最低賃金の論争、一段と加速
―欧州司法裁判所判決の波紋広がる

カテゴリー:労働法・働くルール労働条件・就業環境

ドイツの記事一覧

  • 国別労働トピック:2008年6月

ドイツの半数の州は、公共建設事業を発注する企業との契約条件に、下請け企業も含め、その地域の最低賃金をはじめとした労働協約の遵守を義務付けている。ポーランドの下請け企業が絡んだ件で、欧州司法裁判所は4月3日、この州法をEC海外派遣指令96/71(注1)に違反するとの判決(注2)を下した。この判決が同国の最低賃金制度をめぐる論争を加速させている。最賃制度の不備がこうした判決を招いたとして、かねてより制度の充実を訴えていた社会民主党(SPD)などは一段とその声を強くしている。

公共建設事業の委託発注州法が争点に

今回争点となったのは、ニーダーザクセン州の委託発注法。同法では、建設公共事業の入札時に、当該地で拘束力を有する労働協約を遵守する旨の誓約書の提出を業者に義務付けており(以下、「協約遵守規定」とする)、こうした協約遵守規定の適用範囲が当該受注業者のみならず、その下請業者の雇用関係にも及ぶとしている。

ニーダーザクセン州は2003年秋、入札を経てオブイェクト&バオレギー(Objekt und Bauregie)社に公共建設事業を発注した。同州の委託発注法に基づき、受注契約には、建設現場の労働者に対し、公共建設事業について当地で有効な労働協約が定める最低賃金を遵守する旨の業者側の誓約が盛り込まれていた。建設作業にあたって同社は、下請業者としてポーランドを本拠地とする企業を使用していたが、2004年夏に当該下請業者の派遣する労働者が、協約に定められた最低賃金を下回る賃金で就労していた疑いが浮上した。その後、契約上の協約遵守義務を怠ったとしてニーダーザクセン州が受注契約を解約したため、オブイェクト&バオレギー社はハノーファー地方裁判所に訴えを提起した。

ハノーファー地裁は原告の訴えを棄却。その後、原告はツェレ高等裁判所に控訴した。ツェレ高裁は、「当該州法の協約遵守規定は、(1)サービス提供の自由に関するEC条約第49条、(2)サービス提供の枠組みにおける労働者の海外派遣に関する指令96/71――の解釈に関わるものである」として、訴訟手続きを中止した上で、欧州司法裁判所に先決的判決の付託を行った。

ドイツ国内の状況をみると、ニーダーザクセン州に限らず、委託発注州法に労働協約遵守規定を盛り込んでいるのは全16州のうち8州に及ぶ。1999年のベルリンが導入したのを皮切りに、2000年~2004年の間にバイエルン、ザールランド、ニーダーザクセン、ブレーメン、シュレースヴィッヒ=ホルシュタイン、ハンブルクが、2007年にはヘッセンが導入。さらに今年夏には、ラインラント=プファルツも同様の規定を盛り込む準備を進めていた。こうした規定の適用範囲をみると、導入時期が古いものでは建設のみに限定されているのに対し、比較的新しい規定ではごみ処理や建物清掃、警備などにも拡大されており、最近改正となったベルリン州法では、職種・業種の限定なく全ての公共事業を対象とする極めて広範なものとなっている。

判決―公共事業のみ対象とした協約の一般的拘束力を否認

EC指令96/71は、高賃金国が低賃金国の労働者を出身国の賃金水準で働かせることによる「社会的ダンピング」を防止するのを目的としている。第1条第3項(a)で、適用対象をEU加盟国に所属し、国際的なサービスの提供という枠組みにおいて、他の加盟国に労働者を派遣する企業に設定。第3条第1項第1サブパラグラフでは、派遣企業が派遣先国の法律、規則及び行政規定、または一般的拘束力宣言を有する労働協約・仲裁規定に従い、派遣労働者の最低賃金などを保証するよう加盟国に義務付けている。

さらに、第3条第8項は、この場合の労働協約・仲裁規定とは、当該地域の当該職種・業種に属するすべての企業を遵守の対象にするものを指し、また、労働協約や仲裁裁定に一般的拘束力を付する制度がない場合は、当該地域の当該職種・業種に属するすべての類似の企業に一般的に適用される労働協約・仲裁裁定、あるいは国レベルで最も代表的な使用者団体と労働団体によって締結され、当該国のすべてにわたって適用される労働協約も根拠とすることができると規定している。

