アダム・スミスの経済学者への「変貌過程」

統括研究員 梅澤 眞一

アダム・スミスの著書を読み始めて4年くらいになる。私は学生時代、経済学の主要な古典や現代名著は結構読んだ(つもり(笑))が、アダム・スミスはシュムペーターと並んでついに読めなかった。気にはなっていたので、社会人になってからも両者とも解説書はずいぶん読んだが、著書まではたどり着けなかった。それが40歳直前になってシュムペーターの『経済発展の理論』を読み、それを皮切りに主著数冊を読み進めて「状況」が変わった。アダム・スミスも4年くらい前に岩波文庫の『道徳感情論』を読んで、ついにスミスにたどり着いてしまった。

実際に読んでみて非常に驚いたことは、スミスは『道徳感情論』(1759年)では道徳学者であったが、『国富論』(1776年)のスミスは完全な経済学者であったことだ。両者はとても同じ人が書いた本とは思えない。前者は「共感」に基づいて他人の感情を理解し、他人の行動を是認(否認)する理論的枠組みを書いた、完全な道徳哲学ないし倫理学の書物である。一方、後者は言うまでもなく、アダム・スミスを経済学の父と呼ばせることになった書物である。富について、貨幣や金貨ではなく生産された商品と定義し、労働こそその本源的な価値であるとした。そして重商主義を批判した。また使用価値と交換価値の区別、自然価格概念、国民所得の3構成要素、固定資本と流動資本の区別、独占と競争概念、雇用の不安定さという認識、徒弟期間の長さが賃金に与える影響など、現代経済学の重要な概念が既に登場している。

現代では両者は全く独立した別の学問であるだけに、スミスはいつ、どういう過程を経て経済学を探求したのか気になる。また両者はどう関係しているのか(いないのか)。

スミスは、どうも最初から、いわゆる総合的社会科学の枠組みで現実を見ていた可能性がある。そう考える理由の第一は『法学講義』の存在である。この本はスミスの著書ではない。19世紀末になって発見された、グラスゴー大学でのスミスの道徳哲学の講義の当時の学生のノートを元に、資料の翻訳を付け加えてでき上がったものとされるが、講義の時期としては1763年末と推定されている。私が重視するのは、この本の中で分業に基づく協業のことが、『国富論』におけるのとほぼ同様の文章で論じられていること、また「見えざる手」の語句も一か所、生活必需品の配分に言及している箇所で登場しており、さらに「生活行政」と称して、いわゆる政府の役割や財政政策を論じている箇所でも、『国富論』とほぼ同様の論旨で展開していることである。つまり『国富論』に先立って、この時期、スミスはすでにその骨格となるものを、大学で講義していた模様である。

さらにスミスは『道徳感情論』の中で、人間相互の愛情・愛着などなくても社会は存在し、損得勘定で交換するものによって維持され得る、といった趣旨のことを書いている(その関連で「見えざる手」にも言及している)。つまり『道徳感情論』執筆時点で、すでに多数の人間から構成される社会において、人間が共存し得る条件のようなものを考えていたと考えられ、それを可能とする社会の調整機能のようなものに着目していたものと考えられる。

こうしてスミスは、人間が個人の感情に基づき判断・行動し、そうした経験を通じて社会の正義や徳の基準が決定され、秩序が自然発生的に形成されていく自由社会を描いた。『国富論』で「見えざる手」に言及していることも、単に価格の需給調整機能のことを意味したものではなく、利害が対立する個々の経済活動が、全体としては自律的に秩序立って行くことを見通した推論なのかもしれない(注)。『道徳感情論』はスミスの経済学(総合的社会科学)の哲学的基礎を形成しているのである。

それにしても、スミスはどのように経済学を深めていったのか。経済史や世界経済に関する知識(日本も登場する!)、金融の仕組みとその歴史に関する知識の広さは実に驚く。それが鍵かとも思うが、まだよくわからないままである。『国富論』はまだ読み終わっていない。読書は細々とまだまだ続きそうである。

(注)学生時代、『道徳感情論』を知らなかった私は、ノーベル経済学者ハイエクが著書『自由の条件』の中で、大陸流の理性主義と対比しながら、スミスのイギリス流(スミスはスコットランド人であるが)の自由概念を高く評価した理由が明確には理解できていなかった。

(2012年10月5日掲載)