21世紀における「労使関係」研究の一視点

JILPT統括研究員 上村 俊一

マスコミには大きく取り上げられなかったが、今春闘において、我が国労働運動史において特筆されるべき出来事が一つある。それは、郵政、印刷、造幣、林野の旧国営4事業(注:林野は現在も国営事業)に係る平成16年度の新賃金について、労使が自主決着し、中央労働委員会への調停申請がなされなかったことである。

国鉄、電電公社等を含めた、かっての3公社5現業の時代から、これらの事業に係る新賃金については、労使間で紛糾し、労働委員会へ調停申請をすることは、春闘時においては当然の「行事」であった。ところが、これまでは、労働委員会の手を借りなければ解決できなかったものが、史上初めて労使間で自主決着できたのである。この背景としては、(1)郵政事業が公社化され、印刷及び造幣の事業が特定独立行政法人化され、労使における自主交渉の幅が広がったこと、(2)民間企業においては賃金が伸び悩み、また、厳しい雇用情勢にあること、(3)過去2年において国家公務員給与に関して人事院がマイナス勧告を行ったこと、などが挙げられる。

しかし、戦後の長い期間において新賃金に関して自主決着できなかった労使が、初めて自主決着できたのであり、春闘の変化が指摘されている中、一つの象徴的な「事件」といえる。

さて、我が国の労使関係について考える際、その大前提とすべき重要事項の一つは、長期低落傾向を続けてきた労働組合の組織率が、遂に20%を切ったことである。労働組合自身にとっては、いかにして勢力の衰退を阻止し、活力を維持していくか、大きな問題を突きつけられている。他方、これは、集団的な力を行使し得ない労働者の割合が高まってきており、今や労働者の8割に達していることを意味する。これらの労働者は、様々な労働条件の決定の局面において個別に使用者と向かいあうこととなる。そして、そのような局面で生じる紛争が個別労働関係紛争である。

集団的な紛争については、労働委員会制度が設けられており、そこでは基本的に労働組合が当事者となり、個々の労働者は、精神的・資金的なバックアップを受けることができる。これに対し個別労働関係紛争においては、個々の労働者が、そのようなバックアップを受けることもできず、単独で使用者と対峙することを強いられる。そこで、近年においては、個別的労働関係紛争の解決促進のための体制整備も図られており、その利用も増加している。

都道府県労働局における個別労働関係紛争に係るあっせんの新規件数は、平成14年には3,036件であったものが、平成15年には5,352件と76%も増加した。地方労働委員会が取り組みを開始した個別労働関係紛争に係るあっせんの新規係属件数は平成14年には233件、平成15年には291件となっている。さらには、先の国会では、労働審判法が成立し、平成18年春までには、労働審判制度が動き出すことになった。全国の地裁における労働関係民事通常訴訟の新規件数は平成10年には1,793件であったものが、平成14年には2,321件にまで増加している。弁護士会が運営している仲裁センターにおいても労働問題に関する事件が増加してきていると聞く。都道府県労働局における個別労働関係紛争に関する相談の件数は、平成15年においては73万件を超えたという。かくも、労働組合の外側で、紛争を抱えている労働者は多いのである。

21世紀の「労使関係」を考えるとき、20世紀において盛んに論じられた集団的労使関係のみを念頭におくと、それは、いわば2割にも満たない労働者についてしか考えていないことにる。これは、21世紀の労働政策を論じる際、常に心しておかなければならない重要事項の一つである。