大震災からの復旧と復興

特任研究員 伊藤 実

東北3県の東海岸を襲った地震と津波は、現地に壊滅的な打撃を与えた。この地域の復興をいかに行うかは、日本の将来像を描けるかといった問題に直結しそうである。単なる復旧に終わってしまえば、長期衰退傾向に拍車がかかり、これまでの若者の流出に住民の転出が加わり、過疎・高齢化が加速するものと思われる。

温故知新ではないが、先行する大震災の復興事例を改めて調べてみる必要がある。先行事例として、北海道奥尻島の大災害がある。1993年7月12日の北海道南西沖地震とそれに続く津波に襲われた奥尻島は、今回の東北地方と同じように、火災まで加わって海岸線の村落がほぼ全滅している。

奥尻町は、北海道庁及び国の全面的な支援によって、「生活再建」「防災まちづくり」「地域振興」の3つの柱からなる復興基本計画を策定し、直ちに復興工事に着手したのである。復興工事に伴う建設労働需要の発生は、被災した漁業従事者に働く場を提供し、島からの住民流失に歯止めをかけることができた。

さらに、奥尻町は高齢者が多かった漁業従事者が、引退して年金か生活保護に頼った生活になってしまうのを防ぐために、漁港周辺にプレハブの共同作業所を、短期間のうちに整備したのである。漁船の再建が実現するまでの間、多くの漁業従事者は、共同作業所で漁具の修繕をするなどして、離職・引退を免れたのである。こうして奥尻町は、1998年3月の定例議会で、完全復興を宣言したのである。

現在の奥尻島は、復興基本計画の3つの柱のうち、「生活再建」と「防災まちづくり」は見事に成し得ているが、残念ながら「地域振興」は足踏み状態にある。明確な産業振興計画を打ち出せなかったことが影響している。

島の基幹産業である漁業を見ると、震災前の1992年に比べて2010年の漁業生産高は、数量ベースで43.6%、金額ベースで61.8%にまで減少している。さらに深刻なのは、漁業協同組合の組合員数が、1993年3月末の407名から2011年3月末の187名へと、実に220名も減少していることである。震災の犠牲者は26名であることからして、減少したのは高齢化に伴う引退者の増加と思われる。

こうした状況にあるにもかかわらず、外部からの漁業への新規就労希望者の受け入れは進んでおらず、また、収穫した魚介類を全量函館などに卸してしまうため、島内の加工業者の発展を阻害しているとのことである。

このように、先行事例からも明らかなように、復旧はできるが復興はかなり難しいということである。現在の東北地方は、復旧すらはかどっていない上に、復興計画もほとんど出来上がっていない状況である。宮城県は漁業権の独占を規制して新規参入を促すような特区構想を打ち出しているが、反対の声も様々あり実現には到っていない。

産業振興に関しては、福島県相馬市が、大規模な太陽光発電システムの整備や植物工場の新設といった計画を打ち出し、仙台市も同じような計画を発表している。産業の将来動向を睨みながら、実現可能で斬新な計画の立案・実行を急がなければならないが、それには大胆な規制緩和や集中的な財政支援、人材の育成などが必要である。

(2011年9月26日掲載)