最低賃金制度をめぐる欧米諸国の最近の動向:ドイツ
労働協約重視と立法の動き

新たな最低賃金制度の導入問題は、2005年の連立政権の成立以降、主要な政治的争点として、政権内で熾烈な攻防を繰り広げてきた。労使自治を尊重するドイツでは、法定ではなく労働協約によって業種など部門ごとの賃金の下限を決めてきた。しかし、従来の方法だけでは、労組組織率の低下、グローバル化による低賃金労働者の増加などに対応できないとして、全国一律の法定最賃制の導入を求める声が政権内では社会民主党(SPD)からあがり、これにキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が反対した。7月16日にようやく最賃関連法案が閣議決定された。しかし、法案の中身は複数の解釈の余地を残す玉虫色の様相が濃く、早くも両陣営は法案修正に向けて動いている。最終決着までに、まだ紆余曲折の道をたどる可能性が強い。これまでの経緯、法案の内容と反響などを紹介する。

労組組織率の低下や低賃金部門の拡大などで争点に浮上

ドイツはEU加盟国の中でも法定最低賃金制度を導入していない少数派の国の一つ。同国は労働協約による労使自治を最重視しており、労使が申請した場合に「一般的拘束力宣言」(注1)を発して、協約当事者以外にも当該協約を拡張適用する(労働協約法第5条)。その場合、当該労働協約が当該部門の労働者の50%以上をカバーしていること、労使代表各3名で構成する協約委員会の同意などを要件とし、連邦労働社会相が一般的拘束力宣言を命ずる。こうして、協約の最低賃金がその部門の労働者全体の最低賃金として機能してきた。

しかし、近年の情勢変化が、従来方法の見直しを促している。労組組織率低下に伴って、労働協約の適用率が低下している(2005年の就業者ベースの適用率は、西部67%、東部53%(注2))。加えて、一般的拘束力宣言を付される労働協約自体の減少が続いている(2007年7月時点で、協約全体に占める割合は約0.7%(注3))。さらに産業別労使による労働協約に「開放条項」を設け、事業所協定によって労働条件を決定する方法が増えるとともに、企業側の使用者団体を脱退することによる協約体制からの離脱などの事態も進展している。そのため、労働協約による伝統的な賃金規制の形骸化が目立つようになった。

また、日本と同じく、ワーキングプア(働く貧困層)や格差問題もマスコミで大きく取り上げられている。例えば、中位賃金の3分の2未満(OECD基準)の低賃金労働者の全就業者に占める割合は2004年で20.8%(注4)にあたるとの推計も出ている。公的給付と賃金との逆転現象も議論の俎上にのぼった。

こうして、新たな最賃制度の導入問題が政権の主要課題の一つに浮上した。2005年の連立政権の成立以降、SPDは全国一律の法定最賃制導入を主張(時給7.5ユーロを提案)、CDU・CSUは最賃規制は雇用喪失につながると反対し、両者の間で激しい綱引きが展開されてきた。その後両者は、全国一律ではなく、部門ごとの規制という線の妥協策で歩み寄りを見せた。

その場合に採用された方法の一つが1996年に制定された「国境を越える役務供給における強制的労働条件に関する法律(労働者送り出し法)」による適用業種の拡大だ。従来の労使自治による伝統的手法だけでは、外国企業がドイツに派遣する外国人労働者の賃金を規制できず、外国企業による「賃金ダンピング」を防げない。そのため、外国人労働者の多い建設業で一般的拘束力宣言を受けた労働協約が統一的な最低賃金規定を設けている場合には、当該協約を外国人労働者にも適用する旨を定めた法律だ。同法は、その後幾度かの改正を経て対象業種が増え、現在、(1)建設業、建設関連電気・塗装・解体業、(2)建設清掃業、(3)郵便サービス(3月に違憲判決、連邦政府が控訴(注5))に適用されている。

