賃金の8割を助成する解雇防止策を導入
 ―イギリスの緊急労働市場対策

【海外有識者からの報告】
海外在住の有識者から提供された現地の状況についての報告です(なお、本報告は執筆日における当地の情報であり、必ずしも最新の情報を反映されたものではない)。

キム・ホーク(イギリス・ウォリック大学ビジネススクール教授)

新型コロナウイルスによるパンデミックを原因とする大量の失業と窮状を最小限に抑えるべく、政府は3月、一連の労働市場対策を導入した。新型コロナウイルスによりビジネスが崩壊し数十万の失業につながるとの懸念が企業から発せられている。

解雇防止策として賃金の8割を助成

政府は、企業による従業員の一時解雇を防ぐ試みとして、新型コロナウイルスの流行が原因で事業の継続に困難が生じた雇用主に対し、月額2,500ポンドを上限として賃金の80%を助成すると発表した。助成を受けるには、従業員を「一時帰休」(furlough-一定期間の正式な休暇の付与)としたことを歳入関税庁に届け出る必要がある。賃金助成は、ウイルスが原因で従業員を一時解雇した企業が、従業員をいったん復職させた後に一時帰休とする場合にも適用される。

施策の導入を発表したリシ・スナク財務大臣は、この措置によって、雇用主が賃金を支払えなくなった際にも、従業員は職を失わずにすむであろう、としている。同制度は当面、3月1日に遡って3カ月間(注1)について適用されるが、必要に応じて期間を延長するとスナク大臣は述べている。一連の対策パッケージの予算は、イングランド銀行による過去最大規模の公債の購入などで賄われる予定である。

経営側はこの発表を歓迎している。英国産業連盟(CBI)は、イギリス経済の反攻開始を示す「ランドマークとなる対策パッケージ」と評して、経済が最小の損害で危機から浮上する一助となるだろう、と述べている。シンクタンクResolution Foundationも、この対策は特に失業リスクが高い低所得労働者に手を差し伸べるものであり、大いに歓迎する、としている。

しかしながら、企業が助成金を受け取るまでに時間を要する点を不満とする経営者団体もある。ホスピタリティ産業の業界団体であるUK Hospitalityのケイト・ニコルズCEOは、多くの企業では助成金の受け取りまでに賃貸料の支払に直面する点を強調し、この時間的ギャップを企業が克服するには、さらなる支援が必要だと指摘している。

また、小企業連盟(Federation of Small Businesses)も、文字通り一夜にして収入が激減した多くの中小企業にとって、4月末までともみられる助成金受け取りの遅れは、依然として致命的になりかねない資金不足の危機に直面し続けることを意味する、と警告を発している。

加えて、自営業者に対しては類似の支援策は未だに整備されていない(注2)。スナク財相は支援策の代わりに、自営業者がもしもの際に頼ることができるよう、社会保障給付を増額した。これには、低所得層向け給付であるユニバーサル・クレジットや、就労税控除制度の支給額の週20ポンドの増額、また住居の賃貸料の支払が困難な者に対する(住宅給付やユニバーサル・クレジットを通じての)約10億ポンドの支援などである。ユニバーサル・クレジットの支給額の算定に用いられる最低所得基準(注3)も、一時的に適用が停止される。

新型コロナウイルスが原因の一時的経済停滞に対する政府措置が、失業を最小限に食い止めることに、広く期待が寄せられている。シンクタンクCapital Economicsは、新型コロナウイルス危機により失業率は4%弱から約6%まで上がると見ているが、今回政府が発表した一連の施策がなければ、8%にまで達する可能性があったとしている。

月額2,500ポンドを上限として賃金の80%を助成するという制度は、福祉水準の高いスカンジナビア諸国などで導入されている類似の制度を上回る措置である。このことは、パンデミックによる急激な経済の縮小は迅速に回復する、と財務省がみていることを示唆している。しかし、政府が労働者を失業から守ることができなければ、回復は非常に弱々しいものになるであろう。政府に対して経済や財政の見通しを提供する予算責任局は、新型コロナウイルスによる広範な混乱が長引くことになれば、既に危惧されている今年の景気後退の可能性はさらに高まる、と警告している。

医療・介護労働者の支援も重要

また、パンデミックの期間中も営業を継続する組織(医療、ソーシャルケア、食糧供給、および緊急サービスなど)のスタッフの中には、政府のスキームによる賃金保護の対象とならない労働者が含まれることも、問題となっている。こうした労働者の中には、ウイルスに感染して自己隔離が必要となった場合に、給与が引き続き全額支払われる者もいる。例えば、NHSイングランド(イングランドの公的医療サービスを所管)は、関係の医療機関等に対して、感染のため自己隔離する必要が生じたスタッフ全員に傷病手当を満額(給与相当額)で支給するようガイダンスで求めている。しかし、必ずしも全ての労働者が対象となっておらず、一部は週94.25ポンドの法定傷病手当(注4)を最長で28週間受給する権利しか持たない。その場合、労働者とその家族は大きな苦境に陥ることになる。政府は、従来は罹患4日以降を対象としていた法定傷病手当を、初日から受給可能とする新たなルールを急遽作成したが、それでも依然として、法定額のみが支払われる労働者は大きな経済的困難に直面することになるだろう。

