多様な働き方:イギリス
IT時代の「賢く働く」という選択

「働き方」を変えたいという欲求の高まり

英国の労働市場の大きな特長の一つとして、「長時間労働」がしばしばあげられる。フルタイム労働者の週労働時間は欧州で最も長い41.0時間である(2003年)。製造業の生産労働者について年間総実労働時間(2003年)をみると1888時間で、日本(1975時間)やアメリカ(1929時間)よりは少ないが、ドイツ、フランスの1500時間台を大幅に上回っている。

英国では「EU労働時間指令」を受けて1998年に初めて労働時間規制が整備され、週労働時間の上限は週48時間と規定されている。しかし労働時間に関するいくつかの調査は、この規定を超えて働いている労働者の実態を明らかにしている。こうした長時間労働を可能にするのが「オプト・アウト(適用除外)」の存在。英国は、労働者が個別に経営者と合意すれば週48時間を超えて働くことができるオプト・アウトを認めている。労働力調査(2002年)によれば、フルタイム男性労働者の26%が週48時間を超えて働いており、さらに週60時間を超える長時間労働者も約1割に上ることが示されている。

それでは、英国の労働者は本当に長時間働きたいのだろうか。2004年の貿易産業省(DTI)の調査によれば、労働者の28%が「労働時間が長すぎるために、私生活を犠牲にしている」と答えている。また、38%が仕事と生活との両立のために、実際に労働時間を変更していた。こうした調査は、実際には英国の多くの労働者が長時間労働に不満を抱き、もっと多くの時間を家庭や個人生活に費やしたいと考えていることを示唆している。こうした英国労働者の「働き方」を変えたいという欲求の高まりがワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)を生み出していった。

ワーク・ライフ・バランス政策

1997年にブレア首相労働党政権が誕生する以前は、政府はワーク・ライフ・バランス政策にあまり力を入れてこなかった。それはワーク・ライフ・バランスの問題が労使間の自主的な決定に委ねられるべき事柄であり、政府が介入するべきではないという伝統的な考え方が根強かったこと、また、ワーク・ライフ・バランス支援の結果として優秀な人材の獲得や従業員の定着というメリットを受けるのは雇用主であるわけで、その対策を打ち出し費用を捻出するのも企業であるべきという、受益者負担の考え方がとられてきたためである。

育児休業制度が導入されるまでの経緯にも、そうしたスタンスが現れている。従来英国では女性だけを対象とした出産休暇制度が実質的に育児休業を代替する形になっており、育児の負担が女性に偏っていた。EUでは「育児休業に関する指令」の案が1983年という早い段階で提出されていたが、政府はそれに対して拒否の姿勢を貫いてきた。当時の保守党政権下では、育児休業の法制化は企業の負担が大きいとの反対があり、制度導入に伴う雇用への悪影響も懸念されたため、制度は労使協議に委ねるのが適当というのが政府の主張であった。1996年に英国が同意したためようやくEU指令は採択され、それを受けて英国内で育児休業に関する法整備が行われたが、それは現労働党政権への交代後の1999年であり、EU加盟国の中では最も遅れていた。

しかし、現政権が1997年に発足して以降は、英国でもようやくファミリーフレンドリー施策が重視されるようになった。2000年にはワーク・ライフ・バランス・キャンペーンが開始される。2002年には父親休暇が法律により規定され、男性の育児への関与を高める姿勢が打ち出された。そして2003年1 月にはワーク・ライフ・バランスに関する政府の戦略を示した文書(注1) が公表された。それによれば、「仕事と生活を両立させるための柔軟な働き方を可能にすることが、いまや社会的、経済的、経営上の中心的課題」と位置づけられている。

