ドイツの「労働時間貯蓄制度」
—新たなモデルの行方

懸案の一つとなっていたEUの労働時間制が決着した。労働時間の上限や労働者の同意があれば長くできる例外規定(オプトアウト)などをめぐり議論が繰り返されてきたが、原則週48時間を上限とし、オプトアウトの適用条件も厳しくすることで一応の合意がなされた。欧州レベルの労働時間をめぐる議論は加盟各国の利害も絡み単純ではない。また近年の労働時間をめぐる議論は労働条件といった側面だけでなく、ワーク・ライフ・バランスといった労働者およびその家族の生活全体の問題として捉えられている。労働形態の多様化に伴い、労働時間にも多様な選択が求められているのが特徴だ。ドイツにおいても労働時間のパターンは、過去20年の間に劇的な変化をとげた。本稿ではドイツの労働時間制をめぐるプロセスをたどり、現在導入されている新しい労働時間モデルの一つ「労働時間貯蓄制度」について紹介する。

「より短く」から「より柔軟」へ

ドイツの労働時間が、先進国の中でも最も低い水準にあることは周知の事実であろう。95年に導入された金属産業の「週35時間労働」はドイツ労働時間短縮の象徴であった。2005年の年間総実労働時間(生産労働者)は1525時間。他方、1987年改正労働基準法の施行以来着実に労働時間を減らしてきた日本は1988時間。比較すると依然450時間以上の格差がある(図1参照)。

図1

出所: JILPTデータブック国際労働比較2008

このように、より短くより効率的であることを目指してきたドイツの労働時間であるが、労働時間の長さは近年、二極化する傾向にある。背景にあるのはパートタイム労働者の増加だ。雇用労働者に占めるパートタイム労働者の比率は、1991年には14%に過ぎなかったが2005年には24.5%まで上昇し、女性就業者の44%強がパートタイム労働に従事している。さらにハルツ法により導入されたミニジョブ・ミディジョブが僅少労働の拡大を促進している。こうした層の労働時間は短縮傾向にあるが、一方でフルタイム労働者は再び長く働くようになっている。フルタイム労働者の労働時間は、2002年から週0.3時間増え2006年(第2四半期)には週41.7時間となった。またフルタイムの男性就業者は42.4時間で女性より2時間長くなっている。

そしてさらに重要なことは、時間の長短だけを目安とする従来の均一な労働時間モデルが過去のものになりつつあるということだ。労働時間は従来の硬直的で「より短い」モデルから「より柔軟な」モデルを目指して転換しつつある。

「柔軟化」へのプロセス

ドイツの労働時間制は、固定的な性格の強い時間制が長期に渡り支配的なモデルであった。ドイツにおける戦後の労働時間短縮のプロセスは1950年代半ばから本格的に始まる。その推進力としてもちろん労働組合の努力を抜きにして論じることはできないが、その間の順調な経済発展が幸いしたことも無視できない。70年代前半のオイルショックにより労働時間短縮は一時的な停滞を見せるが、84年の金属産業における労働時間短縮協約の締結によりこの状況は打破された。この協約により、ドイツの金属産業労働者はそれまで40時間だった週所定労働時間を38.5時間に短縮することを勝ち取る。ところでこの組合側の勝利には、時間短縮だけでなくその後の協約交渉に影響を与える重要なテーマが含まれていた。「柔軟化」というテーマである。ポイントは二つあった。一つは、事業所において個別労働者あるいはグループごとに労働時間を37時間~40時間に幅の中で設定し、その平均で協約所定の労働時間を維持すればよいという「労働時間の個別化」であり、もう一つは、一定期間内で労働時間を調整する「変形労働時間制」である。これ以降、ドイツの労働時間協約交渉は常にこの「柔軟化」の拡大を主要な争点として争われてきた。

新しい労働時間モデル導入の契機―固定から変動へ

産業構造の変化、あるいは近年の急速なグローバル化による国際競争の激化は、ドイツの労使に新たなモデルの導入を促した。すでに世界最高水準まで進んでいた時短がドイツ経済の足枷になっているとの認識が産業界の間にじりじりと広がっていた。このような状況の中、労働側が時短にこれ以上の成果を期待できるはずもない。雇用確保や懸念される職場移転を考えると、労働側は譲歩せざるを得ない場面が増えていった。

労働時間貯蓄制度モデルの原型は、労働側がまだ時短を交渉の旗印に掲げている中、契約労働時間の削減を契機に登場したと言われる。このとき多くの企業は、契約労働時間を削減しつつ、日々の実労働時間には手を付けなかった。この結果、契約上の労働時間と実労働時間との間に乖離が生じ始める。ここで登場したのが、労働時間をあたかも銀行預金のように口座に積み立て、労働者は後日休暇等のためにこれを利用できるとしたモデルだった。

つまり、ドイツにおける最近の労働時間制度の変化は、1980年代の金属産業におけるストライキに見られたような激しい労使対立の末、労働側が勝ち取った成果によるものではなく、また労働者の時間に対する希望や必要性が全面的に取り入れられたことに由来するものでもない。それは、国際競争の激化および低経済成長により強まった経営側の時間延長圧力と、リストラの回避・縮小など雇用確保を優先したい労働側の妥協との狭間で生まれた産物という理解の方が妥当かもしれない。

