(11)賠償予定の禁止~教育訓練・研修費用等の返還請求~

個別労働関係紛争判例集 2.雇用関係の開始

※個別労働関係紛争判例集は個別事例について法的なアドバイスをするものではありません。
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1 ポイント

(1)労基法16条は、使用者に対して、「労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額の予定をする契約」を締結することを禁止している。この立法趣旨は、労働者の退職の自由が制約されるのを防ぐことであり、かつてこのような違約金を定めることにより、労働者を身分的に拘束するという弊害がみられたこと等から設けられた規定である。

(2)近年では、企業における海外研修派遣・海外留学に関する費用につき、労働者が研修・留学終了後に短期間で退職するような場合、その労働者に対して返還義務を定めた就業規則の規定や個別の合意などが、同様に労基法16条所定の違約金の定めや損害賠償額の予定に当たり、許されないのか否か等が問題となってきている。

2 モデル裁判例

サロン・ド・リリー事件 浦和地判昭61.5.30 労判489-85

(1)事件のあらまし

美容師見習いとして2ヵ月間勤務した被告Yは、原告会社Xとの間で、雇用期間3年、賃金月額約9万円等の就業条件で準社員労働契約を締結していたが、約半年後に退社することとなった。そこで、Xは、その労働契約締結直後に、「万一、私が会社からの色々な指導を自分の都合でお願いしているにもかかわらず勝手わがままな言動で会社側に迷惑をおかけした場合には」、「1、指導訓練に必要な、諸経費として入社月にさかのぼり1か月につき金4万円也の講習手数料を御支払いいたします。2、上記講習手数料は、会社より請求があった日より1週間以内に御支払いいたします。3、それ以後は、金利(月利3パーセント)を加算することとします。但し、私の態度によって、会社側より講習手数料を、請求されない時は支払義務なしとさせて頂きます。」旨を約束する等の内容の契約を交わしていたことを主張し、同契約に基づきYに対し7.5ヵ月分の講習手数料30万円及び利息を請求した。

(2)判決の内容

労働者側勝訴

XとYとの間では、Xの意向に反してYが勝手に退職した場合には、入社月に遡り月額4万円の講習手数料を支払う旨の契約が成立したことが認められる。

ところで、労基法16条の趣旨は、労働者が「違約金又は賠償予定額を支払わされることを虞れ、その自由意思に反して労働関係を継続することを強制される」ような事態が生ずることを予め防止することにあると解されるところ、ある契約が規定上に「違約金又は損害賠償の予定を定めていることが、一見して必ずしも明白でないような場合にあっても、[上述の]立法趣旨に実質的に違反するものと認められる場合においては、[その]契約は同条により無効となるものと解される」。そして、同条違反の有無を判断するに当たっては、その「契約の内容及びその実情、使用者の意図、[その]契約が労働者の心理に及ぼす影響、基本となる労働契約の内容及びこれとの関連性などの観点から総合的に検討する必要がある」。

この事案における契約は、従業員の指導の実態が一般の新入社員教育とさして変わらず、その指導等に要したとされる費用等は使用者として当然に負担すべき性質のものであり、労働契約とは別にこのような契約を交わす合理性は認め難いこと、しかも、労働者の退職の自由を奪う性格を有することにより、同16条に違反する無効なものである。

3 解説

(1)立法趣旨

契約自由の原則の下、現在でも民法上は債務不履行に関する違約金の定めや賠償額の予定は認められている(民法420条)。しかし、労働関係の場面では、特に戦前においてそのような違約金の定め等が労働者を身分的に拘束して退職の自由をも奪い去るという弊害がみられたため、その反省等から、労基法16条の規定は、同5条(強制労働の禁止)や同17条(前借金相殺の禁止)等とともに、前近代的な労働関係を払拭する趣旨で設けられた。もっとも、この賠償予定の禁止は、労働者の債務不履行や不法行為により現実に生じた損害について、使用者がその労働者に損害賠償を請求することを禁ずるものではない。

(2)労基法16条違反のケース

モデル裁判例は本条違反の典型的事案である。同種の事案としてアール企画事件(東京地判平15.3.28 労判850-48)がある。美容師の就業報酬契約(労働契約とは別の特約)において、約3年2ヵ月間の継続就業が義務付けられるとともに、その継続就業に対しては一定の売上げを前提に200万円の就業報酬が支払われることや、この契約条項違反については相互に違約金500万円を支払うこと等が定められていた。この事件では、この特約の有効性に関して、違約金を定めた箇所につき、原告(美容師)が被告(使用者)に対し「負担する違約金を定めた部分は、労働契約に付随して合意された[この]特約の債務不履行について違約金を定めたものであるから」、労基法16条に反し無効となるが、他方、「被告が原告に対し負担する違約金を定めた部分は、使用者が負担する違約金を定めたもので、不当な人身拘束や過大な負担から労働者を保護する同条の趣旨には何ら抵触しないから、同条には違反しない」と判断されている。

他に最近の事案としては、和幸会(看護学校修学資金貸与)事件(大阪地判平14.11.1 労判840-32)、及び、徳島健康生活協同組合事件(高松高判平15.3.14 労判849-90、同事件一審:徳島地判平14.8.21 同849-95)等がある。

「賠償予定の禁止」規定違反が問題となりうるケースとしては、ポイントで記した以外に、懲戒処分の一種である減給処分の定め、及び、退職後に同業他社へ就職した場合等における退職金減額支給の定め(三晃社事件 最二小判昭52.8.9 労経速958-25、(20)【退職金】参照)などがある。

(3)企業における海外研修派遣・海外留学費用の返還義務

人材育成や従業員の能力開発等を目的として海外研修・留学制度等を設けている企業が、同制度を利用して海外留学等を行う従業員に対し、帰国後一定期間は自己都合により退職せずに勤務すること、及び、その期間内に退職したときには留学費用等の全額または一部を返還することを内容とした就業規則等の規定を設けたり、事前の個別的合意を取り付けておいたりすることがある。法的には、このような規定や合意は労基法16条に違反して無効となるのか否かが争点となってくる。

海外研修・留学が業務命令に基づくものとは考えられず、その応募および目的地・留学先等の選択もある程度労働者の自由意思に任されているような場合には、海外留学等は労働者にとって個人的な能力を高め、有益な経験・資格になる一方、帰国後労働者が退職することにより、使用者にとっては投下資本が無駄になってしまうというリスクが生じることになる。したがって、このような場合、費用等の返還義務を定めた約定や合意は、それが実質的に労働契約とは別個の金銭消費貸借契約と考えられるとき、かつ、帰国後の勤務いかんに関係なく労働者に返還義務が存するものの、一定期間勤務した者については返還義務を免除する趣旨のものであるとき等には、労基法16条違反にはならないと判断される(リーディング・ケースとして長谷工コーポレーション事件 東京地判平9.5.26 労判717-14がある、(42)教育訓練参照。その他に野村證券(留学費用返還請求)事件 東京地判平14.4.16 労判827-40および明治生命保険(留学費用返還請求)事件 東京地判平16.1.26 労判872-46等も参照)。

他方、企業における海外研修・留学が、業務命令として行われた場合、又は、海外留学等において実際には業務の遂行がなされていたような場合には、本来、企業がその費用等を負担すべきものであるから、前記のような約定や合意は労働者を不当に拘束して労働関係の継続を強要することになり、労基法16条違反になると判断される(富士重工業(研修費用返還請求)事件 東京地判平10.3.17 労判734-15および新日本証券事件 東京地判平10.9.25 労判746-7)。