本事案ではまず、公共建設事業に従事する労働者を対象とする労働協約が上記第3条第1項第1サブパラグラフ及び第3条第8項が定める一般的拘束力宣言を受けた協約に該当するか否かが争点となった。これについて欧州司法裁判所は、当該協約が公共事業のみを対象とし民間事業には適用されないこと、また、当該協約が一般的拘束力宣言を受けたものでないことから、「同指令の手続きに沿った一般的拘束力を有する協約に該当しない」と判示。その上で、「民間事業と公共事業に従事する労働者の差別待遇を正当化する根拠もない」として、州法によって、公共建設事業のみを対象とした協約最低賃金の適用を義務付ける措置を否認した。

次に争点となったのは、EU加盟国外に本拠地を有する下請業者についても拘束力を付する委託発注法が、EC指令96/71に違反するか否か――である。これについて欧州司法裁判所は、同指令がEC条約第49条「サービス提供の自由」を追求する趣旨であることを受け、「公共事業の委託発注について地域の局地的労働協約の遵守を義務付ける措置は、低賃金国を本拠地とするサービス提供者に対し追加的な経済負担を課すもので、派遣先加盟国におけるサービス提供の自由を妨げる可能性があり、EC条約第49条の制限に該当する」と判示。また、同指令自由競争原則からの逸脱を正当化する強制的根拠となり得る「公益(すなわち、労働者保護の必要性)」について言及し、「派遣企業が自発的に当該協約に署名する場合、あるいは派遣元加盟国の法令または労働協約が同指令を上回る有利な労働条件を定めている場合を除き、派遣労働者への保証が義務付けられる保護基準は、同指令が規定するものに限られる。それを上回る労働条件の義務付けによるサービス提供の制限は容認できない」との見解を示した。その上で、「同指令の国内法措置としての労働者送り出し法によって適用可能な最低賃金率を上回る労働条件遵守の義務付けは、労働者保護という目的からも正当化できない」とし、派遣企業に対する当該協約遵守規定の適用を否認した。

なお、上記労働者送り出し法とは、同指令のドイツ国内実施法として96年に制定された「国境を越えた役務給付における強制的労働条件に関する法律」。建設業において一般的拘束力を付された労働協約の内容が、同協約が統一的な最低賃金に関する条項を置いている場合には、外国に所在地を有する企業とその労働者にも適用される旨定めたものだ。

今回の判決により、類似の州法を有する発注当局は対応に追われることになる。もっとも、欧州司法裁判所はこれまでも基本自由権の制限や差別待遇に関しては厳密な解釈を行ってきたものの、本件の場合、ドイツに本拠地を有する企業にのみ協約遵守を求めることも理論的には可能である。実際、ドイツ国内の先例をみると、連邦憲法裁判所は2006年7月、当時のベルリン委託発注州法をドイツ基本法及び連邦諸法との関連について審理し、合憲との判断を下していた経緯もある(注3)。しかし、今回のケースは、中央集権国家を前提とした加盟国単位の制度構築がなされる欧州法の枠組みでは、ドイツのように各州が立法権限を有する連邦制国家の諸制度が内在的にシステムエラーを起こしやすいことを露呈したものでもある。経済のグローバル化は、そもそも国家による一律最低賃金制定の機運が高まった要因のひとつであったが、今回の判決に限らず、EUとの関連で、全国レベルでの統一的な基準の欠如がもたらす煩雑な行政手続、コストの増大は、従来から問題視されていたことでもあった。

こうした状況のなか、今回の判決を契機と捉える最賃推進派の動きに拍車がかかっている。ドイツは、4月に公表されたOECDの対独審査でも、最賃設定が必要な場合には、全国レベルで一般的拘束力のある賃金規定を導入するよう勧告されており(注4)、国際的な圧力を背景に最賃導入への機運が一層高まりをみせた格好だ。

