外国人労働者受入政策
フランスの移民政策

数字でみる移民

「外国で生まれ、出生時にフランス国籍を持っていなかった人」――これが、フランスにおける移民の定義である(国立統計経済研究所)。つまり、出生地と国籍の届出によって、移民か否かが決まるということになる。1999年の国勢調査によれば、フランス本国に居住する移民は431万人。これは、人口の7.4%にあたる。このうち156万人がフランス国籍を取得している。残りの275万人は国籍を取得しておらず、これにフランスで生まれた外国人51万人を加えると、フランス本国に居住する「外国人」は326万人ということになる。

移民の出身地をみると、ポルトガル、アルジェリア、モロッコが最も多く、合わせて50万人に達する。次いで、イタリア、スペイン、チュニジア、トルコ、アフリカ諸国となっている。EU(欧州連合)の従来加盟国15カ国からの移民は減少傾向にあり、1975年は移民全体の56%を占めたが、1999年は45%であった。ただし、2004年5月にEUが拡大(10ヶ国が新たに加盟)したこともあり、今後この数字には何らかの変化が現れる可能性がある。

しかし、これらの数字が必ずしも現実を語っているとはいえない。というのは、正式な滞在許可証を持たない外国人(サン-パピエ)の数をつかむことが事実上不可能だからだ。情報省では、この数を30万人から100万人と予想している。まさにフランスは「人種のるつぼ」であり、移民の受け入れには長い歴史をもつ。

移民受け入れの歴史

既に19世紀後半から出生率が低下し始め、第一世界大戦以降、人口が著しく減少したフランスでは、大量の移民を受け入れていた。特に第二次世界大戦後の「栄光の30年」と呼ばれた経済成長期(1945~75年)には、安価な労働力が必要とされ、スペインやポルトガル、マグレブ(特にアルジェリア)から大量の移民が集まった。彼らの多くは炭坑や自動車工場の労働者として働き、フランスの経済成長を支えてきた。

しかし、オイルショック後の74年、当時のジスカール・デスタン政権は突然、国境の閉鎖と、就労を目的とする移民の受け入れ停止を決定する。その背景には、オイルショックによる経済不況だけでなく、低賃金で過酷な労働条件の職種が外国人労働者の職場として固定化したり、劣悪な環境の住宅や居住地域が形成されたり、さらには自らの権利に目覚めた外国人労働者たちによるストライキ等の労働争議が発生し始めるなど、新たに生まれた社会・経済・政治的問題が存在するとされる。

不況下で移民労働力への需要が減少すると、移民政策は「労働力導入」を目的としたものではなくなった。移民は国にとって必要な「労働者」ではなく、社会のなかの「異質」な要素として認識されるようになっていったのである。こうしたなか政府は、1976年「帰国奨励政策」を開始する。これは志願者全員に1万フラン(約20万円)の奨励金を支給し、移民たちに本国への帰国を促すものであったが、効果はみられなかった。また、新規の外国人労働者の受け入れを停止した一方で、家族の合流は認めていたため、定住化した移民の家族呼び寄せとその二世の誕生によって、外国人労働者の数に変化はないが、移民の数は増加し続けることになった。

移民政策の推移

こうして74年に就労を目的とする移民受入れ停止が決定されて以来、フランスは「移民流入の抑制」と「正規滞在移民のフランス社会への統合」を柱とした移民政策をすすめていくことになる。それは主に、移民法と国籍法の改正によって行われた。1981年、ミッテラン大統領が勝利し、左翼政権が誕生すると、移民の入国を法律で取り締まる一方で、すでに入国している移民について一層の権利の確立が保障された。しかしその後、議会で右派が過半数を占めると、外国人の権利を縮小する法案が可決される。93年の改定移民法(通称パスクワ法)、国籍法修正案(メニュリー法)により、フランスへの入国も、滞在した場合の保護も大幅に制限された。この法律のもと、フランスで生まれた外国人の子供は、16歳から21歳の間に、「自らの意志で」フランス国籍を申請することが義務づけられ、「本人の意志によってフランス人となることを選択した者にしか国籍を認めない」という方針が強化された。また、97年の移民法(ドゥブレ法)は、移民の滞在許可証の更新を認めないという更に厳しい内容となった。

