中国のこの10年を振り返る

研究員 中野 諭

筆者は今から約10年前の1998年夏に初めて中国に渡り、以来縁あって度々訪れている。初めての出張旅程には、中国東北部に位置する遼寧省瀋陽市郊外の砂漠化地帯とその周辺にある貧しい農村の視察が含まれていた。当時、農村へ向かう道は舗装されておらず、マイクロバスの天井で何度頭を打ったかわからないくらいだった。農村にある公衆トイレは、建屋こそあるが、その内部は穴が掘ってあるだけで、もちろん隣との囲いなどない。

しかし、その数年後に同地へ向かった際には、舗装された幅の広い道路に様変わりしており、あまりの違いに大いに驚かされた。それを可能にしたのは、強力なリーダーシップのもとで行われる公共事業と工期を縮減できる豊富な労働資源であろう。公共事業に限らず、非農業部門で労働需要が発生すれば、相対的に賃金の低い農業から無制限に労働力が供給されるような状況であった。

豊富な労働資源は、最低賃金の上昇を抑制し、中国を世界の工場へと成長させた。グローバリゼーションによる国際競争のなかで、日本の製造企業の多くも中国への進出を決断した。場所は変わるが、香港に程近い広東省深圳市にも何度か訪問する機会があった。深圳は、もともと漁村であったところが経済特区として開発された地域である。そこでは、農村からの出稼ぎ労働者が、求職のために外国企業の工場に列をなす姿が、ごく普通に見られる光景であった1)

それ以降、技術力や納期の問題から一部の製造業で国内回帰が起こったものの、中国は依然として重要な製造拠点である。この10年の中国の経済発展は著しく、GDPも総額では日本を上回る存在となり、巨大な市場に成長した。製造業における平均賃金水準は2000年の729元/月から2008年には2016元/月にまで増加しており、この間のインフレ率が年率2.6%であることを考慮しても、実質賃金は年率で約20%と大幅に伸びたことになる2)

急速な経済発展は都市部と農村部の賃金格差を生んだが3)、その解消のための政府による振興政策や経済発展による賃金水準の全体的な底上げを通して、その動きは緩やかではあるものの農村部も豊かになりつつある。出稼ぎの必要性が低下した結果、農村からの労働供給が減少し、都市部での最低賃金が上昇している。日本や韓国企業の工場で賃金上昇を求めてストライキが行われたことも、記憶に新しい。

この動きが一時的なものか、あるいは持続するものかによっても議論が分かれるところではあるが、すでに中国はルイスの転換点(農業からの無制限労働供給の状況を脱する時点)4)を迎えたとも言われている。いずれにしても、中国でも生きるためだけに働く時代から、さらに生活の質を高めるために働く時代へと変わってきていることは確かであろう。

この10年の間、中国の目覚ましい発展とともに、その労働市場をとりまく環境も変貌し続けている。ニュースや書籍だけではそれらをじゅうぶん実感できないのは中国の奥深さゆえであろうが、同時にそれはフィールド調査の重要性も示唆している。これで縁が切れるということはないと思うので、中国のこれからの10年も楽しみにしたい。

脚注

  1. ^ 中島隆信・中野諭・王婷婷・村主英俊(2004)「中国シンセン・テクノセンターの経営・経済分析」、吉野直行編著『アジア金融危機とマクロ経済政策の対応』第7章、慶應義塾大学出版会。
  2. ^ 賃金データは、JILPT 『データブック国際労働比較2010』第5-2表。インフレ率は、中華人民共和国国家統計局編『中国統計年鑑2009』中国統計出版社の消費者物価指数より筆者計算。
  3. ^ 野村かすみ(2006)「中国 「格差」 事情」JILPTウェブページコラム。
  4. ^ W. Arthur Lewis(1954)Economic Development with Unlimited Supplies of Labour, The Manchester School, Volume 22, Issue 2, pp.139-191.

(2011年1月14日掲載)