連立政権は昨年6月に、二つの方法による最賃設定について合意しており、今回の閣議決定はこの合意を基礎とするものだ。一つはこの労働者送り出し法の適用業種の拡大によって、労働者の50%以上に適用される労働協約を持つ業種に最賃を導入する方法。同法を活用すると、通常の一般的拘束力宣言でハードルの高い要件である協約委員会の同意(多数決には少なくとも使用者代表一名の合意が必要)が得られなくとも当該協約を強制適用することが可能だ。もう一つは、最低労働条件法の改正により50%未満の業種に最低賃金を設定する方法だ。同法は、1952年に労働協約法を補完する法律として制定されたもの。協約が存在しない、あるいは適用される労働者が少数である部門の国による労働条件規制を定めているが、これまで適用実績は一度もない。このうち前者について政府は、今年3月末を期限に、同法の適用を求める業種の労使団体による申請を受け付けた。その結果、派遣労働、介護、保安警備、ゴミ処理、生涯教育訓練、林業サービス、業務用繊維製品クリーニング、鉱山特殊業務――の8業種が申請した。

労働者送り出し法案と最低労働条件法案

閣議決定に至った2法案の概要は以下のとおりだ。まず、「労働者送り出し法」の改正内容は、(1)ある業種の労使団体が、当該労働協約を当該業種全体に適用する一般的拘束力宣言の申請を出した場合、当該申請を労働協約委員会が検討する、(2)申請業種に他の競合する労働協約がある場合、検討の判断基準を予め法律により設定する、(3)当該労働協約が定める最低賃金は国内外を問わず全ての使用者及び労働者に例外なく適用される――。なお、新業種の受け入れについては今後の手続に委ねることとし、この目的のためシュルツ労働社会相をリーダーとする連立作業部会を設置。具体的な検討は今後作業部会が担う。

次に最低労働条件法については、(1)常設の中央委員会(労使代表各5人及び連邦労働社会相により構成)が、対象業種の「社会的歪み」の有無を調査し、社会的・経済的影響を考慮したうえで、当該業種の最低賃金を制定・変更・廃止すべきか否かを判断する、(2)中央委員会が当該業種について最低賃金の必要性を認める決定を下した場合、専門家委員会を設置し、当該専門委員会が定められた基準に従って具体的な最低賃金を提示する、(3)連邦労働社会省が当該提案に同意した場合は、同省の提案を受け、連邦政府が当該最低賃金を法規命令として発することができる、(4)規定された最低賃金額は、国内外を問わず全ての労働者及び使用者に強制的かつ無条件に適用される――。

なお、上記二つの手法について、法案の施行日に既存の労働協約がある場合は、労働協約法に従い、当該有効期間中に限り、法定最低賃金に対する優越性を有する。また、労働協約当事者が、上記の既存賃金協約に取って代わる労働協約を締結した場合も、新賃金協約が優先される――としている。

各方面で多彩な解釈、協約との関連も論点に

法案は多彩な解釈を許す玉虫色の内容だ。シュルツ労働社会相は「最賃導入の道筋が開け、喜ばしい。賃金ダンピングに対する段階的な勝利」と語ったが、メルケル首相は「最賃設定は雇用に悪影響をもたらす。今回の決着で、協約自治が国による最賃設定に優先することがはっきりした。重要なのは、たとえ低賃金でも職があるということだ」とコメント。グロース経済相も「協約自治の余地を残すセーフガードが盛り込まれた」と肩をなで下ろしている。自由民主党(FDP)も「最賃が導入されるとそれ以下で働かざるを得ない労働者の雇用機会が奪われる」などとCDU・CSUに同調している。一方、緑の党は、既存の労働協約の優位性が認められていることから、新たに設定される最賃が骨抜きにされる懸念を表明。左派党は全業種に法定最低賃金の導入を主張しているため、今回の改正案では不十分としている。

法案各論では、まず業種選定について、SPD側は「既に最賃が導入されている3業種に加え新たに8業種に最賃を導入する目途が立った」と主張。これに対しCDU・CSUは、「適用対象は賃金ダンピング等が社会問題となっている特定業種に限定された」と解釈したうえで、「手続きが煩雑なため現実には政府の任期中に新業種が加わる可能性はない」との見通しを示している。

