職業キャリアと幸福

 統括研究員  奥津 眞里

夏からあと

今は夏。お盆や夏休みで、日本の各地に子どもの声を聞いたり、若者の姿をみることができる。ところが、これから数週間で様子はすっかり変わる。夏が終わると、若い人の姿がぐっと少なくなる地域があちらこちらに現れる。未来を象徴する幼きものや若きものは都会に集まる。他方、過疎化した地域には人生経験を重ねた高齢者が身を寄せ合って、過去からの歴史を守りつつ、ひっそりと暮らす光景が戻ってくる。高齢者は、かつて自らが学び、精一杯働き、苦労して子育てをした地に留まり、子や孫が人口の集中する遠隔地でライフ・キャリアを切りひらいていく姿に思いを馳せる。そして、遠くで活動する子や孫の姿を脳裏に描いて生きる支えにするという構図は珍しくない。

ある講演会で聞いたことだが、過疎化が進むその演者の出身地では冬は一段と高齢者の生活を厳しく寂しいものにするという。そして、一人暮らしの高齢者が吹雪の日に、ふと家の外に出ていきたいという誘惑に駆られることもあるという。

なぜ、そうなってしまうのか。若い時から長きに亘って、いつもその時代と社会に求められた職業活動を行い、高齢期に " 良くやってきたものだ " と振り返って実感する人々が、何故、引退後にそのような境遇にならなければならないのか。どうしてなのか?

職業キャリアとライフ・キャリア

日本は少子化が進み、人口減少社会になっている。 20,30 年前よりは、高齢者の周囲に若い人々が少なくなるのは当然といえば当然だ。しかし、今の 70 歳以上の高齢者には戦後日本の復興力として行動し、誠実に毎日の仕事に工夫を重ねてきた人々は多い。高度経済成長の時代には、学習企業という言葉も流れ、日本中の職場が新しい技術や知識を次々と吸収して変化に対応していった。同時に、ワークライフバランスの言葉はなくとも、労働者は子育てや地域コミュニケーションに心を砕いて生活した。そういう社会で、真摯に職業キャリアを築いてきた人々が、今や居住地が人口減少地域や過疎地になり、そこで一人暮らしをする。それは仕方ないというのであろうか。引退後の労働者は職業キャリアの充実とライフ・キャリアの最終過程の幸福を切り離すようなことに耐えて当然というのか。キャリア・カウンセリングという相談の専門家は、こうした最終キャリアの現実をどう受け止めるのであろう。

社会と個人、全体と個、そして幸福

労働者が自分の能力を生かしていきいきと働くことは職業生涯を充実させ、社会の発展につながるという。ところが、各地域の人々の実際のライフ・キャリアに目を向けると、現在は前記のような疑問が生まれる。日本のどこに暮らしていようと住み慣れた土地を大切にしながら、ライフ・キャリアの最終段階を家族との日常的交流のなかで築けるようにするにはどうすればよいのだろうか。

労働力人口の一極集中や極端な偏在を避ける方策を社会全体で真剣に考えねばならない。中小地方都市といわれる地域に良質な雇用を増加させることは一つの回答である。また、第一次から第三次の各産業が、国内の各地に一定のバランスで雇用労働者を抱えることも方策の一つになるであろう。親などの先輩世代の支援を受けて安心して子育てができる土地で自らの将来に希望をつなげる長期の職業設計ができるとなれば、これらには少子化対策としての効果も期待できるのではないか。いずれにしても、個人の幸福の観点から地域産業と雇用について多方面の検討を得た回答が急がれるのだと思う。

( 2007年 8月 24日掲載)