労働政策の展望
年金財政検証とマクロ経済政策―人口減少社会における老後所得保障―

神代 和欣(横浜国立大学名誉教授)

去る6月3日、平成26年の年金財政検証の結果が公表された[注1]。今回の財政検証では、一定の経済状況(労働力率及び全要素生産性)及び物価、賃金、運用利回りなどの「経済前提」諸元に関するかなり楽観的な見通しから、相当に悲観的なものまで、AからH、8通りの見通しが示された。

年金財政検証の意義

今回の財政検証の中心課題は、これらの見通しに基づいた場合、果たして2004年の年金改革で導入した「マクロ経済スライド」が終了した時点で、「夫のみ就労の平均的な世帯」の年金給付額(実質)の現役労働者平均手取り賃金額(実質)に対する割合(所得代替率)がどれくらいになるか、果たして2004年改革で約束した50%以上の水準を維持できるかどうかを確かめることにあった。

検証の結果は、「経済前提」に関するやや楽観的なA~Eまでの見通しの場合には、マクロ経済調整の終わる2043~44年時点において50%台を維持できるが、やや悲観的なF~Hの場合には2036~2050年の間に50%を切り、それを維持するには、基礎年金国庫負担率の引上げなど、何らかの法改正が必要になる、というものであった。

いうまでもなく、これらの見通しは、「予想」ではなく、「投影図」に過ぎない。人口、寿命、労働力や「経済前提」の諸要素には、多くのリスク(確率分布が分かっている)があるだけではなく、外生的な多くの「不確実性」(確率分布のわからない諸事件の影響)もからんでいるので、100年先までの財政見通しなど、誰にも正確に「予測」できない。そこで、考えられる諸前提の組み合わせの上に立って、いくつかの投影図を書くしかない。また、人口、労働力率、全要素生産性、経済成長率などは、優れて政府の政策によって改善できる政策変数であるから(失敗すれば悪化するおそれもある)、政策努力によってできるだけ事態を改善することが望ましい。

「マクロ経済スライド」と所得代替率

思い返すと、2004年の年金改革の審議過程では、経団連が保険料率を15%に抑えるよう強力に主張し、労働界もそれに同調、野党民主党は基礎年金の全額税負担などの「抜本改革」を主張し、それによって国民年金保険料の未納・未加入問題が解決できるかのごとく喧伝した。その結果、厚生年金保険料は、当初の20%への引上げを断念して18.3%の上限を設定、その収入の範囲に収まるように「マクロ経済スライド制度」を導入して、将来の年金給付水準の抑制を図ることになった[注2]

モデル年金の所得代替率は、当初2004年の59.3%から2024年のマクロ経済スライド完了時の50.2%にまで下がる見通しであった。ところが、1997~98年の金融危機に始まるデフレと賃金低下は、2008年のリーマン・ショックによってさらに悪化し、物価の低落と現役労働者の実質賃金水準の低下が続いた。そのために、マクロ経済スライドは作動せず、結果的に2014年の所得代替率は62.7%にまで上がってしまい、今回の財政検証によると、今後、マクロ経済スライドが予定通りに作動しても、基礎年金の給付抑制が完了するのは2044年の50.6%~51.0%と見通されることになった。

今回の財政検証では、はじめに述べたように、8通りのシナリオが示されたが、このうち最も楽観的なケースAでは、内閣府「中長期の経済財政に関する試算」(平成26年1月20日)を参考にして、全要素生産性上昇率(TFP)は1.8%(2024年度以降の経済成長率1.4%)と想定されている(これは1983年~93年の平均値に基づく)。また、ケースEでは、同じく、内閣府試算を参考にして、TFPを1.0%(経済成長率0.4%)と想定している(これは1983~2009年の平均値に基づく)。最も悲観的なケースでは、2024年度以降の長期のTFP上昇率を0.5%(経済成長率マイナス0.4%)としている(これは、2013年度第3四半期の実績値をそのまま延長したもの)。

このうち、ケースAからEまでは、一応、現政権のいわゆる「アベノミクス」と平仄を合わせたものといえるが、ケースF~Hは、アベノミクスの実現を危ぶむ悲観的な経済見通しに基づくものといえよう。ただし、そのいずれがもっとも実現性が高いと考えるかに関しては、年金当局は中立的な立場をとっており、選択は「読者」の自由に任されている。どのシナリオになるかは、政治の責任に委ねられているといってよい。

