アジア諸国の日系企業をとりまく投資環境の変化と労使関係:中国
社会変容の中の日系企業

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JILPT主任研究員 中村良二

  1. 中国・大連地区概況
  2. 日系企業における雇用・労働の現状
  3. 今後の課題:本社体制の変革と「現地化」のゆくえ

改革・開放路線へと大きく舵を切って以来、40年弱で中国は世界第二位の経済大国へと変貌を遂げた。わが国企業も、高度経済成長期から海外へと進出を開始し、その経験を積み重ねてきた。中国はその最大拠点の一つである。グローバル化の進展と中国自身の急速な変容により、わが国企業も、その戦略を見直す段階に突入している。「コストの安さ」を目指した進出であれ、今後は「なぜ、中国なのか」に答えていくことが求められている。

中国へ進出した日系企業が雇用や労働という面で、どういった状況に遭遇しどのように解決・対処しようとしているのか、それらを背景となる中国社会の変容に目配りしなから検討することは、極めて重要である。これまでの成果の一環として、当機構では資料シリーズ№158『中国進出日系企業の基礎的研究Ⅱ』(2015年5月)を公刊した。ここでは、その結果概要を中心に、国内でのヒアリング調査結果も併せて紹介することにしたい。

1. 中国・大連地区概況

われわれが聞き取り調査を実施したのは、大連地区に進出した日系企業に対してである。大連地区は改革・開放政策の極めて初期に中国政府が大規模な経済特区を立ち上げて、外資系企業、とりわけ日系企業を誘致したエリアである。ほぼ30年を経て、エリア全体が徐々に変わりつつある。大連地区を中心に中国全体の概況について、日本貿易振興機構・大連事務所におけるヒアリング内容をごく簡単にまとめると、以下のとおりである。

第一に「事業展開の方針」に関しては、日系企業全体では未だ約半数が「拡大」を志向している。中国の状況を十分なリサーチをしないままに「とにかく進出したい」という中小企業も少なくない。ただ、以前と明確に異なるのは、大連を中心に「縮小・撤退」パターンが増加していることである。

第二に、「人件費の急上昇が続いている」。5年間で毎年14~15%増加という状況にある。この比率で上昇していけば、5年間で以前の約2倍の給与となる。

第三には、「進出の主要なパターンが変化しつつある」。製造業が典型的であるように、これまでの主要なパターンは、いわゆる「持ち帰り」型(中国で作り、日本に輸出)である。安価な労働コストが最大の要素であるが、人件費の急上昇からコスト全体が上昇し、「持ち帰り」型が成立しづらい状況となっている。

そうした際、中国地場企業や他国の外資系企業などとの取り引きなど、戦略転換がスムースにできるのかといえば容易ではない。基本的な方針の再設定を迫られている。

これと関連して、「系列企業も進出に慎重となっている」。以前ならば、主要な取引先が進出すると決断すれば、即座に自らも中国進出を決めることが多かったようである。それだけ、市場の動向を予測することが困難になりつつあるからであろう。

第四に、「撤退」が現実化している。最大の問題は「撤退に伴う手間とコスト」である。

具体的には、経済補償金と税務登録の抹消である。前者は、従業員が勤務した年数にあたる月数の給与を支払うことであり、後者も行政府への手続きが相当煩雑となっている。そうした手間とコストをかけても本当に撤退するのか、その判断を企業は迫られつつある。

これと関連して第五には、「中国以外エリアへの移動」も現実味を帯びている。

単純に人件費などのコストだけを比べれば、東南アジア諸国への移転がはるかに効率的である。しかしながら、そのことは文字どおりすべて「一から始める」ことが必要となる。人件費が急上昇しているとはいえ、中国における20~30年に及ぶノウハウの蓄積とそれらを新たに獲得することのコストを比較考量した時、どちらを選択するかである。

最後に第六には「労働市場の動向」がやや落ち着いていることである。ワーカー・クラスの離職率は年間3割程度、ホワイトカラー層では1割程度と、やや沈静化しつつある。

これらの諸点からみると、日系企業が今、極めて重要な分岐点にさしかかりつつあることが想起される。中国全体の急速な転換の中で、企業各社の具体的な対応策を見ていく。

2. 日系企業における雇用・労働の現状

今回、聞き取り調査を実施することができたのは、日系企業約10社である。それら企業各社の対応状況は、前掲の資料シリーズ『中国進出日系企業の基礎的研究Ⅱ』をご覧いただきたい。ここではまず、全体像を概観しておくことにしたい。

