労働関係民事事件について控訴が可能である日本の労働裁判と比べて、極めて職権的である。この理由は、労働裁判所には労使の陪席裁判官がおり、その判断に労使の裁判官が関与し、その結論に同意していることが当事者を納得させるために果たす役割が大きいことも指摘できる。

4 金銭賠償(補償)の額の法定

右の流れを受けて、解約告知制限法10条は、金銭的な補償の額を法定している。同法10条は

(1)補償は12カ月分の報酬額までの範囲で確定する。

(2)被用者が50歳以上の場合で、労働関係が少なくても15年存続していた場合には、右の限度額は15カ月分の報酬額とする。また、被用者が55歳以上の場合で、労働関係が少なくても20年以上存続していた場合、右の限度額は18カ月分の報酬額とする。この規定は、9条2項により裁判所により労働関係の解消が認められた場合と、社会法典第六篇の規定に定められた年齢に達している場合には適用されない。

(3)報酬の月額は、被用者の労働関係が解消された(9条2項)月に、当該被用者に適用される通常の労働時間について認められている現金および現物給付について認められる。

この規定は、金銭補償の最高限度額を設定するものである。その中には、賃金(俸給)の現金支給額、現物支給、利益配当、ボーナス、年休手当などすべてを加算する。

その補償額は、概ね、勤続年数×報酬月額の3分の1から、2分の1程度で、右の10条1項から2項の限度を超えない範囲にとどまるのであるから、日本のような解雇が無効の場合に現職復帰、賃金相当分の遡及払いを認める裁判とは異なっている。その理由は、次のように考えられるのである。

第一には、ドイツの場合職種による公的な資格が認められ、それが、企業内のみならず、超企業的に通用し、資格を認めての転職可能性が大きいことがある。

現在日本の場合、若い世代には転職志向が強いとされているが、さらには、「専門的な知識、技術又は経験であって高度のもの」(労基法14条1項)を持つ専門的労働者(いわゆる即戦力)の転職や引き抜きがかなりの程度で一般化しているが、ドイツと比べて、職業上の技能、熟練、経験について、企業を超えて活かす機会が十分にあるとは言えない。

第二には、ドイツの場合、この10年余り、職業再訓練が充実し、さらには、地域を超えた労働局、第三セクター、民間の職業紹介、斡旋が日本より活発に行われるようになっている。

こうした背景を前提に、解雇の金銭的補償による解決をはかりつつ、ドイツの経済の好況により失業率、失業者を減らして、目下6%前後の失業率で、一部の州、バイエルンやバーデン・ヴュルテンベルクなどでは、完全雇用に近い状況だという。

こうしたドイツの経済的な好況は、一つは、域内取引きが自由化されたEU内での圧倒的な競争力による貿易上の優位と、中国をはじめとするアジア諸国への貿易、とりわけ輸出によるものである。日中関係がギクシャクしている中で、アンゲラ・メルケル首相の毎年2回から3回におよぶ中国訪問がなされている。私見では、中国の技術提携、資本提携などに関する強気の背後にはドイツの存在が大きいと考えている。

5 結論

以上、ドイツの労働市場の規制緩和の改革は、日本とその基盤を異にするところが多いのである。ドイツでは、たとえば、短時間就労者とフルタイマーとの労働条件の差を無くすことが法制上も図られ、女性を始めとして、パートタイマーとフルタイマーとの変換もかなり自由に行われている。それにより、女性の労働市場への参加を促進し、日本と同様な少子高齢社会に対処しようとしている。

こうした総合的な施策の中での解雇の金銭的な補償による解決が定着しつつあると言えるのであって、一部の論者の言うように、ドイツは労働市場の規制緩和をした結果、好況となったと短絡することは、極めて俗論であって、なお、検討すべき施策が多いのである。


脚注

  • [注1] 以上の経過と実態については、拙著『怠け者の日本人とドイツ人―停滞を生んだ国民性』(中公新書ラクレ、2004年)参照。
  • [注2] FAZ 24.4.2014.
  • [注3] 1985年就業促進法については、拙稿「1985年就業促進法」(上)、(下)、『日本労働協会雑誌』1986年11月号、12月号参照。
  • [注4] これらの経緯については、ペーター・ハナウ、クラウス・アドマイト;手塚、阿久沢訳『新版ドイツ労働法』(信山社、2014年12月刊)参照。

2014年11月号(No.652) 印刷用(PDF:677KB)

2014年10月27日 掲載

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