そこで、選択の際に問題となるのは、①この財政検証を受けた現行の公的老齢年金制度の持続可能性と、②経済政策的な実現可能性の二点である。残念なことに、わが国のエコノミストの間には、この二点について、かなりネガテイブな見方が少なくない。前者は、今後の「人口減少社会」において、賦課方式の年金制度は持続可能なのか、という問題であり、後者は、目下進行中の「アベノミクス」、あるいは、その出発点(第一の矢)となった日銀の「量的・質的金融緩和政策」の理論的妥当性、あるいは実現可能性という問題と絡んでいる。

賦課方式の持続可能性

戦後のベビーブームが去った後、少子高齢化・人口減少の進む先進諸国において、賦課方式の公的年金制度が多くの困難に直面することは、制度上、当然である。このことは、バー(2007:121)の定式を用いれば、一目瞭然である。

すなわち、いま、均衡状態にある賦課方式においては

sWL=PN(1式)

s=賦課方式の社会保険料率 W=平均実質賃金 L=労働者数 P=平均実質年金額 N=年金受給者数

このような制度では、右辺の年金支給総額は、完全に左辺の保険料収入によって賄われる。しかし、少子高齢化が進んだ場合には、左辺のLが減少し、右辺のNが増加するので、収支バランスを保つためには、Wが上がらない場合には、sを引き上げるか、Pを引き下げるしかない。

わが国では、1990年代には、5年ごとの制度改正の度に、sを引き上げ、Pを抑制する(その主要な手段が年金支給開始年齢の65歳への引上げで、これはまだ進行中である)方策をとってきた。しかし、2004年改革の際には、前述のように、労使の強い要求によって、保険料の上限を18.3%に抑えざるを得なくなった。その結果、将来の収支バランスを維持するには、給付(P)を漸次的に抑制するほかなくなり、そのために「マクロ経済スライド」方式を導入した。この方式では、物価が1%以上上昇した場合に、既裁定年金をそのまま物価スライドさせる従来の方式を改めて、そこから「公的年金被保険者の減少率0.6%(スライド調整期間約20年間の平均値)+平均余命の伸び率0.3%」の計0.9%(20年間の平均値)を控除することにした。したがって、年金給付額は、名目ではわずかに増えるが、実質では漸減する[注3]。これによって、既裁定の年金受給者も痛みを分かちつつ、将来世代の負担が増えすぎるのを抑制することができる。

この調整が予定通り進んでいればよかったのだが、残念なことに、デフレの持続とリーマン・ショックによって、物価と賃金、しかも実質賃金(W)の低落が続いたために、上述のように、所得代替率の意図せざる上昇を来した。

老後生活の世代間扶養の原則を貫く限り、(1)式のsを固定した場合には、Lの減少による保険料収入の減少分に見合って収支均衡を図るには、主としてPの引下げによるほかない[注4]。このような制度の持続可能性は、出生率の回復を別とすれば、一つは今後の経済成長の可能性に、いま一つは、Pの抑制(それに伴う基礎年金給付水準の低下、高齢貧困層の発生可能性)に対する社会の耐久力と政治的対応力の如何に依存する。

「抜本改革」は可能か

このような世代間扶養の制度に対しては、かの世銀レポート(1994)以来、多くの国々で賦課方式を積立方式に改めよとする「抜本改革論」が提起され、わが国でも多数の論者がそれに同調した[注5]。それが、ついに2009年の政権交代の引き金になったことは、記憶に新しい。近年では、その潮流もやや下火になったかのように見えるが[注6]今次財政検証についても、いぜんとして、そのような論調が見られる。

紙面の制約があるので、ここでは、代表的な議論として『文藝春秋』(本年7月号)に掲載された河野太郎・西沢和彦両氏の「抜本改革」案を見てみよう。その主張の要点は、①基礎年金を全額消費税方式に改める(所要財源は23兆円程度、消費税にして5%相当分ですむという)、②2階の報酬比例部分は、年齢別の積立方式に改める(所得再分配は同一年齢層のなかでだけ行う)の二点である。

この主張には、事実の誤認と、理論的な間違いがある。まず、①に関しては、現在の基礎年金給付費21.8兆円のほかに、国民年金保険料未納者・減免者などにも支給しなければならないから、現行制度を維持するためだけでも2015年時点では17兆円程度、消費税換算5.5%の追加財源が必要になろう。そのほかに、これまで保険料を納めてきた人々との公平を保つための費用まで含めれば、39兆円、消費税換算12%の追加財源が必要になると推定される。さらに、2050年には、7~9.5%の追加費用が必要になると推定される[注7]。そのような消費税引き上げを、だれが、いつ責任を持って行えるのか。