(1)今後の基本的な対応戦略

今回、実地調査を行った結果、基本的な事業戦略がより明確に分かれていく状況が明らかとなってきた。その方針の一つは、いわばこれまでどおりの戦略の継承である。すなわち、「日本本社の指示どおりに作って、日本に運ぶ」方針である。そして、いま一つには、本社と連携を図りながらオペレーションをするが、「基本的には、すべて現地で判断する」というものである。日本へ運ぶことが主目的ではなく、あくまでも中国市場で売って、そこで利益を出すことにより、事業を推進していこうとする方針である。

むろん、こうした基本的な戦略の違いは、業種によるところも大きい。製造業がまずその対象として浮かぶが、サービス業なら元より中国市場そのものがターゲットである。

製造業の場合、日本本社がグローバル戦略を決定し、現地ではその計画に従って製造するというのが、日系企業におけるこれまでの主要なパターンとなっていた。細かな摺り合わせは必要とはなるであろうが、世界各国で展開するグローバル戦略の全体をいかに展開するのかを本社が決定するというパターンは、コスト面を中心に効率的な戦略といえよう。

 その一方で、ある企業では、徹底して中国市場で売れる製品を作ることに集中していた。生産のみならず中国の消費市場に入り込み、そこで生き残りを図る戦略である。その背景には、2010年頃から、中国での賃金水準の上昇、為替の影響など、生産コストの急上昇がある。その際、鍵となるのは、販売力、販売ルートの確保である。その開拓はたやすいことではないが、今後の事業展開のまさに基本戦略の検討が必要となっている。

(2)具体的対応策

  1. 「動く」か否か

    基本的な戦略を踏まえた上で、具体的に今後いかなる対処をしていくのかは、大別すれば、二つの選択肢しかない。これまでのエリアから「移動するか、留まるか」である。

    「移動する」場合、最も重要な選定基準は、「より低い人件費」である。中国国内で移動するなら給与水準の上昇著しい沿海部から内陸部への移動、国外も視野に入れるのなら、ベトナムなど、東南アジアが考えられよう。ただ、特に国外へと移動することは、上述のとおり、新たな人材の育成やノウハウの積み重ねが必要であり、そのコストとの比較考量が重要になる。いま一つの選択肢は今のエリアに「留まる」ことであり、いかに人件費を抑えられるかがポイントとなる。その点を日系企業は真剣に考え始めている。

    ただ、そのことは、これまで「人件費コストを真剣に考えていなかった」ことを意味するのではない。以前は賃金水準が相当程度低かったため、経営課題として優先度は高くはなく、この点を「あまり気にしてこなかった」のである。いずれにせよ、さらなるコスト削減と効率化は必須である。

  2. 従業員への情報提供を

    企業は、工会を通じて従業員との対話を積極的に図ろうとしている。従業員側から出される昇給を含めた様々な要求に対して、「なぜ、企業側の対応がそうなるのか」を、データを提供しそれを共有することにより、従業員自らにも企業の現状と将来を考えてもらおうとしている。たとえば、従業員側の要求どおりに昇給した結果、「競争に負けたら、企業そのものがなくなる」可能性を従業員側に理解し自覚してもらうことである。

    現時点でも相当数の企業で人員の縮小が行われ、ピーク時に比べれば、従業員数がほぼ半減しているという企業もある。製造ラインなどを中心に「自動化の推進」を図る企業が多くなってきている。オペレーションの体制が刻々と変わり始めている。日系企業各社は、「なぜ中国なのか」、「これからも中国なのか」が、今、あらためて問われている。その背景には、中国社会そのものの変質と多様化の進展も大きい。

