CGTが職業訓練協約に歴史的調印

カテゴリー:労使関係人材育成・職業能力開発

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  • 国別労働トピック:2004年1月

すでに4労働団体と経営側との間で合意されていた職業訓練協約に、労働総同盟(CGT)も調印を決めた。CGTによる前回の重要な協約への調印は1970年までさかのぼらなければみることができない。いわば歴史的な調印だが、この方針転換はすでに欧州労連への加盟にその兆候が現れていた。

1969年から84年にかけて、全国レベルの労使関係分野で活発に機能していた「契約主義」は2つの局面を経験した。

経済成長期には、この「契約主義」が社会的権利を拡大した。しかし、1973年のオイルショック以降は、しばしば、労使当事者がそれまで積み上げてきたものを取り壊すかのように「契約主義」が作用することになり、既得権の見直しが問題になった。

今回の職業訓練協約は画期的なものだ。労働者が解雇された場合に、ひとつの企業から別の企業へ部分的に移転可能な個人的職業訓練の権利を創設することで、大きな社会的「前進」を遂げた。これは2002年の大統領選挙運動中にシラク候補と社会党のジョスパン候補が掲げていた生涯職業訓練制度設立という共通の公約を実現したものだともいえよう。

したがって、この新しい権利を支持して、CGTが協約に調印したことも驚くには当たらないのかもしれない。CGTは1970年に、継続的職業訓練創設協約に調印したことがある。そして、職業間協約への最後の調印も、1995年の職業訓練資金調達協約までさかのぼる。重要なのは、CGTがその仇敵であるフランス企業運動(MEDEF)に満足感を与えることも、右派政権の圧力に譲歩することを恐れることもなく、調印したことにある。間接的にCGTはラファラン首相とフィヨン社会問題相の社会政策を推進していることになる。

しかし、基本的なことはそこにあるのではない。今年3月にモンペリエで開かれた第47回CGT大会では実用的開放路線が採択されたが、今回の協約調印は第1に、その推進者であるチボーCGT書記長に重要な一歩を踏み出させることになった。CGTは共産党と一線を画して独自路線を歩み始めてからは、明らかに改革主義的方向へ進んできた。退職年金問題では政府の改革と正面からぶつかったが、そこでできなかったことを、職業訓練では成功させることができた。

雇用、職業平等、あるいは医療保険に関する来るべき議論においても、CGTは自らの姿勢に予断を下すことなく、「契約主義」に復帰する。事実、CGTは退職年金問題での対立の後、再びCFDTと協力関係を結んで現実的な対応を優先させた。

とはいえ、CGTは依然として「闘争的な」組合の立場を貫き、今後のどの協約調印でも高い目標を掲げていくに違いない。とりあえず、CGTが次に試される機会はフィヨン社会問題相が開始した労使対話のルール改正になりそうだ。大臣は企業での労使対話を重視するMEDEFの要望にも理解を示しているが、多数決協約制度(従業員の過半数を代表する組合が調印しないかぎり、その協約は有効と認められなくなる)創設に関するCGTの強い要求に応じる用意を整えているだけに、やりがいはありそうだ。

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