ワーク・ライフ・バランス、次の展開

英国でワーク・ライフ・バランスの概念が広まった背景には、欧州先進国と比較して低いといわれる生産性を改善するとともに、優秀な人材を確保するためには魅力的な就業環境を整備しなければならないとの企業側の問題意識があった。前述したように、現在政府は、ワーク・ライフ・バランス支援のために柔軟な働き方の選択肢を増やすことは社会的、経済的、経営上の中心的課題と考えている。次にとりあげる「ワークワイズ(賢く働く)」は、企業が情報技術(IT)を導入することによって、より多くの労働者がこれまでの就労のあり方を見直し柔軟な働き方を可能とするように、主として経営者に働きかけるものである。ワーク・ライフ・バランスをさらに推し進める取り組みの一つであるといえよう。

「働き方」を変化させるIT

「働き方」を変化させる大きな要因の一つにIT化の進展という環境の変化があげられる。2005年の調査(Home-based working using communication technologies)によれば、 英国における在宅労働者は約300万人で、このうちテレワーカーは238万人(うちTCは200万人)おり、労働力人口の約8%を占めている(注2)。1997年に調査を実施して以来、テレワーカーは一貫して増加しており、238万人のうち、男女別では男性が68%を占めている。また従業上の地位については(TC)、自営業者が64%、雇用者が34%、家族従業者が2%となっており、労働力人口全体では自営業者は11%しか占めていない点からすると、テレワーカーに占める自営業者の比率は大きい。英国ケンブリッジ大学ブレンダン・バーチャル教授は、「情報コミュニケーション技術(ICT)と新しい知識経済によって専門的なテレワーク従事者が、自分の仕事と仕事以外の社会参加をよりよくコントロールできるようになったと指摘する。(注3)

ワークワイズキャンペーンの概要

ワークワイズとは、2006年、IT フォーラム財団(ITFF、非営利組織)によって開始されたキャンペーンである。支援団体には、英国労働組合会議(TUC)、英国産業連盟(CBI)、英国商工会議所(BCC)、などが名を連ねている。ワークワイズは今後3年間、情報提供を主に活動する予定となっており、3年後には「労働者の半数がより賢く働くことができる」環境にすることを目標としている。

ワークワイズの特色は、ITを活用することで労働者の勤務形態を柔軟にしようとしている点にある。ワークワイズでは、よりスマートな働き方の実現には、(1)柔軟な労働時間(2)柔軟な就業場所が重要だと考えており、この実現にITが大きく貢献すると考えている。

2006年5月に開催された「ワークワイズサミット」においてワークワイズの戦略的パートナーであるブリティッシュ・テレコム(BT)グループのクリストファー・ブランド会長は、「中国やインドといった新興勢力と英国が競合するには、英国企業の従来の業務慣例を変えなければならず、より多くの人々がブロードバンドなどのテレワーク技術を使用することができるようになれば、ストレスの少ない環境で働くことで、品質の高い仕事ができるようになる」と指摘している。

さらに同サミットに参加したDTIもワークワイズのイニシアチブに賛同し「英国経済発展には、ITの活用が不可欠である」として協賛したほか、労組、使用者団体からも支持を受けた。ディグビー・ジョーンズCBI会長は、柔軟な労働形態が生産性や労働者の動機付けに良い影響を及ぼすことをより多くの企業が認識するようになっているとした。

一方、TUCのブレンダン・バーバー書記長は、一部の労働者だけが柔軟な働き方を享受している現状について触れた上で、すべての労働者がワーク・ライフ・バランスを実現するには、まだ長い道のりがあると格差が広がることに懸念をのぞかせる。

確かに、仕事と生活のベストブレンドを見出すことはそう簡単ではないだろう。国家には繁栄を維持する、企業には利潤を追求する、そして労働者には生活を楽しみたいというそれぞれの利益が存在する。各者の利益を完全に一致させることは難しく、その調整には時間がかかる。多様な社会に合致した多様な働き方とは何か。英国のワーク・ライフ・バランスは様々な取り組みをとりいれながら、ベストブレンドに近づくべく着実に歩を進めているようである。

参考資料

  1. 『少子化問題の現状と政策課題 ―ワーク・ライフ・バランスの普及拡大に向けて―』労働政策研究・研修機構(2005.12.16)

2006年8月 フォーカス: 多様な働き方

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