(3)「協調的な労使関係」の構築

さらなる厳しい効率化、コスト・ダウンが必要となる一方で、企業側が従業員の給与を上げていかなくてはならない理由がある。それは、工会との関係からである。

昇給は従業員自らが要求しているが、それと同時に、地区工会から当該企業の工会へと指示が飛ぶ。「今年は、企業側に対して、15%の昇給を要求せよ」といった指示である。工会はわが国の組合とは異なり、共産党の下部機関であり、中央から地方、企業レベルまでの階層構造を成している(労働政策研究・研修機構『中国進出日系企業の基礎的研究』2013参照)。以前ならば、そのエリアの工会から下される指示に従わないという選択肢はなかった。

今後あり得べき一つの方向性は、「工会の組合化」である。ある企業では実際に「工会幹部の専従化」という新しい動きも始まっている。工会との連携を密にすることにより、従業員に企業の経営全体を考えてもらう機会を増やしていくことが、その狙いである。

工会を中心として、従業員とのコミュニケーションを充実させていくことは極めて重要である。ただ、これまで「上部の工会の指示に従い、どちらかといえば経営側に立っていた」工会がすぐさま、真に従業員側に立ち、その「利益のためにいかに動くか」という発想に至るかといえば、それはたやすいことではなかろう。今後、工会がいかなる変貌を遂げるのか、その検討が必要である。

(4)経営・労働市場をめぐるいくつかの動き

  1. コストダウンと現地化と従業員の育成

    今回の調査企業に共通する特徴の一つは、日本からの派遣人員が大幅に削減、あるいは減少していることである。その直接的な要因の一つは派遣コストの削減である。

    従来から重要と指摘されてきた経営の現地化が確実に進展している。現地スタッフが総経理となる事例も増えつつある。また、従来なら、日本からの派遣要員が部長職に就き、現地スタッフは副部長となるパターンが一般的であったが、その逆パターンの配置(部長:中国側、副部長:日本側)も現れている。最大の理由は、現地スタッフが、当該企業を「自分の会社だという意識を持たなければ、一生懸命働こうとはしない」からである。

    現地化により従業員の意欲を喚起することは極めて重要であるが、本社からの派遣人員数が少なくなることは、別の問題も生み出している。極めて限られた派遣スタッフが広範囲の業務を遂行しながら、中間管理職でも、部長職のような上級管理職を十分に育てていくところまで手が回らないという状況である。

    「上級管理職として重要な仕事を任せようとしても、日本人からの指示を待つだけであるため、任用に踏み切れない」といった声は少なくない。しかしながら一方で、「『指示待ち管理職』の出現は、これまでの仕事の与え方故なのではないか」という認識も広がりつつある。工会のみならず、上級管理職候補となる優秀な人材に対して、「わが社がいかなる状況なのか、データを提供してこなかった」ことも、その一つの要因であろう。「誰がどこでどのように」上級管理職候補生を育成していくのかは極めて重要である。

  2. 従業員の移動状況

    これまで、優秀な従業員の採用と定着は難しいと言われてきた。ただ昨今は、結果論の可能性はあるが、正社員に限れば相対的に定着傾向が見られるという。

    中国経済が、やや景気低迷傾向が見られることも一因と考えられよう。また、企業の社歴にもよるが、一定期間中国で事業展開をしている企業では、進出初期に採用した現地スタッフが管理職年齢となり、家族も形成していることから、こうしたライフ・サイクル要因も含め、無謀なジョブ・ホッピングには走らない場合もあるという。さらには、「日本で研修する機会を増やす」などの施策も奏功している可能性が高い。

    一方で、ワーカー・レベルでは、その一部が常に移動する傾向も見られる。各社とも、この点に関しては、あまり頓着していない。問題視するというよりはむしろ、「適正比率の離職が必要」という考え方のほうが多数派である。

    そうした中で、一つ特徴的であったのは、「いったん欧米系外資企業へと転職し、『出戻り』した従業員を採用した」という事例であった。その狙いは、いわば処遇面だけを比べた場合に他社が優位とみられる場合でも、実際に転職してみれば、「他企業はいかに厳しいか、その口コミを期待」した故の再雇用だったという。

  3. 日系企業の給与水準が相対的に低下

    上記の点と密接に関連するのが、日系企業の給与水準の問題である。かつて日系企業が中国へと進出し始めた頃は、現地企業に比べて、その給与水準は圧倒的に優位性があったことは確かである。しかしながら、そうした状況は一変している。