②に関しては、歴史的経緯の無視と年金理論上の誤りとがある。もともと、両氏の議論は、わが国の年金制度が戦後直面した困難を全く無視したものだ。すなわち、わが国の厚生年金は当初、保険料11%の完全積立方式として発足しながら、戦後、ハイパーインフレのなかで、昭和23年8月に占領軍の指示によって3%にまで引き下げざるを得なくなり、その後、一挙に平準保険料にまで戻せないために、段階保険料方式によることになったのである。しかもその後の保険料改定案はしばしば野党の反対に遭って、提案通りには認められなかった。著者たちが昭和40年代生まれだからといって、これらの歴史的経緯を無視してはなるまい[注8]

年金理論に関していえば、著者たちは積立方式に関する「神話」に依拠している。積立方式は、一見、「給付と負担を一対一で対応させる」利点があるように見えるが、積立金は、N.バーが指摘するように、将来生産される財への「請求権」に過ぎず、それが将来実際にどれほどの購買力をもつかは、将来の生産力、インフレや資本市場の変動といった多くの不確実性とリスクに曝される。著者たちは、この点を見逃している[注9]

今次の財政検証は、世界で最も厳しい少子・高齢化の進むわが国において、これらの不確実性やリスクを抱えながら、老後所得保障の制度をいかにすれば持続可能な制度として維持できるかの選択肢を示したものとして、評価しなければならない。

したがって、もしも年金制度の持続可能性を論ずるのであれば、デフレ脱却の成長戦略の如何とともに、有効な少子化対策、女性や高齢者の就労率をいかにして高めるか、厚生年金の適用対象者をいかにして拡大すべきかなど、今次財政検証の「オプション」のなかでも検討された諸問題を、まず論ずべきであろう。

「流動性の罠」からいかにして脱出できるか

「年金制度」そのものにまだ「抜本改革」の余地や必要があるという一部の年金学者の意見は、この15年余りの間、国民を欺き続けてきた。実は、年金制度を揺るがせてきた最大の原因は、一部の愚かなマスコミと政治家の責任を除けば、日本のマクロ経済政策の失敗だったのである。

このことは、プリンストン大学教授ポール・クルーグマンの一連の著作(1998, 2002)によって、明快に指摘されていた。日本でも、岩田(2000, 2001)、浜田(2000)、深尾(2000)などが早くから同じような主張をしていたが、クルーグマンの著作によって、インフレターゲット論は注目の的となった。

クルーグマンは、これらの著作のなかで「日本経済は長期的な低迷に直面している。現在の日本経済は、1930年代の大恐慌以来、先進工業国で経験したことのない『流動性の罠』と『デフレ』に直面している」(2002:5)と指摘し、その原因が①日本の高い貯蓄性向、②それを埋め合わすだけの十分な投資が、バブル崩壊や、技術革新の枯渇、少子・高齢化という「構造的要因」などのために生じなかったことにある、と指摘していた(なお、Krugman[1998]166-182参照)。そして、そこから脱出するためには、単なるゼロ金利政策や金融緩和ではなく、長期にわたる2~3%の断乎とした「インフレターゲット政策」によって、実質金利をマイナスにする必要がある、と主張した。

しかし、このクルーグマンの診断・処方箋は、わが国では容易には受け入れられなかった。1997~98年の金融危機を経て、今世紀初めになってから、前掲・岩田・浜田らと、小宮・白川らとの論争(岩田編 2000)、さらに小宮・日本経済研究センター編(2002)における論争を経てこの問題への取り組みが進んだが、日銀はゼロ金利政策、「量的緩和政策」「包括緩和政策」などを小出しにするだけで、本格的な「インフレターゲット政策」には至らなかった。ようやく、2008年のリーマン・ショックの巨大な犠牲と2012年の政権交代を経て、「アベノミクス」のもとで黒田東彦・日銀総裁の「量的・質的金融緩和政策」が実施され、長期デフレ脱却の兆しが見えてきたかのようである[注10]

しかしながら、わが国マクロ経済学者の間では、まだ「インフレ目標政策」の効果に関しては、否定的な意見や懐疑論がかなり優勢のように見える補注)。「インフレ目標政策」を支持する深尾(2000:247)も、「この政策は、人々の期待に直接働きかける政策であり、その効果はかなり不確実である。しかし、現在の日本のようなデフレ状態は、1930年代の大恐慌の時代にさかのぼらないと類例がない異例の状況であり、ある程度の実験的な政策手段をとらざるをえないのである」と述べていた。

