仕事と子育ての両立―私の両親の場合―

研究員  池田 心豪

桜の季節を迎え、労働政策研究・研修機構の研究員として4年目に入った。これまで「仕事と生活の調和」(最近の言葉でいう「ワークライフバランス」)の研究メンバーとして、主に仕事と子育ての両立支援について研究してきた。同時に、研究員になった1年目に初めての子どもが生まれ、実生活でも仕事と子育ての両立は大きな課題となった。妻の産後休業明けに運よく認可保育園に入ることができ、子どもを保育園に送ってから出勤する生活も3年目に入った。

研究を通じてわかっていたつもりであったが、実際に子どもをもつと、仕事と子育ての両立が簡単ではないことを思い知らされる。たとえば、子どもが熱を出して保育園を休まなければならなくなったときにどうするか。カレンダーをみながら、私と妻のどちらが仕事を休めるか話し合うことがたびたびあった。1日ずつ交代で休むこともあれば、午前中は妻が出勤して交代で午後から私が出勤することもあった。幸いにも、これまで夫婦どちらも休めない状況には直面していないが、朝体温を測って熱があると毎回ヒヤヒヤしている。そうした生活のなかで、ふと、自分が保育園に通っていた頃を思い出すことがある。

今から約 30年前、母が働いていた私は、1歳から小学校に入る前まで保育園に通っていた。このように言うと、母は昔から「父親も仕事をしているのに、なぜ母親だけ特別扱いするのか」と怒った。言い直そう。父も母も働いていた。ともにフルタイム雇用だった。

朝、母は私を起こして朝食を食べさせると出勤していた。私の身支度をして保育園に送り届けていたのは父だった。夕方は、近所に住む中高年の女性(「おばちゃん」と呼んでいた)が迎えに来て、「おばちゃん」の家で母の帰りを待っていた。父は深夜に帰宅することが多かったため、夜はたいてい母と過ごしていた。また、たびたび新幹線に乗って両親のどちらかの実家に行き、しばらくの間祖父母と生活していたこともよく覚えている。私が小学校に入ると、父方の祖母が1年の半分を東京で生活するようになった。ほかにも、ベビーシッターや隣に住む老夫婦など、いろいろな方のお世話になった思い出がある。

今、私と子どもが保育園に行くと、何人か同じように父親と登園している子に会う。母親と登園する子の方が多いが、父親も送り迎えをして当然という雰囲気はある。だが、私の両親が子育てをしていた頃は、まだ珍しかったようだ。また、今ではファミリー・サポート・センターに登録すれば、子どもを預かってくれる近隣の人を紹介してもらえるが、両親は人づてで、そういう人を探してきていた。孫が生まれて両親は当時の思い出をよく語るようになったが、一つ一つのエピソードから、仕事と子育てを両立するためには、柔軟な発想が重要だと感じさせられる。

さて、私たち夫婦の目下の課題である、子どもが熱を出したときの対応について、ある日、母は次のような助言をしてくれた。「解熱剤で熱を下げて保育園に連れて行ってしまえばいいのよ。薬が切れた頃に保育園から呼び出しの電話が来るけど、仕事で今は迎えに行けないといえば大丈夫」。大丈夫なわけがない。母の具体的な助言が役に立つことはほとんどない。どのような支援によって仕事と子育ての両立は可能となるのか、子どもを保育園に送り届けた後で研究する日々が今年も始まる。子どもが熱を出さないことを祈りつつ。

(2008年 4月 9日掲載)