ニートとニーチェ

主席統括研究員 浅尾 裕

いうまでもないが、「ニート/NEET」というのは"Not in Education, Employment or Training"の略で英国発の用語であるが、この用語がわが国で広まることになった第一の功労者が、わが研究所の小杉礼子副統括研究員であることは周知のことである。所内の研究発表会で初めて小杉女史からこの言葉を聞かされたとき、不勉強なことに「ニーチェ」と聞き間違えてしまった。もちろんニーチェとは、フリードリッヒ・ニーチェ、19世紀後半のドイツの哲学者である。その聴き間違いは、関西人である筆者(浅尾)の(駄)洒落好きが一面の背景となっていることは間違いがない。

「神は死んだ」のか

ニーチェといえば。筆者の学生時代、大学生たるものカントやニーチェくらいは読んでおくものである、という周囲の雰囲気に騙されて、よく理解できないまま字面だけを追ったことが思い出される。結局、「神は死んだ」という、本を読む前から知っていたフレーズしか頭に残らないまま、それきりになってしまった。ただ、神が死んだというのは、もともとないことを確認した、ということらしいと感覚的に思ったりした記憶はある。

人間というか人類というか、その大きな特徴は、未熟なまま誕生し、一人前になるまでに長い期間がかかる、すなわち長期の養育が必要であることである。一人前になるということは、独り立ちした職業人になることで一応完結するといえよう。そのように養育することは親の世代の責務であり、社会の責務(企業も当然社会の一員である。)でもある。親から子、子から孫へと受け継がれていく自然な責務で、ある意味で「神」であり、筆者の好きなフレーズでいえば「天の摂理」であったはずである。だが、「神は死んだ」。いや、瀕死の状態といった方がよいか。

「自らを助くる者」になることの支援から

ただ、政策は、「自らを助くる者を助ける」以上のことはできにくい。例えば「失業者」は、定義上求職活動を行い、職を得ようと努めておられる人々のことである。だから、その行動をサポートすることができる。一方「ニート」と呼ばれる人達の中には、そうした行動自体ができにくくなってしまった人が少なくない。すなわち、彼/彼女らが「自ら助くる者」になることの支援から始めなければならない。たとえ哲学的には、彼/彼女らにとって余計なお世話であるにしても、社会とはそういうものであり、またそうであるから社会といえる。

統計からみて、近年確かにニートは増加しているが、ニートのうちで就業希望を持っている人の割合もかなり上昇している。(ただ、ニートと呼ばれるどのくらいの人達が、こうした統計調査に自ら回答しているのか、の疑問は残る。)ニートは、定義上求職活動はしていないのであるが、具体的な求職活動こそしていないものの、仕事に就きたいと思っている人が増えているらしい。「自らを助くる者」になることをうまく支援してあげることができれば、前途に光明が見えてきそうである。

(2005年12月7日掲載)