社会労働政策
大きく転換したマレーシアの労働政策
—「先進国=高所得社会」の実現に向けて

マレーシアの労働政策は現在、大きな転換期にある。政府が2010年に策定した長期経済政策「新経済モデル」(NEM、期間2011~2020年)の目標「先進国=高所得社会」の実現に向けて従来の労働政策は大幅に見直された。

高所得社会とは2010年に8100米ドルであった1人当たりGNI(国民総所得)を2020年までに1万5000米ドル以上に引き上げることを意味する。

NEMが打ち出した労働政策の要点は以下にある。高所得社会の実現には労働集約型産業から高付加価値産業への転換が不可欠である。現在の労働集約型産業を可能にしている要因に労働力人口の25%、310万人にのぼる外国人労働者の存在がある。外国人労働者は技能が低く、低賃金で、近隣諸国から無尽蔵に供給される。企業はこれに頼って生産性を上げるための設備投資に消極的だ。これを打破するため外国人労働者を半減する。不足する労働力は女性、高齢者で補う。国民の大半を占める労働者の所得の底上げを図るため最低賃金制を導入する。

NEMはスタートして4年目になる。本稿では外国人労働者削減政策、民間企業の法定定年制導入を中心とする労働力対策、最賃制導入の3つの新しい政策を紹介する。

外国人労働者の大幅削減

マレーシアでは1957年の独立以前から主として農業部門を中心に近隣のインドネシア、タイなどから労働者が流入する状態が続いていた。だが流入数はそれほど多くはなかった。飛躍的に増加したのは80年代末に高度成長が始まってからのことだ。

農村の余剰労働力が都市へ移動し産業労働者として経済成長を支える、こうした成長プロセスを、人口寡少なマレーシアでは農村の余剰労働力に代わって近隣諸国の外国人労働者が担うことになった。当初は天然ゴムのプランテーションで就業していたマレーシア人労働者が製造業に移動し、人手不足に陥ったプランテーションにインドネシア人が大量に流入した。多くは違法入国者であった。90年代に入って工業化が一段と進展すると製造業の労働力不足が深刻となり、企業の強い要望に応えて政府は労働集約的な繊維業を皮切りに順次、製造業各業種、建設業に外国人労働者の就業を認めることにした。

これに伴い政府は、原則2年契約で合法的な就業を許可する労働許可証制度、受け入れ条件、数量規制の認可制度などの整備に努めた。すなわち、当初は外国人労働者の受け入れを原則、企業の裁量に委ねていたが、違法入国者が増えるに伴い、外国人労働者を厳格に管理する方針へと転換を図った。

状況は97年に一変する。80年代末から続いてきた年率8%を超える高成長が、97年のアジア通貨危機によってマイナス成長に陥った。企業の倒産が相次ぎ、失業者増加の兆しがみられた。失業率は97年の2.5%から98年は3.4%に上昇した。しかし99年には3.2%へと抑え込んだ。外国人労働者を雇用の調整弁に利用したのだ。この結果、通過危機以前には合法外国人労働者だけで100万人を数え、不法入国者を加えると200万人を超えるといわれたが、外国人労働者数は60数万人に減少した。マレーシア人労働者の雇用は外国人労働者数削減によって維持されたのである。

景気回復が軌道に乗ったことを見極めた2000年になって政府は「外国人労働者の新規雇用凍結措置の解除」に踏み切った。その後も基本的には違法外国人労働者の取り締まりを続けながら、不足する労働力を外国人に頼る政策が継続された。(外国人労働者数の推移は別表1参照)

別表1:外国人労働者数(単位:人)
1990年 242,000
2000年 807,096
2005年 1,815,238
2010年 1,817,871
2011年 1,573,061

出所:Ministry of Home Affairs

注:合法労働者のみ。

2010年に策定されたNEMは、外国人労働者を「半減する」政策転換を打ち出した。NEMの考え方は次のようなものである。

  1. 製造業においては労働集約型業種から知識集約型への転換が不可欠。
  2. だが、現状は「短期的な利益を追求する」企業の姿勢に拒まれている。
  3. 企業のこうした姿勢を可能にしているのは、低賃金外国人単純労働者の存在だ。
  4. 外国人労働者に頼った経済から脱却しなければならない。
  5. 製造業に限らずプランテーション、建設業、サービス業も外国人に頼っている。産業ごとに労働力需要を厳密に精査し、対応していく。

NEMの新しい考え方により、80年代末から続いていた外国人労働者政策は大きく転換することになった。2010年時点で合法、違法併せて310万人が就業する外国人労働者を「当面(2015年までに)、半減する」ことにした。この政策転換は極めて大きな意味を持つ。マレーシアの2010年時点の労働力人口は1200万人で、うち外国人労働者が310万人を占める。計画通り進展すれば、2015年には150万人の労働力が不足することになる。不足する労働力は女性、高齢者で補い、また産業構造を高度化することによって省力化を図る方針であるが、これを短期間に実現することはかなりの困難が伴うであろう。

