最低賃金制度をめぐる欧米諸国の最近の動向:アメリカ
連邦最賃、10年ぶり引き上げ

アメリカの連邦最低賃金は現在、1時間当たり6.55ドルと定められている。これは今年7月24日に5.85ドルから引き上げられたものである。

2007年7月24日、5.15ドルから5.85ドルへ引き上げられ、2009年7月24日には現行の6.55ドルから7.25ドルになる予定である。これだけみてくると毎年一定の水準の引き上げを実施しているようだが、5.15ドルの水準が1997年9月1日から約10年間続いていた。近年の引き上げを振り返ってみても1年ごとに引き上げされた時期もあるが、5年あるいは9年以上据え置かれている期間があるのも目立つ。近年の引き上げの推移については表1を参照されたい。

資料出所:連邦労働省資料新しいウィンドウへより作成

アメリカの連邦最賃の引き上げは、日本のように審議会で決定される方式とは異なる。議会に最賃引き上げに関する法案が提出され審議を経て、最終的に大統領が署名することによって成立する。政治的な駆け引きが関わってくるために引き上げ実施が困難になる場合もある。

実際、今回の引き上げ法案は当初、民主党から最賃引き上げを主旨とする単体の法案が提出されていたが、共和党との調整を伴い、中小企業向け減税策等を盛り込むかたちとなった挙句、「2007年米軍整備、退役軍人支援、カトリーナ復興支援、イラク責任予算法」の条項として成立するに至っている。

しかも1997年以後、クリントン政権下でもブッシュ政権下でも幾度か最賃引き上げの法案が提出されていたが、上下院でどちらの政党がマジョリティを占めているか、大統領がどちらの政党の選出かによって法案の成否が分かれてしまう。

引き上げ手続きに関する連邦労働省の関与はほとんどなく、2008年2月筆者が実施した現地調査でも、インタビューに応じた行政官は「政治的なことであり、我々は決定したことを執行するだけである」との姿勢であった。

連邦最賃制度の適用範囲と適用除外

連邦最賃制度は適用範囲を次のように定めている。(1)州を越えた事業活動を行うか、州を越えて流通する商品を製造する企業に雇用されている労働者。(2)年商50万ドル以上の企業に雇用されている労働者。

一方、以下の労働者は最低賃金の規定の適用除外となる(注1)。(1)幹部社員、管理職、専門職、この専門職には小学校、中学校における教師と学問的・管理的職員や外勤販売員も含まれる。(2)季節的娯楽施設に雇用されている労働者、(3)小規模の新聞社に雇用されている労働者、(4)新聞配達に従事する労働者、(5)漁業に携わる労働者、(6)外国籍船に雇用される船員、(7)小規模農家に雇われる農業労働者、(8)臨時雇いのベビーシッター、高齢者や病弱者の手伝いとして雇われた者、(9)特定の技能を有するコンピューター専門職、である。

また、一定の条件の下で減額対象となっている職種や雇用形態などがある。一つは、チップ労働者で、定期的に月30ドル以上のチップを得る職業に従事する従業員に関して、雇用主は1時間当たり2.13ドル以上の賃金を支払う必要があるとされている。ただし、2.13ドルにチップによる収入を加算した額が通常の最低賃金に満たない場合に雇用主は差額を補填しなければならない(注2)。もう一つは、10代の労働者で、20歳未満の労働者を新規採用した場合には、最初の90日間は1時間当たり4.25ドルを下回らない賃金を支払えばよいと規定している。採用してから90日以内に20歳に達すれば正規の最低賃金を支払わなければならないし、減額対象の労働者を雇用するために現に雇用している従業員を解雇してはならないと規定している。

最賃レベルの労働者の数と割合

アメリカの統計では最低賃金水準の労働者の割合は時間給労働者を分母とする統計のみ利用可能である。労働統計局(注3)によれば、2007年の雇用労働者は、1億2976万7000人であり、そのうち時間給労働者は7587万3000人(58.5%)である。さらにこのうち、最賃未満の水準で就労する労働者数は146万2000人、最賃と 同水準で就労するのが26万7千人である。最賃以下で就労する労働者数172万9000人で全時間給労働者の2.3%に相当する。

この数値は、1980年時点では15.1%であり、それ以後低下傾向が見られる(図1参照)。2007年の引き上げによって2.2%から2.3%へ僅かながら上昇している。

図1

出所:労働統計局資料より作成

最賃レベルの労働者の特徴

最賃レベルの労働者を産業別にみれば、娯楽・接待業が突出して多いことがわかる(表2参照)。フルタイム、パートタイム別でみた場合、時間給労働者全体でのパートタイム労働者の割合は23.8%であるのに対して、最賃以下の労働者に限って言えば56.4%に上がる(表3参照)。一方、人種別にみた場合には時間給労働者全体と最賃以下の労働者の割合に大きな違いは見られない(表4参照)。

