「見栄」と「外聞」と

江上 寿美雄

新年を迎え、春闘が始動する。景気が上向き、失業率や求人倍率は改善している。しかし、1997年度をピークに低下が続いた賃金はいまだ反転していない。賃上げは、「アベノミクス」の「第三の矢」の焦点に浮上している。安倍晋三首相は、年頭の記者会見でも、今春の賃上げの必要性を力説した。春闘が久しぶりに注目を集めている。

春闘は日本独特の賃金決定方式といえる。欧州では一般的に、産業別労組と使用者団体が企業横断の職種別賃金の協約を締結する。日本では、企業別労組による個別企業との交渉が基本だ。労働者の処遇が企業の支払い能力に制約されるのは欧州でも日本でも同様だが、企業別交渉の方式だと制約度合いが断然に大きい。その傾向を克服しようとして、春闘方式は労働側が開始した。

企業別労組が春の同じ時期に一斉に賃上げ要求を提出・交渉し、高位の賃上げ相場を形成・波及する方式である。労使の心理的側面に着目していえば、例えば、労組のほうでは、あそこの組合はあれだけの賃上げを獲得した、よし、うちでも、ということでがんばる。使用者の方では、同業他社があの水準、うちも恥ずかしくないものを出さざるを得ないのかな、などという気持ちに傾く。各企業労使が、同じ産業、同じ業種、同じ企業系列、同じ地域などのヨソを互いに意識し合って交渉し、その結果、賃上げ相場が決まっていく。その民間相場が公共企業体の賃金や人事院勧告にも影響を与え、ひいては農家所得を左右する米価の決定要素にもなった。日本全体の所得の平準化に春闘方式は寄与した。

春闘方式には、「横並び意識」「世間並み意識」との語句が側面にぴったり張りついている。ところが、とくに1990年代になってから、賃金決定の際に経営側が重視する要素として、「企業業績」が圧倒的に前面に競りだし、「世間相場」は遥か後景に退いた。「横並び」「世間並み」の意識が希薄化した。企業別交渉を基本とする春闘方式の弱点が露呈した。それは、賃金低迷と格差拡大のいまの事態と無関係ではないと思われる。

昨年暮れの「政労使会議」で、政府、連合、経団連の三者は、協力して賃上げに取り組むとの合意文書を交わした。1970年代半ばの第一次石油危機後の「賃上げとインフレの悪循環」を断つための「日本的所得政策」がお手本とされている。インフレ抑制の協力を政府が訴え、当時の春闘相場を主導した鉄鋼産業の労組が賃上げの要求を抑え、その回答が春闘方式によって「波及」し、「相場」となった。

「いま、日本経済で最大の貯蓄超過部門は企業部門」(「経済の好循環実現検討専門チーム会議」中間報告)と指摘されている。利益を出しているものの、「いざ鎌倉」の事態にそなえて企業はお金を抱え込んでいる。労働者にはそれは回ってこず、それは経済全体の可処分所得を小さくし、総需要を冷やしている。デフレ退治のマクロ経済を最優先し、春闘方式を通して賃上げを促す今度のやりかたは、さしずめ、「日本的逆所得政策」と呼べるかもしれない。

前回の「日本的所得政策」と違って、「日本的逆所得政策」の効果を疑問視する声が早くもあがっている。連合は、加盟産業別組織に対し、賃上げ交渉を指導する権限を有しない。産業別組織のほうでは、傘下の企業別労組の妥結水準に口出しできない例さえも珍しくない。経団連のほうの事情は説明するまでもない。この点の事情は当時と似通っているともいえるが、上部団体の力量に差がなくもない。決定的に違うのは、石油危機のときのように、賃上げ相場を大きくリードした「鉄鋼回答」のような要め石はいまの春闘の場には存在せず、当然、その回答の波及も期待できないことだ。要め石を確保すれば、それを支点に全体を動かすことができるという力学はよかれあしかれもう働かないだろう。加えて、賃上げ相場が波及しにくい非正規労働者が増えている。

景気や雇用の動向から見て、今春闘では久しぶりに「ベア」の字句がマスコミ紙面を飾るだろう。問題は、それがどれだけの水準と広がりを見せるかだ。春闘方式の持っていた相場の波及効果をどう復活するかが焦点に浮かび上がる。その場合、各企業の労使の「見栄」と「外聞」がカギを握るかもしれない。というと、奇妙な言葉を持ち出すとの印象を与えるかもしれない。だが、春闘の持つ相場波及力とは、きちんとした制度的な性格のものではなく、労使の心理的要素にかなり負っている。「横並び」「世間並み」は、もともと、「見栄」や「外聞」の意識と切り離せない。ヨソは出すぞ、業界や地域でハジをかくぞ、などの意識である。そうした心理を底流に、労組の方は、賃上げしたらヨソの会社に負けてしまうという遠慮しがちな意識を克服してがんばる、使用者の方は、少しばかりの賃上げは大丈夫だとの気概を見せて、従業員にいいところを示す。かつてはこんな場面が当たり前のように見られたものである。

一般的にいえば、「見栄」「外聞」は好感をあまりもたれない言葉だろう。しかし、案外、その効用は小さくない。

(2014年1月8日掲載)