基調報告 日本的柔軟性からデジタル柔軟性へ

労働社会の大きな転換点

私からは技術革新に伴う労働の世界の変容について、日本の文脈に照らしながらお話しさせていただきます。ライダー事務局長のお話にもあったように、今、世界的にも労働社会は大きな転換点にあると思いますが、そこには世界共通の文脈と日本独自の文脈があり、この二つが絡み合って進んでいるのが、日本の現実ではないかと思います。

日本の文脈

2017年3月28日に政府が「働き方改革実行計画」という、広範な文書を策定しました。ここには二つの転換が刻印されています。まず、いわゆる日本型雇用システムは正規労働者の柔軟性、特に職務内容や労働時間や勤務場所の柔軟性が特徴となっています。これを無限定正社員とも言いますが、こうした諸要素を柔軟に変化させることで長期雇用をできるだけ維持しようとするシステムです。

この柔軟性に対応しにくい女性などは、この無限定正社員になることができず、非正規労働者として低処遇・不安定な雇用に入っていかざるを得ない面がありました。しかし、かつて正社員の多くは成人男性で、非正規労働者の多くは主婦や学生だったため、社会的な矛盾は極小化されていました。しかし、1990年代以降、育児・介護といった家庭責任を負う正社員も増える一方、非正規労働者でも家計を維持しなければならない人も増えてきました。そのため、両方でいろいろな矛盾が発生してきたのです。

日本的柔軟性からの脱却?

いまの「働き方改革」は一言で言うと、こうした日本的な柔軟性をなにがしか限定しようとするものと言えます。とりわけ、正社員の長時間労働の是正が、最優先課題となっています。例えば時間外労働の上限設定、休息時間の導入などが盛り込まれていますし、正社員の転勤についての制約も議論されています。その一環として、働く地域を限定した正社員制度の普及も言われております。

さらに実行計画のなかでは、女性に限らず、病気治療中の人、育児や介護の責任を負っている人、障がい者など、働き方に制約のある人々を前提とした人事管理への移行が求められています。

日本的デュアリズムからの脱却?

もう一つの大きなテーマとして、日本的デュアリズムの問題があります。日本的な柔軟性と相補的なものとして、正社員と非正規労働者の大きな格差が日本の労働市場の特徴となってきました。

しかし近年拡大してきた家計維持的な非正規労働者が、正社員と比べた低処遇に不満を募らせてきています。そのため実行計画でも同一労働同一賃金を掲げ、基本給だけでなく非正規雇用への手当、福利厚生も含んだ処遇改善が打ち出されました。

こういった日本的デュアリズムの是正は、その基盤である日本的な柔軟性にも影響を与えるでしょうし、より職務内容に着目した処遇体系への移行も促進するかもしれません。

働き方改革の目指す社会は?

では、日本政府が進めている働き方改革が目指す社会は何か。一言で言うと今までの日本的な柔軟性とデュアリズムから脱却し、よりヨーロッパ社会に近い、職務内容、労働時間、勤務場所がより限定的な働き方にしていくという方向性が窺われます。今までの無限定正社員や非正規労働者が、限定正社員に近寄ってくるイメージです。

新たな柔軟性への方向性

これが日本独自の文脈ですが、日本は先進国の一つとして、世界共通の文脈のなかにも置かれています。その世界共通の文脈も、実行計画のなかに姿を現しており、三つほどの働き方が提起されています。

一つは雇用型テレワークで、雇用契約のもと自宅、サテライトオフィス、あるいは特定した働き場所を決めないモバイル勤務を推進していくことが書かれています。

もう一つは非雇用型テレワーク。個人請負型の一種の自営業ですが、インターネット等を通じて、個人が業務を請け負う形で就労するものです。典型例として、クラウドワークが示されています。

また、副業・兼業の推進。複数の企業と雇用契約を結ぶパターン、あるいは、その幾つかを個人請負で就業するパターン、こうした働き方の多様化を新たな柔軟性という形で提起しています。

デジタル化と第4次産業革命

この新しい柔軟な働き方を可能にしつつあるのは、ライダー事務局長も言われた経済のデジタル化です。例えばドイツではインダストリー4.0と言われていますし、日本でも第4次産業革命と言われています。ここではキーワードだけ並べますが、インターネット、遠距離データ通信、モバイルコミュニケーション、クラウドソーシング、ビッグデータ、ロボット、3Dプリンタ、IoT、人工知能(AI)などの活用で、時間や空間の制約を超えて、「いつでもどこでも」生産活動ができる情報通信環境が生み出されつつあるのは確かでしょう。

「いつでもどこでも」再び

この「いつでもどこでも」は、英語で言うとanytime anywhere。これは日本が、そこから脱却しようとしている伝統的な働き方でもありました。伝統的な日本的な正社員は、「いつでもどこでも」社員でした。ただしその意味は、夜でも休日でも働く、会社の命令で来週から北海道勤務だと言われたら転勤するという意味だったのです。一方、デジタル化による雇用型テレワークは、自宅でもサテライトオフィスでも、また喫茶店でも、あるいは勤務時間内でも夜でも休日でも作業ができるわけです。まさに、新たな「いつでもどこでも」です。

