EU拡大のメリット
2004年5月の第5次EU拡大から2年。欧州委員会が2006年2月に発表した報告書(Free Movement of Workers since the 2004 Enlargement Had a Positive Impact Commission Report Finds)は、「EU拡大後に生じた旧東欧圏からの労働者の流入が、欧州経済全体にプラスの影響を与えている」とした上で、英国に関しては「新規加盟国の労働者に対して制限措置を設けなかったことが経済成長につながった」と分析している。(注1)
新規加盟国からの労働者に対する制度の新設
2004年5月以前に英国内では新規加盟国からの労働者の自由移動が労働市場に与える影響について多数の研究、試算が実施され、これらに基づく活発な議論が交わされた。英国の充実した社会保障制度を狙って新規加盟国からの労働者が大量流入するといった否定的な論調を受け、政府は新規加盟国からの労働者受入れ制度として労働者登録計画(WRS: Worker Registration Scheme)を導入し、社会保障の面で一部制限を加えつつ、登録制に基づく管理を行うに至った。(注2)
予想を大きく上回る流入
政府は当初、WRSの登録者数を年間1万3000人程度と見積もっていた。これに対し、2005年9月までの登録者数は29万人。予想の10倍を超える流入となった。(注3)
しかし懸念されていた社会保障へのマイナスの影響については労働者の圧倒的多数が若年であるために結果的に極めて少ない水準に留まり、職業訓練といった公共サービスの必要性も殆ど生じていないのが実情。このため英国政府は新規加盟国からの労働者を「ほとんど手のかからない」労働力であるとみなすことに加えて、経済に年間50億ポンドの利益をもたらしたと評価している。(注4)
欧州委も英国モデルを評価
欧州委員会の報告書によると、新規加盟国からの労働者数は英国全体の労働力の0.4%に該当し、移行措置(注5)をとったドイツの0.7%、オーストリアの1.4%よりも低い水準にあり、このような移行措置をとらなかった国への流入率がとりわけ高いという事実を示すデータはない(表参照)。同報告書はさらに踏み込んで移行措置を設けなかった英国、スウェーデン、アイルランドの各国において高い経済成長、雇用の改善が見られたことから、新規加盟国からの労働力流入が経済活動を刺激したと結論付けている。特に英国については建設業など特定分野における労働力不足が緩和されたこと、熟練度の高い労働者が流入したこと、に加え拡大前に不法就労していた東欧出身労働者の身分がWRSの導入によって結果的に合法化されたことによる税金及び社会保障費の増収を指摘、労働者の自由移動を認めたことにより成功したとして英国を評価している。
地域コミュニティも歓迎
一方、治安上の理由などから流入に対して保守色を強めていた地域からの反発も少ない。ロンドン公共政策研究所のダナヤン・スリカンダラウ氏は、「ロンドンを最終目的地とした外国人労働者は全体の4分の1に過ぎず、多くの人々がイングランド東部のイーストアングリアや北アイルランドといった地方に分散しており英国人が就労しない農業および食品加工業といった職業に就いている」としている。地域労働市場の労働力不足緩和に役立っているとの指摘だ。
若年失業を加速させる懸念も
英国政府が2005年12月に発表した統計によれば、2年半前と比較して、若年者(18~24歳)の長期失業率は上昇傾向にあり、英国の若者が新規加盟国からやってくる若者との市場競争に敗れていると分析するアナリストもいる。
2006年2月に英国統計局が発表した宗教別の失業率を見るとイスラム教徒(ムスリム)の男性が最も高い13%でキリスト教徒の男性の約4倍の数値となっている。2005年の地下鉄テロの実行犯がイスラム教徒の若者らであったことも絡んで、今後さらに英国の若者が労働市場から締め出されるといった事態が進めば、労働者の流入が英国労働市場へプラスの影響をもたらすというEUの評価も根本から否定される懸念がある。
国名 | 全体の労働力人口に占める割合 |
ベルギー | 0.2 |
ドイツ | 0.7 |
ギリシャ | 0.4 |
スペイン | 0.2 |
フランス | 0.1 |
アイルランド | 2.0 |
ルクセンブルク | 0.3 |
オランダ | 0.1 |
オーストリア | 1.4 |
フィンランド | 0.3 |
スウェーデン | 0.2 |
英国 | 0.4 |
注:デンマークとポルトガルについては、該当データなし。
出所:欧州委員会、“Free Movement of Workers since the 2004 Enlargement Had a Positive Impact ? Commission Report Finds”
注
- 英国の他に移行措置を設けなかった国としては、スウェーデン、アイルランドがある。一方、何らかの移行措置を設けることを選択した12カ国については、移行措置は最大7年間延期することが可能だが、2006年5月までに制限事項を更新が必要となっている。2006年2月現在、スペインやフィンランドは移行措置を解除する予定である。一方、複数の新規加盟国と国境を接するオーストリアや失業率が高いドイツは移行措置の継続を予定している。フランス、イタリア、オランダ、デンマーク、ポルトガルの各国は、未だ態度を決めていない。
- キプロスとマルタを除く新規加盟国からの労働者は、仕事を始めて1カ月以内に登録申請を行わねばならない。登録申請の際には、所定の用紙に記入の上、雇用主による就労証明、パスポート写真、パスポートあるいはID、申請料金(50ポンド)の提出が必要である。申請が認められた場合は、登録カード、登録証明書、提出したパスポートあるいはIDが返送される。職が変わる場合は、再度の申請が必要とされる。12カ月の間、合法的に就労した労働者には欧州経済領域(EEA)在住許可証が付与され、移動の自由が認められるほか「労働者登録計画」の管理対象から外れる。社会保障番号を取得するには、最寄の公共職業安定所(ジョブセンター)にて面接を受ける必要がある。
- 2004年5月から2005年9月の期間の登録者数(Accession Monitoring Report May 2004 - September 2005)
- 1年の就労ののちには、WRSの管理対象外となり、移動の自由が付与される。
- 何らかの移行措置を設けることを選択した12カ国は、2年経過となる2006年5月までにレビューを行う。移行措置は3年を限度とする延長が認められており、合計5年を経過した後も、「労働市場に深刻な影響がある」との事実が客観的に認められれば、さらに2年の延長申請が可能である。2006年2月現在、スペインやフィンランドは移行措置を解除する予定である。一方、複数の新規加盟国と国境を接するオーストリアや失業率が高いドイツは移行措置の継続を予定している。フランス、イタリア、オランダ、デンマーク、ポルトガルの各国は、未だ態度を決めていない。
2006年3月 イギリスの記事一覧
- EU拡大のメリット
- 内務省 新たな移民受入れ制度を発表
関連情報
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