資料出所:労働統計局資料新しいウィンドウへより作成

資料出所:労働統計局資料新しいウィンドウへより作成

資料出所:労働統計局資料新しいウィンドウへより作成

抱き合わせ措置

2007年決定の連邦最賃引き上げは、中小企業減税措置やチップ労働者の社会保障税据え置きといった総額48億ドルの抱き合わせ政策を伴って成立した。

中小企業向け減税策は、内国歳入庁法典(IRS Code)179条に規定される新規購入の損金算入枠拡大で、50万ドル以下の新規購入に関しては、12万5000ドルの損金算入を認める(改正前は45万ドルの新規購入に関して、11万2000ドルの損金算入を認めるというもの。50万ドルを超える購入に関しては、損金算入額が減少していく)。これは2011年までの措置であり、それ以降は、損金算入額の枠は2002年当時と同じ2万5000ドルまで縮小される。

チップ労働者の社会保障税(労使負担)一部免除というのは、社会保障税というのは、年金とメディケア(低所得者向け医療保険)にかかる税であり、チップ収入も課税対象となっている。このチップ収入に課税される社会保障税について据え置かれるという措置である。飲食業界は最賃レベルで就労する労働者が多い産業であるため、特定産業を対象とした特例である。

州別の最賃の位置づけ

アメリカには連邦最賃制度とともに州別最賃制度がある。制度創設の歴史的経緯からすると州別最賃制度の創設の方が早い。制度の目的や背景も異なり、州法が女性と児童の苦汁労働対策として成立したのに対して、連邦法は成人男性も規制の対象に加えた上での景気対策を目的とする制度であったとされる(注4)。

州別最賃制度をもたない州が51州(ワシントンDCを含む)のうちアラバマ州など5州、それ以外の州で連邦と同水準と規定する州がアイダホ州など12州(表5参照)、連邦最低賃金以外の水準を定め積極的な最賃規定をもつ州は34州である。そのうち25州が連邦最賃よりも高い水準を設定する(表6参照)。このうちイリノイ州では2009年7月に8ドル、10年7月には8.25ドルへ引き上げ予定であり、コネチカット州では9年8ドル、10年8.25ドルへ引き上げ予定である。

2004年まで10州前後であった連邦最賃を上回る州は2005年13州、2006年17州、2007年28州と増加していった。こうした動きが連邦最賃の引き上げようという議論を後押ししたとも言われている。


最低賃金制度を持たない州
アラバマ州、ルイジアナ州、ミシシッピ州、サウスカロライナ州、テネシー州

資料出所:連邦労働省資料新しいウィンドウへより作成(2008年8月末現在)

資料出所:連邦労働省資料新しいウィンドウへより作成 (2008年8月末現在)

州別最賃の適用範囲と改定方法

従業員数で適用範囲を規定するのが以下の州である。インディアナ州、ミシガン州、バーモント州は従業員2人以上を適用対象とする。アーカンソー州、イリノイ州、ネブラスカ州、バージニア州では従業員4人以上を対象とし(注5)、ジョージア州、ウェストバージニア州では、従業員6人以上を対象とする(注6)。また、事業規模で適用額を区別する州もある。モンタナ州では年商11万ドル以下の事業主には州法の適用を除外しているし、ミネソタ州では年商62万5000ドル以上と未満で最賃額を二つ設定している。

毎年、インフレ等に基づき最賃額を改訂するのがアリゾナ州やオレゴン州などである。アリゾナ州では、毎年、生活コストが算出されて最賃が調整される。オレゴン州やバーモント州、ワシントン州では消費者物価指数に基づき毎年最賃の引き上げが検討されている。

今後の課題

連邦最賃は10年ぶりに引き上げが決定されたものの、引き上げ水準が不十分だという見解もある。2007年7月の5.85ドルへの引き上げに際し、エドワード・ケネディ上院議員は購買力での換算水準がピークにあった1968年当時のレベルに最賃を引き上げるためには9.5ドルにする必要があるとの見解を示し、2011年までに実現したいという意向を述べた(注7)。経済政策研究所の推計では、1968年の水準は現在価値に換算すると約8.6ドルに相当する(注8)。

大統領選でも低所得層向けの政策として、民主党候補を中心として最低賃金の見直しの必要性を指摘する言動もある。オバマ候補は2月のラスベガスの党員集会で物価と連動したかたちで最低賃金を改定していく制度を提案している。

邦最賃は議会での法改正という手続き上、経済を基礎とする改定というよりも、政治的な勢力争いに左右されてしまう傾向がある。先に述べたように州別最賃では物価上昇に基づく定期的な最賃改定を行っている州もある。

そもそも、最賃引き上げが本当に低所得層に効果的な政策手段なのかという点で疑問視する声もある。最賃を引き上げることによって低所得層の雇用が削減されるような悪影響があるのではないかという議論であり、低所得層に政策の効果を集中的に活かすためには特定層を対象とする減税策が有効なのではないかという見解もある。

注:

参考:

  1. 1米ドル(USD)=106.79円(※みずほ銀行ウェブサイト新しいウィンドウへ2008年9月8日現在のレート参考)

2008年9月 フォーカス: 最低賃金制度をめぐる欧米諸国の最近の動向

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