かつての日本的な「いつでもどこでも」では、「いつでもどこでも働けますか」「いえ、働けません」ということで、女性や育児・介護責任のある人は働きにくかったのです。しかし、テレワークによって、いつでもどこでも働けるから、こうした育児・介護の責任のある人は働きやすくなります。まさに、ワーク・ライフ・バランスに非常に役に立つ働き方ではありますが、逆にいつでもどこでも働けるので、働き過ぎの危険は否定できません。

非常に皮肉ですが、今、日本政府は、一方で労働時間の上限設定をかけようとしつつ、他方で、その限定がしにくい働き方を推進しようとしているのです。どちらもワーク・ライフ・バランスに役立つ方向へということですから矛盾ではないのですが、アイロニカルな状況とも言えます。

新たな自営業の世界

非雇用型まで射程を広げると、もっと大きな話になります。歴史的に見て、労働法、社会保障は、ほぼここ100年の間に世界的に発達してきたのです。ある程度まとまりのある職務を単位に、ある程度の期間、継続的な雇用契約を締結し、仕事と報酬を交換する仕組みが産業革命以来、確立し、世界中に広がってきました。その枠組みを前提に労働法、社会保障が組み立てられてきたのですが、経済のデジタル化によって、この基盤となってきた職務が、ジョブからタスクに分解されつつあると言われています。ジョブをタスクに分解し、そのタスクごとに個別に発注して、その成果に報酬を払うという仕組みは、これまでも社会の周辺部分では存在していましたが、それが社会の大きな分量を占めるようになるのではないかと指摘されています。

プラットフォーム経済、シェアリング経済、あるいはコラボラティブ経済とも言うようですが、こういったクラウドソーシングがどんどん急激に拡大すると、今まで雇用契約を前提としてきた労働法、社会保障の基盤がだんだん壊れて、新たな自営業の世界が広まりだすことになります。

これ自体は悪いわけではありません。しかしこういったデジタル経済が生み出しつつある新たな自営業について、欧米の労働組合から強く主張されるのは、テクノロジーを使った強力なコントロールのもとにあるということです。例えば顧客の評判で点数がつけられ、点数が低かったり、あるいは命じられたタスクを断ったりしたら、そこから排除されます。雇用契約ならば解雇になり、それをめぐって紛争することはできますが、解雇する必要もないのです。アカウントを停止して、それで終わりになる。そういった問題が指摘されています。

非雇用型テレワークの法的保護

「働き方改革実行計画」のなかにも、この雇用類似の働き方について、「法的保護の必要性を中長期的課題として検討する」との文言が入っています。まさに世界共通で直面している課題ですし、今後、政労使、また研究者が真剣に取り組んでいく必要のある分野だろうと思います。

指揮命令されずに自分で働き方を決められることは、それ自体、別に悪いことではありません。しかしその形式のもとで、伝統的な労働者より不安定で、低所得の働き方が拡大するのは、望ましいことではありません。そのため、労働法規制、社会保障制度のあり方を見直すことは、まさに世界共通の課題だろうと思います。

集団的“労使”関係の再認識

最後に、一つ指摘しておきたいは、集団的労使関係の意義を、再認識する必要があるのではないかということです。自営業(雇用類似の働き方)は、法的には厳密な意味で労使関係はないわけです。しかし、エンプロイヤーではなくても、使う側、ユーザーというのはあるわけですし、エンプロイーではなくても、労務を提供する人、ワーカーはいるわけです。事実上、労使関係に近い社会関係が存在するはずです。

そうすると、こうした人々にどういうルールを設定するか。そして、そのルールをどのように実施していくかについて、これを労使関係といっていいのか、わかりませんが、集団的な労使関係を活用できるかどうかが、今後の課題になるのではないでしょうか。集団的といっても大きく2種類あり、一つは、労働組合タイプの結社型の集団性、もう一つは労使協議会タイプの機関的な集団性。これを組み合わせながら、解決の方向性を考えていく必要があるのではないかと考えております。

日本には労働組合法があり、そこで労働組合は労働協約を締結することができますが、実はそれだけではなく、六法全書の経済法のところに中小企業協同組合があり、それを見ると、多くの方はご存じないかもしれませんが、協同組合も自分たちのメンバーのために交渉をし、団体協約を締結する権利があると書かれています。

いわゆる独禁法などの競争法との関係をどう整理するか。労働者の外縁にあるような人々を集団的な枠組みでどのように対応していくかを考える上で、拠り所になる法制度があるのかもしれない。若干トリビアルな知識を提供させていただいて、私の基調報告にしたいと思います。

プロフィール

濱口 桂一郎(はまぐち・けいいちろう)

JILPT労働政策研究所所長

1983年労働省入省。労政行政、労働基準行政、職業安定行政等に携わる。欧州連合日本政府代表部一等書記官、衆議院次席調査員、東京大学客員教授、政策研究大学院大学教授等を経て、2008年8月、JILPT労使関係・労使コミュニケーション部門統括研究員、2017年4月から現職。著書に『労働法政策』(ミネルヴァ書房、2004年)、『新しい労働社会』(岩波新書、2009年)、『日本の雇用と労働法』(日経文庫、2011年)、『若者と労働』(中公新書ラクレ、2013年)、『日本の雇用と中高年』(ちくま新書、2014年)など。

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