国際フォーラム開催報告:「日米比較:コーポレートガバナンス改革と雇用・労働関係」
コーポレート・ガバナンスと雇用関係の日米比較

サンフォードM.ジャコビィ
(カリフォルニア大学ロスアンゼルス校アンダーソン経営大学院教授)

1.コーポレート・ガバナンスとは何か

コーポレート・ガバナンスとは、企業経営をめぐる一連の合意事項だといえる。誰が企業経営を支配するのか、また、CEO(最高責任幹部)や役員会の役割を明らかにしていくことといった意思決定や企業のコントロールの仕組みはどのようになっているのか。さらに、リスクとリターンの配分はどうなっているかといった企業経営をめぐる一連の合意事項である。特に、リスクとリターンの問題に関しては、「配分の管理体制」のなかで、重要な要素である。

また、コーポレート・ガバナンスは、所得や富の配分について各国固有の仕組みと諸制度を背景としている。このため、ドイツ型、英米型、日本型とさまざまな形での資本主義を生み出していく。

それでは、なぜコーポレート・ガバナンスが大事なのか。私たちがコーポレート・ガバナンスをこれほど話題とするのはなぜか。この問いについては、企業は現代経済の中で非常に重要な組織だという事実がある。企業には社会的な責任がある。そして、社会は経済的なインフラや法的な枠組みを企業に対して提供していく義務を持っている。そこで,私は最近、コーポレート・ガバナンスと人的資源―たとえば技能形成や雇用の安定性―においてどういった慣行があるのか、その関係についての調査を始めている。

コーポレート・ガバナンスと配分の結果がどうなるのか。すなわち、リスクとリターンの配分がどういうふうに各当事者に対して行われているのかについては今後、研究が必要とされている。

ガバナンスの重要課題は、企業の幹部が意思決定において利益をどのように考慮すべきなのかという問題である。いうまでもなく、現在および将来の株主のことを考えなければならない。将来の株主は、今後の経営環境にとって大きな要素になるからだ。企業が経営を持続させていくためには、将来のステークホルダーの関心と利害にも目を向けなければならない。もちろんそこには、サプライヤー、銀行、そして従業員をどう考慮するかの問題も含まれる。

他にもガバナンスにかかわる問題としては、いかに企業幹部がステークホルダーに対して公正、効果的に企業の利益を追求しているかという問題があるし、短期的な利害と長期的な利害のバランスをどのようにとっていくかの問題もある。

近年日本やアメリカで大きな問題となっているのは、企業の社会的責任(CSR)とは何かという問題である。ステークホルダーは、ガバナンスにおいてどういった役割を果たすべきなのかということも重要な課題となっている。

そして、この問題に対するベストの回答は1つなのか、それともそれぞれの社会で固有の答えを探っていかなければならないのかという問題が最後にある。

2.歴史的にみた日米のコーポレート・ガバナンス

今日、世界中には、さまざまなガバナンスモデルが存在している。アメリカやイギリスでは、企業の幹部が株主価値の最大化を追求していくモデルが圧倒的な優勢となっている。この場合、従業員はあくまでも生産の要素とみなされている。

一方、ヨーロッパ大陸では、法律によって定められているステークホルダーモデルがある。従業員の参画が必要となっており、協議も法によって求められている。この場合、ほかのステークホルダーにも役割が振られている。

日本はどうかといえば、インフォーマルな、すなわち制度化されない形でのステークホルダーモデルと呼べるかと思う。株主はいくつかのグループの中のひとつであり、企業の幹部は株主や他のグループの利害の調和をとりながらやっているが、法律によって定められている義務があるわけではない。

日米1900~1930年

日本やアメリカは、コーポレート・ガバナンスへの取組みが全く異なっているように思われるかもしれないが、歴史的に見ると、日本とアメリカが過去から現在に至る歴史の中で、今まで非常に類似した方向に向かっており、興味深いものがある。

ここで時代をさかのぼり1900年から1930年ぐらいまでを振り返りたい。この時代、日本もアメリカも父権主義的な大企業があり、活発な株式市場があった。当時は、株主がコーポレート・ガバナンスを圧倒的に支配した株主至上主義の時代でもあった。この時代は、金融のグローバル化の時代でもあり、今日と重なっている。20世紀初頭、日本とアメリカは非常に似ていたといえる。

