東日本大震災からの復興と地域の再生に向けて

研究所副所長 小山 浩一

2011年3月11日の東日本大震災の発生からもうすぐ丸3年を迎えようとしている。

たまたま、昨年イタリアの労働法・労使関係国際比較研究協会(ADAPT)と当機構の共同セミナーを仙台で開催し、参加する機会を得た。その中では、当プロジェクトに参画している当機構の研究員の他、東北大学、イタリア、イギリス、ニュージーランドの研究者より自然災害あるいは大規模産業災害における労働への影響と対応策について報告があり、活発な議論が交わされた。

現地では、復旧・復興関連事業の本格化及び被災事業の回復などにより、労働需要が活発化し、建設業等一部において人手不足が顕在化しているようである。被災地においては、復興事業が本格化するにつれ労働力需給が逼迫し、特に建設業等においては人員確保に困難を生じていることが東北大学より報告された。報告者からは、このことを海外で報告した際には「外国人労働者を受け入れればいい」との意見もあったとのことである。

筆者は、震災当時厚生労働省宮城労働局に勤務しており、職員自身が被災し、破壊された庁舎も出る中で、膨大な離職者の雇用保険の支給、再就職支援、被災企業における雇用の維持確保、不幸にして業務中に亡くなった労働者の遺族への労災補償の処理等に奔走する日々であった。その後宮城を離れることになったが、震災後の当地の状況には常に関心を持ち続けていた。この間の状況については、当機構において実施した、東日本大震災後の雇用・労働関係の動向、労働関係行政機関や関係団体等の活動状況を記録する調査研究プロジェクトにおいても取り上げられている。

当時の状況を思い返すと、災害の発生時期が学生、生徒の卒業直前であったため、就職予定先企業が被災して事業再開のめどが立たない、あるいは企業そのものが閉鎖になるなどにより就職先が決まらないまま卒業した学生・生徒が多数取り残された。元来東北地方は地元に新規学卒者の就職先が乏しく県外に就職する学生・生徒が多いのであるが、宮城県に関してはそれなりに県内の就職先が確保されていたこともあり県外就職者数は相対的に少ない状況にあった。しかし、当時は経済状況を反映して新規学卒者の就職環境が相当厳しく、内定状況も思わしくなかったところ、地域の将来の担い手確保のためにも卒業生の採用を県内企業に働きかけるとともに、就職希望者に対しては県教育委員会などとも連携して前年の春先から県外就職も含めて選択肢をできるだけ広げるよう働きかけを進めてきていたところであった。

2011年4月以降になると未就職卒業生の対策とともに、翌年3月卒業予定者の就職対策に取りかかることになったが、これまで通りの地元企業の採用は期待できず県外への就職に目を向けざるを得ない状況になった。結果として、2012年3月卒業予定新規高卒者の就職率(就職者数/就職希望者)は98.1%と前年の88.2%を大きく上回った。就職者の内、県内就職者については前年比3.2%増にとどまる一方、県外就職者が39.2%増と大幅に増加したことが全体の就職率の上昇に貢献したことになる。若い人材の県外流出は将来の地域再生の担い手の喪失につながる懸念もあり、地域への貢献と就職希望者の円滑の就職支援との狭間で悩みがなかったわけではない。

その後、被災地における復旧・復興事業が本格化するにつれ、県内企業の求人も活発化し、2013年3月新規高卒者については、就職率99.1%とさらに上昇した。就職地の県内外別では、前年とは逆に県内16.5%増、県外30.2%減となり、県内就職の復調が顕著になった。2014年3月卒業予定者についても順調に内定が進んでいるようである。

現地ではがれき処理等の復旧が一段落し、本格的な復興に向けた動きが具体化しつつあるようである。復興事業そのものは一時的な現象といえるもあるが、被災地の復興と地域の再生及び持続的な発展は息の長い取り組みとして継続されるべき性格のものである。その取り組みの担い手として地元の若者が自分たちの故郷の再建に携わることに大きな意味があると思う。彼らと地域の将来が希望に満ちたものとなることを願わずにはいられない。

(2014年2月28日掲載)