清明上河図と有価証券報告書――「よい資料」の共通点――

研究員 高橋康二

私は大学卒業後の一時期、IT会社に勤めていた。その会社は、私の在職中に、台北の故宮博物院の「清明上河図」の画像データを収録したCD-ROMを発売していた。清明上河図とは、北宋の宮廷画家・張択端の筆による絵巻である。都のお彼岸の風景のスナップショットであるが、その構図のよさと精緻さゆえ、『イスラム圏との交易』や『扇子の流行』など、当時の経済や文化の諸相がふんだんに読み取れるため、第一級の歴史資料とされている。もっとも、原本は北京の故宮博物院にあるのだが、なかなか開陳されないので、台北にある模作をCD-ROM化したのだろう。

あれから約15年。日中国交正常化40周年を記念して、なんと北京の故宮博物院の清明上河図が、先日、上野の国立博物館にやってきた。2時間以上の行列に並んで原本に見入った私は、ふと昔の職場のことを思い出した。この15年間でどう変わったのだろうか。そんなことを考えながら、かつて(1997年)と現在(2012年)の「有価証券報告書」を見比べてみた。こちらも、産業社会学者の必携資料である。

表紙を見ると、かつて同社の本社は丸の内センタービルにあったが、現在は汐留シティセンターに移転していることがわかる。丸の内センタービルといえば、同社のメインバンクである金融グループとゆかりの深い建物であるが、同社はそこから離れたのだ。また、この間、同社の取締役は32人から12人に減っている。同社が、何かしらの『金融再編』の影響を受け、『コーポレート・ガバナンス改革』を遂行したことは、想像に難くない。

従業員の状況に目をやると、従業員数欄に「嘱託社員、契約社員、パートタイマー、アルバイト等の従業員を含み、派遣社員は含めておりません」という注釈が付け加わっている。同社にも雇用の『非正規化』の波が押し寄せたのだろう。そして、15年間で従業員の平均年齢は6.5歳上昇した。従業員の『高年齢化』だ。他方、平均勤続年数は3.9年しか伸びていない。『高学歴化』や『転職者の増加』が影響しているのかもしれない。さらに、先ほど見た役員一覧のなかに、女性取締役が登場したことにも目が奪われる。『女性の積極活用』である。

設備の状況に目をやるとどうか。気になるのは、自分が実習で交替勤務の半導体後工程ラインに入った、地方工場のことである。どうやらそこは、『会社分割法制』を利用して子会社化されたようだ。背景には、間違いなく『国際競争の激化』がある。余談になるが、その時一緒に実習に行き、畳敷きの寮で相部屋をした同期のM君は、数年前、ドイツ法人に赴任したという。『グローバル経営』とはこういうことを指すのだろう。

いずれも、ありふれた現象と言ってしまえばそれまでだ。しかし、考えようによっては、たまたま私が在籍していたIT会社という1つの「個別的事例」から、これほどたくさんの「一般的命題」が読み取れるというのは、実に興味深い。清明上河図と有価証券報告書――内容も形式も、時間も空間も大きく隔たっているが、「よい資料」と呼ばれるものには、明確な共通点がある。

昔の職場が、そんなことを考えさせてくれた。

(2012年6月29日掲載)