戦後、アメリカはステークホルダーモデルをつくっていったが、日本も同様であった。この時代は、金融市場が管理されていたブレトンウッズ体制の時代であった。

そして1980年以降、アメリカはかつての20世紀初頭のような株主至上主義モデルにまた戻ったが、日本はそうではなかった。現在は、戻りつつあるのかもしれない。そして、これこそが現在、私たちが取り組まねばならない大きな問題である。金融グローバル化の時代にあって日本はどうなっていくのかという問題を考えていく必要がある。

日本とアメリカのスタート地点である1900年から1930年にかけては、圧倒的に経済を支配する大企業が両国ともに存在し、活発な株式市場があった。1929年の株式時価総額とGDPの割合を見ると、日本市場の方がアメリカよりも活発であったといえる。先進工業国の平均値が0.59であるのに対して、日本は1.20であった。このことから、日本は非常に市場の金融化が進んでいたといえる。

その当時、日米両方とも所有権と経営支配権が分離していた。企業経営は専門の経営陣によって行われていたわけである。すなわち、株主の所有価値を何倍にもしようということで働いていたわけである。労働組合は、ヨーロッパとは異なり弱かった。

また、いわゆる父権主義的な企業経営の方法で、従業員への分配を様々に行っていた。当時は、終身雇用はなく、需給に合わせた雇用の調整をしていた。そして、事業活動から得た利益は株主に分配されていた。そのために、所得分配は不公平に行われているという結果が出ていた。

図表1:トップ1%の収入が全体に占める割合
  日本 アメリカ
1900年 15%
1920年 15% 15%
1925年 18% 18%

図表1は、トップ1%の収入が全体に占める割合をアメリカと日本で比較したものである。1900年代の初期段階の分配を見ると、日本とアメリカは非常に類似なパターンを示している。日米ともトップ1%の人たちが得ていた所得の割合は大体同じだったといえる。

3.アメリカ社会の変化

では、その後アメリカ社会ではどんな変化が起きたのか。

1930年から45年の間にどんな変化があったかをまず見てみる。アメリカの場合、この間に労働組合の加入率が上昇していき、組合活動に対する政府の規制も強化された。こうした中、企業活動のみならず金融市場も規制の対象となった。そして、アメリカは大恐慌にみまわれ、その結果、大企業は世論から悪評を受けることになった。しかし、同時にこの頃、多くの人たちが株式を所有する株主となっていった。そして、創設者の株主所有分がどんどん個人投資家へと移っていった。

このような所有権の分散する過程を通じ、経営陣の支配が強くなっていった。各企業は新しいコーポレート・ガバナンス・モデルを発展させ、「ステークホルダーモデル」をこの時代につくった。そして、企業支配の正当性を裏づけようとした。

ではアメリカのステークホルダーモデルとはどういったものだったのか。このモデルは、第二次大戦から1980年代まで続いた。この間アメリカではCEOは通常、内部者(インサイダー)とされていた。CEOの労働市場は存在しなかった。CEOはその経験と忠誠心に基づいて社内の内部者から選ばれていた。役員会も、取締役会も同じ内部の人間がなるという形をとっていた。財務的には、内部留保に関して、これを債務とするのではなく、利用可能資金と考えていた。

企業は、長期計画を立て、長期的な投資を行い、終身雇用という長期的視点を重視するようになった。こうしたシステムの中で、経営陣は、その役割を対立する利害の調整役として考えていた。一種のステークホルダー的なアプローチである。そして、このとき企業はステークホルダーとして従業員を認めるようになり、従業員とリスクを共有し始めるようになった。その一つの形として雇用保障とか年金、健康保険を提供するようになった。さらに、利益やレントも従業員と共有するようになった。

経営者は収入を分配し始め、トップ1%の収入が1930年代は18%であったが、1952年には8%までに低下した。この8%のレベルは1980年代初頭まで維持された。

ステークホルダー信条1956年

1956年に3人のエコノミストが「アメリカン・ビジネス・クリード(アメリカの経営理念)」と題する本をハーバード大学から出版した。この本の中では当時の経営理念がどういうものだったかが明らかにされており、企業経営者は4つの広範な責任を負うと書いている。すなわち、(1)消費者に対する責任、(2)従業員に対する責任、(3)株主に対する責任、(4)一般大衆に対する責任――であり、「四者は対等の立場にある。経営の役割は、四者すべてに対して正義を確保することである。株主が特別に優先されることはない」としている。これが1950年代のアメリカだったと言える。