制度の特徴

「労働時間貯蓄制度」とは、労働者が口座に労働時間を貯蓄しておき、休暇等の目的で好きな時にこれを使えるという仕組みである。従来の均等配分時間原則とは大きく異なり、通常の労働時間を変動的に配分することを可能にする。一日の労働時間、週の労働時間は一定期間の幅で変動させることが可能である。この変動が認められる期間の幅はセクターごと、企業ごと、または事業部ごとに異なって規制される。原則として、延長または短縮いずれの方向への変動も、一定期間の間に平均化し、労働協約または個別企業レベルで同意された平均労働時間と等しくすることが求められている。以下、「労働時間貯蓄制度」の特徴を述べる。

  1. 時間源
    口座に貯蓄される労働時間の最も一般的な時間源は残業時間である。休暇期間やシフト労働および夜勤に伴う追加的な労働時間など、その他の時間ソースはあまり大きな役割を果たしていない。
  2. 清算期間
    「口座の3分の2は、最長でも1年以内に残高を清算しなければいけない」とした規定がある。これは、基本的に短い清算期間を規定することの多い残業やフレックスタイムが時間源の大半を占めることによる。
  3. 貯蓄上限時間
    口座の多く(全口座の5分の4)が貯蓄可能な上限時間を規制している。利用時間の上限を規定している比率はそれよりも少し高い。平均貯蓄上限時間は90時間を超える一方で、平均利用上限時間は60時間を下回っている。
  4. 口座の利用方法
    短期間の休暇以外の利用方法として、特定の理由のない長期的な休暇に使われることが多い(労働時間口座のある企業の63%)。教育時間口座の導入は件数が少なく(企業の15%)、導入されていても主に例外的なオプションとして位置づけられている。また、ある種の賃金要素(特別手当やボーナス)なども貯蓄時間として利用されることもある。企業(労働時間口座と事業所委員会の双方がある)の14%では、従業員は労働時間を貯蓄して、早期引退をすることが可能。
  5. 規制方法
    事業所委員会の設置されている企業において、労働時間口座からの時間の引き出しが従業員と上司との間の合意に基づいて行わるのが67%、同僚の同意に基づいて行われるのは30%である。
  6. 有効期間
    労働時間口座のすべてで、口座に貯蓄された実労働時間が金銭的な形や強制的な自由時間として利用できることを保障されているわけではない。民間部門企業の5社に1社(21%)において、清算期間を超過した貯蓄時間は効力を失う規定になっている。
  7. 倒産に対する保障措置
    倒産時に労働時間口座を保護する規定のある企業はわずか4社に1社である。長期口座を導入している企業では、この比率が44%にまで上昇する。

普及状況

さて、こうした制度は現在どのくらいの割合で普及しているのだろうか。同制度の普及状況は、企業規模、産業セクター間で大きく異なる。最も普及しているセクターは金融部門(85%)であり、他方、卸売部門では普及が遅れており50%を下回っている。現在企業全体の約3分の2が、何らかの形で「労働時間貯蓄制度」を導入しているようだ。同制度を利用できる労働者が全労働力人口に占める比率はこの数字よりも若干低いと推測されるが、おそらく50%を超えていると考えられる(注1) 。

労働時間口座はさまざまな目的のために利用されている。短期口座は、残高を一年以内に清算する仕組みであり、現在最も普及している制度である。他方、7%の企業は長期口座を導入している。長期口座を導入している企業は全労働人口の18%を雇用しているが、雇用されている従業員のすべてが長期口座を利用できるわけではない(注2)。先行する化学業界に続き、鉄鋼業界が長期口座を容認したため、将来的には長期口座の普及が見込まれている。

制度導入のメリット

新しいモデルの導入により、企業と従業員は通常の労働時間の強い拘束から解放された。従業員は時間を積み立て、職場外での活動に自由に使うことが可能となった。他方、企業は労働需要の短期的な変動に対応する自由度が高まり、残業に必要な手続きや追加的な手当の支払いなどの制約を受けなくてすむようになった。また、人材活用の柔軟度が向上し、内部柔軟性の幅が拡大した。労働需要が変動しても、企業は投入する労働力の調整を、従業員数ではなく労働時間の調整によって実現することが可能となったのである。つまり「労働時間貯蓄制度」は労使双方に利点を提供する制度だと言える。以下、メリットを列挙してみる。

  1. 投下労働力量を変動する労働需要に合致させ、残業や残業手当の発生を回避し、在庫コストを引き下げ、休止時間を削減し、労働強度の改善を実現する。
  2. 季節的・周期的な需要の変動に、コストの上昇(雇用コスト、解雇コスト)や生産性の悪化をもたらす従業員数(熟練労働者の維持と企業特有の人材育成)の増減なしに対応することが可能になる。
  3. 従業員の視点からは、自らの時間主権を向上させ、ワーク・ライフ・バランスの必要条件を改善することが可能となる。
  4. 職場外の生活における突発的な出来事に対応する時間を提供する。
  5. サバティカルのような長期休暇を可能にする。
  6. 継続的訓練の期間を長期化できる。
  7. 高齢労働者の早期引退を可能にする。