左翼政権復活後の98年に改定された移民法(シュヴェーヌマン法)は、滞在期間や就労実績、子供のフランスでの教育期間等の条件つきで、サン-パピエを合法化するものであったが、以後条件が追加され制限の厳しいものとなっている。国籍法に関しては、ギグー法(98年9月1日施行)により、「外国人を親としてフランスで生まれた子供は、成人すると意志表示をしなくてもフランス国籍を有する」とした。以来、フランスで生まれた外国人の子供は、18歳になれば「自動的に」フランス人になることになった。しかし、メニュリー法同様、志願者は5年間フランスに滞在していることを証明できなければならないという条件付きである。

労働市場テストの導入

原則的に就労を目的とする移民の入国を認めていないフランスだが、労働市場テストを導入し、外国人労働者受け入れの必要性が認められた場合に限り、県庁は臨時滞在許可証(有効期間1年)を発給している。この制度は、国内の求人動向を踏まえて、特定の業種や地域に限定するなどして外国人労働者を受け入れる方法で、ドイツやイギリスでも導入されている。フランスでは、県の労働雇用職業訓練局が、職種、地域雇用情勢、30日間の募集の結果等に基づき、外国人労働者受け入れの必要性を審査する。しかし、失業率が高い現状では、新規に許可されることはほとんどない。ただし、大学の教員、公的研究機関の研究委員等の高資格労働者に関しては、雇用情勢に関係なく、フランスに対する経済的・文化的貢献度によって判断される。

最近の動向

政権により若干の違いはあるものの、基本路線では大きな変化もなくすすめられてきたフランスの移民政策。しかし、97年後半からの景気の回復を背景とする雇用環境の改善や、テクノロジーの進化、少子高齢化、そしてEU拡大等、フランスを取り巻く経済・社会状況は大きく変化している。こうした変化を背景に、新たな観点から移民問題が取り上げられ始めている。例えば、98年にはIT技術者の受け入れ促進のため、「コンピュータ関連技術者への滞在許可証発給を容易にすることを目的とする」通達が出された。この通達により、情報処理学科を卒業した留学生のうち、修士レベルに相当する「情報処理エンジニア」の資格を有し、かつ年収18万フラン以上を得られる者については、帰国せずに、留学生資格の臨時滞在許可証から労働許可付きの臨時滞在許可証への資格変更が可能となった。こうした外国人の高資格労働者は、フランスの経済発展に貢献するとして積極的に受け入れるべきという意見も高まっている。その一方で、未熟練労働者の受け入れ抑制の必要が強調され、移民政策は2分化する傾向にある。社会的・経済変化を受けながら、フランスの移民政策は新たな方向に向かっていくのか。その動向が注目される。

フランスにおける外国人労働者数の推移
  1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999
永住労働者流入数(万人) 2.2 2.6 4.2 2.4 1.8 1.3 1.2 1.1 1 1.1
一時滞在労働者流入数(万人) 0.4 0.4 0.4 0.4 0.4 0.5 0.5 0.5 0.4 0.6
外国人労働者総数 (万人) 155 150.6 151.8 154.2 159.4 157.3 160.5 157 158.7 159.4
労働者に占める割合 (%) 6.2 6 6 6.1 6.3 6.2 6.3 6.1 6.1 5.8

資料出所:OECD「Trends in international migration 2001」から作成。

出典:『通商白書2003』


参考資料

  1. 稲葉奈々子「『共和主義的統合』の終わりと『多分化主義』のはじまり―フランスの移民政策 」小井戸彰宏編『移民政策の国際比較』明石書店、2003年
  2. 岡田晴彦「ジョスパン政権の移民政策」JETROユーロトレンド、2000.6
  3. ジョリヴェ・ミュリエル著/鳥取絹子訳『移民と現代フランス』集英社新書、2003年
  4. 経済産業省編『通商白書2003』
  5. 三浦信孝『現代フランスを読む』大修館書店、2002年
  6. ギィ・デプランク「フランスの人口」在日フランス大使館HP

2004年11月 フォーカス: 外国人労働者受入政策

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