非伝統的な金融緩和に対する批判のうちで、筆者が特に注目するのは、一つは齊藤(2014)の論説である。同氏は、総需要・総供給分析から1990年代後半以降の物価動向を「デフレ」として一括することに反対し、1997~2003年の時期については総需要の不足による物価低下を認めるが、2003年以降の時期については、消費者物価、卸売物価は上昇傾向を示したのに、GDPデフレーターのみ下落を続けたことを重視する。氏は、その原因を交易条件の悪化に求めている。交易条件の悪化は、原油、天然資源等の価格高騰と電機・電子製品の競争力低下による。それによる海外への所得漏出が2003年以降の「デフレ感」の原因であり、それは「金融緩和で誘導された円安の進行で決して解消しない。……海外への所得漏出は、一層加速していく」(齊藤 2014:260)と警告している。氏はまた、福島第一原発事故の直後に、原発危機によって招来された供給制約の中で「マネーを経済に湯水のごとく浴びせかければ、悪性インフレは必至であろう」と警告している(齊藤 2011:213)。

非伝統的な金融政策に対するいま一つの、そしてもっと根本的な批判は、伊東(2014)の「アベノミクス批判」であろう。この書物の射程は、単なる金融政策の域をはるかに超えているが、ここでは金融政策に限って要約すると、①「1998年以降日本経済はデフレであるという考え」自体を否定する(73)、②「株価の上昇」も「為替の円安へのシフト」も金融緩和によって生じたものではない(16-27、51)。前者は外国人買いと共済年金資金の流入(信託銀行の買い)によるものであり(150)、後者はおそらく財務省の為替介入によるものである(22-27)。③「利子率の低下への期待は投資を増加させることはない」(51)、④伊東氏は日本経済の低迷の原因を生産年齢人口の減少に基づくとする藻谷説を支持し、それをハロッドの『自然成長率の理論』と結び付けている(55-60)。

補注) アベノミクス批判のうち、野口(2014)、小野(2012,2014)などは、非伝統的金融緩和政策でマネタリーベース(MB)を増やしても、マネーストック(MS)はわずかしか増えず、実質GDPも増えない(増えたのは公共事業などのため)と批判している。吉川(2013:120、198)も「貨幣数量の増大の効果」は「限られたものだった」と述べている。しかし、これらの批判は、MBの増加が、MS、GDP、CPIの増加に至るまでに要する時間的経過を無視した性急な事実誤認に基づくように思われる。この2年間のデータを見れば、MBの増加によって、GDPも消費者物価も上昇してきている。

藻谷のベストセラー(2010)は、「生産年齢人口の減少こそ長期デフレの主要因」としているが、これについては、岩田(2012:74-89)が詳細な批判をしている。貨幣数量説を批判する吉川(2013:200-205)も藻谷説を批判している。また、金融政策以外の諸要因にデフレの原因を求める諸々の議論については、岩田の諸著作のほかに、最近では、片岡(2014)の批判がある。

貨幣数量説を否定し、ルーカス、サージェントらの「合理的期待」説に批判的な吉川(2013:193)は、わが国が「デフレに陥った原因は、……バブル崩壊前後の不況と国際競争の中で大企業における雇用制度が大きく変わり、名目賃金が下がり始めたことである」と述べている。同氏は、クルーグマン説には「理論的根拠がない」と厳しく批判し(147)、また、わが国の1990年代の投資の利子弾力性はきわめて小さく、実質金利を引き下げても、設備投資を誘発する効果は限られている、という(144-145)。

池尾(2013:14)は、クルーグマン等の議論をマクロ経済学の流れの中で位置づけている好著であるが、「量的・質的金融緩和」に関しては、「実験的な性格が強く、経験的証拠も乏しいことから、その帰趨を確定的に予想することは困難である。また、その結果は、政策措置だけで決まるものではなく、海外の景気動向等にも大きく影響される。」として、「断定的な評価は行っていない」。

おわりに

筆者はマクロ経済学の専門ではなく、もっぱら年金制度の持続可能性との関連においてこの論争を見守っているのであるが、もし不幸にして、「インフレ目標政策」が途中で挫折し、日本経済の低迷が続いたとしても、それによって、公的年金制度が「崩壊」するわけではない。今回の財政検証は、経済の低迷するG~Hのようなケースでも、賦課方式の年金制度を維持することは可能であり、必要であることを示している。