「外国人労働者半減」のオペレーションは、2011年6月から本格的に開始され、現在も継続中だ。第一段階では、違法労働者の排除に力を入れ、これまでのところかなりの成果が上がっていると報じられている。

法定定年制導入を中心とする労働力対策

外国人労働者の削減によって不足する労働力を補う労働力として女性と高齢者にNEMは期待している。

女性労働力対策の目標は、2010年に男性の79.3%に対して46.8%と低かった労働力率を2015年に55.0%まで引き上げることだ。これにより計算上は35万人ほど就業者数が増えると見込んでいる。このために女性が働きやすい労働環境の整備として、(1)パートタイム法制(2010年)、(2)セクハラ対策(2011年)、(3)出産・育児に関する制度(2011年)などの整備を矢継ぎ早に実施している。しかしながら、女性の労働力率は2011年47.9%、2012年48.8%と上昇傾向にはあるが、2015年に50%に届くのさえ難しい状況にある。

一方、高齢者の労働力率を引き上げる政策の柱は、民間企業に対する法定定年制の導入だ。従来の定年は、年金に相当する従業員積立基金(EPF)から積立金を全額引き出すことが可能になる55歳を根拠として、55歳が一般的であった。これを一挙に5歳引き上げて60歳とする最低定年年齢法が2013年7月から施行された。法定定年制の導入は初めてのことだ。政府はこれにより55歳以上60歳未満層の人口111万人に対し就業者数は58万人であることから、計算上は50万人以上の労働力増加を期待できるとしている。

定年法の規定によると、対象者は原則、民間企業の従業員全員である。ただし、つぎの9項目に該当する従業員は適用除外となる。

  1. 連邦政府、州政府、その他の法定機関から賃金を支払われている期限に定めのない、あるいは臨時、契約ベースで働いている者
  2. 試用期間中の者
  3. 見習い契約で雇用されている者
  4. 非国籍保有者(外国人)
  5. 家事労働者(家事手伝い、庭師)
  6. フルタイム従業員の通常労働時間の平均70%以下の労働時間で雇用されている者(パートタイム、臨時従業員)
  7. 臨時契約で雇用されている学生(学生アルバイト)
  8. 延長期間を含めて24カ月以内の有期契約で雇用されている者(契約従業員)
  9. 法施行以前に55歳あるいはそれ以上の年齢で退職し、その後再雇用で就業している者

同法には罰則規定がある。使用者は定年年齢より早期に従業員を退職させてはならない、違反した場合は1万リンギ(約32万円)以下の罰金を科すと規定している。

定年法の制定に関し、労使の見解は大きく分かれた。

労働者側は各労組とも歓迎。労働者の場合、定年が法定になっても、従来どおり55歳で退職することは当然可能である。反対する理由はない。唯一、EPFの全額引き出し年齢が60歳に引き上げられるのではないかとの懸念があった。

使用者側の反応は、中小零細企業が多く加盟している製造業者連盟(FMM)を中心に、企業経営に悪影響が出る、55歳以降は個人業績をもとに契約延長で対応するか、長期の移行期間を設けるべきだ、と強く主張した。

政府はこうした使用者側の意見に配慮して、赤字であるなどしかるべき理由があれば最長で2013年12月31日までの導入延期を認める措置をとった。しかし、延期申請した企業はわずか258社であった。マレーシアには75万社の企業があり、うちわずか258社が延期したに過ぎない。これを考えれば、定年延長は概ね順調に実施されたといえそうだ。

労働者側が懸念していたEPFの扱いは、「55歳で全額引き出すことができる」制度を維持することになった。EPF事務局によると、定年法施行後、55歳で積立金全額引き出しを希望する者の割合は減少し、75歳まで毎月決まった額を分割で引き出す年金相当の扱いを希望する者が27.4%増えたという。

全産業一律最低賃金制の導入

マレーシアには独立以前に制定された1947年賃金審議会法に基づき、職種別、業種別に最低賃金を設定できる制度的枠組みが従来から存在していた。同法に基づき、複数の職種別、業種別最賃を調整する中央調整委員会を設置し、運用により全国一律最賃を設定することも可能であった。ところが独立以前の47年から2010年までに賃金審議会が設けられたのは映画館労働者、ペナン港湾労働者などごく限られた職種、業種に過ぎず、適用労働者数は極めて少なかった。理由は1947年賃金審議会法が最賃の目的を「極端に低い賃金の排除」と定めていたことによる。

工業化が本格的な軌道に乗り、製造業の賃金上昇によって業種間の賃金格差が顕在化し始めた80年代末から労組は、賃金底上げを目的に「全国一律最賃」設定をたびたび政府に求めてきた。だが、議論が進展することはなかった。

