特別掲載記事:アメリカ 大統領選挙と新たな「社会契約」の必要性
解説 ―「社会契約」としての労使関係

  • カテゴリー:労使関係
  • フォーカス:2016年12月

(本文:大統領選挙と新たな「社会契約」の必要性を読む)

調査部主任調査員アメリカ担当 山崎 憲

大統領選挙から10日ほどたった2016年11月17日、インターネットのソーシャルネットワークサービス、フェイスブックにマサチューセッツ工科大学トーマス・コーカン教授の投稿をみつけた。一読して、この文章は日本で広く読まれるべきではないかと強く感じた。すぐに電子メールを書き、翌朝には日本語に訳して良いとの返事が届いた。そこには、日本の読者からの感想をぜひとも寄せてほしいとの言葉が添えられていた。

大統領選挙に際し、移民や女性、LGBTをめぐる問題についてアメリカが分断する様子を日本に住む私たちは目の当たりにした。その分断の背景には、「社会契約」の崩壊があるという。より深く内容を理解する助けとなるよう、アメリカの持つ事情について若干の解説を加えさせていただきたい。

社会契約としての労使関係

コーカン教授は、長らくアメリカの労使関係研究の第一人者であり、雇用関係学会に改称する前の国際労使関係学会の会長もつとめられたことがある。1986年に出版されたカッツ、マッカーシーらとの共著、『アメリカの労使関係の変化(The Transformation of American Industrial Relations)』は、労使関係研究においてエポックメーキングとなった。

ここで、アメリカの労使関係は社会システムの一つとして、職場、団体交渉、戦略という三つのレベルで構造的に描かれる。それぞれのレベルは、労働組合、企業、政府が互いの利害を調整する場である。「職場」⇒「職場をたばねる企業(団体交渉)」⇒「産業もしくは経済政策(戦略)」とレベルは下位から上位に向かう。その中心に、労働者と企業の団体交渉が位置する。この仕組みが、1929年の世界大恐慌からの復興を目指したニューディール政策以降に確立したことから、コーカン教授たちはニューディール型労使関係システムと名づけたのである。そして、これこそが、コーカン教授のいう「経済の主要な利害関係者である、労働者、実業界のリーダー、教育者、そして政府を相互に結び付け、それらの各組織が自らの目標達成を追求する一方で他の組織に対する義務を果たす、といった仕組み」であり、アメリカの「社会契約」なのだ。

「社会契約」の系譜

コーカン教授が「ニューディール政策の『知的な父』」と書くジョン・R・コモンズが「社会契約」をどのようにとらえていたかをみておこう。

コモンズは、経済における取引関係に注目した。そして、その取引の原理が、慣習としてのワーキング・ルールによって調整されるとしたのである。あらゆる制度は、法律も含めて未来永劫にわたって社会を規定するのではなく、人間が社会生活を営む上で暗黙裡につくりあげられてきた慣習、つまりはワーキング・ルールによって規定される。このワーキング・ルールは、コモンズが「ゴーイング・コンサーン」と呼ぶ、家族、企業、労働組合、業界団体、国家などの組織が他の組織へと働きかけ、また組織内で調整が行われることを通じてつくられていく。これは、コーカン教授のいう「社会契約」と同じものである。たとえば、神やイデオロギーによって定められた絶対に変更が許されないといったものではない。だからこそ、組織や社会、経済、政治、文化などの背景が変われば、当然に、ワーキング・ルール、つまりは、「社会契約」は変わらなければならない。コモンズは、ワーキング・ルールが、組織間および組織内で、軋轢や紛争をともなう調整のなかでつくられていくとし、それを「集団民主主義」と呼んだが、これもコーカン教授のいう「民主主義の実験室」とつながっている。この枠組みは、ワシントンD.C.に位置する中央政府によってかたちづくられるのではなく、少数の指導者が地域単位の運動から始めたとコーカン教授は説く。本文中で紹介される、スーザン・B・アンソニーは19世紀、キャリー・チャップマン・キャットは19世紀末から20世紀にかけての女性参政権を中心とした活動を地域単位から展開した人物である。

