(香港特別行政区)リョン財務長官辞任、新長官にヘンリー・タン氏

カテゴリー:雇用・失業問題

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  • 国別労働トピック:2003年11月

香港では2003年7月1日、基本法23条に関する国家保安立法制定をめぐり、50万人の市民の未曾有の大デモがあり、これを契機に政府に対する市民の批判がさらに強まり、この批判を受けて7月16日、香港政府ナンバー3のアントニー・リョン財務長官と治安問題責任者のレギナ・イプ治安担当長官が辞任するに至った。その後、この2つの要職をめぐる人事が董建華長官によって進められていたが、8月4日、新財務長官にヘンリー・タン通商産業技術長官、治安担当長官には治安畑で経験豊富なアンブローズ・リー氏が任命され、董長官の下で2002年7月に内閣制度が発足してから最大の内閣改造となった。

このうち、香港の経済・労働市場問題について政府中枢で中心的な発言を行う財務長官の交替について、以下、その経緯、新長官の略歴等も含めて、その概略を紹介する。

リョン長官は2006~2007年までに、香港の2002年度620億ドルに及ぶ財政赤字を削減して、財政均衡を達成する目標を掲げ、3月に蔓延した重症急性呼吸器症候群(SARS)による打撃はあったものの、給与減額、人員削減も含む公務員制度改革、増税、社会保障費削減等のこれまでの施策に続けて、財政均衡達成の目標に邁進する決意を示していた。しかし2003年3月、財政均衡のための施策としての自動車新規登録税の増税を発表しながら、その直前に外国高級車を購入して税負担を免れていたことが発覚し、メディア・市民の強い批判を受けていた。リョン長官は銀行家出身で、その実務能力も評価され、董長官の信任も大きく、このスキャンダル後の辞表提出も董長官に慰留されたが、その後国家保安立法をめぐる論争と大規模デモによる市民の政府批判が高揚し、中国政府の香港情勢に対する憂慮も加わり、董長官もリョン長官の辞任を受諾することを余儀なくされるに至った。

その後任命されたタン氏(51歳)は、上海生まれの裕福な繊維業界の実業家出身で、米国ミシガン大学を卒業し、父親が江沢民前中国国家主席と大学で同窓だったということもあり、中国政府中央にもよく知られた存在である。また、同氏は香港政府内部でもすでに行政会議メンバー等の要職を経験し、今後の董建華体制の中心的存在の1人として期待され、今後メディアからの注目度も増大すると見られている。

タン新長官は、リョン長官から財政均衡達成と香港経済・労働市場改善の2つの課題を受け継いでいる。この点について、タン氏は就任に際して、何か具体的な目標値の確約はしなかったが、財政赤字の改善も重視するとしながら、6月に中国政府と協定が成立した経済貿易協力強化(CEPA)(『海外労働時報』2003年9月号参照)が香港経済に対して持つ意味を評価し、景気の回復による経済の活性化とそれによる香港の労働市場の改善を最優先課題として挙げている。リョン長官在職中も、SARS禍による経済への打撃により、回復の兆しを見せ始めていた香港経済の回復の遅れとともに、2006~2007年の財政均衡達成が危ぶまれていたが、タン新長官の発言は、専門筋から、あえて財政均衡の目標年限にこだわらず、まずは経済・労働市場の活性化を図り、財政均衡達成はそれと平行して推し進めて行く意向であるとも受け取られ、現に同新長官も、その後2007年の財政均衡達成の可能性を否定している。

SARS禍も一段落して、観光業の回復等明るい兆しの見え始めた香港だが、依然高い失業率を抱えており(2参照)、今後のタン新財務長官の手腕が注目される。

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