一般に、西欧先進諸国では、老後所得の目標値は、「最終所得の60~75%」(マックギル&グラブス1989:176)とされている。したがって、もし公的年金の所得代替率が50%を切るような場合には[注11]、高齢期の就労所得を増やすほか[注12]、企業年金などの職域年金、及び個人年金などによって不足分を補う必要が高まるだろう。もちろん、その場合、現行法では、政府が所得代替率50%を維持するために所要の措置を講ずる必要がある。また、基礎年金の水準低下に対応して、生活保護制度の早急な見直しが必要になるであろう。


謝辞

本稿の執筆に当たって、マクロ経済政策については、畏友新飯田宏・横浜国立大学名誉教授、西村周三・京都大学名誉教授から、また、年金財政検証については、山崎伸彦・厚生労働省年金担当審議官(前・年金数理課長)、度山徹・同年金課長、及び下島敦・企業年金連合会会員センター数理担当部長の各氏から貴重なコメントをいただいた。厚く御礼申し上げる。ただし、本稿の文責は、筆者のみが負うものである。

脚注

  • [注1] 厚生労働省新しいウィンドウ「国民年金及び厚生年金に係る財政の現状及び見通し~平成26年財政検証結果~」(2014年6月3日)。
  • [注2] 念のために付言すれば、筆者は1991年から2004年まで、年金審議会(2001年からは社会保障審議会年金部会)の委員を務めた。
  • [注3] スライド調整率は0.9%に固定されているわけではなく、公的年金被保険者の減少率は実績値を使うので、年々変動する。スライド調整期間の長期化に伴って、被保険者の減少率が大きくなっており、今回の財政検証では0.9%よりも大きな値になっている。詳しくは、上記[注1]の財政検証資料1-2(詳細結果)112―118頁及び資料2-1(オプション試算結果)5頁参照。
  • [注4] 上記(1)式のWの上昇も収支均衡回復に役立つように思われるかもしれないが、年金給付額(P)算定の基本はWの上昇にリンクしているので、Wの上昇が収支均衡の回復に役立つ効果はほとんどない。新規裁定者の年金額は、現役世代の名目賃金上昇に応じて増加し、既裁定者の年金額は、原則として、物価スライドで変更される。このため、「長期的にみると年金給付費の総額は名目賃金上昇率に連動して増加することになる。……運用収入のうち賃金上昇率を上回る分(スプレッド)が、年金財政上の実質的な収益となる。」(詳しくは、第22回社会保障審議会年金部会、平成26年6月27日、「平成26年財政検証関連資料」参照)
  • [注5] 代表的なものは、小塩(1998)、八田・小口(1999)、西沢(2008, 2011)、鈴木(2009, 2010a, 2010b, 2014)など。
  • [注6] 小塩は、その後の著作(2005:第3章、2014:第3章)では年金民営化論、積立方式論の問題点を認め、2004年改革に一定の評価を与えている。
  • [注7] 厚生労働省「社会保障国民会議における検討に資するために行う公的年金制度に関する定量的なシミュレーション」2008年5月。http://www.kantei.go.jp/jp/syakaihosyoukokuminkaigi/sim/siryou1.pdf
  • [注8] 村上(2000:129-132)、吉原(2004)。
  • [注9] バー(2007:120-125)は、「年金制度設計に対して誤解を与える指針」(マクロ経済学的な神話)の第1に「積立方式は人口高齢化に伴う問題を解決する」神話を挙げ、徹底的に批判している。
  • [注10] 黒田(2014a, 2014b)
  • [注11] わが国の財政検証で用いている「所得代替率」は、本文中に示したように、「最終給与基準」ではない。また、国際比較をするには退職一時金も含めなければならない。このような最終給与基準の退職給付の国際比較については、人事院が行った国家公務員の退職給付の国際比較がある。それによると、局長クラスではアメリカの72.3%に対して日本は32.8%、係長クラスでアメリカ72.3%、日本47.3%であった(『人事院月報』2007年2月号、14頁参照)。
  • [注12] OECD(2013:71)によると、2000年代末のわが国の65歳以上の所得源泉のうち、社会保障などの移転給付は約48%、就労所得は44%、資本所得は8%となっている。就労所得の割合は、韓国、チリ、メキシコに次いで高い。

参考文献

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2014年10月号(No.651) 印刷用(PDF:788KB)

2014年9月25日 掲載

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