アメリカで労使関係というときには、これまでに説明してきたような「社会契約」やワーキング・ルール、そして「集団民主主義」を含む。日本でアメリカの労使関係というと、ジョン・T・ダンロップによる『労使関係システム(Industrial Relations System)』が、よく知られている。そのなかで制度化された団体交渉がとりあげられることが多い。だからといって、ダンロップの労使関係の本質が、職場における労働条件を中心とした労働組合と使用者の取引関係のみにあるとみることは誤解である。ダンロップは、急速に進展する工業化(Industrialization)のなかで、マネージャーと管理者代表の階層、労働者と労働者の代弁者の階層、政府組織という三者の利害調整によってつくられる網の目のような規則(web of rules)に着目したのである。みすえていたのは、社会そのものであり、工業化のなかで人間がどのように生きていくのかということだった。その意味では、コーカン教授のいう「社会契約」は、網の目のような規則(web of rules)と置き換えることができる。

1980年代に予測した将来像

『アメリカの労使関係の変化(The Transformation of American Industrial Relations)』に戻ろう。この本が特筆すべき点はもう一つある。コーカン教授たちは、労使関係システムを構造的に描き出したが、その時点がニューディール型労使関係システムの変化もしくは崩壊の時期に重なっていた。だから、労使関係システムの将来像についても論じていたのである。それは、次の四つのように書かれていた。

「現状維持を続けることで人的資源管理的手法と低コスト低賃金志向が伸長してアクター間の利害調整が機能しなくなる」

「政府が労働者権利の強化と職場での労働者参加の促進を進めるが大企業の参加を得られずに利害調整が機能しなくなる」

「団体交渉の枠組みに企業競争力向上のための協力を組み込み人的資源管理的手法の拡大を食い止める」

「労働組合以外の個人を代表する新しい戦略が誕生する」

コーカン教授たちは、三つめの予測である、労働組合と企業が協力して企業競争力を高めることで、労働組合と企業の信頼関係に基づく新しい「社会契約」が生み出されることに期待をかけていた。その一方で、一つめの「現状維持」と二つめの「政府による労働者権利の強化」のどちらの道も、企業側の力が労働者側を上回ることになり、機能しなくなると考えていた。四つめの予測である「労働組合以外の新しい戦略」は、コーカン教授たちは、もっとも起こりそうにもないものとしていた。

『アメリカの労使関係の変化(The Transformation of American Industrial Relations)』が出版されて30年を経た今日、「人的資源管理的手法と低コスト低賃金志向が伸長してアクター間の利害調整が機能しなくなる」という一つめの予測どおりのことがアメリカで進展している。本文中で紹介される「ウォルマート、マクドナルド、ギャップ、ウーバー」といった事例が指し示すとおりだ。二つめの「政府による労働者権利の強化」は、それを望まない政党による議会支配によって、現在に至るまで実現していない。

こうした状況のなかで、コーカン教授、そしてマサチューセッツ工科大学が、新しい「社会契約」の構築に向けて取り組んでいるものが、「良い会社-良い仕事イニシアティブ」なのである。そこでは、「団体交渉の枠組みに企業競争力向上のための協力」を組み込むことと「労働組合以外の新しい戦略」を進めるために、「イノベーションを起こそうとしているリーダー」たちを集結させようとしている。

現在は、「アントレプレナー的な冒険的試み」がアメリカ全土で拡大の途上にある。「コワーカーズ・ドットオルグ」「ワーカー・センター」「ワーカーズ・ラボ」など、今回、コーカン教授が原稿のなかで紹介している組織のほか、数多くの組織が誕生している。取り扱うのも、就業支援、就学支援、職業訓練、企業との交渉、労働者の権利擁護、生活支援、環境保護、地域経済開発など多岐にわたる。なかでも、全国を巻き込むかたちで進んでいるのが、最低賃金引き上げ運動としての「ファイトフォー・フィフティーン運動」である。地域コミュニティ組織が主体となり、労働者、権利擁護NPO、中小企業事業主、政治家など多様なアクターを巻き込み、拡大を続けている。これらの試みの多くが労働組合によるものではない。

