そのスキル、賞味期限は大丈夫?

 副主任研究員 深町 珠由

「ちょっと…最近あなたのスキル、鈍ったんじゃない?」と言われたら、どうしますか?

このような、情けない身の上話をするのは勇気がいるが、実は数ヶ月前、私は英語圏の友人から英会話が下手になったと言われて、正直しばらくへこんでしまった。普段からストレートな物言いをする友人なので、割り引いて考えようとはするのだが、やはりストレートに言われてしまうと身も蓋もないし、身に応えるものである。(こう書いてみると、いまだに引きずっているのが実感できるので、困ったものである)

英会話はともかく、確かに実際使っていなければ「スキル」「腕」「勘」はどんどん鈍ってくるというのは、このコラムを読んでおられる方々の中にも経験として、実感があるのではないだろうか。

このような、もやもやとした屈折した思いを抱きながら、OECDによるPIAAC調査結果の報告書を読んだときは軽い衝撃があった。「使わないスキルは陳腐化し、廃れていく」「仕事でも仕事外でも、スキルは使われる場合にのみ価値を持つ。使われていないスキルはスキルの無駄(waste of skills)であり、そのスキルへの初期投資の無駄である。」とはっきり書かれているではないか(OECD, 2013, p.38)。i) ii)この文章を読んだとき、深く納得すると同時に、我が身を深く反省した。要は「スキルや能力は持っているだけではしょうがない、発揮できる場がなければ意味がない」のである。もちろん、OECDによる発信は、個人向けのものというより政策担当者へ向けられるものではあるが、このテーマに関しては個人向けに解釈し、役立てることも十分可能だと私は思った。

それにしても、スキルが「使わないと減る」ものであり、「減ったら無駄になる」と、半ばたたみかけるような書きぶりだったのは、一人の読者としてなかなか面白かった。やはりスキルは常々使っていないとダメなのだ。スキルの中身にもよるだろうが、「昔取った杵柄」と言って若い頃に磨いたスキルを今でも有効だと思い込むことは、常に過信の危険性がつきまとうということだろう。

スキルを話題にするとき、「スキル獲得」のように、とかく身についていない新しいスキルをどう身につけるかに我々は心を奪われがちである。しかし、ある程度の年齢を重ねてきている大人(特に中高年)は、既に身についているスキルが廃れずにどう維持され、社会に活かせるかということに、もっと意識を向けなければいけないと思う。廃れていくスキルをそのままにしておくのは、もったいなさすぎる。スキルというのは、忘れたらまたいつか覚え直せばいい、鍛え直せばいい、と考えてしまいがちだが、それでは効率が悪い。それよりも、仕事上でスキルを使う「場」を自分で用意するなりして、スキルを維持する姿勢が大切なのだと思う。「そんな、スキルと言えるほどのたいそうなものなんて持ってないよ」と謙遜する人に限って、本人の無自覚のうちに素晴らしい素質や能力が秘められていることを私は常々感じるし、その謙遜こそがその人の最大の強みなのかもしれないと思うのである。

職業で求められるスキルは時代によって変化し、自分の身近な職務内容も時と共に変化する。だからスキルを使わなくなったとしても全てが個人のせいとは言い切れない。だが、それが自分にとって重要なスキルだと思うのなら、やはり維持する努力をするに越したことはない。普段仕事をしていない方でも、家庭内や日常生活で何らかのスキルを使う「場」を多少なりとも意識して持つように心がけるだけでも、だいぶ違うのではないか。そんなメッセージを私はこの報告書から受け取ることができた。

実際、私はその後、自分のスキルに対する認識や行動を大きく改めることにした。人間はすべてのことを欲張ろうとしてもできないし、能力には限界がある。月並みな言い方だが、自分の得意と不得意をしっかり自己認識し、得意とする分野を伸ばし、不得意があれば意識して避けていく(その領域を得意とする人に任せる)というのも、職業人としての一つの生き方だと思う。これはキャリアガイダンスの根幹でもある自己理解とも通じている。人間は得意と不得意の凸凹で出来ているのだから…。

  1. ^ OECD (2013) OECD Skills Outlook 2013: First Results from the Survey of Adult Skills, OECD Publishing.
  2. ^日本労働研究雑誌2014年9月号pp.71-81.「PIAACから読み解く近年の職業能力評価の動向」もご関心があれば併せてご覧ください。

(2014年8月27日掲載)