制度の評価、問題点

しかしながら一方で、この制度は職場のトラブルを引き起こす場合もある。制度利用者間に生じる不均衡からトラブルに発生するケース等である。さらに労働者自身も、制度メニューからの選択を要求される。例えば、貯蓄した時間を、短い自由時間に利用するか、職業訓練の継続に利用するか、サバティカルに利用するか、早期引退のために利用するか――などである。画一的な通常の労働時間と違い、職場外の活動の必要に応じて、日々の労働時間の長さやタイミングを自ら調整しなければならない。これは一見して自由度が広がる利点のように見えるが、時として労働者にストレスを与えることにもなり得る。他方、企業が投下労働力を市場の需要変動に適合させる目的で労働時間口座を利用する場合、従業員の自由度は小さくなる事態を招く。つまり「労働時間貯蓄制度」は、標準的な労働時間と比較すると時間編成の自由度が大きいため、長所と短所を構造的に併せ持っている。この制度の導入は労働者に期待と不安の双方を生み出してしまったのだろうか。

この制度を利用している従業員を対象とした調査(注3)によると、今のところ利用者の大多数はこの時間管理に関する潜在力をプラスと評価しているようだ。反対の評価をしているのはごく少数(19%)に過ぎない。また、事業所委員会委員を対象とした調査(注4)においては、多くが労働時間口座の導入により通常の労働時間制度と比較して、個人の時間管理の自由度が拡大したと回答している(74%)。反対の意見を述べた事業所委員会委員はきわめて少ない(6%)(注5)。

柔軟性と交渉の分権化

このような労働時間制度の変化は、手続き上の変化を促す。従来の標準的な労働時間は企業横断的な産業別の団体交渉によって定められていた。しかし、「労働時間貯蓄制度」のような柔軟な制度は、個別企業ごとの決定の自由度を必要とする。このため、労働時間の柔軟化は労使関係の分権化と並行して進行した。

ドイツの労使関係は二元的に構成されている。一つは、企業横断的に産業別に組織された労働組合と使用者の団体交渉による協約自治である。もう一つは、事業所レベルでの使用者と事業所代表委員会との共同決定制度による事業所自治である。この二元的労使関係では協約自治が優先される。

しかし、先に指摘したように、1984年の労働協約の際に、週平均38.5時間になることを条件に、個別ないし一部の労働者の労働時間を、一定の幅の中で定めることができるとした。これは本来、労働時間の長さは労働協約で決めることになっているにもかかわらず、一部労働者の週労働時間を事業所決定に委ねたことになる。

「労働時間貯蓄制度」の導入はさらに、企業の労働時間決定での柔軟性の幅を広げるとともに、団体交渉の分権化を促進した。

労働時間の長さは労働協約の専権事項と従来されてきた。したがって、このような柔軟な労働時間制度モデルの導入は労働時間が労働協約の規制から自由になったという印象を与えるかもしれない。しかし、その理解は表面的に過ぎるだろう。団体交渉によって規制された条件に適合した形で、企業レベルで実際に編成されるという点で、従来の枠組みは変わっていない。むしろ新たなモデルでは、従来の標準的な労働時間に比べ、団体交渉による規制の強度は強まっているいという側面もある。この意味で、新たな労働時間モデルは「規制された柔軟性」と表現してもよいかもしれない。

しかし交渉の分権化は、労働時間管理に対する従業員の立場を弱体化する可能性をはらむ。つまり、労働者の時間主権を向上させるという側面とともに、企業の意思が時間管理を左右する大きな要素となる可能性も否定できない。以上のような両義性に留意すべきだろう。

参考

  1. 小倉一哉(2008)「日本の長時間労働―国際比較と研究課題」『日本労働研究雑誌』No.575,pp.4-16
  2. Hartmut Seifert(2007): Flexible working time patterns in Germany and the Role of Works Councils
  3. Hauser-Dietz, A., Hertwig, M., Pries, L. (2006): Betriebsrate und andere Vertretungsorgane - Strukturen, Arbeitsweisen und Beteiligungsmoglichkeiten, in: WSI-Mitteilungen
  4. Dercks, A., Heikaus, O. (2005): Individuell und flexibel - Wettbewerbsfaktor Arbeitszeitgestaltung, in: Bundesarbeitsblatt
  5. Gross, H., Schwarz, M. (2006): Betriebs- und Arbeitszeiten 2005, sfs-Forschungsreihe Nr. 153
  6. Hildebrandt, E.; Wotschak, P. (2006): Langzeitkonten und Lebenslaufpolitik, in: WSI-Mitteilungen
  7. Bauer, F.; Gross, H.; Lehmann, K.; Munz, E. (2004): Arbeitszeit 2003, Berichte des ISO 70, Koln.
  8. Munz, E. (2006): Mehr Balance durch selbst gesteuerte Arbeitszeiten

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