しかし、アメリカでは1970年代からみられた変化が1980年代まで続く。その理由は、この時期、アメリカの経済パフォーマンスが比較的弱かったということである。

その理由は、政府の規制が強すぎるというもので、これは1930年代の規制が続いていることへの不満であった。さらに、争議行為を行う労働組合の動き、また中には、経営者が非効率的で、無能だということを理由に挙げる人たちもいた。

経営者については、当時のコーポレート・ガバナンスのモデルでは、自由裁量権が大き過ぎると非難され、企業の帝国を築くことを目指し浪費しすぎていることが批判されていた。テクストロンとかITTなどの大きなコングロマリットの例があげられていた。

批判する人たちの言い分は、経営者は厳密に株主だけに焦点を合わせなければならないというものだった。「株主価値」が、一種のマントラ(呪文)やスローガンとなり、それを実現するために、コーポレート・ガバナンスのあり方を変えようということになった。

コーポレート・ガバナンスは、評論家によると、取締役が株主と連携していくことであり、それを目指そうということになっていった。こうした転換により、いろいろな変化があらわれ、世界的な資金の流れが変わっていった。

金融体制も1973年のブレトンウッズ体制の崩壊によって変わってきた。そして、大量に株を保有するグローバルな機関投資家が台頭していった。その中には、年金基金もあげられる。1960年には、機関投資家のアメリカ株式の所有は12%に過ぎなかったが、1985年には45%が所有しているという状況に変化した。これに伴い世界の金融市場、機関投資家がどんどん力を持つようになってきた。

新たな株主至上モデル

アメリカで発達した、新たなコーポレート・ガバナンス・モデルでは、金融財務関係者と取締役会のなかで、債務負担をするのは悪くないという考え方が出てきた。負債がだんだんと増加してくると、LBO(レバレッジド・バイアウト=M&Aの手法)とかジャンクボンド(信用格付が低くて利回りが高い債権)などを利用して企業の貸入金の割合を増やす(債務の増加)ようになった。そして、債務(借金)は別に悪くないと思われるようになった。これによって経営陣も引き締まるだろうというふうに言われた。毎月毎月の債務支払いができなければ、自由に現金を使うことができなくなってしまうということになったわけである。

ITTやテクストロンは、だんだん分断されるようになり、非コングロマリット化する中で、企業は、一番得意な分野に特化するようになった。事業が集中するなかで取締役会の役割が重要になり、監督の対象となっていった。そして、過半数は独立した取締役によって構成することが規定されるようになり、監査及び報酬委員会などが創設されることになるなど、取締役会の規模も縮小されていった。

こうした新しい動きはニューヨークの証券取引所でも具体的に表れ、1980年代の初期には、これらが上場の要件とされていった。

それでは、こうした「株主至上主義モデル」での取締役へのインセンティブはどんなものがあったのか。まず、外部からCEOを登用する形が出てきた。外部登用のCEOを使うことによって、企業内の体制を変革してくれるだろうと期待された。1980年代にCEOは、『フォーチュン1000社』の中で、5%が外部取締役ということになり、さらに2002年には、36%以上が外部からのCEOを迎えているという大きな変化がこの間に起きた。

さらに、もう一つの大事な変化は、ストックオプションに依存する度合いが強くなってきたことである。ストックオプションは、経営者と株主との利益を均等化する。1980年には、アメリカのCEOの30%がストックオプションを受け取っていたが、20年が経過した時点では、CEOのほとんどの人が受けている。ストックオプションは、基礎給与を上回るものになり、CEOにとっても基礎的な給与よりも重要な意味を持つようになった。

そしてその後の発展段階で、コーポレートコントロールによる市場が出てきた。つまり敵対的買収がだんだんと増加するようになってきた。

以前から、敵対的なTOB(株式公開買い付け)はあったのだが、1980年代になって、頻繁に見られるようになった。これはCEOに対し、株主の価値の最大化を要求していくための圧力にもなるという理屈にもなった。

新モデルの結果

新しいモデルがもたらした結果としては、リソース配分への影響が興味深い。新しいモデルにより、効率性が高まったか否かについては議論があるものの、配分そのものに着目すると、リソースが株主とCEOへ再配分されたことが見てとれる。トップの1%の所得は20世紀初頭のレベルまで戻り、かつての8%から16%にまた戻っていった。

