家庭の時間、仕事の時間

研究員 岩脇千裕

育児休業を終え職場復帰して4ヶ月。昼間は仕事(賃金労働)、夕方から朝にかけては家事と子育てという二重生活が始まり、時間のやりくりに苦戦している。家庭の時間と仕事の時間は、一方を増やせば必ずもう片方が減るゼロサムの関係にある。労働時間を短縮する制度には様々なものがあるが、短くなった労働時間に応じて仕事の量も減るかといえば、たいして変わらないことも多い。必然的に働く親たちは効率化を迫られる。とにかく時間が足りないのだ。

効率化とは、物事から「無駄」を見つけ出し、優先順位を決め、限られた資源を最適に配分することだ。仕事の場において「無駄」を見つけることはそう困難なことではない。定刻通りに始まらない会議、複雑な事務手続き、機能的でない機器・・・。組織レベルで取り組めばなおのこと、個人レベルでできることも少なくない。巷には様々な「仕事術」のハウツー本があふれている。それでは、家庭生活の中の「無駄」とは何だろうか。母親向け雑誌の「時短テクニック」紹介コーナーは、家事の効率化により捻出した時間を家族の団欒や「母親個人」のために使おうと呼びかける。子育てを効率化しようという記事は滅多にない。子どもとのコミュニケーションは、家庭生活の中でも「効率化」の論理に侵されない「聖域」であるようだ。

しかし、この「聖域」の座も危うくなっている。それにいち早く警笛を鳴らしたのが、アメリカの社会学者A.ホックシールドである。彼女は、経営者から工場労働者まであらゆる層の働く親たちにインタビューを行った。そして彼・彼女らが仕事からの要請に応じて家庭の時間を効率化し、そのコストを子どもに払わせていく様を明らかにした。働く親たちは様々な方法で「家族とは何か」という家族アイデンティティを再定義し、それによって時間の抑圧に対処していた。家族や自分に「本当に必要な」ケアの量をもっと少なくても構わないと設定し直す人々。家庭の生産過程の大部分を外部(託児所や家事代行業等)に委託する人々。自分を実際に今ある自己と「時間がもっとあったら」家族のために献身するだろう潜在的な自己とに分割し、後者が「本当の自分」だと信じる人々・・・。

親になった今読み返すと、日頃の自分を振り返って身につまされる。職場復帰後、明らかに子どもと接する時間は減った。託児サービスなしには働けないし、1日1回は「ごめんね。本当はもっと遊んであげたいんだけどお仕事なの。」と子どもと自分自身に言い聞かせている。一方で、「子どものために稼いでいるのだから」「ずっと一緒にいるとお互いストレスになる」など、「親がなすべきこと」の規準を下方修正するための正当化の論理は、様々な媒体が提供してくれる。

女性の労働力化は、女性自身にとっても社会にとっても意義深いことである。その進展のために様々な法制度が整備されてきた。しかしどれだけ制度を充実させても、働く親、とりわけ母親たちの罪悪感を払拭することは難しい。なぜなら「子どもにとって(母)親が世話をすることが一番望ましい」という価値観が「常識」とされているからだ。それでは、この価値観自体を無効化してしまえばいいのだろうか? 私はそうは思わない。重要な他者とのコミュニケーションは子どもの成長に不可欠である。また、「『親がなすべきこと』は他者によって完全に代替できる」という価値観が浸透してしまえば、働く親から「子どもと一緒にいる権利」を奪うことにもなりかねない。そうなれば、ますます仕事の時間は家庭の時間を侵犯していくことだろう。

ホックシールドによれば、家庭と仕事の二重責任を負う母親にとって、賃金労働は"first shift"、家庭での労働は"second shift"である。仕事と家庭の時間獲得競争に仕事が勝利し、家庭生活が効率化されることで家族の親密な関係性にはダメージがおよぶ。その修復に必要な「感情労働(職務遂行のために自ら適切な感情状態や感情表現を作り出さねばならない労働)」を、彼女は"third shift"と呼ぶ。子どもを効率の論理に順応させ、そのストレスの埋め合わせをするための感情労働は、"third shift"のもっとも痛みを伴う部分である。

結局の所、子どもにとって誰によるケアがどの程度重要なのかは究極には誰にも分からない。また、必要なケアの量や質は一人ひとり異なる。であるならば、「子どもの世話は必ず母親がすべき」と「三歳児神話」の時代に逆行するのでも、「子どもの世話は誰がやっても同じ」と開き直るのでもなく、「今、ここ」で子ども自身が望むケアのあり方(多くの場合、親自身によるケア)を尊重することが賢明な判断だろう。それでも働き続けるためにはどこかで子どもに負担を強いることになる。その時に必要なことは、働く親や子どもが抱える痛みを、親子の閉鎖された関係性の中に閉じ込めてしまうのではなく、社会全体が分かち合おうとすることではないだろうか。これこそが、ワークライフバランスを推進するための施策を検討・実行する際に、拠って立つべき思想であろう。子どもは社会の宝であるのだから。

参考文献:A. Hochschild, 2001, The Time Bind, Owl Books.

(2011年8月12日掲載)