まさにこの点に関して、100名以上の議会議員が、特に公的介護の従事者が窮状にあることを取り上げ、マット・ハンコック保健相に対して、パンデミックが原因で就労を停止せざるを得なくなった公的介護サービスの従事者が、適切な傷病手当の支給を受けられるような保障強化を行うよう強く求めている。民間の介護サービス従事者の時給は平均8ポンドに満たず、しばしばゼロ時間契約(注5)の下で就労している。こうした人々は、収入がなくなるのを恐れて体調が悪くとも仕事を休まず、このため高齢者や感染しやすい人たちへのウイルス拡散につながる可能性がある。議員らは大臣宛の公開書簡において、労働時間が不規則なこうした介護サービス従事者の多くが、傷病手当の受給要件となる週118ポンド以上の収入があることを証明できないと指摘している。彼らは、介護施設内や感染しやすい高齢者へのウイルス拡散を遅らせ、人命を救う上で重要な対策として、介護サービス従事者がウイルスに感染した場合も、経済的損失に直面せずに済むような規則の導入を要請している。

野党、労組は傷病手当の増額や支給対象の拡大を要請

スコットランド国民党のイアン・ブラックフォード議員は、この問題に対する解決策の一つは、傷病手当を大幅に増額することだと主張した。週94.25ポンドという額は、アイルランドの週266ポンドや、ドイツやオーストリアなどの週287ポンドに比べて「貧困をもたらす額」であると議員は指摘する。イギリスの傷病手当は現在、EU内で下から2番目の低水準である。

同様に、労働党はこれまでのところ、新型コロナウイルスに関して科学的証拠を基盤とした政府の行動を概ね支持しているものの、陰の財務大臣ジョン・マクドネル議員は、スナク財相が傷病手当の増額に踏み切らないことは重大な問題であると指摘した。同議員はまた、政府はゼロ時間契約の労働者や、雇用契約を交わしていない者に対しても、制度を拡大適用すべきであると提案している。

労働組合会議(TUC)も同じく、法定傷病手当の受給要件である週118ポンドの収入額に達しない労働者が最大200万人に上ると指摘した。フランシス・オグレーディ書記長は、仕事を休む経済的な余裕がないこうした労働者が、自己隔離という正しい行いによって不利な立場に陥ることがないよう、政府が確実な手を打つ必要があると述べている。

国内の500万人あまりの自営業者に、支援の手が差し伸べられていないことも、懸念されている。リサ・ナンディ労働党議員は、経済的な余裕がないために自己隔離できないケースが多発することを防ぐには、法定傷病手当の支給対象を自営業者にも拡大する必要がある、としている。自営業者への支援については、財務大臣に幾度も要望が提出され、大臣は近日中に支援策を発表すると回答してきた。

しかし、財務大臣は、公平な自営業者の支援制度の策定には、複雑な問題がある点を強調している。公平性を確保するための方法の一つは、前年の確定申告に基づく補償だが、この場合、パンデミックが原因で収入が減少している層を特定することは不可能である。従って、ほんとうに支援を必要としている人々を助けるような制度の設計が課題である。

スティーブ・バークレイ財務副大臣も、実際に給付を請求する自営業者は500万人を大きく下回ると予想される点を強調している。うち100万人は、納税申告額が2,000ポンドに満たず、従って主として本業の収入を補う副収入源とみられる。また、このほかにも100万人前後が、すでにユニバーサル・クレジットを受給している。それでも多くの議員は、制度を不完全な形で導入する結果として支援を必要としない人も給付対象になるとしても、あえて迅速に行動するよう政府に強く求めている。

テレワークに対する雇用主の姿勢に変化

パンデミックに関連した数少ない明るい側面は、雇用主のテレワークに対する姿勢が変化するきっかけになり得るという点である。従業員は必ずしも就労時間中ずっと実際に仕事場にいる必要はないという理解が、雇用主の間で深まり始めているのだ。

多数の雇用主が、パンデミックのさなかで事業を継続する方法の一つとしてテレワークを採用しつつある。こうした状況において、テレワークが管理面でも実施面でも可能な業種においては現在、パンデミックの終息後もテレワークが一つの労働形態として根付き得るか、という問いが提起されている。イギリスにおける平均通勤時間は59分である。この長時間の通勤をなくすことができれば、生産性向上の大きな可能性が生まれ、育児や介護のケア責任を果たしやすくなり、ワークライフバランスの改善にも大きく役立つであろう。テレワークとフレックスタイムによる労働が可能となれば、主たる介護者(通常は女性)は、通勤途中で子供を学校に送る算段が付かないために、仕事を辞めたりパートタイムに変わる必要がなくなり、労働市場における男女間の不均衡の是正にもつながる。

評論家も、間接費や水道光熱費の削減、従業員の厚生の向上など、テレワークに伴う副次的なビジネス上の利益を強調している。また、労働者はテレワークによって、雇用主の施設に通勤可能な距離内でなくても就労可能となるため、雇用主はより広範な地域から人材の確保が可能となるだろう。さらに、国内のインフラや過密状態の交通網に対する、より広範な便益ももたらされ得る。

テレワークに対する従来の雇用主の抵抗感は、全般に雇用主の従業員に対する信頼不足に起因している。現在の状況は、この不信が見当外れであり、雇用主の側にこの先も従業員のテレワークを許容し続ける意思があれば、自身にも労働者にも大きな利益をもたらしうることを、雇用主が理解する糸口になる可能性がある。

(2020年3月26日寄稿)

プロフィール

写真:キム・ホーク氏

キム・ホーク(Professor Kim Hoque
ウォリック大学ビジネススクール教授/JILPT海外情報収集協力員(イギリス)

ノッティンガム大学ビジネススクール教授、バーベック・カレッジ(ロンドン大学)教授を経て、2012年より現職。専門分野は人的資源管理。関心領域は、労使関係、職業教育訓練、機会均等など多岐にわたる。著書に、"The network trap : why women struggle to make it into the boardroom"(2020、共著)、"Human resource management in the hotel industry : strategy, innovation, and performance"(2000)など。

参考レート

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