こういったトップ1%の所得の増加を反映したものであると同時に、従業員へのリスクの移転が見られた。ダウンサイジングの対象が、まずは労働者とマネジャー、それから経営者といった順番になった。健康保険も縮小され、年金も確定給付型から確定拠出型へとシフトしている。そして、人事担当役員のステータスが低下した。これがアメリカの新しいモデルの結果である。

海を渡る株主至上主義

それでは、海外でこのモデルはどう展開しているのか。1990年代は、アメリカの株式市場が好況を呈し、アメリカ史上最も「強気なマーケット」が展開したときでもあった。この時、多くの人々は「株主価値モデル」の採用が、こういった株式市場と高騰を招いたのだと考えていた。株式市場がなぜこんなにも好況を維持できたのかについては、投機的な結果であったとか、金融政策の結果であったとか、赤字が縮小したとか、様々な理由があげられている。しかし、ウォール街ではコーポレート・ガバナンスの変化が株式市場の好況を可能にしたということをあげている。この結果が、アメリカ型のコーポレート・ガバナンスを他国へ輸出するための理由づけにも使われた。

4.日本社会の変化とコーポレート・ガバナンス

では、日本はどうだったのか。戦争中、日本の政府は株式市場の比重を軽減させ,政府は銀行による長期的な融資を促進させてきた。長期的な計画づくりを推奨し、従業員の参加、参画を許容するよう企業に求めた。

一方、戦後の占領時代は、企業法が見直され、株主の権利を制限させていくためのさまざまな手段が講じられ、1950年代にはいると株式の持ち合いが一般化されてきた。このときにメーンバンクという仕組みも定着してきた。

50年代~60年代には、労働側が経営者に対して、労働者としての権利、雇用の安定や公平な給与・処遇を要求してきた。このように、1970年代になると「株主至上主義モデル」がステークホルダー制に取ってかわることになる。

ステークホルダーモデル

1950年代から80年代にかけての日本におけるステークホルダーモデルはどういうものであったかというと、さまざまな意味でアメリカのモデルと似た、むしろ強化されたモデルであったといえる。

日本の法律では、「企業は株主のもの」となっているが、日本の大企業はこの企業の構成員の利益のために経営されてきた。構成員とは、フルタイムで勤務するすべての正社員(会社員)だった。正社員はリスクから守られ、利益を分かち合い、意思決定にも参加していた。合言葉は「共同体」「総意」「平等」だった。

一方、株主は、重要なグループではなかった。例外的に何かの危機が勃発したときなど、財務的な危機が生じない限り、企業は会社員の集合体のものだった。これが80年代に青木昌彦氏が指摘したモデル「Jファーム」である。

誰が管理するか

「Jファーム」で、日本型の企業を実際に動かしていたのは、企業内部の人材で構成される役員と主要な事業部、―人事部なども入っているが―の幹部となっている人だった。しばしばこのような人事部または人事サイドの代表者たちが役員会において会社員の利害を代弁していた。監査役は、株主によって任命されていたが、通常は積極的な姿勢はとっておらず、幹部となっていく過程で、自分たちの義務感や内部の評価に動機づけられていた。換言するとお金ではなく、地位(ステータス)を動機づけにして動いていたといえる。

日本企業では、幹部といえども給与はそれほど高くはならず、株式報酬を与えられることも通常なかった。企業が何か危機に瀕していない限り、内部に目を光らせている人はおらず、メーンバンクが目を光らせている。場合によっては、従業員や労働組合が目を光らせていくことはあった。日本企業の場合、こうしたモデルはうまく機能していたといえる。

しかし90年代に入りJファームの財務状況が悪化したとき、外部者が取締役に任命され、日本企業の社長もアメリカのCEOと同様に職を失う可能性も出てきた。

変化への圧力

1990年代からの景気後退を受け、日本は変化をすべきだというさまざまな圧力がかかってきた。金融市場のグローバル化も影響を与えている。外国人投資家の株式の保有率は、東証の場合には1990年に6%であったが、2005年には24%にまで増加している。

日本は再び金融の度合いが高まっている社会になっていった。GDPに対する株式市場の時価総額は、1980年から1999年までの間の変化を見ていくと、1980年が0.33、1999年には3倍に拡大して、0.95となり、1929年と同等のレベルまで戻っている。

また銀行の統合がすすみ、かつて銀行が保有していた持ち合い株の売却が行われたことで、メーンバンク制度自体が弱まってきた。依然として系列内での内部調達は行われているものの系列は、以前ほど強い結びつきではない。