    日系企業は、全体からすれば、「第三水準のグループに属する」という見解もある。すなわち、「最も優秀な層は国家官僚になる。その次のグループは、欧米系企業、もしくは、より力を付けてきた地場企業を目指す。日系企業を考えるのは、その次の第三グループではないか」という考え方である。

    このように、日系企業は、より厳しい環境の中、様々な課題を抱えつつ、大きな転換点を迎えつつあるように思われる。中国において、これまで驚異的な経済発展をリードしてきた製造業そのものの状況も、激しく変化している。これまでどおり、従業員の給与アップを党・工会が指示し、そのコストが上昇し続ければ、はたして日系を含む外資系企業がオペレーションを続行するのか定かではない。中国においても製造業が空洞化するような事態となれば、その影響はあまりにも深刻なものとなろう。あくまでも日系企業を中心としながら、その背景となる中国社会の変貌に十分な注意を払う必要があろう。

3. 今後の課題:本社体制の変革と「現地化」のゆくえ

今後も中国における日系企業のオペレーションと問題点を継続的に調べていく必要があろう。そして同時に、もう一つ検討すべき大きな課題は、本社側からみた中国のオペレーション、支援体制、連携のあり方である。その聞き取りも実施中である。

ある現地法人の総経理経験者は、「オペレーションが成功するか否かは、上の度量しだい」という。本社は現地の詳細がわからないまま現地に指示を出すことにより、かえって混乱を招くことがあるという。コンプライアンス・危機管理面から必要な部分もあろうが、いずれにせよ、本社-現地間で重要なのは、「本社が、どの部分は判断できるか否かの『見当がつく』」、そうした関係が互いに認められることであろう。

本社-現地で、こうした関係が成立するためにはまず、本社側にそうした判断が可能となる、赴任経験スタッフが在籍していることが必要になる。その点は本社の人事管理体制全体を見直すことにも通ずる可能性がある。そして現地側では、派遣された最高責任者が余裕を持って判断可能となる、信頼できる中間管理職が育っていることが必要となろう。そうしたスタッフを育てていくことは、壮絶な手間暇コストがかかる。

「現地化」は極めて重要な課題であり続けている。様々な調査結果の数値を見ると、たとえば課長職などではほぼ全員がローカル・スタッフという状況も見られる。ただ、彼らの大多数が「本社の課長と同等レベルの業務を確実に遂行できるのか」という点を確かめる必要があろう。いかに数字上の現地化が進展しても、「リテンション対策の肩書き」では心許ない。キーマンとなる部長職の育成は、さらにその次の重要課題である。

ヒトの育成は今後ますます重要性を増す。ローカル・スタッフが「自分たちの会社である」という意識で努力するようなインセンティブを生み出す人事管理が必要である。その中から、求められる水準の業務が遂行できる実力ある中間管理職を育てていくという、中長期的な戦略の立て直しが求められよう。それは現地のみならず、本社側での研修という機会も重要な位置づけとなる。

それと同時に、文字どおり少数精鋭で派遣されるスタッフの人事管理と育成も、再検討が必要となるように思われる。これまでの常態となっていたミニマムオペレーションからさらに人員を削減するだけでは、コスト面以外で支障が出てくる可能性も少なからずあろう。遂行すべきミッションに集中して取り組める余裕を持てること、そのための体制づくり、本社からの支援体制の構築・再調整がまさに必要となっているように思われる。

プロフィール

中村良二(なかむら・りょうじ)

JILPT主任研究員。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程を経て、1990年、日本労働研究機構(現JILPT)研究所に入所。専攻は産業社会学、人的資源管理。最近の主たる研究成果として、 『東アジアの企業経営』 (共著、ミネルヴァ書房、2009年) 、 『縁の社会学』 (共著、ハーベスト社、2013年)、『中小企業の「採用と定着」調査結果』(共著、JILPT調査シリーズ№141、2015年)、『中国進出日系企業の基礎的研究Ⅱ』(共著、JILPT資料シリーズ№158、2015年)など。

2016年1月 フォーカス:アジア諸国の日系企業をとりまく投資環境の変化と労使関係

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