労働協約との関連も争点だ。賃金自決権に関してSPDは、一定条件下で国による最低賃金が労働協約に優先する枠組みが設定されたと解釈、CDU・CSUは、従来型の労働協約優先原則は通用しなくなることは認めつつ、政府は、(1)賃金自決権、(2)競争、(3)雇用――に関して審査する必要があるため、実際に最賃を導入するのは容易ではないと見込んでいる。また協約の優越性についても、SPDおよび労働社会省は、相対的に最低賃金水準の高い大規模組合の労働協約が賃金水準の低い小規模組合にも適用される可能性が開け、賃金ダンピングの防止に役立つと解釈しており、実際、キリスト教系労組(CGB)などの中小労働組合は、ドイツ労働組合連合(DGB)などの大規模労組の協約に凌駕される可能性を恐れている。だが経済省は、法案からは、大規模労組の協約が自動的に他の協約への優越性を得られるとは解釈できないと主張し、その危険性は排除されていると強調している。

労働法学者も、法案にはかなりの解釈の幅がある、という点で共通した見解を示している。法案の施行日時点で有効な労働協約が法定最賃に優越する旨が定められているため、労働組合が新たな協約を締結し、それまでの協約を意図的に失効させる手段に出ることも可能だとし、そうした場合での法案の適用可否については最終的に裁判所の判断に委ねられる公算が大きいとの見方も出ている。

閣議決定には至ったものの、こうした解釈をめぐる混乱を背景に、DGBはSPDに、事業者連合及びCGBはCDU・CSUに対し、ただちに法案修正を要求している。両陣営ともに、議会での立法手続での論争に備えた格好だ。

国会審議に向け与党内で攻防

こうしたなかドイツ経済研究所(DIW)は7月21日、最低賃金導入による雇用喪失に関する調査結果(注6)を公表。調査は、仮にSPDが全国一律最低賃金額として掲げている時給7.5ユーロの最賃を導入する場合、全国で約20万人の職が失われ、とりわけ女性労働者や微少労働に従事する者、東部ドイツへの打撃が大きい――と分析。そのうえで、業種別の最低賃金でも雇用機会の大幅な減少が見込まれるとして、適用業種拡大に警鐘を鳴らしている。一方、今回のDIW調査に先立って労働・技術研究所(IAT)が行った最賃の導入により影響を受ける労働者の範囲に関する調査結果(2004年時点)(注7)では、時給7.5ユーロを最賃額とした場合の全国レベルでの影響範囲は490万人(全就業者の15%)、6ユーロだと270万人(8.4%%)、5ユーロだと150万人(4.7%)。このうち7.5ユーロの場合の東部ドイツの影響範囲は西部ドイツの2倍以上に及んでおり、東西格差が大きいことを明らかにしている。同分析では、企業による一層の賃金ダンピングを阻止し、国による社会給付負担を軽減するためは最低賃金の導入は必要としたうえで、東西で異なる比較的低い水準の最低賃金額を設定し、徐々に引き上げていく方向を提案している。

今回の法案によれば、新たな業種選定は作業部会に委ねられる。だが、3月末時点で既に送り出し法の適用を申請した業種でも、申請した労使団体以外より賃金水準が低い労使団体の抵抗は根強く、調整・交渉は難航を極めるであろう。ようやく漕ぎ着けた閣議決定であるが、与党内の攻防は収まる気配はなく、今秋の議会審議は波乱必至とみられている。

注:

参考資料:

  1. 海外委託調査員報告
  2. 大島秀之「ドイツの最低賃金制度」(平成20年度刊行予定JILPT資料シリーズ『欧米諸国における最低賃金制度(仮題)』所収)。
  3. 齋藤純子(2008)「ドイツの格差問題と最低賃金制度の再構築」『外国の立法』236号。
  4. 橋本陽子(2007)「最低賃金に関するドイツの法規制と立法の動向」『世界の労働』2007年11号。
  5. Handelsblatt.com(2008年6月13日、6月17日、7月17日)
  6. 連邦政府発表資料(2008年7月16日、7月23日)
  7. 連邦労働社会省発表資料(2008年7月16日)
  8. Bloomberg.com(2008年7月16日)

参考:

  1. 1ユーロ(EUR)=152.45円(※みずほ銀行ウェブサイト新しいウィンドウへ 2008年9月8日現在のレート参考)

2008年9月 フォーカス: 最低賃金制度をめぐる欧米諸国の最近の動向

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