最賃推進派、制度充実へ運動強化

連邦労働社会省のヴァサーヘーフェル事務次官は、「欧州プロジェクトは、統一市場と自由競争のみならず社会的水準の確保も欧州プロジェクトの柱。その方向でEUレベルでの今後の立法活動に働きかけるべきだ」との基本姿勢を明らかにした上で、今回の判決における公共事業と民間事業に従事する労働者の差別待遇に関する解釈に言及し、「この解決には、発注者が誰であろうと、ドイツにおいて最低賃金が全ての人々に一般的拘束力を持つものであると宣言する必要がある」と強調した。さらに、「その意味で、連邦労働社会省が推進している労働者送り出し法と最低労働条件法による最低賃金の設定努力は、正しい道である」などと最低賃金設定への積極的な意向を再確認。「協約遵守規定を全国レベルで一般化させるには、社会・経済的影響を検討する必要がある」と主張した。

また、政界ではかねてから最賃政策の強化を推し進めてきた社会民主党(SPD)党首クルト・ベックが、「最低賃金を全国的な選挙戦テ―マに据えて新キャンペーンを行う」と訴え、これを機に最低賃金規定の適用業種の拡大を狙う姿勢だ。

他方、ユニオン議員団委員長フォルカー・カウダーは、「国内派遣労働者は90%労働協約にカバーされている」として、送出し法による最低賃金導入の必要性を否定する考えを堅持。SPDの提案には断固として応じない方針を明らかにしている。

同判決の影響は、最賃論争に一石を投じたにとどまらない。実務レベルでも、(1)既に進行中の入札手続で、協約遵守を誓約しない業者の排除が困難になる、(2)落札済みの公共事業でも協約違反業者の取締りが不可能になるため、競争に新たな歪みが生じる可能性がある、(3)より広範な賃金の地崩れが起こる可能性が否めない――といった懸念が後を絶たない。

連邦労働社会省、最賃サイトを公開

最賃をめぐる動きが大きく揺れ動くなか、連邦労働社会省は5月7日、同省ウェブサイト「暮らしがいのある国づくり」に新たに「最低賃金」の項目を公開。最賃に関する基礎知識の提供を開始した(注5)。

同サイトは冒頭で、「賃金ダンピングは、労働者の尊厳を侵すものであり、労働者は労働によって生活できるだけの労働報酬を得なければならない。就業者に占める失業保険II(ALGII)の受給者数は全国で126万人(2007年8月時点)。職があっても国家に依存することは適切な状況とは言えず、改善には最低賃金が不可欠だ」などと最賃導入の必要性を強調。最賃導入の手法としては、(1)労働協約法に基づき、各業種別で労働協約の一般的拘束力宣言を付する、(2)労働者送り出し法に基づき、法令または一般的拘束力宣言により、労働協約を特定職種・業種に属する全ての労働者に適用する、(3)最低労働条件法に基づき、業種別の最低賃金を設定する――の3つを掲げ、解説を掲載している。

これまで第2の手法である労働者送り出し法により最低賃金が設定された業種は、建設業、建設関連電気・塗装・解体、建設清掃業、3月に違憲判決を受けた郵便サービス(注6)。これに加え、07年6月18日の連立の合意に基づき08年3月31日までに同法による最低賃金の適用を求めて申請を出した労使団体は、派遣労働、介護、保安警備、ごみ処理、生涯教育訓練、林業サービス、業務用繊維製品クリーニング、鉱山特殊業務――の8業種に及んだ。期日後の提出も前提条件が揃えば可能であるが、まずは期日までに申請された8業種への同法の拡張適用に向けた調整作業及び立法手続きがスタートすることになる。

一方、第3の手法については、2007年6月時点で、労働協約がカバーする労働者が5割に満たない業種に最低賃金を設ける方向で最低労働条件法を改正する旨、与党間では合意が成立している。だが、協約自治を重んじるドイツでは、組合側の最低賃金制度への抵抗が依然として根強く、同手法による最賃設定の道のりは容易ではないだろう。

参考

  • 委託調査員レポート
  • ロジェ・ブランパン/小宮文人・濱口桂一郎監訳『ヨーロッパ労働法』(信山社)ロジェ・ブランパン/小宮文人・濱口桂一郎監訳『ヨーロッパ労働法』(信山社)
  • 日本ILO協会「世界の労働」2007年第11号。

関連情報