最賃導入政策が急速に進展したのは2010年にNEMが、「賃金決定システムが機能不全に陥っている中では、最低賃金は考慮に値する制度である」との考えを打ち出して以降のことだ。賃金決定システムが機能不全に陥っている証左にNEMは次の点をあげている。

  1. 人的資源省の調査によれば、マレーシア人労働者(外国人を除く)の34%は月額賃金が700リンギ以下だ。貧困世帯の定義、月収720リンギ以下に近い。
  2. 95~2000年の労働生産性の伸びが年平均10.4%であるにもかかわらず、同期間の年平均賃金引き上げ率は6.8%に過ぎない。

政府は2011年6月に1947年賃金審議会法に代わる全国賃金審議会法を制定、労使代表と有識者、関係省庁担当者で構成する審議会で新しい最賃制の検討を始めた。審議会の中で労組側は「全国一律の制度」「月額900リンギ、プラス生活手当300リンギ」と主張。使用者側は全国最賃に一貫して反対意見を述べた。議論は並行線で終わったが、審議会はこれを含めて政府に報告、金額は政治判断に委ねられることになった。

審議会報告に基づき政府は2012年4月に最賃額を公表した。最賃額は全国一律ではなく、別表2に示したとおり、全産業一律であるが、地域的には半島マレーシアとサバ、サラワク州(ボルネオ島の2州)の2本建てとなった。両地域の100リンギの差額は「生計費に差があるから」と人的資源省では説明している。

別表2:最低賃金額と平均賃金(単位:リンギ)
最低賃金額 2009年平均賃金
(ホワイトカラー除く)
2012年平均賃金
(ホワイトカラー含む)
2009年貧困ライン
(世帯収入)
月額 時給換算
半島マレーシア 900
(2万8800円)
4.33
(139円)
1,131 1,846 763
サバ州 800
(2万5600円)
3.85
(123円)
577 1,251 1,048
サラワク州 800
(2万5600円)
3.85
(123円)
758 1,629 912

出所:CIMB, Economic Update, May 2, 2012、Laporan Penyiasatan Gaji & Upah 2012, Japatan Perangkaan Malaysia

注:1リンギ=32円で換算。

最賃は、外国人労働者を含むマレーシアで働くすべての民間労働者に適用される。ただし、家事労働者(メイド)と見習い雇用契約で働く者は適用除外。違反企業には最高で労働者1人当たり1万リンギの罰金が科される。金額は2年に1度再検討する方針だ。

最賃制は2013年1月1日から実施に移された。ただし、従業員5人未満規模の零細企業には実施が半年間猶予され、7月1日からの実施となった。

2013年1月の実施後、直ちに大きな問題が発生した。1月になっても製造業を中心とする中小企業の多くは外国人労働者に対して最賃を適用せず、半年間の猶予を与えられた零細企業と一緒になって、制度の見直しを政府に対し執拗に迫ったのである。

企業の主張はこうだ。マレーシア人の雇用を確保するため、外国人1人当たり年額410~1250リンギ(業種で異なる)のレビー(人頭税)が企業に義務づけられている。ところが最賃を外国人に適用し、レビーを支払うと、外国人を雇うメリットはなくなる。外国人労働者の宿舎の負担額も大きい。かといって労働力不足でマレーシア人を雇うことは難しい。企業の負担増を緩和するため、レビーを外国人労働者に負担させるべきだ。

5月に総選挙を控えて75万社を超える中小零細企業のこうした声を無視できなくなった政府は、3月になって「中小零細企業の外国人労働者への最賃適用を2013年末まで延期する」ことにした。その後も企業の導入反対の声は続いたが、総選挙を乗り切った政府はこれに応じることなく、最賃は2014年1月から中小零細企業の外国人労働者を含め全面的に実施されている。

使用者連盟(MEF)が最賃導入直前の2012年10月に行った調査(別表3参照)によると、半島マレーシアの月額900リンギ未満の従業員の割合は、製造業で24.8%、非製造業で19.3%、全体では22.5%となっている。したがって、少なくとも22.5%の従業員の賃金は2013年1月、ないし2014年1月に900リンギに引き上げられたことになる。加えて最賃制導入に伴い賃金テーブルが改定されて900リンギ以上の従業員の賃金も相応に引き上げられている。この状況をみる限り最賃導入による賃金の底上げ効果はある程度実現したといってよさそうだ。

別表3:月額賃金900リンギ未満労働者の割合 (単位:%)
製造業 24.8
非製造業 19.3
マレーシア企業 19.4
多国籍企業 25.8
合計 22.5

出所:MEF Salary Survey for Non Executives 2012

注:

  1. 本稿は2013年11月に労働政策研究・研修機構が発行した『マレーシアの労働政策−中長期経済政策と労働市場の実態−』JILPT海外労働情報13-11の内容を基にしている。

参考:

2014年4月 フォーカス: 社会労働政策

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