そして、さまざまな分野であらわれてきた「変革者」が、90年代の日本の景気停滞は、コーポレート・ガバナンスの失敗と、柔軟性が欠ける労働市場によるものだと主張している。

「変革者」の中には、外国の投資家もおり、日米構造協議を通じて日本の変化を要求するアメリカ政府が変革者の役割を果たしている場合もある。さらに、村上ファンドの村上氏や政府のための仕事をしているエコノミストたちもこのような発言をする。

90年代には、こういった変革者たちは日本政府に対して、日本もアメリカのような株主価値モデルを採用すべきだと推奨してきた。すなわち、外部者によって構成される役員会を設けるべきであるとか、会社の幹部は株価を高めていくためにもっと集中すべきだとか、従業員などのステークホルダーはもっとリスクを担うべきだ、利益に対する分配の比重を少なくしていくべきだと主張している。

変化の証拠

そうした結果による変化として、取締役会の決定における株価にいっそう注意が払われるようになり、取締役会も縮小された(72%が縮小)。社外取締役など外部人材の経営参加も進んだ。そして、ソニーが先陣をきった執行役員という仕組みが拡大していく。外国人の所有が進むにつれ、レイオフは行わないものの、早期退職などを活用したダウンサイジングを実行するようになってきた。

商法に関わる一連の改正は、新しいコーポレート・ガバナンスをサポートしていくためのシステムの枠組みを提供している。しかし、これは新しい形を強要するものではなく、それを採用したい場合、選択が可能な道を開くというゆるやかなスタンスのものである。一番大きな変化といえるのは、連結ベースの会計とあわせて、公正な会計を要求する法律が成立したことによる透明性の確保と情報開示を強調している点である。

5.日本のコーポレート・ガバナンス:変化は緩やかに

とはいえ日本においての変化のスピードはアメリカよりもゆっくりとしたものであることは確かである。取締役会もアメリカ方式は一般的ではない。2002年以降採用しているのは外国資本が入ったところが大半で、125社程度である。つまりアメリカ型のコーポレート・ガバナンス・システムは、日本では、まだ一握りの会社しかそれを採用していない。あくまでも内部の人間で構成される役員会が多く、外部の役員は1名だけにとどめている場合が半数を占める。また、確かに銀行の持合株は減少しているが、90%の企業は今でも相互の持合株を行っている。

敵対的な買収は非常に珍しく、企業はそれに対する防衛策を講じている最中である。個人株主の権利は強くなりつつあるが、アメリカに比べるとまだまだ弱い。日本企業の財務部は比較的弱く、人事部が強いものであり続けている。また、日本企業の方が、アメリカ企業よりも社会的な責任や義務に対しての意識が高いといえる。

過去に実施した調査で、日米の取締役にとって、株価と雇用維持のどちらが重要かを聞いたことがある。

図表2:「あなたにとって何が重要ですか?」
  日本の取締役
1992
日本の人事部取締役
2001
米国の人事部取締役
2001-02
株価 2.0 2.3 3.3
雇用の維持 3.3 3.2 2.1

(1=重要ではない……4=重要である)

図表2によると、日本の取締役にとって株価に対する重要性が高まってきている兆候が出ているが、アメリカほどではないといえる。

雇用の維持については、日本の取締役にとってアメリカよりもはるかに重要視されている。

権力人事部VS財務部

一方、企業内の権力の配分をみると、日本企業では、企画部が圧倒的に本社機能の中で力を持っていることが明らかとなった。人事部は、自分たちは社内で6部門中3番目と位置づけている。

一方、アメリカ企業では、財務部が圧倒的な力を持っており、人事部は、自分たちは5番目に重要であると位置づけている。

また、アメリカのCFO(最高財務責任者)に対する調査の結果では、人事が本社機能の中で一番力がないとの答えを得ている。このように企業内権力を見ていくと、日本とアメリカの企業の間にはまだまだ大きな違いがある。

もう一つ、連合総研が調査で「企業は株主の財産であり、従業員は単なる生産手段のひとつであるという考えに同意しますか」と質問したところ、日本の取締役でそうであると答えた割合は9%、アメリカのCFOの場合、67%がそのように答えた。この違いは著しいものがある。