新しい「社会契約」に向けて

コーカン教授たちは、将来を予測しただけでなく、労働組合と企業の信頼関係に基づく新しい「社会契約」の構築に向けた実践に実際にかかわるようになった。それが、「良い会社-良い仕事イニシアティブ」と2002年に『Working in America A Blueprint for the New Labor Market(ワーキング・イン・アメリカ : 新しい労働市場と次世代型組合)』として出版されたプロジェクトである。どちらも、マサチューセッツ工科大学が舞台となり、さまざまな利害関係者が一同に会するかたちで行われてきた。

コーカン教授の記事にある「1980年代にアメリカの社会契約は崩壊した」との記述は、とりわけ労使関係の分野ではにわかには信じられないかもしれない。いまだ、アメリカの労働組合のナショナルセンター、AFLCIO(全米労働組合総同盟・産業別組合会議)や産業別労働組合は大きな影響力を保持している。しかし、近年、AFLCIOの会長や組織局長が、「労働組合と企業が行う団体交渉ではない道を探らなければならない」との発言を公にするようになっていることを見逃してはならない。その背後には、『アメリカの労使関係の変化(The Transformation of American Industrial Relations)』で予測された、労働組合を排除する人的資源管理を駆使するビジネスモデルの拡大と、労働組合が組織することが難しい個人請負労働者の数の拡大がある。ライドシェアに代表されるシェアリング・エコノミー下では企業が最低賃金や労働時間、社会保障といった人件費コストを回避する手段として請負労働の活用が拡大している。請負労働者は、労働組合と企業の団体交渉を規定する法律、全国労働関係法の対象にはいらない。つまり、労働者は労働条件に関する取引を企業と行うための法律に定められた手立てがないのだ。この問題に取り組むものとして、ワーカーズ・ラボのようなインキュベーターやさまざまなNPOが誕生していることをコーカン教授は紹介している。

新しい「社会契約」をつくりだすカギは、「社会のあらゆるセクターの人々が協力して、質の高い雇用を生み出すとともに、すべての人々の賃金を再び増加させる」ことにある。より具体的には、教育者の支援によって労働者は自らの知識と能力を高めることで、企業活動には生産性と技能の高さによって貢献する。一方で、企業は労働者の能力の向上に応じて賃金を引き上げるとともに、長期間にわたって労働者の生活を支えるための賃金や社会保障を提供するとともに、地域社会の一員としての役割を担う。そのためにこそ「お互いがお互いを思いやる相互尊重」をもって、関係者が一同に会する必要があるとコーカン教授は説いている。

社会、経済、企業と労働者の契約関係、労働組合のあり方はニューディール型労使関係システムの時代とはもはや同じではない。だからこそ、さまざまな問題が起きている地方で、まずは現状を打開するための運動とともに、トライアンドエラーが欠かせない。そうして積み上げられたワーキング・ルール、もしくは網の目のような規則(web of rules)が中央政府を動かし、新たな「社会契約」を生み出す。その具体的な方法が、「団体交渉の枠組みに企業競争力向上のための協力」を組み込むことと「労働組合以外の新しい戦略」を進めることであり、その方向へ向かう歩みを止めてはならないとする。やがて、職場と団体交渉に留まるものと理解されてきた労使関係システムは、より広範な意味を持つ「社会契約」へと新たに置き換えられていくだろう。

参考文献

  • Commons, John R., 1950, The Economics of Collective Action, The Macmillan Company. (春日井薫・春日井敬訳1958年『現代経済学名著選集Ⅳ 集団行動の経済学』文雅堂銀行研究社)
  • Kochan, Thomas A., Harry C.Katz and Robert B. Mckersie, 1986, The Transformation of American Industrial relations. ILR Press/Cornell University Press, New York.
  • Osterman, Paul, Thomas A. Kochan, R.M. Locke, and M.J. Piore, 2001, Working in America: A Blue Print for the New Labor Market, MIT Press. (伊藤健市・中川誠士・堀龍二訳,2004年,『ワーキング・イン・アメリカ――新しい労働市場と次世代型組合』,ミネルヴァ書房.)

(本文:大統領選挙と新たな「社会契約」の必要性を読む)

2016年12月 フォーカス:大統領選挙と新たな「社会契約」の必要性

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