なぜ変化が遅いか

では日本の変化がどうして遅かったのか。ひとつの答えが早稲田大学の宮島英昭先生の研究 にある。この研究によると、「取締役会の構成、株主の権利、あるいはブロック所有が、総資産利益率(ROA)や株価の動向に大いに関連しているかどうかの確証はない。情報開示のみがROAと(よい方に)関連している」といっておられる。

ということは、情報開示を行い、透明性が高い企業の方がROAが高くなっているということで、取締役の構成、株主の権利などで左右されることはないというわけである。

したがって、日本の変化が遅かった理由は、結局コーポレート・ガバナンスが、会社のさまざまな部分と制度的な補完性をもっているからであると考えられる。コーポレート・ガバナンスを変えようとするならば、日本企業の経営における特徴的な部分をも変えていかなければならない面があった。

アメリカのような企業スキャンダルが起こるならば、別にアメリカのモデルを採用する必要はなさそうだと日本の企業も思うようになる。アメリカモデルが企業の理想的な形ではなさそうだと思うようになったということもある。

社会における結果

日本は不平等と不安定になることが懸念されている。1997年以来、日本でも不平等が拡大しているが、米国に比べれば低いレベルにとどまっている。

たとえば、アメリカのCEOは、2005年の平均的な社員の262倍の報酬を受け取っているが、日本企業ではここまでの差はない。

図表3:階層別株式配当の割合(2004年)

図表3

また、アメリカの中間層の家庭は、株をそれほど所有していないので、株式市場の動きは、それほど影響を与えない。したがって、米国のトップの人たちの報酬、収入はますます増えていくわけだが、中流家庭の収入には影響がなかったといえる(図表3)。これに比較して、日本では、古い経営モデルがあったので、このような不平等性が生じないような仕組みになっていて、格差が開くのをある程度抑えていたといえる。

図表4:トップの収入が全体に占める割合
2002年(1980年)
  トップ 5% トップ 1% トップ 0.1% トップ 0.01%
日本 24(20) 8(7) 2(1.7) 0.6(0.4)
アメリカ 30(21) 15(8) 6(2) 2(0.6)

トップの収入が全体に占める割合を1980年と2002年で比較してみる(図表4)。この図から、日本のトップの富裕層の収入は、1980年から2002年の間にほとんど変わっていないことがわかる。より上位に対する収入が増えていった形だが、日本はこうした所得のシフト自体がアメリカと比べると大きくない。もちろん、日本にも変化があった。しかし、アメリカの方が大きな変化が出てきている。

6.コーポレート・ガバナンスの将来-日本とアメリカ

アメリカと日本の企業両方とも株主重視になってきているということ、そして雇用に関しても市場志向になっている。しかし、日本はアメリカと比べ、よりゆっくり移行している。したがって、職はより安定し、企業では人事部がより強力で、会社はまだ一種のコミュニティーであり、上層部の収入は時間が経過してもそれほど変わっていない。しかし下層では、非正規雇用の増加などが原因で伸びが余りない。

日本はハイブリッド型のシステムを動かして発展させている。株主をより重視しながら、他のステークホルダーも認識している。

また、アメリカでも職の安定やステークホルダー精神の面でハイブリッド型の兆候がいくらか見られる。しかし、こういう企業はほとんど私企業で、株式非公開の仕組みをとっているところである。つまり、アメリカの経験からいうと、株式会社におけるステークホルダー型アプローチには株式市場が干渉するわけである。

今後を考えると、日本社会や企業がさらに金融化して、株式市場がステークホルダーシステムに干渉するようになるかを注目したい。これは、日本が今後どのように発展していくかを見るときに大きな注目点となる。

今後に向けての疑問点

20世紀初めのように、アメリカでも日本でも金融化が進み、それが行き過ぎになると、反動が起きる可能性もないとは言えない。

今後の課題は、どこまで日本社会が不平等を許容できるかどうかである。企業や労働市場の柔軟性が増せば、リスクも高まる。そこで恩恵を受けるのは一体だれかということになる。どんな社会でもステークホルダー型の価値観を国際金融市場からの圧力のもとで維持することができるかどうかということが問題になってくる。

そして、法律ではなく、社会規範に基づいている日本のコーポレートモデルはどの程度安定しているのかも課題となる。

株主至上主義の利点に多くの議論はあるが、コストの点についての議論は多くない。エコノミストは、コストとベネフィット、両方の観点を考えてなければならない。まだまだ、検討されるべき課題は多い。

2007年3月 フォーカス: 日米比較:コーポレートガバナンス改革と雇用・労働関係

関連情報